日々雑感

最近よく寝るが、寝ると言っても熟睡しているわけではない。最近の趣味はその間頭に浮かぶことを文章にまとめることである。

報道の義務と自由

2015年02月19日 10時22分49秒 | 日々雑感
 フリーカメラマンの杉本祐一氏が外務省から旅券の返納を求められ、シリア行きが出来なくなったとの報道が2月10日にあった。「旅券名義人の生命、身体又は財産の保護」を理由に、旅券の返納を求められたとのことであるが、つい先日イスラム国による後藤健二さんの殺害があったばかりであり、外務省の対応は当然と思われる。しかし、メディア関係は、報道の自由、知る権利が侵されたと猛反発である。
 紛争地帯で取材することはジャーナリストの役目であり、写真やビデオ、また直接の体験談で、いかにひどい状態かを世界に伝えることは人間として当然の義務であるとの主張はもっともである。確かに、後藤さんのお蔭で、イスラム国の実態が明らかになり、後藤さんとしては本望を果たせたかも知れない。しかし、それは後藤さん個人だけではなく、日本政府やヨルダン政府、後藤さんのご家族そしてマスコミ等、大勢の人々の協力があったことを忘れてはならない。杉本さんは、後藤さんと同様な活躍を期待したのかも知れないが、例え同様な事件に巻き込まれても、今度はその反省の無さに非難が集中することだろう。
 後藤さん然りであるが、自分は安全と確信し紛争地に赴くのであろうが、結果として大勢の人を右往左往させ、国に多大な税金を使わせ、挙句の果てに殺されてしまった。紛争地帯に安全な場所は無いのであろうが、敢えて行くのであれば自己責任を全うしてもらいたいものだ。後藤さんも自分としては自己責任を果たすつもりであったであろうが、問題が起これば周囲は黙っておれない。自己責任は自分だけではなく、周囲の責任まで負わなくてはならない。
 先に、フランスにおける連続テロの原因に関し、報道の自由にも相手を冒涜しない等の限界があるとの趣旨の意見を書いたが、ここにおいても、自由の限界がある。自由を行使するためには、関係者を説得しなくてはならない。
 安全対策に万全は無いのであろうが、ジャーナリストだと名乗ることが安全を守る手段の一つであるとの話を聞き、そこにジャーナリストの驕りを感ずる。紛争地帯の支配者がジャーナリストの身の安全を保障するのは、自分らに有利となる宣伝のためである。ジャーナリストは、常に事実を報道する正義の味方のつもりであろうが、都合の悪い報道をさせるわけは無い。敢えて不都合な真実を報道すれば命の危険にさらされることは、イスラム国に限らないであろう。戦争とは勝つためにやるものであるから、自分に不利となる人は、殺すか人質として利用することを当然考えるであろう。イスラム国だけではなく、悲惨な所は世界中いたるところに在る。杉本さんは、出来るだけ安全な場所での活躍をお願いしたい。(犬賀 大好-104)

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