日々雑感

最近よく寝るが、寝ると言っても熟睡しているわけではない。最近の趣味はその間頭に浮かぶことを文章にまとめることである。

怪我人続出の大相撲は今こそ神事に回帰せよ

2018年07月21日 10時08分19秒 | 日々雑感
 明日が千秋楽の 7月場所、 3横綱に引き続き、新大関栃ノ心が7日目から休場した。前日の玉鷲戦で右足親指付け根を痛め、日本相撲協会に約1カ月の加療を要する見込みとの診断書を提出したのだ。八角理事長は、栃ノ心の休場はお客さんに対して本当に申し訳ないとコメントした。それでもお客さんの大入りは続いているようで、相撲人気は高い。しかし、この状況が続けば、人気は下がって来るであろう。

 けが人続出の原因として、相撲は一場所15番、年間6場所で計90番あり、その間に地方巡業があって、体をケアするひまがないがある。しかし、巡業は本場所と並ぶ協会の二本柱であり、しっかり勤めるのは力士の義務であり、個人個人で考え、けがと向き合うしかないと自覚を促す親方の声もあるとの話だ。この個人個人で考えよとの言葉は、手加減せよとも聞こえ、意味深長の言葉だ。

 巡業日数よりも、相撲の在り方に問題があると指摘する親方もいる。幕内の平均体重が160キロを超えたそうだ。年間90番ある試合で160キロ以上の巨体がぶつかり合えば、怪我をするのは当然だ。しかも、地方巡業で体を休める暇もないとくる。

 何のスポーツであれ、選手にとって怪我は大敵だ。以前、八百長相撲が問題となり、ガチンコ相撲が必須となった。相撲をスポーツと捉えれば当然である。

 ガチンコ相撲推奨の筆頭は、貴乃花親方であろう。親方は寡黙であり、本心を諮りかねるが、少なくとも伝統を重んじ、神事であることに執着している。相撲は神事であるからには神様を喜ばせなくてはならない。神様を喜ばせるためにはまず一般大衆も喜ばせなくてはならない。神様も一般大衆があってこそ神様でいられる。一般大衆が喜ぶためには、ガチンコ相撲もその一つであろうが、エンアタ-テイメントの要素も必要だ。

 昔ながらのちょんまげ姿、勝負前の行司の格式ばった作法等、場を盛り上げるための雰囲気作りはここかしこに見られる。そしてガチンコ相撲となれば、大衆は大喜びであろうが、けが人続出では話にならない。

 相撲を神事と捉えれば、ガチンコ相撲の真似をすれば事足れる。昔、五穀豊穣を祈り神前相撲が行なわれた。そこでは、大衆が一番喜ぶように勝負が組まれた。それでよいのだ。

 大相撲においても、神事であることに徹底すべきである。神事であるからには、様式美が尊重され、格式が重んじられ、勝敗は二の次になろう。貴乃花親方の主張するガチンコ相撲もあくまでも演技としてなされるべきだ。

 裸でぶつかり合う試合にはプロレスもある。そこでは年間90試合も無いだろうが、1試合の時間ははるかに長く、一見激しい。しかし、選手寿命は相撲より格段に長い。あの有名なジャイアント馬場選手は60歳まで試合をしていた。プロレスは筋書きに従って、勝負が行なわれるからである。それでも観客は狂喜乱舞する。

 相撲協会は、貴乃花親方の主張を正論とし、真剣勝負を前面に出したり、格式や伝統を主張するのであろうが、怪我の為余儀な引退をした若者も数多くいるだろう。

 筋書きに沿った試合と八百長相撲は大違いである。そこでは手抜き試合は許されない。神事に徹した大相撲は能や歌舞伎のようにそれなりに人気は出るだろうし、選手寿命は格段に長くなる。

 年間90試合も、その中にどんなストーリが隠されているか、推理しながら見れば、連日満員御礼も夢ではない。2018.07.21(犬賀 大好-461)


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