日々雑感

最近よく寝るが、寝ると言っても熟睡しているわけではない。最近の趣味はその間頭に浮かぶことを文章にまとめることである。

馬鹿と依存症と性癖につける薬は無い

2019年01月26日 09時33分34秒 | 日々雑感
 性癖とは、人間の心理・行動上に現われる癖、嗜好、傾向のことと定義されるようだが、単なる癖より、その人を特長付けるような強い癖の時に使われるようだ。その範囲は極めて広く、収集癖や、完全癖などは、程度によっては世のため人のために役立つ性癖もあるが、窃盗癖や万引き癖、放火癖など、病的なものや反社会的なものまで含まれる。

 しかし、性癖とは語感からして、痴漢癖など反社会的な方面に多用される場合が多いので、ここでも悪い方の意味に用いる。これらの性癖の原因は、生まれながらの特質と思われる節もあり、自分では悪ことだと知りながら止められないところに特徴がある。

 一方、依存症とは、カジノを始めとするギャンブルや、酒、たばこ、麻薬等、これらの習慣的な行為が社会生活に支障をきたしているのに、自分の意志の力ではやめられない状態のことだそうだ。

 自分では改められない点においては、依存症と性癖は同じであるが、性癖は生まれながらの性格であり、依存症は何かの切っ掛けで発症する病気とも感ずるが、依存症発症の裏には性癖があり、本質的な差は無いだろう。

 人は無くて七癖あって四十八癖とは、人は誰しも多かれ少なかれ癖があるということであり、正義面、お調子者、皮肉屋、ケチなどの性癖は余り社会には悪影響を及ぼさないため問題視されない。しかし痴漢 万引き、虚言癖や、露出癖、となると社会的影響も大きいため、依存症と別の呼び方が生まれたのかも知れない。

 2012年カジノにのめり込み、ファミリー企業から総額106億円を借りて有罪判決を受けた大王製紙前会長の井川意高氏は、日本でカジノが解禁されても日本のカジノへは行かないと言っているようだが、理由はカジノに懲りたからでは無く、単に日本では有名になり過ぎており影響が大きいからとの理由である。機会があれば海外のカジノへ行きたいようであり、ガジノへの未練は十分残っているようだ。

 井川氏の場合、カジノ解禁の悪影響として依存症の発症の例に挙げられるが、元々持っていた性格、育った環境、等が影響していることは間違いなく、単に性癖の一種と思えなくもない。

 ギャンブルを一度経験してそこから抜け出せなくなった人もいるかと思うと、簡単に止められた人もいる。この差はその人が有する個性であろう。止められない人は、潜在的にそのような性癖を有しているのではなかろうか。

 高齢化に伴い認知症が話題になるが高齢者に発症する脳の病気とされる。認知症になると万引き癖が出る例もあるようだが、元々有していた万引き癖が認知症により抑えが効かなくなったと理解できるのではなかろうか。

 カジノ解禁に伴うギャンブル依存症対策に政府は万全を期すとしているが、依存症を完治する薬は無い。依存症につける薬が無いのも、このように生来の性格が関係している理解すれば納得できる。

 ”馬鹿に付ける薬はない”の諺は、愚かな人は救いようがない、との意味であるが、この場合の馬鹿とは性癖を直せない人のことであろう。そうだ、馬鹿と性癖と依存症につける薬はないのだ。

 カジノはギャンブルの一つであり、既に日本はパチンコを始めとするギャンブル天国である。政府はカジノ依存症の発生に万全を期すと言っているが、馬鹿と同様それを直す薬が無いと心すべきである。2019.01.26(犬賀 大好-515)

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