日々雑感

最近よく寝るが、寝ると言っても熟睡しているわけではない。最近の趣味はその間頭に浮かぶことを文章にまとめることである。

人間外観で判断するな

2017年07月05日 09時06分48秒 | 日々雑感
 子供の頃、”人を見掛けで判断するな”と親から教えられたが、それは人の外観と内面は異なるとの戒めであろう。

 綺麗な服装をし、いつもにこやかな女性は、つい心優しい女性と思い込んでしまう。最近、豊田真由子代議士の秘書に対する暴言事件がワイドショウを賑わしている。彼女が、国会でにこやかに質問している様子からは想像できないが、あの顔から罵詈雑言が飛び出すとは、やはり ”人は見掛けで判断するな”は、正しかった。

 ただし、親の教えは、貧しい身なりの人にも人間として立派な心の持ち主がいるとの教えであろうので、今回の出来事は真逆のようである。ただし、今回の件は、男性であれば珍しいことではなく、ワイドショウで取り上げられるほどの話題性は無いが、女性であったための騒ぎである。

 綺麗な女性が優しい女性であるとの刷り込みはテレビや映画のドラマの影響が大きいだろう。ドラマに登場する主役の女優さんは綺麗な顔立ちで、しかも心も綺麗な人ばかりである。これらのドラマが夢を売るエンターテイメントである限り、理想的な女性を登場させるのは当然であろう。小さい頃からこんなドラマを見させられていると、世の中すべてそうなんだとつい思い込んでしまう。

 豊田真由子議員は、政策秘書に暴行したり暴言を浴びせた責任を取るとして離党届を自民党本部に提出したそうだ。豊田議員の怒り狂った音声が公開されたことで、言い逃れできず、入院する事態になったそうだが、もし秘書の証言のみであれば、秘書の妄言として言い逃れ出来たかも知れない。しおらしい顔をして、”あれは秘書が私を陥れようとした作り話です”とでも釈明すれば一般人は信用したであろう。人間は外観に騙されやすい。

 また、”ジキル氏とハイド氏”は、内面と外面の違いではなく、内面である人格の二重性を描いた小説であるが、豊田議員にも多少この傾向があるのかも知れない。そうだとすれば、他人を外見で判断するなの指摘は見当違いとなる。

 豊田議員の本来の性格はよく知らないが、官僚の夫と子供が二人いるところを見ると、以前は普通の女性であり、議員バッチを付け、”虎の威を借りる狐”となったのであろう。そうであるならば夫、子供のためにも議員を辞職し、本来の姿に戻るべきであろう。豊田議員に代わって国のために働きたい人はいくらでもいる。二人の子供の母親は彼女以外に居ない。

 馬子にも衣裳とは、現代的には差別用語かも知れないがないが、実に的を得ている。だからこそ、人を外見で判断するなの格言が生きるのである。もっとも内面の貧しさ隠すのは衣裳ばかりでない。お化粧や整形美容もしかりである。最近は男性化粧品もよく売れているとのことである。女性に限らず、男性も外面で取り繕う風潮が強くなっていると思われる。

 内面の立派な人が、外面をわざと貧しく見せる必要は無い。人間、内面、外面に拘わらず美しい方がいいに決まっている。外面を美しくすれば、即内面も美しくなることは無いが、内面と外面は、人格形成の過程を考えると非常に関係している。子供の頃、外見の可愛い子供は、大人からもちやほやされ、伸び伸びと素直に育つことが多い。就活においても、外見で判断されることが多いと言われる。異性との出会いもまず外観から始まる。

 外観に恵まれない人は、当然人間不信となり、性格も悪い方に向かうであろう。しかし、例外はどこにでもあり、性格の悪い綺麗な女性もいくらでもいる。

 外見=内面ではないことだけは確かであり、人間見掛けで判断するなは、いまでも立派に生きている。しかし、外見が綺麗な女性が内面も綺麗だと思い込むことは常である。2017.07.05(犬賀 大好-352)

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