モリモリキッズ

信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

氷河期の生き残りウスバアゲハ(妻女山里山通信)

2009-05-31 | アウトドア・ネイチャーフォト
にほんブログ村 写真ブログ ネイチャーフォトへ にほんブログ村 写真ブログへ
ブログランキング・にほんブログ村へ

 ウスバシロチョウというのですが、シロチョウ科ではなくアゲハ科。ということでウスバアゲハと呼ぶべきという声があるウスバシロチョウですが、このところ妻女山に大量発生しあちこちで元気に飛び回っています。春先に幼虫の食草であるミヤマキケマンがたくさん咲いていたので、この蝶の大量発生もうなずけます。

 アールヌーボーのステンドグラスのランプシェードのようなはねは僅かに透けています。北欧から中近東の山岳地帯、ヒマラヤ、中央アジア高原などに棲息する北方系の蝶で、氷河期の生き残りです。そのため古典的な蝶といえるわけです。生き残るのは大変だったでしょうね。生き残ってくれて有難うと思うわけです。

 下の写真の蝶は、はねが欠損しています。天敵に襲われたのか縄張り争いの結果なのかはっきりしませんが、蝶の出現の終わりの方ではこういう個体をよく見かけます。一般的には鳥が天敵と思われがちですが、一度オオムラサキがツバメを猛スピードで追いかけていくのを見たことがあるので、鳥と一概にはいえないかもしれません。天敵は、クモやトンボ、カマキリやトカゲなどもいるわけですし…。

 林道には、ウツギとエゴノキの白い花が満開です。ウツギは別名を卯の花といって「夏は来ぬ」の歌詞の「卯の花の、匂う垣根に 時鳥、早も来鳴きて 忍音もらす、夏は来ぬ」の卯の花のことです。実はウツギに香りはないのですが、「匂う」は古語の「にほふ」で、香り立つことではなく、視覚的な美しさが立つことをいうのだそうです。エゴノキは、かなり強い芳香があります。山道を歩いていると一面に雪が降ったように真っ白に花が落ちていることがあり、なにかと見上げるとうつむいて咲くエゴノキの花が満開だったりします。よそ見をして歩いていると、エビガライチゴやノイバラの刺にひっかかって痛い思いをします。

 草花では、キツネアザミが咲き始めていました。タケニグサやクズが繁茂し始め、アレチウリも出てきました。困ったものです。また、スギ花粉より強烈でたちの悪いカモガヤが一斉に花を咲かせています。オーチャードグラスという帰化植物ですが、明治初期に牧草として輸入され、なんと緑化にも使われてしまったのです。信州では、学校帰りの子供達が、知らずにこの花で遊んで花粉症になることも少なくないとか、堤防や畑道などでのジョギングも要注意です。

 林道の奥では、車について種が運ばれたのでしょう、マーガレットが群生していて、ウスバアゲハが乱舞していました。隣に咲いているハルジオンには目もくれずに吸密中です。撮影中にパラパラと小雨が落ちてきましたが、かまわずに彼らの吸密に見とれていました。

★ネイチャーフォトは、【MORI MORI KIDS Nature Photograph Gallery】をご覧ください。キノコ、変形菌(粘菌)、コケ、花、昆虫などのスーパーマクロ写真。滝、巨樹、森の写真、特殊な技法で作るパノラマ写真など。キノコ、春の花、昆虫、樹木、滝などを更新しました。

★妻女山に今年もアサギマダラが飛来しました。妻女山の真実について、詳しくは、本当の妻女山について研究した私の特集ページ「妻女山の位置と名称について」をご覧ください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

妻女山は夏の昆虫の季節(妻女山里山通信)

2009-05-29 | アウトドア・ネイチャーフォト
にほんブログ村 写真ブログ ネイチャーフォトへ にほんブログ村 写真ブログへ
ブログランキング・にほんブログ村へ

 林道を歩くとたくさんの灰茶褐色の蝶が飛び回っています。まるで道案内をするように私の前を飛んでいきます。足元の草の葉に留まったのでマクロ写真を撮ろうとレンズを近づけると飛び去ってしまいます。そんなことが何度か続き、これはからかわれているのじゃないかとため息をついたとき、また足元の葉に留まりました。息を殺して直接見ないようにしながら(視線を感じると逃げる)、レンズを近づけます。今度はジッとして動きません。アングルを変えて撮影しても全く動じません。いきなり優等生のモデルに変身しました。それが最初の写真のモデル、コジャノメです。

 二番目は、ヨモギの葉に留まっていた体長10ミリに満たない小さなバッタ。フキバッタの若齢幼虫です。バッタのミニチュアのようで可愛いのですが、幼虫といっても形はしっかりとバッタ。 アップにするとけっこう不敵な面構えをしています。

 三番目は、やたら派手な出で立ちのカメムシ。クヌギカメムシのこれも若齢幼虫です。同じくヨモギの葉に留まっていました。その他、ミスジチョウの仲間も飛び始めました。

 妻女山は、現在毛虫の季節です。茶色の毛深いヒトリガの毛虫が草木の先っちょにいたり、モコモコと道路を横断したりしています。山仕事をすると刈ろうとする草の先にいたりして一瞬躊躇するのですが、それでは仕事にならないのでスパッと切ります。毛虫君はモコモコと新しい草を求めて蠢(うごめい)ています。この毛虫は無毒なので気にしませんが、山桜にはドクガもつくので気は抜けません。

 それよりも大敵なのはオオスズメバチです。先日も頭の上をすれすれに飛び去り、威嚇されました。もっと強烈なときは頭に体当たりしていきます。小石をぶつけられたような衝撃があります。近くでホバリングしながらカチカチと威嚇音を出すときもあります。いずれも追い払うのは厳禁。姿勢を低くしてそっと立ち去ることです。妻女山は、夏の昆虫の季節になりました。

★ネイチャーフォトは、【MORI MORI KIDS Nature Photograph Gallery】をご覧ください。キノコ、変形菌(粘菌)、コケ、花、昆虫などのスーパーマクロ写真。滝、巨樹、森の写真、特殊な技法で作るパノラマ写真など。キノコ、春の花、昆虫、樹木、滝などを更新しました。

★妻女山に今年もアサギマダラが飛来しました。妻女山の真実について、詳しくは、本当の妻女山について研究した私の特集ページ「妻女山の位置と名称について」をご覧ください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

バルサがくれた至福の時間

2009-05-28 | サッカー
 常識というのは覆されるためにあると思いました。足元ばかりへのパスというと動かないダメなサッカーの典型のようにいわれますが、バルセロナのサッカーはそれを見事に翻した究極のものでした。といっても動かないわけではなくボールを受けるときのポジションやボディシェイプが抜群で、その上パスとトラップが精密機械のように正確で速いのですから、マンUの選手はただ見守るしか術がなかったわけですね。そして、画面からもマンUの選手が少しずつ焦り始めたのが伝わってきました。まさにボールポゼッションの妙。

 もっとも試合開始直後はマンUの時間でしたから、あそこで得点できていれば流れは変わったでしょう。しかし、バルサはそれも計算済みだったかのようにバタバタ慌てませんでした。バルサ中盤のイニエスタ、シャビとメッシの華麗なパス回しにマンUの選手は完全に翻弄されていました。もちろん前にはアンリとエトーがいるわけですから。そして、C.ロナウドを抑えたプジョルの働きも見逃せないものです。

 体幹を鍛えるとよくいわれますが、メッシを見ているとその重要性がよく分かります。小柄ですし現役時代のマラドーナのようにマッチョでもない彼が1対1でも負けないのは、まさに体幹の強さによるものでしょう。相手が何人であろうとチャンスならドリブルを仕掛ける。時にはあざ笑うようにゴールから遠ざかっていくドリブル。スルスルっとゴール前のスペースに入ってヘッドで決めた2点目は、マンUにとっては悪夢のエアーポケットでした。欧州CL決勝は、以外と凡戦が多いのですが、今回は本当に夢のような試合でした。

 バルサがくれた至福の時間。ありがとうバルサ。そしておめでとう!

 そして、日本代表。本田が素晴らしかった。山田よ日本のメッシになれ!
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

食通のきのこオオシャグマタケ(妻女山里山通信)

2009-05-26 | アウトドア・ネイチャーフォト
にほんブログ村 写真ブログ ネイチャーフォトへ にほんブログ村 写真ブログへ
ブログランキング・にほんブログ村へ

 この風貌のキノコを見て食欲が湧く人は相当の食いしん坊でしょう。オオシャグマタケというキノコで、先日山菜採りに行った菅平高原のとある針葉樹林で見つけたものです。直径は12センチほど。なんだか森の中に何かの脳味噌が転がっているような光景でした。中は中空で、軸は直径8センチぐらいで白く中空。全部で三つほど出ていました。春から初夏のキノコで無毒、なんと食べられるキノコです。しかも美味しいらしいのです。らしいというのは、まだ食べたことがないからなんですが。

 食べるのをためらう理由があります。それは、似ているシャグマアミガサタケが猛毒だからなのです。間違えて食べたら死に至るキノコです。ところが、このキノコを北欧では食べているから驚きです。昔訪れたことのあるノルウェーでも普通に食されています。もっともちゃんと毒抜きをしてからですが。缶詰としても売られていますが、これも加熱してからでないと危険だとか。クリームソースにして魚や肉料理に合わせます。また、中華料理にも使われます。調理法は、何度も茹でこぼしてから流水に晒して毒抜きをするそうです。しかし、茹でている湯気で中毒することもあるそうで、いずれにしても命がけのキノコです。

 オオシャグマタケは、一応無毒らしいのですが、同定が確実にできないと危険ですね。確実なのは、顕微鏡で胞子の形を確認することでしょう。そこまでして食べたいかどうかは別問題ですが。外見はグロテスクですが、味はいいそうです。バター炒めや煮込み、生クリームのソースに。オムレツなんかどうでしょう。キッシュなんかにも合いそうですが…。

 自然を人間の都合で安易に擬人化するのはよくないと思っていますが、表面的な形態でその味(中身)まで判断するのはいかがなものかと思います。
 今回は、山菜採りが目的だったので採取しませんでしたが、本当に美味しいというのであれば次回は食べてみようかと思っています…。

★ネイチャーフォトは、【MORI MORI KIDS Nature Photograph Gallery】をご覧ください。キノコ、変形菌(粘菌)、コケ、花、昆虫などのスーパーマクロ写真。滝、巨樹、森の写真、特殊な技法で作るパノラマ写真など。キノコ、春の花、昆虫、樹木、滝などを更新しました。

★妻女山にアサギマダラが飛来しました。妻女山の真実について、詳しくは、本当の妻女山について研究した私の特集ページ「妻女山の位置と名称について」をご覧ください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

童は見たり野中のバラ(妻女山里山通信)

2009-05-24 | アウトドア・ネイチャーフォト
にほんブログ村 写真ブログ ネイチャーフォトへ にほんブログ村 写真ブログへ
ブログランキング・にほんブログ村へ

 「童は見たり野中のバラ」の歌詞で有名なシューベルトの「野ばら」。だれもが小中学生の頃に歌った想い出がある曲です。「童は見たり 野中のばら 清らに咲ける その色愛でつ あかず眺むる 紅におう 野中のばら」というゲーテの詩に曲をつけたものですが、この野バラとは日本でいえばノイバラになるわけです。

 西洋の数々の新種のバラを作り出すためにこの日本のノイバラが使われたそうですが、里山ではなかなかに厄介なしろものなんです。日当たりのいい山地の林の縁に繁茂すると、森の中に入って行けなくなってしまうばかりか、林下の風通しが悪くなってしまうのです。また、植林地では半ツル性のため木にからみついて成長を妨げたり、手入れを困難にしてしまいます。

 ということで、除伐の対象になってしまうわけです。美しい花を咲かせるヤマフジや、美味しい実がなるミツバアケビなども同様です。といってもノイバラは、挿し木で簡単に増えるほど繁殖力が旺盛なので、切り株を残しておくとどんどん増えてしまいます。

 今回も妻女山で除伐をしたわけですが、脚がバラの刺で傷だらけになってしまいました。あげくに一番大きな株は、鉈鎌の柄が折れてしまい、且つあまりの株の大きさと蜂の巣で、除伐は冬に持ち越すことにしました。幸い蜂には刺されずに済みましたが、本当に厄介です。今日もオスズメバチの威嚇を受けました。これからの季節、妻女山に来られるときは、黒い服や帽子は厳禁です。

作曲 シューベルト
作詞 ゲーテ
訳詞 近藤 朔風

1.童は見たり 野中のバラ
  清らに咲ける その色めでつ
  あかず眺む
  紅におう 野中のバラ
2.手折りてゆかん 野中のバラ
  手折らば手折れ 思い出ぐさに
  きみを刺さん
  紅におう 野中のバラ
3.童は折りぬ 野中のバラ
  手折りてあわれ 清らの色香
  とわにあせぬ
  紅におう 野中のバラ

 一番は清らかですが、二番三番はなかなか意味深で激しい歌詞です。学生のゲーテは村の牧師の娘フリーデリーケ・ブリオンと恋に落ちるわけですが、勉学のため、または束縛を嫌ったため、結婚を望む彼女との恋愛を断ち切ってしまったといわれています。一見素朴で純粋可憐な野バラですが、刺は相当に痛いです。また、巻き付かれた木が低木の場合、葉で覆い隠して枯らしてしまうこともあります。

★ネイチャーフォトは、【MORI MORI KIDS Nature Photograph Gallery】をご覧ください。キノコ、変形菌(粘菌)、コケ、花、昆虫などのスーパーマクロ写真。滝、巨樹、森の写真、特殊な技法で作るパノラマ写真など。春の花、昆虫、樹木、滝などを更新しました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ツマグロヒョウモンの舞う妻女山(妻女山里山通信)

2009-05-21 | アウトドア・ネイチャーフォト
にほんブログ村 写真ブログ ネイチャーフォトへ にほんブログ村 写真ブログへ
ブログランキング・にほんブログ村へ

 今年最初の真夏日の昼休みに山蕗採りと下草刈りに妻女山へでかけました。かなりの湿度の中、アッという間に伸びる下草を刈っているとたくさんの蝶が飛翔していました。その中にツマグロヒョウモンと思われる一頭が。まさかと思いつつトゲナシニセアカシアの満開の花に近づくと、まさしくツマグロヒョウモンの雌が吸密中でした。

 ツマグロヒョウモンは、熱帯、亜熱帯の蝶で、以前は東京辺りが北限といわれていたのですが、地球温暖化の影響かどんどん北限が上がり続けているということです。ツマグロヒョウモンが、それもこんな時期に北信濃で見られるということは、驚きでした。確か先日、新聞で新潟と長野の県境でツマグロヒョウモンが発見されたという記事を読んだばかりでした。

 今回は、カメラが手元になく残念ながら撮影できませんでしたが、私の網膜にはクッキリとあの豹柄が焼き付きました。いずれ撮影したいと思っています。

 そして、山蕗も採れたので帰ろうと車に乗ると目の前にフラフラと揺れる物体。なにかとエンジンを切って近づくと蓑虫(ミノムシ)でした。ミノムシはミノガ科のガの幼虫で、中でもオオミノガとチャミノガの幼虫をいうことが一般的なのですが、ここまで派手な巣にはなかなかお目にかかれないので撮影しました。

 といってもソメイヨシノからぶら下がった巣は、わずかな風でもユラユラと揺れ続け、スーパーマクロではいつまでたってもピントが合いません。そこでちょっと失礼と左手で糸を持って固定して撮影しました。しばらくすると、異変に気付いたのでしょうか、ミノムシがいったいどうしたんだ、なにがあったんだと巣から出てきました。そして盛んに糸を点検しています。そこを撮影。これはオオミノガ。

 あまり邪魔をしても可哀想なのでそっと手を離すと、やがてミノムシは巣の中に戻って行きました。オオミノガで成虫になって蛾になるのは雄だけです。また、古典的な蛾にはよくあるのですが、成虫になると蜜を吸う口がないのです。つまり何も食べないのです。そして交尾すると死にます。そして、雌は成虫になっても幼虫と同じ芋虫の形のまま。蓑の中で芋虫のまま卵を産み、一生を終えます。なんていうか…。

 ミノムシは、鳴かないのですが、「みのむしの音をききにこよ草の庵」と芭蕉に詠われたり、『枕草子』にも鳴くように描かれていますが、これはカネタタキの鳴き声をいうともいわれています。どこをどう間違えたんでしょうね。人間なんかに分かってもらえなくても関係ないさ、の蓑虫君でした。

★ネイチャーフォトは、【MORI MORI KIDS Nature Photograph Gallery】をご覧ください。キノコ、変形菌(粘菌)、コケ、花、昆虫などのスーパーマクロ写真。滝、巨樹、森の写真、特殊な技法で作るパノラマ写真など。春の花、昆虫、樹木、滝などを更新しました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

菅平高原へ、根子岳と四阿山、真田一族(妻女山里山通信)

2009-05-19 | 歴史・地理・雑学
にほんブログ村 写真ブログ ネイチャーフォトへ にほんブログ村 写真ブログへ
ブログランキング・にほんブログ村へ

 実に6年ぶりの菅平高原です。6年前はまだ小学生だった息子達を連れての夏の四阿山から根子岳の縦走でした。四阿山から大すき間(コル)への急な下りと根子岳への登り返しで、当時体重が今より10キロ近く重かった私はヘロヘロになった想い出があります…。下界は雷雨で火事が起きるほどの猛暑でしたが、大すき間は気温が15度でした。四阿山手前の鞍部で岩の上に熊のものと思われる糞を発見しました。

 今回は登山ではなく山菜採りです。ワラビや山ウドには少々早いのですが、多忙になる前にとでかけました。某所を駆けめぐり深い森に入り、藪こぎまでして採った山菜は漢字で書くと、蕨、山独活、針桐、漉油、愡之木。それぞれはそれほど量は採れなかったのですが、合わせるとかなりの量になりました。帰宅後早速天ぷらで堪能しました。

 根子岳は、元は禰固岳と書かれました。「禰」は弥の旧字で、天理によく沿い従うもの。親孝行の意味があります。「禰」に固まると書いて「禰固岳」でした。天意に適うようにお参りすれば願い事がかなう山という意味でしょうか。この字は根子岳山頂の祠の隣にある石碑に書いてあります。猫嶽、あるいは猫岳とも書きますが、まるで眠る猫の背中のような山容から、そう呼んだのでしょう。

 日本百名山でもある四阿山は、真田一族と非常に深い関係にあります。真田十勇士はフィクションですが、真田忍びは実在のものです。戦国の乱世、真田は北の上杉、南の武田という強大な勢力に挟まれた厳しい状況にありました。まさしく信濃の国は、ベトナムかアフガニスタンか。そんな状況の中、天下の情報を素早く正確に捉えるために、真田幸村は山伏の情報源を活用したのです。
 真田氏のいる上信越国境には、山伏が修行する霊山が連なっていました。その中でも四阿山は、たくさんの山伏達が集まる代表的な霊山でした。頂上には白山権現を祭神とする四阿神社がまつられています。鳥居峠付近には中社と籠り屋があり、山伏達の修行場となっていました。

 山伏達は古来より関所の通行が自由だったそうです。彼らは苦行に励み、棒術や刀術にたけており、強靱な肉体をもっていました。彼らが真田忍びの中核を担い、隠密活動や敵のかく乱など変幻自在の大活躍をしたのだそうです。
 当時、真田幸村は、世に「不思議な弓取り」と言われました。天下の大群を相手に、一歩も引かぬ変幻自在の戦いを挑みましたが、その背景には四阿山を舞台にした特殊技能を持つ山伏達の忍びの活躍があったのです。そんなことに思いをはせながら四阿山に登るのも、またいいかもしれません。また、麓の上田市や長野市松代町には、真田ゆかりの史跡がたくさんあります。登山やハイキングの後に訪れてみるのもいいのではないでしょうか。

 妻女山や茶臼山、川中島からは、両山がクッキリと見えます。写真の白いものはレタス畑、冬はスキー場になるところもあります。夏はサッカーやラグビーの合宿で有名です。

★ネイチャーフォトは、【MORI MORI KIDS Nature Photograph Gallery】をご覧ください。キノコ、変形菌(粘菌)、コケ、花、昆虫などのスーパーマクロ写真。滝、巨樹、森の写真、特殊な技法で作るパノラマ写真など。春の花、昆虫、樹木、滝などを更新しました。

★フォトドキュメントの手法で綴るトレッキング・フォトレポート【MORI MORI KIDS(低山トレッキング・フォトレポート)】もよろしく。四阿山から根子岳の縦走ルポは2003年です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鏡台山から富士山が見えた!(妻女山里山通信)

2009-05-17 | アウトドア・ネイチャーフォト
にほんブログ村 写真ブログ ネイチャーフォトへ にほんブログ村 写真ブログへ
ブログランキング・にほんブログ村へ

 鏡台山に登ると林間から富士山が見えると書いてあるのですが、見たというサイトがなかなかありません。また、看板にはどこにどう見えるのか詳しく書いてないので、どこを見ていいのかも分かりません。そこで先日登った時に、林間から見たらそれらしきものが八ヶ岳の左(東)の山裾に小さく見えたので撮影しました。

 目が悪いのと双眼鏡を持っていかなかったので、現地ではそれが富士山であると断言はできなかったのですが、帰って画像加工して初めて確認できました。やはり富士山でした。鏡台山から富士山までは、直線距離で135.4kmあります。富士山が肉眼で見える最も遠い山頂ではありませんが、ちょっと感動します。

 条件的には、快晴で富士山の背景の空が青く富士山に積雪があって白いとか、黒富士で空が白いとかコントラストがなければ見えないと思います。相当に条件が良くないと見えないでしょう。

 山頂に林間から見えると看板がありますが、それよりも黒柏木山方面へ登山道を20mほど下って右手が開けたところから笹藪に少し入って見た方が簡単です。もし、天気がいい日に鏡台山へ登られたら見ることをおすすめします。それと、双眼鏡を持参した方がいいでしょう。

 尚、笹平へ下る途中の富士見の岩は、左手の松が成長し邪魔になって富士山は見えません。

★ネイチャーフォトは、【MORI MORI KIDS Nature Photograph Gallery】をご覧ください。キノコ、変形菌(粘菌)、コケ、花、昆虫などのスーパーマクロ写真。滝、巨樹、森の写真、特殊な技法で作るパノラマ写真など。春の花、昆虫、樹木、滝などを更新しました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北信濃は百花繚乱の季節(妻女山里山通信)

2009-05-16 | アウトドア・ネイチャーフォト
にほんブログ村 写真ブログ ネイチャーフォトへ にほんブログ村 写真ブログへ
ブログランキング・にほんブログ村へ

 真夏日の後、肌寒い日が続く北信濃ですが、初夏の花が咲き乱れています。今回は、そんな花のいくつかを集めてみました。ラショウモンカズラ、マキノスミレ、シロバナオドリコソウ、キジムシロ、ミヤマヨメナ、クサノオウ、ムラサキマムシグサ、トゲナシニセアカシア。他にはエニシダ、カキドウシ、クルマバソウ、スミレ、ガマズミ、オオカメノキ、ヤマフジ、ヤマツツジなどなど。

 高速道路の割引があるせいでしょうか、妻女山にも週末になると以前は考えられなかった遠方のナンバーをつけた車が訪れています。秋田、山口、岡山、京都などなど。それに歴女というのでしょうか、最近流行りの歴史好きの女性も見られます。まあ、英雄史観に基づいた戦国武士のアイドル化には首を傾げますが、それでもこの地を訪れて色々見聞きすると、壮大かつ壮絶、残虐な戦国時代の様が少しは見えてくるのではないでしょうか。

 いくさは、まさに戦争です。「七度の飢饉よりも一度の戦(いくさ)」といわれたように、戦は飢饉以上に人々を疲弊させ困窮させたのでしょう。勇ましい格好いい話ではないのです。戦の前には、略奪や焼き討ちは当たり前のことだったようですし、奴隷狩りも行われ、奴隷市もあったそうです。当時の日本の人口は800万人ぐらいしかいなかったわけですから、大きな戦というのは、本当に地域を疲弊させたのでしょうね。

 そんな中でもおそらく現在と変わらずに季節毎に花は咲いていたわけです。帰化植物はなかったり、植生も現在とは違うでしょうけど。

 今日は、午後から小雨が降り始めましたが、たくさんの方が妻女山を訪れてくれました。群馬からいらした日本中を旅しているという羨ましいおじさん。当の妻女山(斎場山)へ登って土口へ下りるという千曲市の御婦人方+4歳の女の子とは、たまたま斎場山までご一緒しました。ひとりが妻女山をつまじょさんと読んでいた学生?三人組。歴女三人組。そして長野市の環境課の方々とは、妻女山のゴミについて特に林道倉科坂線を歩きながら不法投棄の現状を説明しました。

★ネイチャーフォトは、【MORI MORI KIDS Nature Photograph Gallery】をご覧ください。キノコ、変形菌(粘菌)、コケ、花、昆虫などのスーパーマクロ写真。滝、巨樹、森の写真、特殊な技法で作るパノラマ写真など。春の花、昆虫、樹木、滝などを更新しました。

★妻女山の真実について、詳しくは、本当の妻女山について研究した私の特集ページ「妻女山の位置と名称について」をご覧ください。

★フォトドキュメントの手法で綴るトレッキング・フォトレポート【MORI MORI KIDS(低山トレッキング・フォトレポート)】もよろしく。武田信玄が布陣したという伝説の茶臼山と東山城跡の奇妙山アップしました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

泣く泣く妻女山のヤマフジを除伐(妻女山里山通信)

2009-05-14 | 歴史・地理・雑学
にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ にほんブログ村 歴史ブログへ 
にほんブログ村 写真ブログ ネイチャーフォトへ にほんブログ村 写真ブログへ
ブログランキング・にほんブログ村へ

 妻女山にあるわが家の山にあるヤマフジ。推定樹齢は40~50年でしょうか。写真のように急斜面をのたうって枝分かれして唐松にからみつき、一本を枯らしてその上部を空中に抱きかかえたまま、25m近くある唐松の上部にからみつき、曲げてしまっています。もう一方も別の唐松にからみついて上部を曲げています。このままだと唐松は2本とも立ち枯れしてしまいます。

 なんとか上部だけでも切れないかと思案しましたが、急斜面で高度もあるため不可能と判断。根元から切ることにしました。間伐や除伐の度に躊躇していたら仕事にならないのですが、今回のような見事なヤマフジとなると、やはりもったいないなと思ってしまいます。

 それでも、唐松を枯らすわけにもいかないし、立ち枯れるとまたやっかいなことになります。先日も立ち枯れて倒れた唐松が、妻女山への道路上に落ちそうになり、調度ゴールデンウィークで観光客もたくさん訪れるということで、急遽落としてもらいました。

 ヤマフジは、早朝には快晴でも上から雫がポタポタ落ちてくるほど水分を吸い上げます。そのため非常に切りにくいのです。今回も20センチぐらいの根元を鋸で切り始めましたが、5センチほどで動かなくなりました。そこで鉈でV字に割りながら鋸を入れました。その間も強風で幹や唐松がギーギーと音を立てて揺れ、大きな枯れ枝が落ちてこないかと気がきではありません。最後に樹皮一枚になり、鋸で切り落とすとザーッと大きな音を立てて切断された幹が急斜面を滑り落ちていきました。合掌。

 日本全国そうでしょうが、ここ妻女山も例外ではなく、山林の所有者が高齢化したり、若い人が無関心だったりして手入れのされない荒れた山林が増えています。私も時間を見つけてはわが家の山林の整備を続けていますが、手間がかかり、時に危険も伴うのでなかなか進みません。それでも里山は手入れをして初めて維持できるので、微力でも続けてゆこうと思っています。

 そんなある日のことでした。下草刈りをしていると、ご婦人から話しかけられました。なんでも関西から川中島合戦の史跡巡りにいらしたということでした。暑くなり虫も飛び始めて、なんとなく作業に入るのも億劫だったためにご案内をすることにしました。

 展望台へ行き、八幡原、海津城、山本勘助宮の跡地、鞍骨城の位置などを説明しました。実際に展望台へ来られても、どこが海津城だか分からずに帰っていく人がほとんどだと思います。なにより、歴史好きなら地元では多くの人が知っていることですが、展望台のある妻女山が、戦国時代は赤坂山、あるいは単に赤坂と呼ばれ、妻女山という名称はまだなく、西南西に見える円墳のある斎場山が謙信本陣跡といわれている、ということ。

 武田信玄全軍が、海津城下に入った後は展望台後背の陣場平という高原の平地に陣城を構えたと伝わっていることなどをお話ししました。もちろん史実と証明されたものではなく、江戸時代にかなりの脚色がなされていることも含めてお話ししました。ご主人は相当に戦国の歴史好きな様子でした。

 最近は、若い女性の戦国好きも多いようです。『天地人』の妻夫木聡で直江兼続に注目が集まったり、ということもあるようです。英雄史観には違和感も覚えますが、歴史に興味を持つ人が増えるのはいいことかなと思います。過去がなければ現在はないわけですから。人は刹那に生きればいいというものでもないでしょう。近年は、英雄史観で語られてきた戦国氏のパラダイムも崩れています。ほとんどの人は、英雄ではなく名もない武士や農民の末裔なわけですから。

★川中島合戦と古代科野の国の重要な史蹟としての斎場山については、私の研究ページ「「妻女山の真実」妻女山の位置と名称について」をご覧ください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人知れず咲く銀蘭(妻女山里山通信)

2009-05-13 | アウトドア・ネイチャーフォト
にほんブログ村 写真ブログ ネイチャーフォトへ にほんブログ村 写真ブログへ
ブログランキング・にほんブログ村へ

 といっても、このギンランは深い森の林下に偶然に見つけたもので、草高も15センチぐらいで花は極小。帰りにもう一度見たいと思ったけれど、どこにあるか分からなかったぐらい目立たない花です。昔はキンランと共に里山や雑木林に普通に見られた花だそうですが、現在は見たいと思ってもなかなかお目にかかれません。

 白い花は蕾ではなく、これでもせいいっぱい咲いている状態です。ギンランは、「菌根菌」という菌類と共生する特殊な生育形態をもっています。その中でもギンランは特に菌に対する依存度が強く、「外生菌根菌」は特殊な土壌にのみ生息するため、この花を採取して移植しても家で育てる事はほとんど不可能なのです。なのにキンラン同様に盗掘が絶えない絶滅が心配される種なのです。これを売っているショップがあるとしたら、相当無責任か胡散臭い店と思って間違いないでしょう。

 林道を歩いていると、しつこいくらいの甘い香りに包まれました。香りの感じる方向を見ると、ラベンダー色の花が目に留まりました。あまりお馴染みではないかもしれませんが、桐の花です。普段は高い樹上にあって、なかなかマクロ撮影はできないのですが、林道下の斜面に生えていたため、花の位置がちょうどこちらの目線の位置でした。花に近づいて香りを嗅ぐと、クラクラするぐらいの甘ったるい芳香でした。

 そして、足元にワラビがあったので新芽が出ていないか探すと、すでに開いた葉の上に小さな虫が。よく見るとカミキリやカミキリモドキに似ているけれど、実はホタルに近い肉食のジョウカイボンでした。浄海坊と書き、浄海は平清盛の法名で、高熱を出して死んだことに由来するとありますが、どうつながるのかよく分かりません。強風の中ワラビにしがみついて動きませんでした。体長が12~3mmなので、ヒメジョウカイかもしれません。

★フォトドキュメントの手法で綴るトレッキング・フォトレポート【MORI MORI KIDS(低山トレッキング・フォトレポート)】もよろしく。奇妙山アップしました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

妻女山も虫の季節(妻女山里山通信)

2009-05-12 | アウトドア・ネイチャーフォト
にほんブログ村 写真ブログ ネイチャーフォトへ にほんブログ村 写真ブログへ
ブログランキング・にほんブログ村へ

 妻女山へ日本羚羊によって切られた留山の縄を張り替えに行きました。いきなり気温30度の真夏日になって北信濃の里山も一気に夏山のようになってきました。車を降りたとたんに羽虫にたかられます。それでも色々な鳥たちがさえずり、ハルゼミが鳴き出し、蝶や甲虫が飛び始めると、春にも増して森は活き活きと輝き始めます。早朝の森に響くオオルリのさえずりは、不思議と「よく来たね」と聞こえます。

 とはいえ、羽虫にたかられながらの急斜面での作業はなかなか大変です。日本羚羊は、ウシ科ですが近眼なのでしょうか。縄をくぐってくれればいいのに、猪突猛進で縄を切っていきました。それも三箇所。暑くてフウフウ言いながら縄を張り替えていると、後ろでピシュウと威嚇音が。振り返ると子供の日本羚羊がいました。お前か縄を切ったのは、と話しかけるとキョトンとした表情でこちらの作業をずっと見つめています。

 そこで彼だか彼女だか分かりませんが、体高を見てこれぐらい上げれば切られないかなという位置に縄を張り直しました。張り終えるのを見計らうように日本羚羊は森の中へゆっくりと消えていきました。

 車に戻ると地面に緑色の光るものが。近づくとアオオサムシです。ジッと青虫を狙っています。そこを撮影。青虫をくわえて走りだしましたが、私が撮影しようと追いかけたので青虫を放してしまいました。これは悪いことをしたと思いましたが、彼はその青虫を探すでもなく草むらをうろうろしています。もう青虫のことは忘れてしまったのでしょうか。

 次に見つけたのは小さな毛虫の死骸をくわえてえっちらおっちら歩いている黒い虫。ゴミムシの一種と思ったら、シデムシ科のヒラタシデムシでした。センチコガネなどと同様、森の掃除屋さん。あまり器用ではなさそうで、非常に苦労して毛虫を運んでいました。

 そして林道を歩いていると、下の林からガサゴソと音がしました。何かなと覗き込むと、山吹色した体長50センチぐらいの動物が盛んに木の根元などをあさっています。向こうはこちらに気が付いていません。これ幸いと観察。しばらくすると、林道に向けて倒れていた木を登って近づいてきました。倒木の最上部から林道に乗ろうとするところで私に気が付くと、一目散に逃げました。テンです。ホンドテンのうち、茶色で一年中同じ色の個体をスステン、夏は茶色ですが冬は黄色に変わる個体をキテンといいますが、彼はキテンでした。最上級の毛皮がとれるそうですが、今ではその心配もないでしょう。

 ヤマフジの花が最盛期を迎えています。といってもそのヤマフジが植林には大敵なのです。木にからみついて枯らしてしまうからです。今日も仕方が無く4本のヤマフジを切りました。もう一本、唐松の枯れ木を地上10mに抱え、さらに樹高20m以上の唐松2本にからみついて上部を曲げている根幹20センチの大ヤマフジがあるのです。非常に危険な状態なので切りたいのですが、切ること自体が非常に危険な作業なので思案中です。

 山のあちこちでガマズミの白い花が咲きました。小さな子供がコブシを挙げているような雄しべの格好は可愛いものです。秋には果実酒になる赤い実をたくさんつけます。茶臼山の上に不思議な形をした雲が出ていました。天気が変わりそうです。明日は夏野菜の苗を植えます。

★妻女山の真実について、詳しくは、本当の妻女山について研究した私の特集ページ「妻女山の位置と名称について」をご覧ください。

★ネイチャーフォトは、【MORI MORI KIDS Nature Photograph Gallery】をご覧ください。キノコ、変形菌(粘菌)、コケ、花、昆虫などのスーパーマクロ写真。滝、巨樹、森の写真、特殊な技法で作るパノラマ写真など。
★フォトドキュメントの手法で綴るトレッキング・フォトレポート【MORI MORI KIDS(低山トレッキング・フォトレポート)】もよろしく。武田信玄が布陣したという伝説の茶臼山をアップしました。奇妙山制作中。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雨あがりの山藤、妻女山と斎場山(妻女山里山通信)

2009-05-08 | アウトドア・ネイチャーフォト
にほんブログ村 写真ブログ ネイチャーフォトへ にほんブログ村 写真ブログへ
ブログランキング・にほんブログ村へ

 雨上がりの早朝に妻女山へ。新緑は日に日にその濃さを増し、芽吹きの頃は見通せた森の奥も全く見えなくなりました。春の花は咲き終わり、これからは初夏の花が咲き始めます。そして現在はというと、ヤマフジの花が満開です。

 ヤマフジは、山藤でマメ科フジ属です。よく見られる藤棚の長い花穂(かすい)の藤は、ノダフジといってつるが右巻き。ヤマフジは左巻きです。ノダフジに比べて花穂が短いのが特徴ですが、山で咲く美しさはまた格別のものがあります。

 しかし、このヤマフジ、落葉つる性木本で高木に巻きつくわけですが、ときにその巻き付いた高木を枯らしてしまうこともあるのです。わが家の山でも知らない内にヤマフジが成長し、発見したときには直径が15センチ以上になっていました。巻き付かれた唐松は立ち枯れてしまいました。その上、ミツバアケビの太いつるにも巻き付かれ、立ち枯れて折れて掛かり木になった唐松も4本。危険なので、やむなく根を切り、掛かり木を落としました。

 写真のヤマフジは、妻女山展望台南の四阿の近くに咲いているヤマフジです。バックの斎場山の斜面にもヤマフジが咲いています。このヤマフジですが、新芽や若葉、花は天ぷらで食べられます。また、実は炒って食べられます。やや青臭いものの甘い甘い珍味です。

★妻女山の真実について、詳しくは、本当の妻女山について研究した私の特集ページ「妻女山の位置と名称について」をご覧ください。

★ネイチャーフォトは、【MORI MORI KIDS Nature Photograph Gallery】をご覧ください。キノコ、変形菌(粘菌)、コケ、花、昆虫などのスーパーマクロ写真。滝、巨樹、森の写真、特殊な技法で作るパノラマ写真など。
★フォトドキュメントの手法で綴るトレッキング・フォトレポート【MORI MORI KIDS(低山トレッキング・フォトレポート)】もよろしく。武田信玄が布陣したという伝説の茶臼山をアップしました。奇妙山制作中。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

奇妙山は奇妙どころか真っ当な花の山でした!(妻女山里山通信)

2009-05-05 | アウトドア・ネイチャーフォト
にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ にほんブログ村 歴史ブログへ 
にほんブログ村 写真ブログ ネイチャーフォトへ にほんブログ村 写真ブログへ
ブログランキング・にほんブログ村へ

 松代城跡から東を見るとドーンとそびえているのが奇妙山です。その左手前には、巨大な海坊主のようにそびえる尼巌山が。両山とも最近トレッキングコースが整備されました。尼巌山山頂には、東条氏の山城跡があり、これは結構有名ですが、奇妙山山頂にも古い山城跡があります。東山城跡、或いは清滝城跡などと呼ばれ、鎌倉時代辺りの築城といわれています。山頂には、国常立尊、蠶養神、大日靈尊などの石碑があり、信仰の山であったこともわかります。

 昨秋に続きN氏との山行。尼巌山-奇妙山と縦走するのがおすすめですが、前日に茶臼山トレッキングで暑さにやられ、その上首のヘルニアの具合が悪く、手に痺れがあるため縦走は無理ということで、花を撮影しながらののんびり山歩きにさせてもらいました。

 ちょうど初夏の花が咲き始めたところで、イカリソウ、ムラサキケマン、ヤマブキ、コブシ、ホタルカズラ、ヤエザクラ、ウワミズザクラ、アカフタチツボスミレ、クルマバソウ、マムシグサなどが見られました。

 下山後は、信濃三十三番札所十一番清滝観音堂に、小学校の遠足以来の訪問。こんなに大きな滝だったかなあと記憶を辿りましたが、思いだしたのは清滝までの長く苦しい坂道だけ。昔の遠足は、本当によく歩きましたね。ここの柱状節理の清滝は一見の価値があります。その後、滝本の集落を越えて林道を上がり清滝と奇妙山が正面に見える場所へ。なかなかの眺めでした。

 切れ落ちた崖が足元にあったり、急登もありますが、手軽に登れるいい山だと思いました。高見岩では鹿島槍ヶ岳や白馬三山、鏡台山から斎場山までの戸神山脈、眼下の皆神山などが。山頂からは高妻山、戸隠連峰、黒姫山、飯縄山などが一望できます。

★このトレッキングは、フォトドキュメントの手法で綴るトレッキング・フォトレポート【MORI MORI KIDS(低山トレッキング・フォトレポート)】にアップします。ご高覧ください。尼巌山は、1月8日のルポがアップされています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

信玄本陣は有旅茶臼山で今は無い!(妻女山里山通信)

2009-05-03 | 歴史・地理・雑学
にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ にほんブログ村 歴史ブログへ 
にほんブログ村 写真ブログ ネイチャーフォトへ にほんブログ村 写真ブログへ
ブログランキング・にほんブログ村へ

 地元では、ほとんどが知っていることなのですが、第四次川中島合戦の折りに斎場山(妻女山)に布陣したと伝わる上杉謙信に対し、武田信玄が布陣したと伝わるのは、現在の茶臼山(北峯730m)ではなく、そのすぐ南にあったとされる有旅(うたび)茶臼山(南峯720m)なのです。

 ところが、この有旅茶臼山は江戸時代からひびが入り地滑りを起こして崩れ始め、大正時代から昭和にかけて何度も大規模な地滑りを起こして、ついにはその山頂が無くなってしまったのです。現在は699mの小ピークが残るのみです。大規模な地滑りは、昭和の大工事で止まり、その跡は茶臼山自然公園として、自然植物園やレッサーパンダで有名な茶臼山動物園、なぜか恐竜公園として市民に親しまれているのです。

 有旅茶臼山の尾根には、旗塚と称される直径3~4mの小さな塚が9基並んでいます。これは上杉謙信が布陣したとされる斎場山(妻女山)の7基の旗塚と同じ命名ですが、実際は旗を埋めた塚ではなく、平安時代の県司郡司の墳墓といわれています。旗塚というのは、江戸時代の人の創作です。戦国時代にばかり気を取られ、この地が古代信濃(科野)の国の発祥の地であったことを知らなかった故の間違いでしょう。

 その茶臼山に、中尾山温泉から最近整備された小松原コースを登って尾根に乗り、一本松峠経由で茶臼山へ登頂、帰路は有旅茶臼山から地滑り地帯が整備された茶臼山自然植物園を下り、小さな子供達が遊ぶ恐竜公園へ。そこから山麓の満開の林檎畑を歩いて戻るという約10キロほどの里山周遊コースを歩いてみました。

 最高気温が26度と上昇、尾根筋の森の中は快適でしたが、有旅茶臼山から恐竜公園、林檎畑は太陽を遮るものもなく暑さに参りました。しかし、山麓は純白の林檎の花が満開で、暑さも忘れるほどの爽やかさでした。この地は旧共和村といって林檎の名産地です。中尾山の山中にも、いくつもの林檎畑があり、白い花をここぞとばかりに咲き誇らせていました。クマンバチのホバリングも盛ん。最近大量死が問題になっているミツバチの養蜂箱も置いてあり、盛んに吸密のために飛び回っていました。ここの林檎は美味しいので有名で、わが家も毎年送られてくる共和の林檎を楽しみにしていました。

 林檎というとどんな曲を想い出すでしょうか。「リンゴの唄」「リンゴ追分け」「リンゴ村から」「りんごの木の下で」「青いリンゴ」「りんごのうた」「リンゴ売り」「ガラスの林檎」 「林檎殺人事件」。

 例年より早い芽吹きで山は既に新緑から夏山の様相さえ帯びてきました。植物園のヤマフジの花も開きそうでした。林道沿いに見つけたヤマフジの実をいくつか採ってきて、豆を煎って食べました。最初は青臭さがあるものの噛みしめると甘さが引き立つ珍味です。ヤマフジは、普通の藤の花(ノダフジ)と違いつるが左巻きで上がっていきます。また、花穂(かすい)が15センチぐらいと短いのが特徴です。

 恐竜公園では、大きな張りぼての恐竜相手に小さな男の子が戦いを挑んでいました。恐竜のお腹から尻尾に出る滑り台や、恐竜の口から顔を出せるものもあります。お尻が痛くなる滑らない長いローラー滑り台も昔のままでした。葉や貝の化石が出るとはいえ、なぜ恐竜なのかは不明ですが、息子達が小さい頃、連れてきて遊ばせたのを懐かしく想い出しました。まるで時が止まったように同じように小さな子供達が歓声を挙げて飛び回っていました。思わずあれは…、何年前の夏休みだったかなと感慨に耽りました。

★このトレッキングは、フォトドキュメントの手法で綴るトレッキング・フォトレポート【MORI MORI KIDS(低山トレッキング・フォトレポート)】にアップします。ご高覧ください。

★川中島合戦と古代科野の国の重要な史蹟としての斎場山については、私の研究ページ「「妻女山の真実」妻女山の位置と名称について」をご覧ください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする