昼休みに椎茸のホダ木の確認に妻女山へ。高速のトンネルをくぐると大きな蝶が目の前を舞ってヤマフジの葉に留まりました。オオムラサキの初見です。昨年は29日でした。展望台奥の駐車場へ行く間に更に1頭確認。招魂社では2頭を確認しました。
時間も限られていたので車で長坂峠から陣場平へ。久しぶりにKさんのログハウスへも寄ってみました。更に緑が濃くなった里山と、ここのところの夕立で水位が増して濁った千曲川が眼下に。ノアザミ(野薊)が咲き始めました。夏から秋にかけて咲くノハラアザミとは、ノアザミは総苞が粘ることで区別ができます。夏の高原では両方が同時に咲いていることも珍しくはありません。総苞が粘るので、虫を捕まえに来たザトウムシが、粘る総苞に脚をもぎ取られているのを見ることがあります。
湿った岩の脇にユキノシタ(雪ノ下)の小さな群生。ダイモンジソウ(大文字草)の仲間ですが、ユキノシタの方が、派手ですね。小さい花なので見過ごされがちですが、拡大して見るとなかなか愛らしい花です。天女の舞姿にも見えます。
古い分類のクロンキスト体系では、バラ目となっていたのですが、APG植物分類体系第2版ではユキノシタ目になりました。葉の裏に薄く衣をつけて天ぷらにするのを白雪揚げといいます。モチモチとした食感ですが、特に美味でもありません。しかし、生薬としても用いられるので体にはいいでしょう。
オカトラノオ(丘虎の尾)が咲き始めました。まだ青海波を形作るほどの数は咲いていません。ヒョウモンチョウが留まって吸蜜。なかなか同定が難しいのですが、翅の裏を撮ったカットを見ると、どうやらメスグロヒョウモンのオスのようです。庭にツマグロヒョウモンが舞ってくることもあります。ドクダミ(毒矯み)の群生地がありました。非常に有能な生薬なのですが、これが庭に増えて困っています。地中に張り巡らされた根茎を掘り上げないと除草できません。
ニガナ(苦菜)は花期が長い花で、先月からあちこちで咲いています。茎を折って出る白い汁は、とても苦いんです。沖縄料理のニガナは、これとは全く別の種類の野菜です。
ドクダミは、十薬といわれ(『大和本草』1708年に「わが国の馬医これを馬に用いると、十種の薬の効能があるので、十薬という」という記述があります。)万病に効くという民間薬ですが、高熱であの嫌な臭いも消えるので、天ぷらなどで食べるといいそうです。ドクダミ茶も有名ですね。この花を焼酎に漬けると(全草でもよい)、ドクダミ酒ができます。飲んでも効能がありますが、虫さされに抜群の効果があるそうです。というわけで、わずかですが作ってみました。
盛んに舞っている二頭のオオムラサキを辛抱強く待ちました。この時期は、まだ樹液が出ていないので、オオムラサキは地面の水分や獣の糞、落ちたヤマグワの果実などを吸います。今回も雨後の湿った水分を吸いに来るだろうと、水たまりの脇で待ちました。やがて1頭のオオムラサキが留まって地面に口吻を突き刺しました。単に水分だけでなく地中のミネラルなども溶け出しているのでしょう。
まだライバルも少なく、翅も綺麗なままです。神社にはもう一頭が、柱に染み込んだ雨水を吸っていました。こういう生態は、地味な観察を続けていないとなかなか気が付きません。翅が青いのはオスですが、あと1週間か10日もするとメスも舞い始めます。ひと雨毎に緑が濃くなっていきます。梅雨明け近くになると樹液も出始めます。
葉の上に留まったこれはベッコウバチの仲間ですね。ベッコウバチの仲間は種類が多すぎて未同定のものもたくさんあるようです。これも調べましたが結局分かりませんでした。「だから何?」というようなキョトンとした眼が可愛い小さな蜂です。
貝母(編笠百合)の果が弾け出しました。茎が立っているうちに弾けるのかと思ったら、倒れてからでした。種は、6枚ある羽根の付け根に縦に並んでいます。ひとつに30個ほど入っているので、ひとつの果で180個ほどの種が入っていることになります。繁殖力が強いわけです。
「時々の 花は咲けども 何すれぞ 母とふ花の 咲き出来ずけむ」丈部(はせつかべ・はせべ)真麻呂(万葉集)
これが貝母のことであるという説があります。丈部真麻呂は、遠江国山名郡(現在の静岡県袋井市)で徴兵され九州に派遣され国境警備にあたった兵士・防人(さきもり)でした。
意味は、季節ごとに花は咲くのに、どうして母という花は咲かないのだろうか(咲くのだったら摘み取って共に行くのに)。防人というのは、21歳から60歳までの健康な男子が徴兵されました。任期は三年で、延長もされたそうです。食料・武器は自弁で帰郷は一人で帰るため、途中で野垂れ死ぬ者も少なくなかったとか。人民には重い負担になったようです。戦国時代にも「七度の飢饉より一度の戦」という言葉が残っています。集団的自衛権てわけの分からない言葉を分かりやすく言うと、他国のために無関係な自国民が戦争(大量殺人)に駆り出されて無駄死にするということです。軍産だけが儲かる悪の仕組み。戦争に大義名分など一度もあった試しはありません。
左に茶臼山、右に白い崖の中尾山。茶臼山の右奥には神話の山、虫倉山。茶臼山の中腹には、恐竜公園とレッサーパンダで有名な茶臼山動物園。雨で作物も育ちますが、畑の除草が大変です。もちろん危険な除草剤は使いません。梅雨明け頃には仲間と山の帰化植物の除草も行う予定です。
早朝の除草作業から戻ると、なんと庭にオオムラサキが舞っていました。山村ならともかく、こんな里に下りてくるとは。驚きました。
★オオムラサキの保護活動、妻女山里山デザイン・プロジェクトの記録。目次の一番下の妻女山SDPをクリック!
★ネイチャーフォトのスライドショーは、【Youtube-saijouzan】をご覧ください。粘菌やオオムラサキ、ニホンカモシカのスライドショー、トレッキングのスライドショーがご覧頂けます。
時間も限られていたので車で長坂峠から陣場平へ。久しぶりにKさんのログハウスへも寄ってみました。更に緑が濃くなった里山と、ここのところの夕立で水位が増して濁った千曲川が眼下に。ノアザミ(野薊)が咲き始めました。夏から秋にかけて咲くノハラアザミとは、ノアザミは総苞が粘ることで区別ができます。夏の高原では両方が同時に咲いていることも珍しくはありません。総苞が粘るので、虫を捕まえに来たザトウムシが、粘る総苞に脚をもぎ取られているのを見ることがあります。
湿った岩の脇にユキノシタ(雪ノ下)の小さな群生。ダイモンジソウ(大文字草)の仲間ですが、ユキノシタの方が、派手ですね。小さい花なので見過ごされがちですが、拡大して見るとなかなか愛らしい花です。天女の舞姿にも見えます。
古い分類のクロンキスト体系では、バラ目となっていたのですが、APG植物分類体系第2版ではユキノシタ目になりました。葉の裏に薄く衣をつけて天ぷらにするのを白雪揚げといいます。モチモチとした食感ですが、特に美味でもありません。しかし、生薬としても用いられるので体にはいいでしょう。
オカトラノオ(丘虎の尾)が咲き始めました。まだ青海波を形作るほどの数は咲いていません。ヒョウモンチョウが留まって吸蜜。なかなか同定が難しいのですが、翅の裏を撮ったカットを見ると、どうやらメスグロヒョウモンのオスのようです。庭にツマグロヒョウモンが舞ってくることもあります。ドクダミ(毒矯み)の群生地がありました。非常に有能な生薬なのですが、これが庭に増えて困っています。地中に張り巡らされた根茎を掘り上げないと除草できません。
ニガナ(苦菜)は花期が長い花で、先月からあちこちで咲いています。茎を折って出る白い汁は、とても苦いんです。沖縄料理のニガナは、これとは全く別の種類の野菜です。
ドクダミは、十薬といわれ(『大和本草』1708年に「わが国の馬医これを馬に用いると、十種の薬の効能があるので、十薬という」という記述があります。)万病に効くという民間薬ですが、高熱であの嫌な臭いも消えるので、天ぷらなどで食べるといいそうです。ドクダミ茶も有名ですね。この花を焼酎に漬けると(全草でもよい)、ドクダミ酒ができます。飲んでも効能がありますが、虫さされに抜群の効果があるそうです。というわけで、わずかですが作ってみました。
盛んに舞っている二頭のオオムラサキを辛抱強く待ちました。この時期は、まだ樹液が出ていないので、オオムラサキは地面の水分や獣の糞、落ちたヤマグワの果実などを吸います。今回も雨後の湿った水分を吸いに来るだろうと、水たまりの脇で待ちました。やがて1頭のオオムラサキが留まって地面に口吻を突き刺しました。単に水分だけでなく地中のミネラルなども溶け出しているのでしょう。
まだライバルも少なく、翅も綺麗なままです。神社にはもう一頭が、柱に染み込んだ雨水を吸っていました。こういう生態は、地味な観察を続けていないとなかなか気が付きません。翅が青いのはオスですが、あと1週間か10日もするとメスも舞い始めます。ひと雨毎に緑が濃くなっていきます。梅雨明け近くになると樹液も出始めます。
葉の上に留まったこれはベッコウバチの仲間ですね。ベッコウバチの仲間は種類が多すぎて未同定のものもたくさんあるようです。これも調べましたが結局分かりませんでした。「だから何?」というようなキョトンとした眼が可愛い小さな蜂です。
貝母(編笠百合)の果が弾け出しました。茎が立っているうちに弾けるのかと思ったら、倒れてからでした。種は、6枚ある羽根の付け根に縦に並んでいます。ひとつに30個ほど入っているので、ひとつの果で180個ほどの種が入っていることになります。繁殖力が強いわけです。
「時々の 花は咲けども 何すれぞ 母とふ花の 咲き出来ずけむ」丈部(はせつかべ・はせべ)真麻呂(万葉集)
これが貝母のことであるという説があります。丈部真麻呂は、遠江国山名郡(現在の静岡県袋井市)で徴兵され九州に派遣され国境警備にあたった兵士・防人(さきもり)でした。
意味は、季節ごとに花は咲くのに、どうして母という花は咲かないのだろうか(咲くのだったら摘み取って共に行くのに)。防人というのは、21歳から60歳までの健康な男子が徴兵されました。任期は三年で、延長もされたそうです。食料・武器は自弁で帰郷は一人で帰るため、途中で野垂れ死ぬ者も少なくなかったとか。人民には重い負担になったようです。戦国時代にも「七度の飢饉より一度の戦」という言葉が残っています。集団的自衛権てわけの分からない言葉を分かりやすく言うと、他国のために無関係な自国民が戦争(大量殺人)に駆り出されて無駄死にするということです。軍産だけが儲かる悪の仕組み。戦争に大義名分など一度もあった試しはありません。
左に茶臼山、右に白い崖の中尾山。茶臼山の右奥には神話の山、虫倉山。茶臼山の中腹には、恐竜公園とレッサーパンダで有名な茶臼山動物園。雨で作物も育ちますが、畑の除草が大変です。もちろん危険な除草剤は使いません。梅雨明け頃には仲間と山の帰化植物の除草も行う予定です。
早朝の除草作業から戻ると、なんと庭にオオムラサキが舞っていました。山村ならともかく、こんな里に下りてくるとは。驚きました。
★オオムラサキの保護活動、妻女山里山デザイン・プロジェクトの記録。目次の一番下の妻女山SDPをクリック!
★ネイチャーフォトのスライドショーは、【Youtube-saijouzan】をご覧ください。粘菌やオオムラサキ、ニホンカモシカのスライドショー、トレッキングのスライドショーがご覧頂けます。