goo blog サービス終了のお知らせ 

モリモリキッズ

信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

「宝石蜂」と呼ばれるオオセイボウ(大青蜂)。メタリックな鎧を着た魅惑的な宝石のような寄生蜂(妻女山里山通信)

2025-08-05 | アウトドア・ネイチャーフォト
 空を飛ぶ宝石の形容がピッタリのオオセイボウ。実際に観察するとエメラルドグリーンやコバルトブルーに輝く宝石が飛翔しているように見えるのです。鉱物が好きな私は、ブラジルのレシーフェで鉱物(宝石)の見本を入手。新潟県糸魚川市のフォッサマグナ・ミュージアムと長野県大鹿村の中央構造線博物館へは何度も足を運んでいます。今回はそんな「宝石蜂」オオセイボウの特集です。

 オオセイボウ(大青蜂)はハチ目セイボウ科の昆虫。ドロで巣を作るスズバチの巣に卵を産み付け、幼虫はスズバチが持ってきた蝶や蛾の幼虫とスズバチの幼虫も食べて成長する寄生蜂です。

 まさにメタリックな鎧を着た宝石のようなハチ。体長は12〜20ミリといいいますが、写真の個体は12ミリぐらい。体表には無数の凹凸があり、光の加減で様々な色に見える「構造色」です。

 寄生蜂は、昆虫類約100万種の中の約20%を占めると推定されています。植物に寄生するものと動物に寄生するものがあり、植物に寄生するものはホルモンの作用で虫こぶを形成します。昆虫に寄生するものは、種により寄生する昆虫が決まっています。

 昆虫類ではほぼ全ての分類群が寄生バチによる寄生をうける。また、寄生バチ自身も多種の寄生バチによって寄生されることが知られています。寄生蜂によって寄主の昆虫が異常に増えるのを抑制しているという側面もあります。

 寄生蜂については、Wikipediaの「寄生バチ」を参照してください。殺傷寄生バチ、飼い殺し寄生バチとか外部寄生バチ、内部寄生バチや卵寄生バチ、幼虫寄生バチ、蛹寄生バチなどがあります。

 幼虫の形態に関して。「ハバチ類ではチョウなどによく似たイモムシとして自由生活を送るのに対し、寄生バチを含むハチ目の他属ではいずれも付属肢や感覚器の退化傾向が著しく、自由生活能力に乏しい点も、寄生生活への適応に由来するものと考えられる。」とあります。

 吸蜜しているのはマウンテンミント。オミナエシによく集るとありますが、吸蜜しやすい小さな花に集まる傾向があります。

 止まってもすぐに飛び立つ事が多いのですが、それは周囲にたくさんのライバルの昆虫がいて吸蜜しているから。たまたま止まった花が吸蜜直後だと蜜がないのですぐに他の花へ移ります。

 今回は2匹のオオセイボウが訪れました。同じ花で奪い合いもしていましたが大事になることはありません。食性は雑食性で、付着藻類や水生昆虫なども食べます。

 寄生することから英名では「Cuckoo wasp (カッコウの蜂)」といいます。

 非常に希少で準絶滅危惧種に指定されている県もありますが、環境省では情報不足と評価されています。

 体表には微毛があります。外骨格はかなり硬いキチン質でできています。

 頭部は細長く特徴的な形です。翅音は小さく、このときは近くにクロマルハナバチがいて大きな翅音をたてていたため全く聞こえませんでした。この花には他にも数種類の寄生蜂が集まっていました。

 寄生されるスズバチ(鈴蜂)。もちろん対抗するのですがいないときを見計らって巧妙に卵を産み付けられてしまいます。スズバチはドロバチ科で、ドロで固めた鈴のような巣を作ります。十数個に区切られた部屋には、蛾の幼虫が麻酔を打たれて詰められ、卵が一個ずつ産み付けられます。孵化した幼虫は、蛾の幼虫を食べて成長します。オオセイボウの幼虫はその餌を横取りし、最終的にはスズバチの幼虫も食べてしまいます。

 

「ブラジルへの郷愁」レヴィ=ストロース 川田順造訳 みすず書房。文化人類学、また構造主義におけるバイブルのひとつ(妻女山里山通信)
 『アマゾンひとり旅』を掲載中。■ブラジル料理を2回に渡って掲載。ブラジル音楽も。最近大流行りの南米文学(ラテンアメリカ文学)の紹介。『百年の孤独』『族長の秋』『蜘蛛女のキス』など。■モリモリキッズ・スペシャル をクリック!!!

「村上春樹さんのピーター・キャットを中心とした70年代のクロニクル」 ムサビの美大生時代に彼のジャズ喫茶でアルバイトしていた当時のブログ。世界中からアクセスがあります。70年代の美大生の赤裸々な日々。ロンドンでQueenのフレデイ・マーキュリーの恋人のメアリー・オースチンが勤めていたBIBAの店で当時の私の恋人が彼女からジャケットを買った話など。

インスタグラムはこちらをクリック
ツイッターはこちらをクリック

YouTubeはこちらをクリック。米子大瀑布、絶滅危惧種のナミルリモンハナバチ・キバネツノトンボ・北信流など。これからどんどんアップしていきます。
もう一つの古いチャンネルはこちら。76本のトレッキングやネイチャーフォト(昆虫や粘菌など)、ブラジル・アマゾン・アンデスのスライドショー
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

真夏の妻女山里山デザイン・プロジェクトは除草作業。貝母の陣場平や堂平大塚古墳など(妻女山里山通信)

2025-08-02 | アウトドア・ネイチャーフォト
■21年間(私は20年目)続いたこのgooブログが、11月18日に閉鎖されます。早速、FC2にこれまでの記事をすべて移しました。9月末まで両方に同じ記事をアップします。10月からはFC2だけになります。こちらをクリックで見られます。モリモリキッズ」。 

 真夏の妻女山里山デザイン・プロジェクト(妻女山SDP)は、猛暑の中除草作業をしました。10日も夕立がないため山はカラカラでした。セミの大合唱の中で効率的に短く作業は進みました。

 まず長坂峠の除草。この峠はイノシシなどの野生動物の通り道なので藪にしておくと危険なのです。ハイカーが突然出てきたイノシシに襲われないように見通しを良くします。

 主にヨシとノイバラ、ヨウシュヤマゴボウを刈りました。休憩して陣場平へ。

 途中のクヌギの樹液バーにオオムラサキのオスが一頭吸汁に訪れていました。でもたった一頭だけ。

 陣場平。貝母の群生地にはびこったヒカゲイノコズチを刈ります。

 貝母は地上部が枯れて消えました。来春の満開の季節が楽しみです。見頃はだいたい4月10〜20日頃です。このブログは11月に消滅するのでお知らせは新しく始めたFC2ブログで行います。ブックマークの改変をお願いします。過去の記事も全部移しました。

 真ん中にあるクマノミズキの実。秋に紺色に染まると小鳥の餌になります。

 作業が終わってベンチでひと休み。北東の風が吹き抜けて気持ちがいい。

 最後は今は亡き山仲間のKさんのログハウスへ。彼の友人たちも高齢で来なくなったので草茫々です。有害帰化植物ばかりが繁茂します。

 アプローチの林道の真ん中を除草。

 西方の眺め。今日は北アルプスの稜線は雲の中。

 横穴式の堂平大塚古墳。中はひんやりとしています。昔、傷ついた子鹿が逃げ込んでいたことがありました。

 作業もやっと終了。きれいになりました。

 12時前にゆるゆると昼食の準備。帆立貝、イカ、トウモロコシ、舞茸、エリンギなど。飲み物はノンアルコールビールで。私は凍らせてきたタンポポ茶。

 いろいろおしゃべりして1時半ごろ解散。不法投棄のプラごみを下ろしてくれるようたのんで私は残って撮影を続けました。翅が緑色のホウジャクの一種らしきものを発見。帰りに寄った樹液バーにはなにもいません。10年前の記事を見ていただくとわかるのですが、カブトムシ、オオムラサキ、アオカナブン、ミヤマカミキリ、オオスズメバチ、スミナガシなどで賑やかでした。特に2023年の猛暑以来昆虫が激減しました。猛暑続きで里山の生態系も壊れてしまいました。

 クサギ(臭木)の花。花は白粉(おしろい)の匂い。葉をちぎるとピーナッツバターの匂いがします。

 シソ科クサギ属の落葉低木・小高木。種は鳥により運ばれるためあちこちに実生が発生します。陣場平では貝母の中にも出るため適宜刈り取っています。

 クサギに来たのははっきりしませんがクロアゲハのメスでしょうか。最近、南信でナガサキアゲハが発見されたというニュースがありました。温暖化で北上しているのでしょう。

 妻女山展望台から西方の眺め。茶臼山と右奥に虫倉山。北アルプスは雲の中。

 北方の眺め。飯縄山。戸隠連峰は雲の中。今日も夕立はなさそうです。眼下の長芋は緑が濃くなりました。

 展望台の背後にある松代藩が建立した善光寺地震の慰霊碑。ちょうど善光寺御開帳の真っ最中で8600人が犠牲になりました。カムチャッカ沖の大地震やインドネシアの火山噴火。トカラ列島はおさまったのでしょうか。

「ブラジルへの郷愁」レヴィ=ストロース 川田順造訳 みすず書房。文化人類学、また構造主義におけるバイブルのひとつ(妻女山里山通信)
 『アマゾンひとり旅』を掲載中。■ブラジル料理を2回に渡って掲載。ブラジル音楽も。最近大流行りの南米文学(ラテンアメリカ文学)の紹介。『百年の孤独』『族長の秋』『蜘蛛女のキス』など。■モリモリキッズ・スペシャル をクリック!!!

「村上春樹さんのピーター・キャットを中心とした70年代のクロニクル」 ムサビの美大生時代に彼のジャズ喫茶でアルバイトしていた当時のブログ。世界中からアクセスがあります。70年代の美大生の赤裸々な日々。ロンドンでQueenのフレデイ・マーキュリーの恋人のメアリー・オースチンが勤めていたBIBAの店で当時の私の恋人が彼女からジャケットを買った話など。

インスタグラムはこちらをクリック
ツイッターはこちらをクリック

YouTubeはこちらをクリック。米子大瀑布、絶滅危惧種のナミルリモンハナバチ・キバネツノトンボ・北信流など。これからどんどんアップしていきます。
もう一つの古いチャンネルはこちら。76本のトレッキングやネイチャーフォト(昆虫や粘菌など)、ブラジル・アマゾン・アンデスのスライドショー
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

幸せを呼ぶ青い蜂。オオセイボウとナミルリモンハナバチに邂逅した猛暑日の午後。茶臼山自然植物園(妻女山里山通信)

2025-08-01 | アウトドア・ネイチャーフォト
 二日続けて茶臼山自然植物園へ。前日は酷暑の中、上へ下へと歩き回って体力をかなり消耗したので今日はワンポイントで攻めることにしました。結果的にそれが大正解。幸せを呼ぶ青い蜂二種類に邂逅しました。 小さな奇跡が起きた一日でした。

 突然現れたのはエメラルドグリーンとコバルトブルーに輝くオオセイボウ(大青蜂)。体長は15ミリあるかないか。

 ハチ目(膜翅目)セイボウ科のハチで、トックリバチの仲間のスズバチの泥の巣の中に産卵し、スズバチが運んでくるイモムシやスズバチの幼虫を食べて成長する寄生蜂です。

 その美しい輝きから「宝石蜂」と呼ばれます。食性は雑食性で、付着藻類や水生昆虫なども食べます。

 マウンテンミント(ピクナンテヌム:シソ科)で吸蜜中。オミナエシで見られることが多い。

 メタリックな鎧を着ているようなボディが特徴。非常に希少で準絶滅危惧種に指定されている県もありますが、環境省では情報不足と評価されています。

 休憩を挟んで訪れたのは、幸せを呼ぶ青い蜂、幸せのブルービー(Blue Bee)と呼ばれるナミルリモンハナバチ(波瑠璃紋花蜂)。

 全国的に減少傾向で、県によって絶滅危惧Ⅰ類、絶滅危惧Ⅱ類、準絶滅危惧種に指定されています。長野県では準絶滅危惧種に指定されています。

 ナミルリモンハナバチは、学名をThyreus decorusといい、ハチ目ミツバチ科ルリモンハナバチ属の昆虫です。成虫の体長は雄10~13mm、雌11~14mm。分布は、日本(本州・四国・九州・大隅諸島)・台湾・東南アジア・中国・朝鮮半島・極東ロシアということなんですが、本州でも確認されているところはごく僅かです。

 ナミルリモンハナバチは、コシブトハナバチ類(スジボソフトハナバチ)やケブカハナバチ類の巣に寄生(労働寄生)し、幼虫は巣に貯えられた花粉などを横取りして育つという珍しい生態をしています。寄生のために卵の数が制限されることも数が増えない理由の様です。

 クロマルハナバチ(黒丸花蜂)。受粉に使われています。準絶滅危惧種。

 ヒメスズメバチ。ヤブガラシ(藪枯)の花盤の蜜を貪って食べています。ヤブガラシは貧乏葛と呼ばれるけっこう厄介な夏の雑草です。葉はモロヘイヤのように粘りがあり食べられるそうです。

 猛暑の炎天下での撮影はきついです。ログハウスの展望台で休憩。吹き抜けていく風が気持ちいい。左奥に根子岳と四阿山。一番右の三角は大松山。その間が菅平高原です。今日もラグビーの合宿で賑やかでしょう。

「ブラジルへの郷愁」レヴィ=ストロース 川田順造訳 みすず書房。文化人類学、また構造主義におけるバイブルのひとつ(妻女山里山通信)
 『アマゾンひとり旅』を掲載中。■ブラジル料理を2回に渡って掲載。ブラジル音楽も。最近大流行りの南米文学(ラテンアメリカ文学)の紹介。『百年の孤独』『族長の秋』『蜘蛛女のキス』など。■モリモリキッズ・スペシャル をクリック!!!

「村上春樹さんのピーター・キャットを中心とした70年代のクロニクル」 ムサビの美大生時代に彼のジャズ喫茶でアルバイトしていた当時のブログ。世界中からアクセスがあります。70年代の美大生の赤裸々な日々。ロンドンでQueenのフレデイ・マーキュリーの恋人のメアリー・オースチンが勤めていたBIBAの店で当時の私の恋人が彼女からジャケットを買った話など。

インスタグラムはこちらをクリック
ツイッターはこちらをクリック

YouTubeはこちらをクリック。米子大瀑布、絶滅危惧種のナミルリモンハナバチ・キバネツノトンボ・北信流など。これからどんどんアップしていきます。
もう一つの古いチャンネルはこちら。76本のトレッキングやネイチャーフォト(昆虫や粘菌など)、ブラジル・アマゾン・アンデスのスライドショー

■21年間(私は20年目)続いたこのgooブログが、11月18日に閉鎖されます。早速、FC2にこれまでの記事をすべて移しました。9月末まで両方に同じ記事をアップします。10月からはFC2だけになります。こちらをクリックで見られます。
モリモリキッズ」。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オオマルハナバチ、オオハキリバチ、タイワンタケクマバチ、ウラギンシジミ、ツマグロヒョウモン、コミスジ。茶臼山自然植物園ほか(妻女山里山通信)

2025-07-31 | アウトドア・ネイチャーフォト
 カムチャッカ沖M8.7の大地震の津波警報をラジオで聞きながら茶臼山自然植物園へ。長野市は最高気温37度の予報。11時半の山上は32度。帰る時間の午後3時には34度でした。炎天下の撮影は3分が限度。カラータイマーが点滅し始めます。

 野薊にオオマルハナバチ(大丸花蜂)が来ました。非常に動きが素早く撮影は大変。幸せを呼ぶブルービーはまだ来ません。問題になっているセイヨウオオマルハナバチは尾部が白なのでわかります。前々回は準絶滅危惧種のクロマルハナバチ(黒丸花蜂)を撮影しました。

 マルハナバチは世界に約250種、日本では15種います。野菜や果樹の受粉に役立っています。セイヨウオオマルハナバチは、トマトやナスなどのハウス栽培の受粉のために導入されたのですが、現在は特定外来生物に指定され、飼育・保管・運搬等が規制されています。駆除活動もされています。

 オオハキリバチ。葉を切り取って巣を作るハキリバチの仲間なんですが、これは竹筒や木材の穴に松や杉などの樹脂を使って巣を作ります。

 タイワンタケクマバチ。2006年に愛知県で確認された外来種。茶臼山では今年始めて確認しました。専門家は真剣に駆除を検討すべきと言っています。

 ウラギンシジミ(裏銀小灰蝶)。翅の裏面が銀白色の大型のシジミチョウ。表はオスが濃茶色地に朱色の紋、メスは濃茶色地に水色の紋。翅の先端が尖っているのですぐわかります。幼虫の食草は、主にマメ科のフジ、クズ、ハギなどに加えてミズキ科、バラ科、ブナ科、タデ科などの葉も食べるようです。

 ツマグロヒョウモン(褄黒豹紋)のメス。食草は、スミレ科の植物です。我家の庭にも毎年来ます。

 コミスジ。二頭でクルクルとバトルをした後でひと休み。

 シオカラトンボのメス。ムギワラトンボと呼ばれます。茶臼山は西面に溜池が点在するのでトンボの種類が多いのですが、なぜか今年は少ない。猛暑の影響でしょうか。

 ピラミッドアジサイ(ノリウツギ)もやっと咲き始めました。和名をミナヅキ(水無月)といい中国と日本が原産地だそうですが、花房が全て装飾花化した園芸品種です。

 コオニユリの百合根は非常に美味しく道の駅で売られていたりしますが高価です。葉の付け根に珠芽(むかご)が無いのが特徴。

 空蝉(うつせみ)と呼ばれるアブラゼミの抜け殻。アブラゼミのほかツクツクボウシ、ヒグラシが鳴いています。

 ノアザミで吸蜜するキチョウ(黄蝶)。人の気配に敏感でなかなか撮影させてくれませんが、ノアザミは蜜が多いのか吸蜜時間が長く撮影できました。

 けたたましく鳴くモズ。望遠に取り替える時間がないのでマクロレンズで撮影。すぐに飛び去りました。モズの早贄といって捕獲した獲物(バッタやカエルなど)を木の枝に刺す習性が有名です。

 展望台から東方の景色。南風が気持ちいい。ベンチでしばらく昼寝しました。温泉に入って4時半頃帰宅しましたがまだ35度でした。ただ深夜にはかなり強い冷風が吹いて朝は23度まで下がりました。

野薊にオオマルハナバチ(大丸花蜂)



「ブラジルへの郷愁」レヴィ=ストロース 川田順造訳 みすず書房。文化人類学、また構造主義におけるバイブルのひとつ(妻女山里山通信)
 『アマゾンひとり旅』を掲載中。■ブラジル料理を2回に渡って掲載。ブラジル音楽も。最近大流行りの南米文学(ラテンアメリカ文学)の紹介。『百年の孤独』『族長の秋』『蜘蛛女のキス』など。■モリモリキッズ・スペシャル をクリック!!!

「村上春樹さんのピーター・キャットを中心とした70年代のクロニクル」 ムサビの美大生時代に彼のジャズ喫茶でアルバイトしていた当時のブログ。世界中からアクセスがあります。70年代の美大生の赤裸々な日々。ロンドンでQueenのフレデイ・マーキュリーの恋人のメアリー・オースチンが勤めていたBIBAの店で当時の私の恋人が彼女からジャケットを買った話など。

インスタグラムはこちらをクリック
ツイッターはこちらをクリック

YouTubeはこちらをクリック。米子大瀑布、絶滅危惧種のナミルリモンハナバチ・キバネツノトンボ・北信流など。これからどんどんアップしていきます。
もう一つの古いチャンネルはこちら。76本のトレッキングやネイチャーフォト(昆虫や粘菌など)、ブラジル・アマゾン・アンデスのスライドショー
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シオヤアブの交尾。ツバメシジミ、ツマグロヒョウモン、ジャノメチョウ、チュウガタコガネグモ、アオイトトンボ 、ヤマユリ、カサブランカ。茶臼山自然植物園(妻女山里山通信)

2025-07-20 | アウトドア・ネイチャーフォト
 再び茶臼山自然植物園へ。最高気温36度の予報でしたが、出かけるときに空の色や雲を見て観天望気。32度と予想しました。山上は思いの外風が強くしのぎやすいのはいいのですが撮影には厳しい条件となりました。

 シオヤアブ(塩谷虻)の交尾。右の尻尾に白い毛のあるのがオス。左のひとまわり大きなのがメス。後尾はメス主導で行われます。この後にメスがオスを引き連れてつながったまま飛び去りました。シオヤアブは同類も捕らえて体液を吸うので、交尾を終えたオスもすぐに逃げないとメスの餌食になることもあります。特徴のある羽音なのですぐに分かりますが、刺すことはまずないので怖がる必要はありません。

 ヒメクロホウジャク(姫黒蜂雀)もいましたが、風が強くいいシャッターチャンスはありませんでした。

 ツバメシジミ(燕蜆蝶)のメス。たくさん舞っていました。

 枯れ草にジャノメチョウ(蛇目蝶)。あちこちで足元から舞い上がります。

 ブッドレア・ブラックナイトで吸蜜するイチモンジセセリ(一文字挵)。風が強くてブレています。

 日本特産のヤマユリ(山百合)。大柄で艶やか。鱗茎は食用の百合根になります。ただ花はユリ中毒を起こすので芳香が強くても嗅がないほうがいいでしょう。ネコは死ぬこともあるそうです。

 コガネグモ(黄金蜘蛛)の仲間のチュウガタコガネグモ。垂直の円網を張り、 X字状の白帯(隠れ帯)をつけるのが特徴。

 オカトラノオ(丘虎の尾)。サクラソウ科オカトラノオ属の多年草。 群生すると同じ方向に咲く花が青海波のように見えます。

 ツマグロヒョウモン(褄黒豹紋)のメス。食草は、スミレ科の植物です。近年は信州の里山や集落でも普通に見られるようになりました。我家の庭にも毎年来ます。

 赤い花はユリ科のオリエンタルリリー(日本原産のヤマユリやカノコユリなどを交配して作られたユリの品種群)の人気の花カサブランカ。紫の花はフロックス。別名はオイランソウ、クサキョウチクトウ。

 植物園の空。飛行機雲が4本。

 フサフジウツギ(房藤空木)で吸蜜するタイワンタケクマバチ。2006年に愛知県で確認された外来種。竹に穴を開けて営巣するため、竹製品とともに入ってきたのではといわれています。

 ウラギンスジヒョウモン(裏銀筋豹紋)。

 体長10ミリもないハナアブの一種。似た種はあるのですが未同定。

 ログハウスの展望台から東方の松代、奇妙山、根子岳、四阿山。筋雲(巻雲)がたなびいてまるで秋の空の様。例年、手前の斜面には花が咲き乱れるのですがなにもない。どうしたのでしょう。

 茶臼山山頂方面へ。アオイトトンボが一匹見られただけでした。

 ノアザミ(野薊)で吸蜜するジャノメチョウ。野薊は総苞が粘ります。

 妻女山展望台へ。北アルプスから戸隠連峰、飯縄山。発達した積乱雲は見られません。

 先程までいた茶臼山自然植物園方面。夏休みで茶臼山動物園の駐車場はほぼ満車でした。麓は31度。そのうち32度になりました。

「ブラジルへの郷愁」レヴィ=ストロース 川田順造訳 みすず書房。文化人類学、また構造主義におけるバイブルのひとつ(妻女山里山通信)
 『アマゾンひとり旅』を掲載中。■ブラジル料理を2回に渡って掲載。ブラジル音楽も。最近大流行りの南米文学(ラテンアメリカ文学)の紹介。『百年の孤独』『族長の秋』『蜘蛛女のキス』など。■モリモリキッズ・スペシャル をクリック!!!

「村上春樹さんのピーター・キャットを中心とした70年代のクロニクル」 ムサビの美大生時代に彼のジャズ喫茶でアルバイトしていた当時のブログ。世界中からアクセスがあります。70年代の美大生の赤裸々な日々。ロンドンでQueenのフレデイ・マーキュリーの恋人のメアリー・オースチンが勤めていたBIBAの店で当時の私の恋人が彼女からジャケットを買った話など。

インスタグラムはこちらをクリック
ツイッターはこちらをクリック

YouTubeはこちらをクリック。米子大瀑布、絶滅危惧種のナミルリモンハナバチ・キバネツノトンボ・北信流など。これからどんどんアップしていきます。
もう一つの古いチャンネルはこちら。76本のトレッキングやネイチャーフォト(昆虫や粘菌など)、ブラジル・アマゾン・アンデスのスライドショー
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ハチドリの様なヒメクロホウジャク。タイワンタケクマバチ、クロマルハナバチ、ツバメシジミ、ルリシジミ、ウバタマムシ。茶臼山自然植物園(妻女山里山通信)

2025-07-13 | アウトドア・ネイチャーフォト
■21年間(私は20年目)続いたこのgooブログが、11月18日に閉鎖されます。早速、FC2にこれまでの記事をすべて移しました。9月末まで両方に同じ記事をアップします。10月からはFC2だけになります。こちらをクリックで見られます。モリモリキッズ」。  

 久しぶりに茶臼山自然植物園へ。最高気温33度でしたが山上は標高もあり風もあって過ごしやすかったのですが、直射日光は強烈でした。今回は出会った昆虫の特集です。

 アカツメクサで吸蜜するヒメクロホウジャク(姫黒蜂雀)チョウ目スズメガ科 ホウジャク亜科。見た目はブラジルで見たハチドリそっくり。体長と同じぐらいの長い口吻で吸蜜しています。1秒間に70回ほど高速で羽ばたきます。

 今度は、ブッドレア・ブラックナイトで吸蜜。ブッドレアの英名はバタフライブッシュ。

 クマバチかと思ったら胸が黄色くない。これは外来種?と思って調べると、タイワンタケクマバチでした。2006年に愛知県で確認された外来種。竹に穴を開けて営巣するため、竹製品とともにはいってきたのではと。
 吸蜜している植物は、フサフジウツギ(房藤空木)ゴマノハグサ科フジウツギ属。「ブッドレア」の名称で園芸用に流通している中国原産の低木です。

 体長はクマバチと同じぐらいで20ミリ位。攻撃性は少ないのですが、針を持っているのでかまうと刺されることも。

 クロマルハナバチ(黒丸花蜂)。後ろ脚に花粉団子がついています。受粉に使われています。準絶滅危惧種。

 ベニシジミ(紅蜆蝶)。ずいぶん翅が傷んでいます。夏型は翅表が黒っぽいのでこれは春型でしょう。

 シロツメクサにツバメシジミ(燕蜆蝶)。

 ノリウツギでずいぶん長い時間吸蜜していたのは、夏型のキタテハ(黄立羽)。右下にいるのは、ジョウカイボン(浄海坊)。左下はコガタウリハムシのようです。

 ノリウツギにコミスジ。ジャノメチョウが最も多く飛んでいるのですが、撮影させてくれません。

 ノリウツギにアオカミキリ。体長は20〜30ミリ。食草はカエデ類。

 カマキリがキリギリス科の子供を捕らえたところ。レンズを向けたら睨まれました。

 まだ吸蜜しているキタテハ。ノリウツギは園芸種かもしれません。

 ツチバチの仲間(未同定)。土の中のコガネムシ類の幼虫に卵を産み付ける寄生蜂です。 コガネムシの幼虫をにおいで探して土に潜り、幼虫を見つけると毒針で幼虫を麻痺させ産卵をします。別名はコガネバチで、『ファーブルの昆虫記』にも出てきます。昨年はオオモンツチバチに出遭いました。

 マルバハギにルリシジミ。今年はまだ咲いていません。春が寒かったせいか木々の花の開花が遅れています。

 フサフジウツギで盛んに吸蜜するナミアゲハ。いわゆるアゲハチョウです。2021年7月20日の記事でアゲハチョウの産卵を記事にしました。このお腹の膨らみを見ると産卵間近かもしれません。

 ウラギンスジヒョウモン(裏銀筋豹紋)。

 切り株を探っていたら怪獣が出現!

 ウバタマムシ(姥玉虫・姥吉丁虫)でした。幼虫は枯れた松の木を、成虫は松の葉を食べます。4センチぐらいある大型のタマムシ。松の木の樹皮に擬態した体が渋くて美しい。

 帰り道で満開のネムノキ。

 二つ前の記事で、万葉集の紀女郎が大伴家持に贈った歌を紹介しています。
「合歓咲く 七つ下りの 茶菓子売り」小林一茶
 江戸の八丁堀の合歓の木が咲く小腹が空く午後4時頃に、茶菓子売りの声が聞こえる様。どんな茶菓子だったのでしょう。茶饅頭か、夏だから水菓子か。
「象潟(きさかた)や 雨に西施(せいし)が ねぶの花」松尾芭蕉
 西施は、中国の春秋時代の呉を滅ぼした傾国の美女。その越に滅ぼされた呉のエリートたちが日本に渡来して弥生時代を作ったのです。その後、越も滅ぼされ、また日本に渡来します。『べらぼう』で蔦重がおていを口説くのに西施を出していました。

 眼下は高句麗人に由来する篠ノ井市街。千曲川を超えて右奥は松代の城下町。正面は奇妙山。奥には根子岳と四阿山。

「ブラジルへの郷愁」レヴィ=ストロース 川田順造訳 みすず書房。文化人類学、また構造主義におけるバイブルのひとつ(妻女山里山通信)
 『アマゾンひとり旅』を掲載中。■ブラジル料理を2回に渡って掲載。ブラジル音楽も。最近大流行りの南米文学(ラテンアメリカ文学)の紹介。『百年の孤独』『族長の秋』『蜘蛛女のキス』など。■モリモリキッズ・スペシャル をクリック!!!

「村上春樹さんのピーター・キャットを中心とした70年代のクロニクル」 ムサビの美大生時代に彼のジャズ喫茶でアルバイトしていた当時のブログ。世界中からアクセスがあります。70年代の美大生の赤裸々な日々。ロンドンでQueenのフレデイ・マーキュリーの恋人のメアリー・オースチンが勤めていたBIBAの店で当時の私の恋人が彼女からジャケットを買った話など。

インスタグラムはこちらをクリック
ツイッターはこちらをクリック

YouTubeはこちらをクリック。米子大瀑布、絶滅危惧種のナミルリモンハナバチ・キバネツノトンボ・北信流など。これからどんどんアップしていきます。
もう一つの古いチャンネルはこちら。76本のトレッキングやネイチャーフォト(昆虫や粘菌など)、ブラジル・アマゾン・アンデスのスライドショー
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中国正史から古代日本を見る。『中国正史 倭人・倭国伝全釈』鳥越憲三郎。『史記』『後漢書』『魏志倭人伝』『晋書』(妻女山里山通信)

2025-07-05 | 歴史・地理・雑学
『中国正史 倭人・倭国伝全釈』鳥越憲三郎(1914年 - 2007年)中央公論社2004年刊。大阪教育大学名誉教授、日本生活文化史学会会長。専攻、文化人類学・古代史。以前、中国正史の記事で取り上げましたが、今回は更に深く掘り下げてみたいと思います。とはいえ全てを紹介するのは無理なので、興味を持たれたら本書(古書)を買い求めることをお勧めします。この書以外に中国正史そのものを和訳されているものや中国の博物館のサイトや中国版ウィキも参照しました。この記事は、中国正史から古代日本を見る入り口という感じです。
※画像は下にまとめて掲載。

■中国正史とはー
『漢書』から『旧唐書』までの11の史書のこと。本書はその全てを日本語で読み下し、語句の注釈、詳細な解説をした初めての本。日本の古代史を紐解くには中国正史は必須。これ以降たくさんの研究者により関連図書がたくさん出ています。

■倭人とはー
 著者がいう「倭人」とは日本人だけのことではない。中国南部の長江流域に発祥し、稲作と高床式住居を特質とし東南アジアからインドネシア、朝鮮半島南部から日本列島まで移動分布した民族のこと。
 ここでいう倭人とは、中国古代における春秋時代の呉越の民のこと。まず呉が滅び、後に越が滅んだ。そのエリートたちが大挙日本へ移住したということ。呉という国名は、春秋時代と三国志時代があるが、ここで扱うのは前者である。

■縄文人と共に日本人の祖といわれる呉越の倭人ー
 呉越の興亡は、後漢初期の趙曄(ちょうよう)による『呉越春秋』や『春秋左氏伝』『国語』『史記』に綴られている。
 呉(ご:BC585年頃〜BC473年)の痕跡は地名や言葉で残る。広島の呉(くれ)、着物を売る店は呉服屋、呉織、呉布、呉汁。呉服の語源は、古代中国の呉の国から絹織物の技術や生地が日本に伝わったことに由来する。呉服は「くれはとり」といい元は絹織物を作る職人のこと。
 越(えつ:BC600年頃〜BC306年)は越国(こしのくに)、越前、越中、越後などで残る。ベトナムは越南と書くが、越は春秋戦国時代に楚(そ)に滅ぼされ、一部はベトナムに、一部は日本に移住したという。
 ゲノム解析により、縄文人のDNAはアイヌの人々で70%、沖縄の人々で30%。それ以外の人々で10〜20%であるといわれている。つまり日本人のほとんどのルーツは大陸から来た倭人(弥生人)であるということ。

■呉の太伯とはー
 前漢の武帝の時代に司馬遷によって編纂された『史記』には、呉の始祖太伯について記されている。BC1000年頃、太伯は周の王家の三人兄弟の長男であったが、三男の季歴に王位を譲り、次男の虞仲と共に南蛮の地といわれた呉に下り周の王家の子ということで首長となる。後に季歴に呼び戻されるが断り、断髪し黥面文身(全身に入れ墨)となる。当時、入れ墨は蛮族の証であった。太伯と虞仲は自らの国を立て、国号を句呉(こうご)とする(後の呉)。
 BC480年頃より、呉は越による激しい攻撃を受け、BC473年、ついに呉の首都姑蘇が陥落、呉王夫差は自害し滅亡した。『史記』には「周の元王三年、越は呉を亡し、その庶(親族)とともに海に入りて倭となる」と記されている。「臥薪嘗胆」という言葉は夫差の攻防から生まれた。熊本菊池の松野家に伝わる「松野連系図」では、夫差の子「忌」が江南を離れ日本に渡り国を造ったとされる。それが後の狗奴(くぬ)国であるという。狗奴国は、飛騨(斐太)王朝とも与せず。縄文人とも交わることをしなかったという。
 BC1000年頃から入ってきた渡来人は家族単位や村単位であったが(縄文人との融合もあった)、滅亡した呉の一派は王家の系統で人数が多かったと思われる。その後に滅亡した越の人々も渡来し弥生時代を作った。

■日本の倭人とはー
『後漢書』倭伝に「会稽(かいけい)の海外に東鯷人(とうていじん)あり。分かれて二十余国を為す。」とある。鯷とは大鯰(大なまず)のこと。呉人の風俗を「提冠提縫」といい大鯰の冠を被っていたとされる。そして黥面文身(全身入れ墨)であった。『史記』には徐福の東渡が、『後漢書』には5-6世紀の日本について、倭国、扶桑国、文身国、女国、大漢国があるとの記述がある。会稽郡は、秦代から唐代にかけて設置された郡で呉越辺りをいう。「会稽」という言葉は、中国の春秋時代、越王勾践が呉王夫差に敗れ、会稽山で屈辱的な講和を結んだ故事に由来する。

■徐福伝説とはー
 BC210年頃、秦の始皇帝の命を受け、不老不死の薬を求めて日本に渡来した人物で、その伝説は日本中に残る。少年少女3000人(『神皇紀』では558人)と多くの百工(技術者)、武士とともに、五穀の種と繭を持って大船85隻で来訪。結局帰らず全国に散らばり、稲作、製鉄、養蚕を伝え、クニをつくり王となり弥生時代を拓いた。全国各地に徐福伝説が残っている。徐福の村は古代に失われた10のユダヤ部族のひとつの末裔ともいわれている。帰らなかった理由は、不老不死の薬が見つからなかったというものと、最初から秦の始皇帝を騙して帰るつもりはなかったというものがある。程なく秦は滅び、徐福集団は完全に定着したと思われる。徐福や子孫が残したという『神皇紀(富士古文書)』に注目したい。『記紀』の様な神話的要素がなく史実の様に記されている。
 徐福は江戸時代でも相当に知られていた様で、かの葛飾北斎も徐福の肉筆画を描いている。徐福は伝説上の人物とされてきたが、1982年に中国江蘇省の徐阜村が古くから徐福村と呼ばれ、徐福に関する遺跡や伝承があることが分かり、実在の人物であることが証明された。徐福については、『阿曇族と徐福 弥生時代を創りあげた人たち』亀山勝著もおすすめ。ヤマト王権や天皇が尊崇した伊勢神宮の灯篭に六芒星(ダビデの星)があるのは有名だが、そのヤマト王権は先に渡来し定着した出雲を恐れたといわれている。
 科野のクニの崇神天皇に初代科野國造に任命された神武天皇の後裔の武五百建命(たけいおたつのみこと)の妻は、妻女山麓の会津比売神社の祭神の会津比売命(あいづひめのみこと)だが、曽祖父は大国主命で出雲系。古代科野のクニはヤマト系と出雲系が結婚してできたといえる。ヤマト王権が出雲を取り込もうとする政略結婚だったのだろうか。武五百建命は、東日本最大の前方後円墳、森将軍家古墳に埋葬されていると思われる。

■邪馬台国ー
 畿内説、九州説、東遷説、阿波説などがあるが、私はそのことにあまり拘泥しない。呉人、越人、徐福一派、高句麗人などの渡来人と関連付けて時間軸を遡っていく方が史実に近づけるのではないかと考えている。『魏志倭人伝』の著者の陳寿は倭国に来たことがない。全て伝聞で記している。距離とか方向をまともに研究してもあまり意味がないと思う。ずっと後世の「川中島の戦い」の江戸時代に描かれた絵図を取り上げて記事にしたが、伝聞で描かれた絵図は皆山の位置や方向が間違っていた。伝聞の精度はあまり信用できない。
 本書では、各正史に記された邪馬台国について検証されている。『三国志』は、魏呉蜀の三国があったAD220〜280年の歴史を陳寿が記したもの。原本は失われ南宋の刻本が考察の対象となっている。そのうちのひとつが『魏志倭人伝』。60ページ近くにわたり検証されているが、あまりに大量で複雑。これは本書を買い求めていただくしかない。対馬、壱岐、糸島などについて図示しながらの詳細な解説もある。

■『魏志倭人伝』ー
『魏志倭人伝』は、『三国志』中の「魏書」第30巻烏丸鮮卑東夷伝倭人条の略称。卑弥呼は247年に中国に使いを送り、その後亡くなったという。『古事記』は和銅5年(712年)に、『日本書紀』は養老4年(720年)いずれも奈良時代に完成したという。合わせて『記紀』という。『日本書紀』には卑弥呼の記述がない。そのことが邪馬台国九州説を裏付ける根拠のひとつとなっている。『魏志倭人伝』によると、邪馬台国は三十余のクニからなる倭国の頂点で女王卑弥呼が支配していた。倭国は元々男王が治めていたが、倭国大乱が起き卑弥呼を共立し倭国連合が成立した。上越市の斐太遺跡は、その倭国大乱の時に緊急避難的に作られたという弥生時代の集落の遺跡である。

■『晋書』の『魏志倭人伝』ー
 晋の初代皇帝の武帝が即位したのがAD265年。266年に倭国から使者が来て貢物を献上したとある。ただこの倭国が邪馬台国か狗奴国だったのかは不明だが、両国の紛争の際に魏の軍使一行が邪馬台国の応援に来たとあるので邪馬台国であろうとの見解。その間に卑弥呼が亡くなり13歳の台与(とよ)が女王となる。武帝の即位の献上は台与によるものという。邪馬台国は物部王朝、狗奴国は葛城(かつらぎ)王朝と筆者は解く。
 物部王朝は、娘三人を葛城王朝の第八代孝元帝に献上している。そのことは邪馬台国の滅亡を意味するという。その後、約150年間、我が国は中国との国交を断絶した。いわゆる「幻の4世紀」または「空白の4世紀」である。この時期は前方後円墳が全国に広まった時代と重なる。邪馬台国から大和王権へ移行する時代とも重なる。呉を祖とする葛城王朝は、崇神天皇の三輪王朝によって滅ぼされる。崇神天皇は徐福の後裔か。

■高句麗と東国ー
 BC1世紀頃から668年まで満州から韓国北部まで存在したツングース系の騎馬民族の国。5世紀には最盛期を迎えたが、589年に中国が統一され南北朝時代が終焉を迎えると、統一王朝の隋・唐から繰り返し攻撃を受け、660年には百済が唐に滅ぼされ、668年に唐と新羅により滅ぼされた。高句麗の遺民の一部には倭国へ逃れた者もいた。
 4世紀後半、朝鮮半島を南下する高句麗と百済・新羅へ勢力を拡張する倭国との間で大戦があり倭国を駆逐する。敵対していたが、413年に高句麗の使者が倭人を伴って東晋に入朝したという記録がある。570年に高句麗からの遣使が倭国を訪れ外交を結ぶ(『日本書紀』)。主に東国(関東一円と信州)に多くの高句麗人が移住する。
 高句麗初期・中期の墓制は積石塚に代表される。長野市の大室古墳群がそれである。全国では、積石塚古墳は1%ぐらいだが、信州では25%もある。長野市の篠ノ井は、高句麗の前部秋足(ぜんぶのあきたり)が外従六位下の位と篠井性を下賜されたもので、それが篠山や篠ノ井の元となった。茶臼山近くに篠井神社がある。高句麗の人々は、埼玉や東京など関東にも移住し、狛川や狛江市の地名で残っている。かなりの数の高句麗人が帰化したのだろう。古墳時代中期から古墳から馬具が出土する。その頃に馬産がもたらされた。

■渡来した呉越の人々は文字を持っていた。『呉越文字彙編』ー
 漢字は欽明天皇(539-571年)の時代に百済から仏教がもたらされて伝わった。それ以前に日本に文字はなかったとされているが、弥生人の祖といわれる高度な文明を持っていた呉越の人々が文字を持っていなかったのは考えられないと筆者の鳥越氏は記している。
 そこで調べると『呉越文字彙編』施謝捷編著 江蘇教育出版社 1998年刊(入手困難)という書を発見した。漢字の歴史は象形文字でBC1500年の殷王朝に生まれ周王朝の頃に漢字に変化していくが、春秋戦国時代になると各地でバラバラな文字が使われる様になった。その統一を試みたのが秦の始皇帝であった。
 その呉越の人々が持ち込んだ文字が、神代文字(じんだいもじ・かみよもじ)の元になったと思われる。弥生時代の遺跡からは、この呉越文字が金印に刻まれたり、土器に墨で書かれたりして発見されている。現存する日本最古の家系と言われる信州伊那の小町谷家が社家の大御食神社には神代文字(阿比留草文字)で書かれた社伝記が伝えられている。神代文字には、縄文時代から使われていたというヲシテ文字もある。更に古くには、カタカムナ文字(約5500年前)や龍体文字(約5600年前)もあった。


↑日中韓とエジプト、ローマの歴史年表

↑呉の大翼戦船(中国航海博物館)。日本まで航行できる大きさの船。鉄の武器がある。中国の鉄器生産は、BC700年頃からで、農具や武器に使われた。たたら製鉄は古墳時代に入ったが、それ以前に鉄バクテリアの作用によりできる褐鉄鉱の団塊(高師小僧)から、鉄を製錬する技術が弥生時代に存在した。信濃の国の枕詞「みすずかる」は、製鉄のために葦についた褐鉄鉱の固まり(これをすず:鈴という)を刈ることを言う。方言の「ずく」は、銑鉄(ずくてつ)のことであり、製鉄の大変さを物語る言葉である。神事で巫女が鈴を持って踊るのは製鉄を表している。

↑春秋時代の呉と越。越人の風貌。海に潜るため短髪で全身に入れ墨をしていた。越は帆船を建造しベトナムと交易していた。

↑『富嶽と徐福』藤原祐則筆(葛飾北斎)北斎館所蔵。富嶽は富士山(不二山)で、徐福が目指した蓬莱山である。

↑『中国正史 倭人・倭国伝全釈』鳥越憲三郎・『中国正史の倭国九州説 扶桑国は関西にあった』いき一郎

↑『邪馬台国 人口論』安本美典編著。人口学から日本の古代史を探る。7人による共同執筆。
 『もう一人のスサノオ 古事記発掘第二巻』中西信伍。中国から渡来した人が神になり国造りをした。その歴史。
 『謎の渡来人 秦氏』水谷千秋。古代最大の人口を誇る秦氏。秦の始皇帝の子孫ともいわれる徐福一派か、百済や新羅から来た豪族か。
 『発見! ユダヤ人埴輪の謎を解く』田中英道。高い墓雄牛、伸びたヒ髭、豊かなもみあげをつけたユダヤ人埴輪が多数出土している。それは秦氏一族である。

↑『呉越文字彙編』(ごえつもじいへん)施謝捷編著 江蘇教育出版社 1998年刊。漢字は象形文字から楷書へと長い時を経て変化していった。現在使われている漢字の書体には篆書・隷書・草書・行書・楷書の5つがある。
↓『呉越文字彙編』の部分。かなり象形文字に近いものから漢字の様になっているものと色々見られる。「不」は名詞ではなく、…ではない。…しない。否定の意味の助詞。左に見られる様に、元は象形文字で花の萼(がく)の形を模したという説と、女性の月経を表すという説があるがどちらもあまり説得力がない。


中国正史の書を読む梅雨空の好日。『中国正史 倭人・倭国伝全釈』『中国正史の倭国九州説 扶桑国は関西にあった』『西暦535年の大噴火』(妻女山里山通信)


「ブラジルへの郷愁」レヴィ=ストロース 川田順造訳 みすず書房。文化人類学、また構造主義におけるバイブルのひとつ(妻女山里山通信)
 『アマゾンひとり旅』を掲載中。■ブラジル料理を2回に渡って掲載。ブラジル音楽も。最近大流行りの南米文学(ラテンアメリカ文学)の紹介。『百年の孤独』『族長の秋』『蜘蛛女のキス』など。■モリモリキッズ・スペシャル をクリック!!!

「村上春樹さんのピーター・キャットを中心とした70年代のクロニクル」 ムサビの美大生時代に彼のジャズ喫茶でアルバイトしていた当時のブログ。世界中からアクセスがあります。70年代の美大生の赤裸々な日々。ロンドンでQueenのフレデイ・マーキュリーの恋人のメアリー・オースチンが勤めていたBIBAの店で当時の私の恋人が彼女からジャケットを買った話など。

インスタグラムはこちらをクリック
ツイッターはこちらをクリック

YouTubeはこちらをクリック。米子大瀑布、絶滅危惧種のナミルリモンハナバチ・キバネツノトンボ・北信流など。これからどんどんアップしていきます。
もう一つの古いチャンネルはこちら。76本のトレッキングやネイチャーフォト(昆虫や粘菌など)、ブラジル・アマゾン・アンデスのスライドショー
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

合歓の木の花と山紫陽花と万葉集。ヒロオビトンボエダシャクの交尾。キバネツノトンボが孵化。恋がかなう玉虫が飛来(妻女山里山通信)

2025-06-30 | アウトドア・ネイチャーフォト
 最高気温34度。山上は28度の中、ネムノキが咲きだす頃と登りました。さすがに誰もいません。クマも淡竹の季節が終わったので下りて来ません。イノシシやニホンカモシカもお昼寝しているでしょう。ネムノキ(合歓木、合歓の木)マメ科ネムノキ亜科の落葉高木。夜になると小葉が閉じて垂れ下がる就眠運動を行うことで眠る木。咲き始めでした。

「昼は咲き 夜は恋ひ寝(ぬ)る 合歓木(ねぶ)の花 君のみ見めや 戯奴(わけ)さへに見よ」 紀女郎(きのいらつめ) 『万葉集』巻八1461
(昼に咲いて、夜には恋しい想いを抱いて寝るという合歓の花を私だけに見させないで。君もここに来て見なさいな):紀女郎が大伴家持に贈った歌ですが、紀女郎は年上の人妻で、戯奴というのは目下の人を呼びかける言葉だそうです。人妻が若者をからかったのか、誘ったのか。背景を知ると、なんとも意味深な歌です。

 貝原益軒は「この木を植えると人の怒りを除き、若葉を食べると五臓を安じ、気をやわらげる」と記しています。
 化粧の刷毛の様でもあり、線香花火の様でもあり。繊細な花です。なんとも形容し難いかすかに甘い香りがします。赤松と同様に排気ガスには弱く、我が家の山の大木は高速道路ができたら数年で枯れました。葉は合歓皮(ごうかんひ)といって漢方薬です。利尿、強壮、鎮痛、腰痛、打ち身、腫れ物、水虫、手荒れ、精神安定などに効くそうです。
「合歓咲く 七つ下りの 茶菓子売り」小林一茶
 江戸の八丁堀の合歓の木が咲く小腹が空く午後4時頃に、茶菓子売りの声が聞こえる様。どんな茶菓子だったのでしょう。茶饅頭か、夏だから水菓子か。
「象潟(きさかた)や 雨に西施(せいし)が ねぶの花」松尾芭蕉
 西施は、中国の春秋時代の呉を滅ぼした傾国の美女。その越に滅ぼされた呉のエリートたちが日本に渡来して弥生時代を作ったのです。その後、越も滅ぼされ、また日本に渡来します。

 ヤマアジサイ(山紫陽花)。別名は、サワアジサイ。周辺は装飾花で、中心部は両性花。ガクアジサイに比べると、花の色が色々あります。
「言問はぬ木すら味狭藍(紫陽花) 諸弟(もろと)らが練の村戸(むらと)にあざむかえけり」大伴家持 巻4 773
 (恋を語らない木ですら、紫陽花のように移ろいやすい。巧みな言葉に私は騙されてしまいました。)
「味狭藍(紫陽花)の 八重咲く如 やつ代にを いませわが背子 見つつ思はむ(しのはむ)」橘諸兄 巻20 4448
 (紫陽花が八重に咲くように、ますます長い年月を生きてください。紫陽花を見ながらあなたをお慕いします。)

 ヒロオビトンボエダシャク(広帯蜻蛉枝尺蛾)シャクガ科エダシャク亜科の蛾。イネ科の細い葉に捕まって交尾中。右がメスでオスをぶら下げて交尾中。

 疲れたのか下の葉に移動して交尾継続。栗の花やハルジオン、ヒメジョオンなどで吸蜜。

 キバネツノトンボが孵化していました。産卵からひと月です。

 牙で卵の殻を切り開いて出てくる様子がよく分かります。牙を出してこれから出てくるものも見られます。グレーのものはまだ中に幼虫がいます。牙できれいに丸くくり抜くのが分かります。一匹側面から穴を開けている変わり者もいます。

 蟻地獄の様ななかなか厳しい姿をしています。棘だらけなのは捕食されないためでしょう。孵化中が2ヵ所、孵化が終わり地上に下りてしまったものが4ヵ所ありました。

 イチモンジチョウ(一文字蝶)。ゼフィルスはヤマトシジミが少し見られただけ。これからです。

 オカトラノオが咲き始めました。小さなアリが中央に、左上にダニでしょうか。

 タマムシ(玉虫)が飛来。別名はヤマトタマムシ。法隆寺の国宝の玉虫厨子は、この玉虫の翅を使っています。中国では「吉丁虫」と呼ばれ、『本草綱目』には「吉丁虫を身につけると恋がかなう」という記述があり縁起のいい虫とされていました。

 タマムシ科の甲虫は、日本に約250種が分布します。普通は餌のエノキで見られるのですが、ここはなんと神社の鳥居です。長野県では絶滅危惧II類。卵はエノキやケヤキ、サクラの枯死木に産み付けられ、幼虫はその朽木を食べて3年ほどかけて成長します。

 ヤマホタルブクロの残花。初夏の花が終わり夏の花が咲きだす端境期です。

 妻女山展望台から松代方面。右奥の根子岳と四阿山も夏の装い。

 北方に千曲川と最奥に飯縄山。川中島の桃は早生種の出荷が始まったそうです。森の杏は最盛期でスーパーや産直売り場にたくさん並んでいます。生食用のハーコットは冷やしてバニラアイスと。加工用はチーズケーキやあんずタルト、ジャム、ジュースに。

 引きのパノラマカット。長芋は植え付けが終わってたくさん杭が並んでいます。暑いので今夜はとろろ蕎麦にしましょう。

「ブラジルへの郷愁」レヴィ=ストロース 川田順造訳 みすず書房。文化人類学、また構造主義におけるバイブルのひとつ(妻女山里山通信)
 『アマゾンひとり旅』を掲載中。■ブラジル料理を2回に渡って掲載。ブラジル音楽も。最近大流行りの南米文学(ラテンアメリカ文学)の紹介。『百年の孤独』『族長の秋』『蜘蛛女のキス』など。■モリモリキッズ・スペシャル をクリック!!!

「村上春樹さんのピーター・キャットを中心とした70年代のクロニクル」 ムサビの美大生時代に彼のジャズ喫茶でアルバイトしていた当時のブログ。世界中からアクセスがあります。70年代の美大生の赤裸々な日々。ロンドンでQueenのフレデイ・マーキュリーの恋人のメアリー・オースチンが勤めていたBIBAの店で当時の私の恋人が彼女からジャケットを買った話など。

インスタグラムはこちらをクリック
ツイッターはこちらをクリック

YouTubeはこちらをクリック。米子大瀑布、絶滅危惧種のナミルリモンハナバチ・キバネツノトンボ・北信流など。これからどんどんアップしていきます。
もう一つの古いチャンネルはこちら。76本のトレッキングやネイチャーフォト(昆虫や粘菌など)、ブラジル・アマゾン・アンデスのスライドショー
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

五味池破風高原のレンゲツツジ。グンバイヅル・ササバギンラン。クロムネアオハバチ・コルリクワガタ(妻女山里山通信)

2025-06-25 | アウトドア・ネイチャーフォト
 梅雨の晴れ間にレンゲツツジ(蓮華躑躅)で有名な五味池破風高原へ。須坂市街から曲がりくねった山道を20キロほど登ると標高1600〜1800mの五味池破風高原に着きます。レンゲツツジは残花も見られましたが、県の内外からたくさんの人が訪れていました。麓の最高気温が34度なので山上も思ったよりも涼しくはなかったのですが、里山では見られない植物や昆虫に出遭えました。猿と子熊にも。

 美しいレンゲツツジには、花、蜜、葉に毒があります。嘔吐、痙攣、麻痺、呼吸困難などの症状を起こす神経毒で大変危険です。 この蜜を吸った蜂のハチミツでの中毒例もあります。致死量は体重1kgあたり0.3mgで、なんと青酸カリの約15倍の強さ。吸うのはもちろん庭木では絶対に植えてはいけません。

 ここには昔、夏に麓の牛を預かって放牧する乳山牧場がありました。その頃、家族で訪れて母がなぜか子牛に追いかけられて全速力で逃げ回ったというエピソードがあります。妹が「お母さんがあんなに速く走れるって初めて知った」と笑いながら言っていました。

 まず4キロほど林道を下って五味池のひとつ大池へ。池の周囲にはウマノアシガタ(馬の足形)の群生がありました。毒草です。面白い名前の由来は、根生葉の形が馬の蹄の形に似ているからというのですが似ていませんw。池には小さな魚が群れて泳いでいました。

 ミヤマアズマギク(深山東菊)。キク科ムカシヨモギ属の多年草でアズマギクの高山型の亜種。

 マタタビの花。これは両性花で、木天蓼(もくてんりょう)といい古くから関節の痛みや疲労回復の妙薬として利用されてきました。ネコ科の動物に与えると酷い酩酊状態になります。この虫こぶになった果実を焼酎に漬けて天蓼酒を作り私も愛飲していました。

 池の畔で休んでいるとハナアブが来て手の汗を舐め始めました。

 オオヤマフスマ(大山衾)。ナデシコ科ノミノツヅリ属の多年草。別名は、ヒメタガソデソウ(姫誰が袖草)。突然変異か花びらが6枚のものが散見されました。

 ツマグロバッタ(褄黒飛蝗)。オオヤマフスマの群生地に何千匹といました。歩く度に一斉に飛びます。

 グンバイヅル(軍配蔓)。オオバコ科クワガタソウ属の多年草。別名は、マルバクワガタ。県の準絶滅危惧種。

 クロムネアオハバチ。幼虫はイネ科(ネザサ,アズマネザサ)の葉を食べるのですが、成虫はハムシなどの少昆虫を食べます。

 ヒカゲノカズラ(日陰鬘、日陰蔓、日陰葛)。胞子は石松子(せきしょうし)といい、薬用や果物などの人工授粉剤として用いられます。古生代のシダ植物の生き残りともいわれています。
『古事記』の天の岩戸で天宇受売命(アメノウズメノミコト)がたすきがけにしていたのが日陰葛(日影葛)といわれています。古代から注目を集めていたようで、万葉集には下記の四首があります。
「斎串(いぐし)立て 御瓶据ゑ奉る 祝部が うずの玉かげ 見ればともしも」
 (玉串を立て、御神酒を供物として捧げる神主たちの髪飾りのかずらを見ると厳かな気持ちになる)
「あしひきの 山かづらかげ ましばにも 得がたきかげを 置きや枯らさむ」
 (山のひかげのかずら。めったに手に入らないそのかずらを手にしないで、放って置いて枯らしたりするものですか)得難い女を何とか妻にしたいという男の執心の歌
「見まく欲り 思ひしなへに かづらかげ かぐはし君を 相見つるかも」大伴家持
 (お逢いしたいと思っていたちょうどその折りに、かづらをかぶられた芳しいあなた様にお逢いすることができました)
「あしひきの 山下ひかげ かづらける 上にやさらに 梅をしのはむ」大伴家持
 (山下に延びるヒカゲノカズラの蔓で頭髪を飾ったばかりなのに、さらに梅を愛でようというわけですか)

 コルリクワガタ(ユキグニコルリクワガタ)。青い昆虫には目がない私。初めての撮影です。よく観察しようとつまみ上げようとしたらどこかに行ってしまいました。残念。

 ホソバギンラン。妻女山山系のギンランに比べると葉が細長い。別名は、ササバギンラン(笹葉銀蘭)。花の下に見えるやや黄色い距が突出しているのが特徴。小さなアリは2.5ミリぐらい。トビイロシワアリかムネボソアリか。

 ギンリョウソウ(銀竜草)。ツツジ科ギンリョウソウ属の多年草。葉緑体を持たない腐生植物です。ベニタケ類の菌糸から栄養を得るため、光を必要としないので薄暗い林下で見られます。別名は、ユウレイタケ(幽霊茸)。写真の場所は大きな岩が積み重なっている場所で、隙間から冷風が吹き出していました。

 レンゲツツジの群生地に戻って日陰でお昼。信濃製菓の丸なす、切り干し大根、きのこミックスのおやきを買ってきました。食べていると盛んに何匹も腕に汗を舐めに来ます。ケヒラタアブだと思うのですが。

 レンゲツツジの群生地から見下ろす大池。あそこからここへ登ってくる近道(急登)もあります。右向こうに見えるのは四阿山。

 尾根の向こうには左に四阿山、大隙間を挟んで右に根子岳。天気がいいので登山者も多いでしょう。

 サラサドウダン(更紗灯台、更紗満天星)。ツツジ科ドウダンツツジ属の落葉低木。風鈴ツツジとも。

 車に戻るとタイヤにヒョウモンチョウの仲間。翅が傷んでいます。羽化不全でしょうか。翅を閉じてクモガタヒョウモンとわかりました。

 下山する途中でニホンザルの群れに遭遇。今年生まれたばかりの赤ちゃんもいました。この直後に車の前に突然子熊が飛び出してきました。驚きましたが子熊はもっと驚いてガードレールの向こうへ慌てて下っていきました。その向こうには母熊が必ずいます。大きさは15キロぐらいなのでこの冬に生まれたのでしょう。

 帰るにはまだ暑いので菅平へ。大松山スキー場のゲレンデから見る根子岳と四阿山。高原野菜のマルチが光っています。後輪にキャタピラーをつけた大型トラクターと出会いました。1500〜3000万円ぐらいするそうです。五味池破風高原と違い涼しい風が吹き上げてきました。

 あちこちにアヤメ(菖蒲)の群落がありました。昆虫は思ったほどいなかったので、ワラビを採りました。帰ってワラビとろろ明太子蕎麦にしました。

「ブラジルへの郷愁」レヴィ=ストロース 川田順造訳 みすず書房。文化人類学、また構造主義におけるバイブルのひとつ(妻女山里山通信)
 『アマゾンひとり旅』を掲載中。■ブラジル料理を2回に渡って掲載。ブラジル音楽も。最近大流行りの南米文学(ラテンアメリカ文学)の紹介。『百年の孤独』『族長の秋』『蜘蛛女のキス』など。■モリモリキッズ・スペシャル をクリック!!!

「村上春樹さんのピーター・キャットを中心とした70年代のクロニクル」 ムサビの美大生時代に彼のジャズ喫茶でアルバイトしていた当時のブログ。世界中からアクセスがあります。70年代の美大生の赤裸々な日々。ロンドンでQueenのフレデイ・マーキュリーの恋人のメアリー・オースチンが勤めていたBIBAの店で当時の私の恋人が彼女からジャケットを買った話など。

インスタグラムはこちらをクリック
ツイッターはこちらをクリック

YouTubeはこちらをクリック。米子大瀑布、絶滅危惧種のナミルリモンハナバチ・キバネツノトンボ・北信流など。これからどんどんアップしていきます。
もう一つの古いチャンネルはこちら。76本のトレッキングやネイチャーフォト(昆虫や粘菌など)、ブラジル・アマゾン・アンデスのスライドショー

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあり、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。
詳細は、
『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

愛と魑魅魍魎の漢和辞典『新字鑑』塩谷温。言葉・言の葉。『百年の孤独』と「構造主義」(妻女山里山通信)

2025-06-21 | 歴史・地理・雑学
 海外で色々受賞した話題のドラマ『舟を編む 〜私、辞書つくります』(原作:三浦しをんによる大ベストセラー小説)で辞書に注目が集まっています。「広辞苑」は仕事ではよく使いましたが個人的には持っていません。持っている辞書で古文書などを読むときには必須と思うのが『新字鑑』です。二冊持っています。一冊は写真のようにボロボロです。以前、下のような記事をアップしましたが、結構人気でアクセスがあります。

愛と魑魅魍魎の『新字鑑』
昭和24年12月21日、「朝日新聞」夕刊に次のような見出しの記事が掲載されました。「“古希の恋”実る塩谷温博士」「年齢こえた愛情で薄幸な元芸者と再婚」しかし、古希の恋には哀しい顛末が待っていました。


↑写真右のものは、1942(昭和17)年3月30日発行。第165版。たった3年で165版。いかに売れたかが分かります。おそらく村会議員をしていた祖父が使っていたものでしょう。定価4円50銭のところ特価3円90銭で販売されています(現在の価値にすると約15000円)。痛み具合から相当使い込んだことが分かります。父や叔父叔母も使ったのでしょう。
 写真左のものは、1980(昭和55)年に国書刊行会から発行された3訂増補版で431版になります。私がネットの「日本の古本屋」である古書店から買い求めたものです。これが今のところ最終版になります。非常に息の長い漢和辞典でした。



 編者の塩谷温(しおのやおん)(1878~1962)は、東京都生まれの中国文学者。東京帝国大学文学部教授を経て名誉教授に。号は節山。著書には、他に『支那文学概論講話』『国訳元曲選』『作詩便覧』『唐詩三百首新釈』『漢文講座』『朗吟詩選』『詩経講話』『興国詩選』『王道は東より』などがあり、中国近世の戯曲、小説を研究し、日本に紹介した人です。
 塩谷温が『新字鑑』の編集を始めたのは、関東大震災直後、1923(大正12)年。作業の中心を担ったのは中国学者の坂井喚三、佐久節、頼成一で、苦節17年を経て1939(昭和14)年2月25日発行されました。四六判(128ミリ×189ミリ)、本文2151ページ【親字数】11912【熟語数】80118。【発行所】弘道館、【印刷】共同印刷。

『新字鑑』刊行の前々年、1937(昭和12)年7月7日、盧溝橋事件により日中戦争が始まりました。国民の目が中国に向けられることになります。国民精神総動員運動や国家総動員法といった、国民生活への統制も強まっていきました。巻頭扉に総理大臣の近衛文麿の「温故知新」の文字があるのもそういう時代背景があったからです。朝ドラの『あんぱん』がまさにその時代を描いています。つまり、『新字鑑』は、国策を背負った漢和辞典だったとも言えるわけです。3月8日に東京の学士会館で200名を集めて開催された発刊記念会で満州国皇帝の弟、愛新覚羅溥傑(あいしんかくらふけつ)が祝辞を述べたということです。
 そういう時代背景から、当時の現代中国語の熟語がたくさん収録されており、カタカナとローマ字で発音が書かれています。また巻末付録に中国語の慣用句や、公用文の用語、外国の人名地名の中国語での表記まで載せています。その「支那語便覧」では、人名の部では【勺旁】ショパン、地名の部では【亞馬孫】アマゾンなどが。これも役に立つし面白い。
 古文書を読むときは必ず旧字が出てきます。塩谷温の塩の旧字なんて読めません。ただ旧字は、新字になって分からなくなったその漢字の元の意味や成り立ちが分かります。この「分かります」も「わかります」と開くか迷うのではないでしょうか。ほかに常用外漢字で「判る」「解る」もあるので。公用文においては、「動詞は漢字で書く」という原則があるので「分かる」ですが、一般的にはひらいても問題はありません。



言葉・言の葉
 言葉という語が生まれたのは奈良時代。それ以前は言(=事)でした。それが言の端となり言の葉になり言葉となった。言の端とは、ちょっとした言葉や言葉尻をいいますが、端ははしっこに加えて「まっすぐでかたよらない。きちんとしてただしい。ただす」という意味があります。言=事というのは有限で儚いものですが、それを顕在化し正す意味があるのでしょう。
 何気ない言葉の意味や用法の多様さ複雑さは、『舟を編む』の初回で主人公を演じる池田エライザが突きつけられた 副詞の「なんて」という言葉。「ある事物を例示して、それを軽んじたり、婉曲(えんきょく)に言ったりする意を表す」とか「事物・事態が基準を逸脱しているという評価」があります。感嘆詞で使う場合は、「なんて美しい」とかですが。卑下したり見下す場合は、「私なんて」とか「サッカーなんて」とか悪い意味になります。言葉というものは生き物で、寿命もあるし使い方で正反対の意味にもなると分かります。
 万葉仮名は、古代日本語を表記するために漢字の音を借用したもの。そういう意味では、言葉は言晴、言羽、言華、言春、言生、言刃などでもよかったわけですが。葉は、たとえば双葉は成長して枝葉を付け花を咲かせ実がなるわけで、成長と繁栄を感じさせます。古代の人はそういう意味を内包した漢字が好ましいと葉を選んだのかも知れません。『万葉集』は、「万(よろず)の言の葉の歌集」あるいは「万世(よろずよ)にまで末永く伝えられるべき歌集」として万人の言の葉を集めたものといえます。



『百年の孤独』と「構造主義」
 ノーベル文学賞作家、ガブリエル・ガルシア・マルケスの『百年の孤独』の冒頭部分。「ようやく開けそめた新天地だったから、まだ名前のない物がたくさんあって、そういう物がたがいの話のなかに出てくると、みんなは、いちいちそれを指ささなければならなかった。」
 文明人と称する我々の社会は「共同幻想」によって成り立っているといえます。全てのものは等価である。それを崩しているのがシニフィエ*という「共同幻想」なのです。
「構造主義」というのは、1960年代に登場し主にフランスで発展していった20世紀の現代思想のひとつ。「あらゆる現象に対して、その現象に潜在する構造を抽出し、その構造によって現象を理解し、場合によっては制御するための方法論を指す語である。」(Wikipedia)
「構造主義」の考え方は、「価値は所与のものではない。視点を相対化せよ」「意味や価値は所与のものではなく、要素間の関係において生成する」というもの。具体的に言うと、物の名前は物そのものではないということ。
「構造主義」の代表的な思想家としてクロード・レヴィ=ストロース、ルイ・アルチュセール、ジャック・ラカン、ミシェル・フーコー、ロラン・バルトなど。これらの考え方は、ソシュール言語学と結びついて、シニフィアン(意味するもの)・*シニフィエ(意味されるもの)という構造を見る。「言葉は『ものの名前』ではない」。構造主義の祖といわれる言語学者ソシュールの言葉です。例えばピザという時にピザそのものはシニフィアンですが、ピザから連想されるものはシニフィエです。我々は、むしシニフィエに縛られているといえます。文明人と称する我々の社会は「共同幻想」によって成り立っているといえます。全てのものは等価である。それを崩しているのがシニフィエという「共同幻想」なのです。



辞書を作るのは本当に大変
 私自身大手新聞社のPR誌の編集アートディレクターをしていたことがあるので、校正の大変さは知っています。主人公が雑誌は二校までなのに五校に加えて念校も二度あるのですかと驚いていますが、新聞社は雑誌でもそれぐらいの校正をしていました。それでも間違いが出るときは出るのです。新聞社のプロの校正士も入っているのですが。ある電話番号が間違っていて、右翼の大物の家になってしまい、社長と重役が二人で最高級のフルーツの盛り合わせを持って指を詰める覚悟で謝罪に行ったことがあります。抗議の電話をしてきた若いのは殺すぞ的な勢いでしたが、大物の方はまあまあという感じで受け流してくれたそうです。また、ある商品の価格が一桁少なかったためにとあるデパートの電話がパンクしたことがありました。
 そんな間違いが絶対に許されない辞書作りは本当に大変なのです。受験勉強の時に英和辞書とかを赤鉛筆で真っ赤にしたなんて方もいるのではないでしょうか。覚えたら破って食べるという山羊みたいな人もいたという都市伝説もあります。梅雨の鬱陶しい日には、好きな辞書を読んでみるというのもいいかも知れません。

「ブラジルへの郷愁」レヴィ=ストロース 川田順造訳 みすず書房。文化人類学、また構造主義におけるバイブルのひとつ(妻女山里山通信)

池田エライザ。彼女を初めて知ったのはいつだったかな。女優としてはもちろん歌手としての彼女に惹き込まれて久しい。凄いです(妻女山里山通信)



■『アマゾンひとり旅』を掲載中。■ブラジル料理を2回に渡って掲載。ブラジル音楽も。最近大流行りの南米文学(ラテンアメリカ文学)の紹介。『百年の孤独』『族長の秋』『蜘蛛女のキス』など。■モリモリキッズ・スペシャル をクリック!!!

「村上春樹さんのピーター・キャットを中心とした70年代のクロニクル」 ムサビの美大生時代に彼のジャズ喫茶でアルバイトしていた当時のブログ。世界中からアクセスがあります。70年代の美大生の赤裸々な日々。ロンドンでQueenのフレデイ・マーキュリーの恋人のメアリー・オースチンが勤めていたBIBAの店で当時の私の恋人が彼女からジャケットを買った話など。

インスタグラムはこちらをクリック
ツイッターはこちらをクリック

YouTubeはこちらをクリック。米子大瀑布、絶滅危惧種のナミルリモンハナバチ・キバネツノトンボ・北信流など。これからどんどんアップしていきます。
もう一つの古いチャンネルはこちら。76本のトレッキングやネイチャーフォト(昆虫や粘菌など)、ブラジル・アマゾン・アンデスのスライドショー

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあり、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。
詳細は、
『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

森のアクアマリン、オオミドリシジミの卍巴飛翔と占有行動。キバネツノトンボの孵化(妻女山里山通信)

2025-06-18 | アウトドア・ネイチャーフォト
■21年間(私は20年目)続いたこのgooブログが、11月18日に閉鎖されます。早速、FC2にこれまでの記事をすべて移しました。9月末まで両方に同じ記事をアップします。10月からはFC2だけになります。こちらをクリックで見られます。モリモリキッズ」。  

 突然梅雨前線が消えてしまった晴れの日、オオミドリシジミが見られるのではと登りました。山上は25度。涼しくはありませんが暑くもない。次第に湿度が下がることが予想されました。
 オオミドリシジミ(大緑小灰蝶:Favonius orientalis)は、チョウ目シジミチョウ科ミドリシジミ亜科に属するチョウ。オスの翅は、青緑に輝き非常に美しい蝶です。メスの翅は灰褐色。幼虫の食樹はブナ科のコナラ・クヌギ・ナラガシワ・カシワ・ミズナラなど。

 クヌギの森のギャップの灌木に一頭のオオミドリシジミが舞い降りてきて止まりました。森の宝石と呼ばれるアクアマリンの美しい翅は構造色。

 サンショウ(山椒)の葉の上で休憩中。

 二頭で激しい卍巴飛翔(まんじともえひしょう)を繰り広げた後、日当たりの良い山椒の葉に止まって翅を広げ占有行動をとります。

 そっと近づくと睨まれました。

 構造色なので撮影する角度によって色味が変化します。

 卍巴飛翔の後なので翅を広げて専有行動をする準備。

 シジミチョウの多くは、この時期に羽化して産卵するため、農薬散布をすると簡単に絶滅してしまうのです。同時期に林道脇などの除草もされますが、食草であるイボタノキやクヌギやヤマザクラ、カシワの幼木や若木が切られると、大量の卵が死んでしまいます。

 ミヤマウグイスカグラ(深山鶯神楽)の赤い実に甘い汁を吸うためにアリが集まってきました。

 キバネツノトンボは産卵ラッシュの後で15の卵塊を確認しましたが、今回数えると9つに減っていました。そのうちのひとつが孵化し始めました。しばらく観察しましたがこれ以上進行しませんでした。最高気温は34度。日向にいると背中が焼け焦げそうでした。

「ブラジルへの郷愁」レヴィ=ストロース 川田順造訳 みすず書房。文化人類学、また構造主義におけるバイブルのひとつ(妻女山里山通信)
 『アマゾンひとり旅』を掲載中。■ブラジル料理を2回に渡って掲載。ブラジル音楽も。最近大流行りの南米文学(ラテンアメリカ文学)の紹介。『百年の孤独』『族長の秋』『蜘蛛女のキス』など。■モリモリキッズ・スペシャル をクリック!!!

「村上春樹さんのピーター・キャットを中心とした70年代のクロニクル」 ムサビの美大生時代に彼のジャズ喫茶でアルバイトしていた当時のブログ。世界中からアクセスがあります。70年代の美大生の赤裸々な日々。ロンドンでQueenのフレデイ・マーキュリーの恋人のメアリー・オースチンが勤めていたBIBAの店で当時の私の恋人が彼女からジャケットを買った話など。

インスタグラムはこちらをクリック
ツイッターはこちらをクリック

YouTubeはこちらをクリック。米子大瀑布、絶滅危惧種のナミルリモンハナバチ・キバネツノトンボ・北信流など。これからどんどんアップしていきます。
もう一つの古いチャンネルはこちら。76本のトレッキングやネイチャーフォト(昆虫や粘菌など)、ブラジル・アマゾン・アンデスのスライドショー

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあり、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。
詳細は、
『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■私を南米放浪の旅へ誘った70・80年代の雑誌ブームとバックパッカーのガイドブックと地図

2025-06-12 | 歴史・地理・雑学
 70年代中頃から80年代中頃は雑誌ブームで、それまで無かったコラムマガジンやカタログ雑誌、ファッション雑誌が次々と創刊された。そんな中から、私を南米放浪の旅へ誘(いざな)った70・80年代の雑誌と南米のガイドブックや地図を紹介します。



『Made in U.S.A.』読売新聞社 1975年刊。銭湯が100円、昼飯が250〜350円で食べられた時代に1300円の豪華本。しかも、この本の出版は読売新聞社である。さらに、後援がアメリカ大使館経済商務部。読売新聞社といえ ば、「ポダム」というコードネームでCIAのスパイだった正力松太郎が社主だった。この本は、まさに米と日本の官民ぐるみで、若者にアメリカブームを起こし、アメリカ製品を売ろうという大プロジェクトのひとつだった。戦後、GHQが日本を占領するにあたり、3R・5D・3S政策(愚民化政策)を推進したが、その一環だった。
 このムックは大好評で一週間で売り切れ増刷された。所ジョージはじめ我らの世代はアメリカ大好きおじさんが多いが、その先鞭をつける雑誌となった。皆がハワイやカリフォルニアに旅行する時代だったが、私は美大生時代にロンドンへ旅立ちフラットを借りて5週間暮らした。詳細は『国分寺・国立70sグラフィティ』を。
 上の一番右下はレッドウィングのワークブーツの人気商品アイリッシュセッターNo.875。当時は3万弱、現在は51150円。美大生の頃は買えなかったが、83年に南米に旅立つ前に買った。アマゾンやアンデスを歩いた忘れられない靴。今も履けるが大事にとってある。バーボンは、村上春樹さんの国分寺「ピーター・キャット」で初めて飲んではまった。好きだったのは4つの薔薇の素敵なエピソードのフォアローゼス。ナイフはカスタムナイフを制作した。南米から戻って原宿の編集デザイン事務所で働き始めたが、誘われてフライフィッシングを始めた。一番右下は、そのタックルボックス。渓流釣りは朝夕の薄暗い時にやるが、DTP作業が当時はブラウン管ディスプレイだったため目を悪くして止めざるを得なかった。



『Made in U.S.A-2.』読売新聞社 1976年刊。評判がよかったので翌年続きが出た。バックパッカーやヒッチハイク、ヘビー・デューティー、アース・ムーブメント、ニュー・ライフスタイルなど、当時を表す言葉があちこちに見られる。リーバイス501ジーンズやレッド・ウィングの アイリッシュ・セッター、ダウンジャケット、ケッズやコンバースのスニーカーなどは、ここからブームが広まった。私も南米の旅に備えてプジョーのロードレーサーを買った。初めて買ったダウンジャケットはL.L.BEENだった。アウトドアファッションにも火が付き、やがて全盛期を迎えることになる。アウトドアファッションにも火が付き、やがて全盛期を迎えることになる。
 友人の車に流れていたのはいつもVOA(Voice of America)だった。QUEENとかABBAとかが流れていた。福生の米軍基地で輸送機から戦死者の棺が降ろされるのも目撃した。米兵が起こす事件も多く、立川の街にはMPのパトカーがサイレンをけたたましく鳴らして走り回っていた。沖縄とそう変わらない光景が東京にもあった。
 当時は、まだ米軍立川基地があった。村上春樹さんの国分寺「ピーター・キャット」にも米軍の若い兵士が来たことが何度もあった。ある客の少ない昼間、バイトの女の子と二人でやっていた時だった。若い黒人が来た。珈琲を頼むと、しばらくしてサラヴォーンのあるアルバムをリクエストした。カウンター内で作業をしながら、ふと彼を見ると涙ぐんでいた。かあちゃんを思い出したのかな、と思った。ベトナム戦争のサイゴン陥落が、1975年の4月だから、まだ戦争真っ最中だった。



『DO CATALOG.』サンケイ新聞出版局 1976年刊。グッズカタログではなくアメリカのライフスタイルに焦点を当てたムック。ナチュラルライフ、インドアプランツ、DIY、キルト、ハーブ、ビンテージジーンズなど、現在に通じるブームはこの頃生まれた。下の中央の右にケーブル・リール・テーブルがある。村上春樹さんの国分寺「ピーター・キャット」にまさにこれと同じものがあった。米軍の払い下げ家具やウェアが流行り始めたのもこの頃。福生や立川の米軍ハウスに住んでいる友人の家に美大の皆でよく集まった。
 自然指向が高まった時代であることが分かるが、実際は商業主義の大量消費社会へと日本は邁進していく。実は、後年私はこのムックを手がけた編集アダルトプロダクションに入り、デザイナーからアートディレクター、企画編集にまで手を染めるようになった。初めの頃は、事務所にVANの石津健介さんも度々遊びに来られた。



『POPEYE』創刊第2号 平凡出版 1976年刊。創刊号は、都内重点配本で限定部数販売だったため、国分寺の小さな書店では手に入らなかった。サブタイトルは、「Magazine for City Boys」で、ライフ・スタイル・マガジン、あるいは、コラム・マガジンと名乗っていた。記事は、アメリカ西海岸のものが多く、所謂、ロサンゼルスやサンフランシスコを中心とした西海岸ブームを作った。但し、その先駆けを作ったのは、植草甚一氏の『宝島』だったわけだが・・。
 記事には、スノビズム、ホット・クラシック、チープ・シック、ジョガー、サイクリスト等の言葉が見られる。そして、シティボーイ達がみな憧れたアグネス・ラムの広告。
 出初めだった情報誌『ぴあ』も、映画を観に行く時やコンサートの情報を得るために買う、デートの必須ツールだった。『ビックリハウス』が 出たのも、ちょうどその頃。所謂、サブカル雑誌といわれるものだ。買ったことのある雑誌を列挙する。『ガロ』、『宝島』、『STUDIO VOICE』、『ロッキングオン』、『ローリングストーン』、『ウィークエンド・スーパー』、『UFO』、『面白半分』、『話の特集』、『噂の真相』、 『本の雑誌』、『遊』、『現代思想』、『ユリイカ』、『カイエ』、『批評空間』、『Switch』、『芸術倶楽部』、『美術手帳』、『新宿 PLAYMAP』、『FMレコパル』、『GORO』、陰部に墨が塗られた『月刊プレイボーイ』等々。その前に『you』という『面白半分』を過激にした雑誌があったのだが、覚えている人がほとんどいない。



『BRUTUS』創刊号 平凡出版 1980年刊。『POPEYE』卒業生のビジネスマン向けの雑誌。ヘリで登場するなんとかクリニックみたいなイキった写真だが、実際はエコノミックアニマルと言われ「24時間働けますか」なんてCMが流れていた猛烈社員全盛時代。過労死も多かった。時代は日航123便、プラザ合意、バブル、バブル崩壊、30年に渡る不景気の時代へと進んでいく。その背後にはアメリカのジャパンハンドラーズの影が常にあった。
 編集デザイン事務所の近くにBEAMSがあったのでウェアはそこで買うことが多かったが、デッドストックの店もあり利用した。スーツはワイズ・フォーメンを愛用していた。グルメの仕事も多く1年で2キロずつ太っていき最終的には15キロ太り色々なダイエットに失敗した最後にブックスダイエットでやっと痩せた。ダイエットも大変だったが、十数年後に発症した化学物質過敏症の方が致命的に大変だった。現在でも洗剤、シャンプー、石鹸、歯磨き、化粧品などは決まったものがありそれ以外は使えない。



『HOT-DOG PRESS』創刊号 講談社 1979年刊。『POPEYE』に続けと講談社から出たコラムマガジン。微妙にテイストが違うのが面白い。ゼロハン特集など少し田舎臭いところが『POPEYE』について行けない若者の心を掴んだ。アンデスのインカ文明の特集が目を引く。バックパッカーの中にはアンデスに興味を持つものが少なからずいた。私もそのひとりだった。アメリカのハイスクール特集など、『POPEYE』より対象年齢が少し若いのも特徴。



『BE-PAL』創刊号 小学館 1981年刊。それまで『山渓』、『岳人』などガチの登山雑誌しかなかったところに初めて出たアウトドア雑誌。アウトドアライフ・マガジンとある。本格的登山ではないトレッキングやハイキング、キャンプなどの特集が目新しかった。所謂アウトドアブームの先駆けとなった雑誌。野田知佑さんのコラムは好きだったが、電通社員とつるんで傍若無人のアウトドアもどきをする椎名誠はあまり好きではなかった。私がよく通った店だが、『さらば国分寺書店のオババ』は面白かったが。彼の様な目にあったことはなく、みすず書房とかのレアな本が手に入る私にとっては貴重な書店だった。



『Olive』創刊号 平凡出版 1982年刊。なぜ女性誌と思われるかも知れないが、当時の私はビブリオマニア(bibliomania)だった。強迫神性障害の一種で、社会生活もしくは当人の健康に悪影響を及ぼすほどの書籍収集ないし本の強迫的ホーディングをおこなうもの。 蔵書癖、書籍狂、蔵書狂、愛書狂などといわれる。まあほどなく覚めたが。『anan』の読者より若い層向けの雑誌。ライターは女性だが、編集長はじめ編集者が男ばかりだからからかなんとなく男目線の記事が多い。男が知っていてとか男が喜ぶとか今ならボツになること間違いない気持ち悪い言葉が出てくる。ただ10代女子のコラム・マガジンはなかったので次第にファッションやライフスタイルの道筋をつけたことは間違いない。80年代後半に、私は女子大生起業家と女子高生を集めてシンクタンクを作ったことがあった。そう、当時のティーンの雑誌や流行を作っていたのは、30代のおじさんが主だった。



『anan』さよならアンアン号 平凡出版 1982年刊。創刊は1970年。廃刊ではなくテンデイズ・マガジンとして1日11日21日と月3回発刊される雑誌に変わるというお知らせの号。金子リサ、大橋 歩、原田 治、堀切ミロ、マギー・ミネンコ、秋川リサ、結城アンナとか懐かしい。対象読者は今でも20、30代だろうけど最初の読者達はもう70、80代。今と違いモデルは皆外国人。
 美大生時代に私は友人たちと集英社の『non-no』でアルバイトをしていた。スタジオにA子さんの部屋を作る作業。雑誌ブーム時代で時給は良かった。深夜まで作業が続くと国立までのタクシー代が出た。作業の終わりに編集長が編集者やスタイリストだけでなくアルバイトの我々も呼ばれて高級中華料理屋で打ち上げをした。いい時代だった。



『MORE』創刊号 集英社 1977年刊。フランソワーズ・サガンのインタビューが巻頭に来るなど単なるファッション誌ではなく読み物も多かった。読者は、お洒落で知的好奇心が強い大人の女性というイメージ。ファッションページのモデルは皆外国人なのはこの時代の特徴。15ページに及ぶモロッコ特集も充実している。五木寛之と渡辺淳一の連載小説など相当力が入っている。後年、妻がイラストの打ち合わせで集英社に4歳の息子を連れて行ったら、紅茶とケーキを出してくれたそうだ。林真理子の子連れ出勤反対のアグネス論争なんてのもあった時代。この頃に比べればずいぶん良くなったが、それでも日本の女性の地位はまだまだ低い。



『クロワッサン』anan famille 創刊号 平凡出版 1977年刊。ふたりで読むニュー・ファミリーの雑誌とある。ファッション雑誌やカタログ雑誌ではなく、ライフスタイル雑誌。読むところが多い。「ファッションショーに挑戦してみました」とか「男のための育児学」とか。読者目線の記事が多い。「クロワッサンとは?」というのが巻頭記事になるほどクロワッサンが一般的ではなかった。



『South America on a Shoestring』lonely planet 1983年版。オーストラリアのバックパッカーのカップルが書いたガイドブック。1983年当時、南米の詳細なガイドブックは日本には無かった。銀座のイエナ書店だったか神保町の古書店だったか忘れたが見つけて買った。右4ページはアマゾンのマナウスのガイド。ホテルや旅行代理店の位置を書き込んだ。インターネットもない時代にこれは貴重な情報源だった。しかし、フレンドリーな宿主とあって行くととんでもない人種差別主義者で、中国人と間違われて追い出された。グリンゴの書いたガイドブックにはたまにこういうことがある。欧州だろうが南米だろうが一人旅をしていて人種差別に一度も遭わないということはまず無い。ただ南米の場合は、特にブラジルの場合は日系人のお陰で良く見られることの方が多い。



『RIO DE JANEIRO』 観光案内所に行くと無料有料で色々なガイドブックや地図がある。この地図はジャバラ式になっていて、見たいところを下に折るとその地域だけ見ることができるという優れもの。凡例も直感的で分かり易い。右は投宿した高層アパートのあるコパカバーナ海岸と上にイパネマ海岸の地図。リオでの最大の思い出は、フラメンゴとサントスの試合をマラカナン・スタジアムに見に行ったこと。
 1983年当時ブラジルは軍事政権だった。そこにおいて詳細な地図というのは軍事機密。詳細な天気予報もそう。テレビの天気予報が広大な国なのに実に大雑把だった。そのためアマゾンの詳しい地図を探して私が買ったのはアメリカの空軍のものだった。ガイドブックはブラジルに『GUIA QUATRO RODAS』というメジャーなものがあり買い求めた。現在は超高解像度のカメラが人工衛星に搭載されているので地図が機密情報とはいえなくなった。



『São Paulo』 サンパウロはブラジル最大の都市で人口1200万人。セントロだけでも山手線の内側ぐらいあるので全体を把握するのは難しいが、ガルボンブエノ通りの東洋人街(旧日本人街)を中心に覚えるといい。ピンク色に塗ってあるのがそれ。投宿したペンション荒木もそこにあった。リオ同様に大都市は治安が非常に悪い。大通りの一本裏へ行くとストリートギャングがたむろしている。書き込みはホテルやペンション、ボアッチなど。旅行記に書いたがビエンナーレ美術展は非常に面白かった。



『オーパ』日伯毎日新聞社 サンパウロのレジャー誌。イベント、ホテル、レストラン、ディスコ、ボアッチ(ボワッチ)、サッカークラブ、アウトドアなどの情報が掲載。ボアッチは自由恋愛ができるナイトクラブ。記事に「最近は働く女性に昼はセクレタリーや学生といった人達が増えているが、彼女達は実に明るく割り切っていて、すれていない」とある。「モーテル繁盛記」とあるがブラジルのモーテルは日本と同じ。友人がサンパウロに着いてタクシーの運転手に安いホテルを紹介してくれと。着いて部屋に入ったらシャンデリアと丸いベッドと大きな鏡が四方にあったという。ベッドはスイッチを押すとミラーランプと一緒に回ったそうだ。そこはモーテルだった。回転ベッドは日本製だったという。



『アドベンチャー アマゾン』松坂 実 マリン企画 1983年刊。ナマズや熱帯魚の研究者でナマズ博士と呼ばれる。アマゾン探検家。本書はおそらく初めてのアマゾンのガイドブック。熱帯魚の専門家なので内容や写真はナマズなどが中心。熱帯の巨大魚を狙うアングラーにとっては待望の書であった。氏とは最初の南米帰国後にあるアウトドアライターを介して知り合った。あるプロジェクトのために人が集められ何度か会合を持った。残念ながらそれは実現しなかったが。今は天国の大河で巨大ナマズと闘っているだろう。
  上の段の写真はアマゾンやパンタナルで捕れる大ナマズ。大ナマズは30センチのナマズを餌に釣る。1000種類以上のナマズがいる。下段はアマゾンの船旅と美しい小都市サンタレン。右は記事ではなくベレンの店の広告。私も全て訪れたことがある。ナイトクラブ赤坂には知っている顔がいて驚いた。



 南米だけではないが様々な紀行書など。色々な意味でアマゾンに魅せられた人は少なくない。紀行文は古くても面白いし、ガイドブックは古くなると歴史の記録にもなる。住んでいる人住んでいた人の書籍では、旅人では経験できない現地の生々しい情報が盛りだくさん。民俗学的にも文化人類学的にも興味が尽きない。

この記事は、モリモリキッズ・スペシャルからの抜粋です

★​30数年前のアマゾン新婚旅行​。妻が描いた某大手新聞の小学生新聞の記事画像。Saudade de meu amor.(妻女山里山通信):イラストルポ。スラップスティック・ハネムーン。

■​​モリモリキッズ メインブログ​ ー信州妻女山里山通信ー​。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』:メッセージはこちらから。

■​「国分寺・国立70sグラフィティ」​ムサビの美大生時代に村上春樹さんのジャズ喫茶でアルバイトしていた当時のフォトエッセイ。世界中からアクセスがあります。ロンドンに5週間住んでいて、Queenのフレデイ・マーキュリーの恋人のメアリー・オースチンが勤めていたBIBAの店で当時の私の恋人が彼女からジャケットを買った話。70年代の美大生の赤裸々な生活が読めます。

インスタグラムはこちらをクリック
ツイッターはこちらをクリック

YouTubeはこちらをクリック。米子大瀑布、絶滅危惧種のナミルリモンハナバチ・キバネツノトンボ・北信流など。これからどんどんアップしていきます。
もう一つの古いチャンネルはこちら。76本のトレッキングやネイチャーフォト(昆虫や粘菌など)、ブラジル・アマゾン・アンデスのスライドショー
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イボタノキにウラゴマダラシジミ、イチモンジチョウ、ウスバシロチョウ。ショッキングピンクのシモツケ咲く。変形菌のタマツノホコリ(妻女山里山通信)

2025-06-07 | アウトドア・ネイチャーフォト
■21年間(私は20年目)続いたこのgooブログが、11月18日に閉鎖されます。早速、FC2にこれまでの記事をすべて移しました。9月末まで両方に同じ記事をアップします。10月からはFC2だけになります。こちらをクリックで見られます。モリモリキッズ」。  

 イボタノキが咲き始めたと虫仲間からの情報で山へ。梅雨入り前の貴重な晴れの日なので早朝から洗濯三昧の後で出発。イボタノキといえばウラゴマダラシジミ。ただイボタノキはそこら中にあるので三ヵ所ほどに絞って登りました。下界は30度でしたが山上は23度。ただ少し蒸し暑い。

 やっと一頭見つけたウラゴマダラシジミですが止まらない。待っても待っても止まらないのです。やっとイボタノキの中の方に止まったところを撮影。撮影できたのはこのワンカットだけ。3時間ほどねばったのですがシャッターチャンスは二度と訪れませんでした。幼虫の食草はイボタノキ。成虫もイボタノキやクリで吸蜜するので、その近くで見られることが多い蝶です。

 イボタノキで吸蜜するイチモンジチョウを発見。表に出てきてくれないかなあと念じます。

 イチモンジチョウ(一文字蝶)アゲハチョウ上科タテハチョウ科。幼虫の食草は、スイカズラ科のスイカズラやタニウツギ、ヤブウツギなど。妻女山山系のものは、オレンジ色の斑紋がありのですが、これは擦れてほとんど消えています。

 イボタノキで吸蜜するウスバシロチョウ。交尾を終えてスフラギスをつけたメスを探したのですが出会えませんでした。この後、白い大きな蝶が来て止まりました。すぐに飛び去ったので撮影も捕獲もできなかったのですが、特定外来生物の春型の白いアカボシゴマダラだったかも知れません。近年妻女山山系でも見られるようになり生態系が壊れると危惧しています。

 イボタノキ(水蝋樹)はウラゴマダラシジミの食草です。

 イボタノキにカイガラムシの仲間のイボタロウムシが樹皮に寄生し、白いロウ状物質であるイボタ蝋が取れ、家具の艶出しとか薬とかに利用されてきました。

 オオカバフスジドロバチ。竹やすき間などに泥で巣を作り、煙突状の入口をつけるハチ。そんなわけで陣場平入り口のインセクト・ホテルにも竹筒を置いたのですがお気に召さなかったようで。青虫や蜘蛛を食べる狩蜂の一種です。

 シモツケ(下野)バラ科シモツケ属。別名は、キシモツケ(木下野)。シモツケの葉は、卵形や披針形ですが、シモツケソウの葉は掌状に5~7に深裂します。シモツケソウは、バラ科シモツケソウ属。どちらも葉の縁に鋸歯があります。

 シモツケの花のアップ。ショッキングピンクが森の中でも際立って目立ちます。しかし、吸蜜に来る昆虫は少なめ。

 ヒメキマダラセセリ。ビュンと素早く飛んでいく小さなセセリチョウ。ウツボグサやアザミで吸蜜しますが、今はどちらもない。何で吸蜜しているのでしょう。獣糞も吸います。

 陣場平。今日はサンコウチョウの鳴き声はしませんでした。ハルゼミとエゾハルゼミの合唱が凄かった。中国原産のガビチョウの鳴き声も煩い。近年異常に増えてきて心配です。

 貝母(ばいも)の実は次第に種が大きくなってパンパンに膨らんできました。茎は枯れていますが実に水分は吸い上げているので倒れません。種が枯れて弾けるのは梅雨明け後です。

 山蕗の葉にヤマトシリアゲ。2億5000万年前のベルム期から生息していた古い起源の昆虫。青虫や毛虫を捕まえて体液を吸います。

 伐採された丸太にタマツノホコリ(玉角埃)ツノホコリ科ツノホコリ属。ツノホコリの変種。別名は、タマサンゴホコリ。ツノホコリに似ていますが、子実体は蜂の巣状。担子体は群生し、外生胞子を作る変形菌はツノホコリ属のみです。

「ブラジルへの郷愁」レヴィ=ストロース 川田順造訳 みすず書房。文化人類学、また構造主義におけるバイブルのひとつ(妻女山里山通信)
 『アマゾンひとり旅』を掲載中。■ブラジル料理を2回に渡って掲載。ブラジル音楽も。最近大流行りの南米文学(ラテンアメリカ文学)の紹介。『百年の孤独』『族長の秋』『蜘蛛女のキス』など。■モリモリキッズ・スペシャル をクリック!!!

「村上春樹さんのピーター・キャットを中心とした70年代のクロニクル」 ムサビの美大生時代に彼のジャズ喫茶でアルバイトしていた当時のブログ。世界中からアクセスがあります。70年代の美大生の赤裸々な日々。ロンドンでQueenのフレデイ・マーキュリーの恋人のメアリー・オースチンが勤めていたBIBAの店で当時の私の恋人が彼女からジャケットを買った話など。

インスタグラムはこちらをクリック
ツイッターはこちらをクリック

YouTubeはこちらをクリック。米子大瀑布、絶滅危惧種のナミルリモンハナバチ・キバネツノトンボ・北信流など。これからどんどんアップしていきます。
もう一つの古いチャンネルはこちら。76本のトレッキングやネイチャーフォト(昆虫や粘菌など)、ブラジル・アマゾン・アンデスのスライドショー

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあり、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。
詳細は、
『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます

お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、ツイッターをフォローしてダイレクトメールを送ってください。gmailのurlをお送りします。その後フォローを外してください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

キバネツノトンボの産卵ラッシュは終わっていた。15個の卵塊を確認。ヤマホタルブクロ、ミヤマウグイスカグラ、エゴノキ。淡竹とサバ水煮缶(妻女山里山通信)

2025-06-05 | アウトドア・ネイチャーフォト
■21年間(私は20年目)続いたこのgooブログが、11月18日に閉鎖されます。早速、FC2にこれまでの記事をすべて移しました。9月末まで両方に同じ記事をアップします。10月からはFC2だけになります。こちらをクリックで見られます。モリモリキッズ」。  

 キバネツノトンボの産卵ラッシュが見られるのではと登りましたが、なんと終わっていました。前々日は一時豪雨でかなり降りました。前日は午前中は曇り、午後は晴れたのですが強風でこれは産卵はないなと思って登らなかったのですが。どうやら風が止んだ夕方に一斉に産卵したようです。意表を突かれました。

 数えると卵塊の数は15ありました。ピンク色のものも少しあったので今朝産んだ個体もいたようです。

 途中で二重に産み付けていますが、下から産んでいってこのままだと穂先まで行ってしまうなと思って一部二重に産み付けたのではと考えています。穂先はこの先枯れると開いて落ちてしまうので。

 強風で真横に倒れた茎にも産んでいます。一本の茎に3匹で産んでいるものもありました。次は幼虫が出てくるところを撮影できると嬉しいのですが。タイミングが難しい。

 ヤマホタルブクロ(山蛍袋)が咲いています。

 ヤマホタルブクロの花の中。父は子供の頃にホタルを入れて遊んだことがあると話していました。

 ヤブヘビイチゴ(藪蛇苺)。イチゴはそれ自体は偽果で痩果(そうか)。本当の果実は表面の粒々。無毒ですが無味無臭。中国では、ジャモ(蛇苺)といい全草を熱、咳、のど、痔の薬。抗がん活性作用もあるらしい。

 エゴノキの残花。実にはエゴサポニンが含まれ有毒です。白い吊り花がたくさんうつ向いて咲く姿は慎ましく美しい。

 ミヤマウグイスカグラの赤い実。甘く美味しいのですが、これは多雨のせいか水っぽい味でした。

 カモガヤ。メリケンカルカヤの隣に群生地があるのですが、キバネツノトンボはこの茎には産卵しません。長野県の小学生の花粉症の7割がこの花が原因とされています。有害帰化植物です。

 足元に小さなニホンアマガエルが。近づくと逃げるのではなく背中を向けます。回り込むとまた回って背中を向けます。

 妻女山展望台から北アルプス。この冬は積雪が多かったのですが白馬三山も雪が消えてきました。右手前は茶臼山。その右奥は虫倉山。里山の緑もずいぶん濃くなりました。

 松代方面。根子岳と四阿山はほとんど雪が消えています。

 信州は淡竹(はちく)の季節。北信の高い山では根曲がり竹、里山では淡竹。アクが少なく調理しやすい。サバの水煮缶詰と味噌汁、若竹煮、天ぷら、肉詰めフライ、中華おこわなどに。

「淡竹の中華おこわ」。うるち米:1合、もち米:1合、豚こま:150g、淡竹:100g、人参:1/3本、切り干し大根:少々、長ネギ:少々、えのき茸:少々、スナップエンドウ:3つ、干しエビ:少々。材料をゴマ油で炒める。調味料:中国醤油、鶏ガラ出汁、味醂、酒、臭豆腐、五香粉、キビ糖、塩。

「淡竹と鯖の水煮缶詰の味噌汁」。とにかく淡竹は採ってきたらなるべく早く茹でること。保存は冷凍で。材料は、淡竹、サバの水煮缶詰、タマネギ。今回はオリジナルで酒粕を入れました。体にもよくコクが出ます。

「ブラジルへの郷愁」レヴィ=ストロース 川田順造訳 みすず書房。文化人類学、また構造主義におけるバイブルのひとつ(妻女山里山通信)
 『アマゾンひとり旅』を掲載中。■ブラジル料理を2回に渡って掲載。ブラジル音楽も。最近大流行りの南米文学(ラテンアメリカ文学)の紹介。『百年の孤独』『族長の秋』『蜘蛛女のキス』など。■モリモリキッズ・スペシャル をクリック!!!

「村上春樹さんのピーター・キャットを中心とした70年代のクロニクル」 ムサビの美大生時代に彼のジャズ喫茶でアルバイトしていた当時のブログ。世界中からアクセスがあります。70年代の美大生の赤裸々な日々。ロンドンでQueenのフレデイ・マーキュリーの恋人のメアリー・オースチンが勤めていたBIBAの店で当時の私の恋人が彼女からジャケットを買った話など。

インスタグラムはこちらをクリック
ツイッターはこちらをクリック

YouTubeはこちらをクリック。米子大瀑布、絶滅危惧種のナミルリモンハナバチ・キバネツノトンボ・北信流など。これからどんどんアップしていきます。
もう一つの古いチャンネルはこちら。76本のトレッキングやネイチャーフォト(昆虫や粘菌など)、ブラジル・アマゾン・アンデスのスライドショー

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあり、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。
詳細は、
『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます

お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、ツイッターをフォローしてダイレクトメールを送ってください。gmailのurlをお送りします。その後フォローを外してください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

キバネツノトンボの驚愕の産卵シーン。なんとメリケンカルカヤではなくニガナで産卵。コミスジの日向ぼっこ(妻女山里山通信)

2025-05-28 | アウトドア・ネイチャーフォト
■21年間(私は20年目)続いたこのgooブログが、11月18日に閉鎖されます。早速、FC2にこれまでの記事をすべて移しました。9月末まで両方に同じ記事をアップします。10月からはFC2だけになります。こちらをクリックで見られます。モリモリキッズ」。  

 久しぶりの五月晴れ。そろそろキバネツノトンボの産卵が見られるのではと妻女山へ。しかし、産卵場所を探して飛び回っているメスはたった1匹です。産卵に適したメリケンカルカヤ(米利堅刈萱)を探してあちこち止まってはみるもののなかなか満足するものは見つからない様子。で、あるニガナの茎に止まりました。疲れたので休憩かなと思っていたら、なんとそこで産卵をし始めました。

 こんなことは初めてです。今まで止まり歩いていたメリケンカルカヤは全部気に入らなかった? 面白い個体です。ただメリケンカルカヤがない場合は、緊急避難的にニガナやブタナなど他の植物に産卵することもあるそうです。
 16都道府県でレッドリスト(絶滅危惧種)に指定されている希少なキバネツノトンボ(黄翅角蜻蛉)。メリケンキバネツノトンボはトンボの仲間ではなく、アミメカゲロウ目ウスバカゲロウ科ツノトンボ亜科の昆虫です。

 お腹を曲げて右、左と順番に産み付けていきます。曲げるのがきつくなると少し上に登ります。

 最初はとっ散らかっていますが、やがてきれいに整列して産めるようになります。

 卵が産み付けられる瞬間。卵は茎に接着するための粘液でコーティングされています。

 疲れたのか少し休んでいます。

 すぐに産卵を開始しました。少しずつ腹部が痩せていきます。

 茎の上部を見るとメリケンカルカヤではなくニガナだと分かります。上部にには黄色い花が咲いています。

 上のカットの続きなのですが、反対側ではなく同じ側のさっき産んだ卵の下に産み付けています。上の茎が二股に別れていて上に登れなくなったからでしょうか。卵の数に対して尺が足りなかったようです。なんだかどじなお母さんです。

 もうひとつ産んだところで翅を広げました。産卵終了の合図です。しばらくこのまま休んでいて飛び立ちました。その後5mぐらいの高さをホバリングしたり飛び回ったり。これは虫を捕食する行動です。産卵してお腹がすいたのでしょう。結局、10分かかって57個の卵を産みました。平均は60個から80個ぐらい。最高は120個という個体がいました。いずれにせよ全員初産で産婆さんもいないし全部ひとりでやらないといけないわけで、野生の動物は皆そうですが、偉いなって思います。
 産卵は、メリケンカルカヤが密集しているところや日陰の茎には産卵しません。似ているカモガヤは茎に葉が巻き付いていて太いので産卵しません。撮影は一箇所でしていますが、生息はメリケンカルカヤがある数カ所で確認しています。

 ニガナの花に小さなハナアブ。花が10ミリぐらいなので5、6ミリの小さなハナアブ。未同定。

 同じくニガナで吸蜜するミナミヒメヒラタアブのオス。極小で動きが速いので撮影が大変ですが、まず存在に気がつくのが難しいのです。

 やはりニガナで吸蜜するウスバシロチョウ。止まっている茎が細いので何度かずり落ちながら必死に吸蜜していました。今年はウスバシロチョウの発生も少なめです。春が寒かったためか、食草のシロヤブケマンの生育が悪かったためか。

 日向ぼっこをするコミスジ。近寄るとすぐ逃げるので気配を殺してゆっくりと近づきます。気温の低い日が続いたので久しぶりの日向ぼっこが気持ちよさそう。

 サンショウ(山椒)の実が大きくなりました。お椀一杯ほど採取。採取には皮の手袋と枝を引き寄せるフックが必要です。コウナゴと煮物にします。山椒のピリッとした爽やかな風味とコウナゴの濃いめの出汁がよく合います。

 積雲が発達して少し夏めいた空。夕方から曇り空で週末はまた雨になる予報です。

 善光寺平は「麦秋(ばくしゅう)」の季節。小津安二郎監督の名画『麦秋(麥秋)』を思い出します。

■麦秋(ばくしゅう) 小津安二郎監督  原節子 笠智衆 淡島千景 三宅邦子 菅井一郎 東山千栄子 杉村春子 1951年製作


■キバネツノトンボの産卵 2025【4K】:YouTubeでフルサイズでご覧ください。


「ブラジルへの郷愁」レヴィ=ストロース 川田順造訳 みすず書房。文化人類学、また構造主義におけるバイブルのひとつ(妻女山里山通信)
 『アマゾンひとり旅』を掲載中。■ブラジル料理を2回に渡って掲載。ブラジル音楽も。最近大流行りの南米文学(ラテンアメリカ文学)の紹介。『百年の孤独』『族長の秋』『蜘蛛女のキス』など。■モリモリキッズ・スペシャル をクリック!!!

「村上春樹さんのピーター・キャットを中心とした70年代のクロニクル」 ムサビの美大生時代に彼のジャズ喫茶でアルバイトしていた当時のブログ。世界中からアクセスがあります。70年代の美大生の赤裸々な日々。ロンドンでQueenのフレデイ・マーキュリーの恋人のメアリー・オースチンが勤めていたBIBAの店で当時の私の恋人が彼女からジャケットを買った話など。

インスタグラムはこちらをクリック
ツイッターはこちらをクリック

YouTubeはこちらをクリック。米子大瀑布、絶滅危惧種のナミルリモンハナバチ・キバネツノトンボ・北信流など。これからどんどんアップしていきます。
もう一つの古いチャンネルはこちら。76本のトレッキングやネイチャーフォト(昆虫や粘菌など)、ブラジル・アマゾン・アンデスのスライドショー

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあり、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。
詳細は、
『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます

お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、ツイッターをフォローしてダイレクトメールを送ってください。gmailのurlをお送りします。その後フォローを外してください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする