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信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

久しぶりに冬の里山を歩いて出会ったもの達(妻女山里山通信)

2014-01-25 | アウトドア・ネイチャーフォト
 日差しも出て暖かくなりそうということで、久しぶりに妻女山へ。運動不足解消も兼ねて、高速のトンネル前に車を置き麓から登ることにしました。展望台までは北面なのでカーブには凍結した雪が。しかし、昨年のような大雪が一度もないので、日当りのいい路面は乾燥しています。空はどんよりして日が射して来る気配がありません。信濃の春はまだまだ遠い。

 妻女山松代招魂社には、積雪はほとんどありませんでした。拝殿の背後にある小さな本殿の修復が終わり、崩れていた石柱も奇麗に並んでいました。戊辰戦争で犠牲になった48柱です。奥の駐車場から右の林道を登ります。長坂峠北面の林道は、写真の通り根雪が凍結しています。道を横切る様にニホンカモシカやタヌキなどの足跡。積雪がもっとあるとアニマル・トラッキングも楽しいのですが・・。長坂峠を超えると南面はほとんど雪がありません。写真の右にある榎の樹下では、オオムラサキの幼虫が越冬しているはずです。今年もたくさん羽化してくれるといいのですが。

 長坂峠を右に行くと斎場山(旧妻女山)ですが、今日は左へ。軽トラックの轍がずっと続いていましたが、ハンターのものです。単独なら山鳥でしょうか。通るルートを知っているならひとりでもイノシシも狩れます。川中島合戦で、上杉謙信が七棟の陣小屋を築いたと伝わる陣場平では、落ちた信濃柿を食べに来たタヌキの足跡と、この辺りをテリトリーとしているニホンカモシカの足跡がありました。白膠木(ヌルデ)の実がたくさん空にあり、雪上にはこぼれた黄色い種がたくさん落ちて雪を染めていました。

 秋に妻女山里山デザイン・プロジェクトの面々と椎茸栽培のために伐採したコナラとクヌギを見に行きました。西面にはヤマコウバシがたくさん。不思議と東面にはないのです。ヤマコウバシは、新緑が出るまで落葉しない不思議な樹木です。そして、その先の今は亡きKさんのログハウスへ、昨年の12月初旬以来の訪問です。

 荒れていないか心配だったのですが、強風がなかったためか奇麗でした。それでも落葉松の枯れ葉が吹き込んでいたので掃除しました。主が亡くなってから、このログハウスは時が止まったままです。壁にかかった時計は動いていましたが・・。カケスが威嚇でしょうか、盛んにギャーギャーと鳴いていました。

 この季節山を彩るものといえば、ヒヨドリジョウゴとガマズミ、コバノガマズミの赤い実ぐらいです。ガマズミは食べる鳥もいますが、ヒヨドリジョウゴは有毒なのでいつまでも残っています。アオツズラフジも有毒なので残っています。有毒といっても少量ならば漢方薬にもなるのです。そこが閾値のない放射性物質との決定的な違いです。放射性物質は、どんな少量でも有害で薬なんぞにはなりません。

 リョウブの冬芽も少し膨らんでいます。穴の開いたウスタビガの繭を見つけました。中には乾涸びた幼虫が残っていました。おそらく寄生蜂か寄生蠅にやられたのでしょう。右の繭は無事に羽化できたようで、空でした。以前蛹が入ったウスタビガの繭を玄関に飾っておいたら、ある夜に羽化してしまい、10センチはある大きな蛾を見つけた家人が大騒ぎをしました。羽が乾くのを待ってそっと外に放してやりました。

 ガマズミを撮影中に一眼カメラを持った女性が登って来ました。話すととても鳥に詳しい人でした。これは面白いと陣場平とログハウスに案内しました。この冬は、渡りのアトリの群れ等がまだ全く見られないと言っていました。確かに昨年の今頃には見られた群れが全くいません。ウソも見ていません。雪がないこの冬の気象のせいか、放射性物質のせいか。
 展望台に戻ると、善光寺平は標高700mぐらいのところまで、地上から靄(もや)に覆われていました。2011年3月14日に福島第一原発の3号機が核爆発を起こし、史上最強の猛毒プルトニウムが飛散し、放射性プルームが流れた日と同じ光景だと、震えが来ました。
 ニホンカモシカの親子に出会えないかなと楽しみにしていたのですが、今回は遭遇できませんでした。積雪時には、雪の中で立ったまま反芻する、アオの寒立ちと言われるシーンも見られるのですが・・。上杉謙信槍尻ノ泉まで下ると、長坂峠付近から銃声が三発。尾根筋なら山鳥ではないでしょう。イノシシが出たのかなと・・。狩猟期は、目立つ格好で。ホイッスルも忘れずに。撃たれたら洒落になりません。
 パノラマ写真は、妻女山(旧赤坂山)展望台から望む善光寺平(川中島)。左に戸隠連峰と戸隠富士と呼ばれる高妻山。右に大きく見える長野市民の山、飯縄山。その手前に見える波形の屋根の右では、長野パルセイロのホームとなるサッカースタジアムが急ピッチで建設中です。試合当日には、この妻女山まで歓声や応援の太鼓が聞こえて来るでしょう。

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烏帽子岳と浅間山の見える千曲川河川敷でジェイソン・パーティー(妻女山里山通信)

2014-01-13 | アウトドア・ネイチャーフォト
 K氏の依頼で、ストーブの薪にするため千曲川の河川敷でニセアカシア、和名ハリエンジュ(針槐)の伐採をしました。ジェイソン・パーティーは、2011年12月以来です。今回は、伐採地が上田の更に向こうの大屋の対岸のため、6時半起きで準備。7時にK氏が迎えに来た時の気温は、なんとマイナス6℃。他二名を拾って、ワゴンとトラック、ユニックで現場に着いたのが9時少し前でしたが、気温はマイナス4℃。寒風はないものの、曇り空で厳寒の中での作業開始でした。

 チェーンソーは全部で5台。他に枝打ち用の鉈(なた)や手ノコなど。伐採するハリエンジュは17本ぐらい。他に雑木が数本。とりあえず端から伐採して行きましたが、山藤のつるがからんで伐採した木が宙吊りで倒れないトラブルが発生。早速K氏が梯子をかけてつるがからんでいる枝を切断。見事に右側の伐採した木が倒れました。その後、川沿いで伐採していたN氏の木が受け口が小さすぎたためか楔(くさび)を打ち込んでも倒れないというトラブルが発生。小さい楔が折れるという事態に。私がしゃしゃり出て楔をなんとか外し、少し切り込んでもらってなんとか無事に倒しました。掛かり木など、伐採作業にトラブルはつきものですが、事故のない様に慎重に作業を進めました。

 伐採が終わると枝打ちと玉切り。ストーブのサイズに合わせて45センチに切って行きます。ハリエンジュは北米原産で、明治初期の1873年に薪炭材や寒冷地の緑化木・街路樹などの目的で導入されたのですが、特に河川敷で異常に繁殖し問題となっています。本来生えていた柳などが淘汰されてしまいました。写真に写っている河川敷の木や、河川敷に面した里山の斜面は、ほとんどがハリエンジュです。この木は非常に硬く粘りがあり切りにくいのです。耐久性があるため、土留めや枕木、木釘、船材、スキー板などに使われました。現在は養蜂家の重要な蜜源ともなっています。この玉切り作業と刺だらけの小枝の始末は、結構大変でした。どんよりと曇っていた寒空は、いつの間にか晴天になり、作業をしていると汗ばむほどになりました。対岸には頂上付近だけ雪を冠った烏帽子岳が。おやつに、K氏が持って来た賞味期限切れの戸倉上山田温泉の名物・六文銭温泉まんぢうを焼いて食べましたとさ。

 昼は薪ストーブで湯を沸かし、カップラーメンとK氏の作った米のおにぎり。時間がもったいないので、簡単に済ませました。この薪ストーブは移動式なのですが、よく燃えてなかなかの優れもの。昼食後は、玉切りした丸太をトンバッグ(フレコンバッグ・コンテナバッグ)に入れてつり上げ、ユニックに積み込みます。合計8袋になりました。更に別のトラックに直径3~10センチの細い枝を積み込み、午後3時に作業を終了。真ん中のカット、クレーンの右向こうに浅間山の外輪山の黒斑山と右に剣ヶ峰。間にわずかに浅間山が見えます。空はいつの間にか雲に覆われ、気温も2、3度に。材を満載したトラックを一路千曲市へと走らせました。材を下ろして作業終了。その後は冷えた体を温めに戸倉の「万葉温泉」へ。充分に暖まった後は、千曲市のなごみ処 雅家にて楽しい可笑しい慰労会となりました。しかし、寒空の下、事故もなく無事に作業を終えられたことがなによりでした。この河川敷の放射能汚染は低いのですが、薪を焼却した灰は濃縮するので処理に注意が必要です。

 ハリエンジュは、葉、果実、樹皮は有毒なので、新芽も食べるべきではありませんが、花だけは食用になります。花序ごと天ぷらにしたり、香りの強いアカシア酒がおすすめですが、ちょっと白粉臭いかも。写真のハリエンジュは、変種で刺のないものですが、種がこぼれて成長したものは、刺があるようです。ハリエンジュは、マメ科で、窒素固定できる根粒菌と根で共生しています。そのため荒れ地でも旺盛に巣立つのです。また、アレロパシー(他感作用)があり、放出される化学物質が,他の植物や微生物に何らかの影響を及ぼして、他の在来植物を圧迫する原因となっている様です。いずれにせよ、ここまで他の植物を駆逐して河川敷や里山に大量に繁殖すると、生態系の破壊にもつながるので、伐採もやむを得ないだろうと思います。花言葉は、「慕情」「親睦」「友情」「優雅」「頼られる人」なんですけどね・・。

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大波乱の予感がする新年に、杏の里の古刹へ(妻女山里山通信)

2014-01-03 | 歴史・地理・雑学
 喪中のため、神社への初詣は控えて杏の里の古刹、信濃三十三番札所第六番「洗渕山観龍寺」へ行きました。坂上田村麿が東征の際の草創で、かの川中島合戦の時にも山陰にあったため兵火を逃れたという古刹です。本尊は、藤原初期のものと言われる榧(かや)の一木造り十一面千手観音菩薩座像。

 観龍寺の駐車場からは、杏の里を見渡すことができます。薄雪に覆われた山麓は、花の季節とは違った趣があります。時折吹き付ける強い北風に、向かいの尾根から雪煙が立ち上っていました。茅葺きの観龍寺は、戦国時代の川中島合戦において、山陰にあったため、武田の戦火を免れたという言い伝えがあります。本道の両脇には、昔味噌や醤油を作るときに大豆を炊いた大きな釜が置かれ、防火用水が入っています。訪れる人もほとんどなく閑寂としていましたが、周辺は長野の自然百選に選ばれており、特に花の季節はおすすめです

 そこから見える杏畑の中の大槻(けやき・つき)を見に行きました。推定樹齢600年の古木です。中央の一番太い主幹は、随分前に折れたようで、その他にも折れた太い枝がいくつもありますが、樹勢は衰えてはいないようです。枝も見事ですが、根の張りのもの凄さに圧倒されます。

 杏は、冬芽が膨らんでいました。杏の枝は艶があって、冬の日差しに光っていました。次に周遊道路を巡って西側の薬師山展望台へ。南の眼下には、天才・立川流内匠二代和四郎富昌の「子持龍」の山門で有名な大城山興正寺があります。展望台からは、薄雪を冠った大峯山と鏡台山が見えます。大峯山と鏡台山の間には、倉科と森の沢山を結ぶ林道芝平樽滝線があり、杏の里を起点としてループのサイクリング・コースが組めます。林道からは、杏の里全体が俯瞰できる場所が一カ所あり、花の季節には必ず訪れています。杏の里を出て、古代科野国の初代大王の墓といわれる森将軍塚古墳を見上げながら、戸倉上山田の万葉温泉へ向かいました。

 温泉で暖まって帰路へ就くと前方左に雪を冠った西山、右に雪のない東山。たった数キロ西と東に分かれた同じ様な低山なのですが、これだけ雪の状況が異なるのです。今年はまだ一度も大雪にはなっていませんが、一月中旬過ぎから二月中旬までの間に、幾度か大雪に見舞われるのではないかと予想しています。今年は、なにか大波乱が起きる予感がします。細心の準備をしておいた方がいいでしょう。

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