モリモリキッズ

信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

レモンのウィスキーマーマレード

2007-02-19 | 男の料理・グルメ
子供の頃、祖母がよく夏みかんのマーマレードを作ってくれました。甘くてほろ苦いマーマレードは、それ以来の好物なのです。特にウィスキーマーマレードが大好きなのですが、どうも市販のものは甘すぎて苦味が足りない。お子様味。

そんな折り、先週末に特大レモンを3ついただいた。別に特別な品種というわけではなく、本来レモンは育つとソフトボールぐらいの大きさになるのだそうだ。いただいたものは、大きいものが直径12センチぐらい。3つで1300gありました。

どうして食べようかと思っていたときに思い出したのがウィスキーマーマレード。作ってしまえとなったわけです。二日がかりとなりましたが、仕上がりは上々。苦味のきいた大人味のウィスキーマーマレードができました。市販のザワークラウトのビン3本分ができました。早速「アオサン」のカンパーニュにつけていただくとバカ旨。ほぼ理想の味でした。

マーマレードは、ジャムの一種ですが、果実の採れない北ヨーロッパ、特に英国で発達しました。最初にマーマレードを売り出したのは、イギリスのDUNDEE社で、1797年。日本に本格的に入ってきたのは明治以降でしょうか。市販のものを使う場合は、輸入物はポストハーベスト農薬が心配なので、国産の有機栽培のものを使うといいでしょう。

さてこのマーマレード。パンに塗ったりヨーグルトと合わせるばかりでなく、料理にも使えます。特に豚肉との相性がよろしい。スペアリブやソテーや煮込みにもピッタリ。また中華料理には陳皮の代わりに使うと美味です。「東坡肉(トンポーロー)」や「梅干菜扣肉(メイガンツァイコウロウ)」に合います。連れはなにやら新作のケーキを作ると言っています。

レシピは、MORI MORI RECIPE(モリモリ レシピ)レモンのウィスキーマーマレードをご覧ください。
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「ど」と「甲越信戦録」

2007-02-13 | 歴史・地理・雑学
どぶろくを頂きました。その名も「ど」。実に明快で簡潔な名前です。元々は「どぶ」だったそうですが、某行政機関からこれではどぶろくそのものではないかとクレームが付き、「ど」と改名に至ったとか。まあ、どぶでは何か臭ってきそうで不味そうですから「ど」でいいのでしょう。どぶろくは濁酒、または獨酒と書きますが、日本酒(清酒)の醸造の中途段階のもろみを搾っただけの、白く濁った酒。澄んだ清酒に対してそう呼ばれるわけですが、歴史は相当に古いようで、三世紀ごろには既に作られ祭礼用に使われていたようです。

今は、酒造免許がなければ、どぶろくは作れませんが、昔は、どこの農家でも自家用のどぶろくを作っていたものです。私の実家もそうだったと聞いています。また酒造免許も持っていたので、明治・大正時代には葡萄酒を作って売ってもいたそうです。昔のように酒税が国の税金の主なるものではないのですから、自家用にどぶろくを作るぐらいは法改正して認めてもいいのではと思います、酒造も庶民の文化ですから。

さてこの「ど」ですが、秋田の地酒蔵、白瀑(しらたき)の大ヒット商品らしいです。なるほどまず芳香がすばらしい。五月の水田を分けて吹き抜ける爽涼な風という感じでしょうか。濃い割には飲み口がすっきりしてキレがあります。なにより発砲しているので喉ごしが軽やか。気が付くとくいくいと何倍も飲んでしまいます。

肴ですが、やはり濁り酒なので白身の刺身よりは、もっとこってりした物が合いそうです。桜鍋なんかはピッタリでしょう。やや甘めの濃い味付けの料理が合いそうです。タラコや貝ひもの甘辛く煮付けたものなんかもいいでしょう。これからは苦味のある山菜も最高ですね。

さて、そんな「ど」をちびちびやりながら、買ったばかりの戦国哀歌川中島の戦い「甲越信戦録」岡澤由往訳 龍鳳書房を読み始めました。この書は、江戸後期、文化七年(1810)以降に、信州は川中島地方の者によって書かれた著者不明のものです。いわゆる史書ではなく戦記物語です。それ故史料としての価値は低いのですが、読み物としては非常に面白く優れたものなのです。

その底には、戦乱に巻き込まれて犠牲になった多くの里人や兵士達への鎮魂の重いが流れているからだと思います。大河ドラマや戦国小説は、戦国大名を英雄として扱い美化しますが、その実像は、欲にまみれ非情な残虐さを持ち合わせたものであったはず。また、地元に住む者でなければ分からない地名などの細かな記述や、伝承が書かれていて、それも興味を惹かれるところです。大河ドラマとは異なる山本勘助についての記述も面白い。しかし同時に、上杉謙信、武田信玄両雄共に12年にもおよぶ長い無益な戦い(有益な戦いがあるかは疑問ですが)を続けたことによる信濃人民の疲弊と絶望は、想像するに計り知れない奈落の底へと突き落としたに違いないと思うのであります。

著者は、-平和の尊さと、戦争の空しさ、人を思う心の大切さを現代の世相と重ね合わせて、ぜひ感じ取っていただければと願い、稚拙な現代語訳文を綴った次第である。-と前分の最後に書いています。

川中島合戦の舞台となった妻女山や清野氏の鞍骨城などについては、モリモリキッズのフォトドキュメントをご覧ください。
コメント (4)
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