モリモリキッズ

信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

厳寒の中で手作り信州味噌の仕込み。自家栽培大豆に高級黒大豆の味噌も。激旨の昼食(妻女山里山通信)

2018-01-28 | 男の料理・グルメ
 厳寒の週末は、仲間たちと栽培した大豆と黒大豆で味噌の仕込みをしました。もちろんどちらの豆も自家栽培です。最低気温がマイナス11度! S氏の外の温度計はマイナス16度だったとか。最高気温も氷点下。皆防寒対策を万全に整えての作業です。日本人の最も大事なソウルフードが味噌。遺伝子組換え大豆がまかり通る中、ささやかな抵抗です。実際、この味噌をもらった人からは、絶賛の嵐が届いています。食品添加物もなく保存料もなく、一口食べれば誰でも分かるほどやさしい味で美味です。
味噌は血圧を上げるの嘘。味噌の血圧上昇抑制効果。[マルコメ]

(左)前の週から豆を洗浄したり茹でたりの作業を交代で夜に行いました。これは仕込みの前夜に大豆と黒大豆を茹でているところ。薪の火力は偉大です。ガスではこうはいきません。食べて美味しいところまで茹でて、熾き火を残して帰ります。朝には指でつぶれるほど柔らかくなっているはずです。(中)翌朝。凄いです。最低気温マイナス11度なのに熾き火だけでまだこんなに湯気が出ているのです。充分に柔らかくなった大豆をザルにとって水気を切ります。(右)こんな感じです。このまま食べても美味です。納豆菌を交ぜて保温すれば、極旨の納豆ができます。もちろん豆乳や豆腐や湯葉も。豆腐ができたら油揚げや厚揚げもできます。酢大豆もいいですね。

(左)これを蔵王という名称の豆磨り潰し機にかけます。(中)こんな感じで出てきます。(右)で、10キロの大豆に6キロの塩麹を交ぜます。もちろん塩麹も手作りです。

(左)これをこれをグニュグニュと混ぜ合わせ捏ねていきます。(中)混ざったら丸めて仕込みバケツに叩きつけます。(右)こんな感じで叩きつけ、空気を抜きます。大豆の仕込み作業は午前中いっぱいかかりました。

(左)お待ちかねの昼餉。鍋は私が作ったブラジル豆(フェジョン・プレット)の煮込み。このブラジル豆も自家製です。ニンニク、タマネギ、合いびき肉、ウインナーソーセージが入っています。豆は半分潰します。フェジョン・コジードといってブラジル人のソウルフードです。大好評。右下はこれも私が作った信州産豚バラ肉と人参、玉葱、占地、大蒜をデルモンテの濃厚リコピンリッチのトマトジュースで煮たシチュー。赤ワインも入ってます。これが大好評。左下のS氏が夢力で作った自家製パンと食べると馬鹿旨でした。(中)で、メインディッシュ?は、私が採ってきたクリタケとムキタケにもち豚のバラ肉と自家製長ネギ、信州人のソウルフード・ビタミンちくわを今回の黒大豆の煮汁で昨年作った手前味噌で味付けした煮込みうどん。残念ながら昨年の様にK氏が自家製の幻の小麦イガチクオレゴンでうどんをうっている時間がなかったので買ってきた地粉のゆでうどんでしたが、これも超絶美味。A氏手作りの醤油豆を加えると箸が止まりません。(右)食品添加物フリーだし、放射能もおそらく大丈夫でしょう。畑はガイガーカウンターで測っています。昼食が美味しすぎて食べすぎたので夕食はほぼパスしました。

(左)午後はいよいよ黒大豆の味噌の仕込みです。いやあ色が味噌の色じゃないです。モンブランみたいにも見えるし…。(中)材料もこんな色。(右)なんか味噌というよりはあんこかなという感じです。

(左)黒大豆の皮が入っていますが、ポリフェノールがたくさん入っているので、これは最強の健康味噌になるでしょう。(中)近所のお婆ちゃんから譲り受けた機械なんですが優秀です。アタッチメント作ればソーセージ作れるかなと仲間が。スペイン語圏でチョリソー、ブラジルではリングイッサですね。私は血のソーセージが大好きなんですが日本ではなかなか入手できません。スペインではモルシージャ、フランスではブーダンノワール、イタリアではサングイナッチョ、ドイツではブルートヴルスト、沖縄ではちーいりちー、韓国はスンデといいます。できるかな。(右)で、私は大豆味噌を14キロ、黒大豆味噌を12キロ持ち帰りました。味噌蔵で保存します。夏頃には新味噌として食べられるようになります。特に今回はじめて作った黒大豆がどんな味になるのか楽しみです。大豆味噌とのブレンドもいいと思います。焼きおにぎりにしてみたいですね。鮎の味噌焼きなども美味しそう。手作り味噌で作る味噌汁は格別ですが、味噌ラーメンも馬鹿旨です。塩分のとり過ぎと思うう方もいるでしょうが、味噌汁は30%の減塩効果があるとか。塩分が不足すると大変なことになります。それ以上に危険なのが砂糖。上白糖って日本にしかないのを知っていますか。私は甘みが欲しいときは、100%沖縄のサトウキビの黒糖か、麦芽糖、純正蜂蜜しか使いません。砂糖は最も有害な食品のひとつです。調べればすぐに分かります。

 翌日、所要のついでに茶臼山動物園の北口下から撮影した善光寺平、川中島です。手前は林檎畑。手前は篠ノ井の市街です。少し右奥は真田十万石の松代。中央奥の山は根子岳と四阿山。左奥は志賀高原の山々。

 望遠カット。幹線道路は塩カルが撒かれているし除雪されているので積雪はありませんが、ちょっと脇道に入ったり橋の上などにはアイスバーンがあります。どんな高いスタッドレスでも危険。妻女山への道は溶けてアイスバーンになった上に薄雪があるのでスタッドレスでも危険です。また雪を屋根に乗せたまま走るのは後続車の事故を誘発したり、フロントグラスに雪が落ちて視界ゼロになるので絶対にしてはいけません。長野県の条例違反です。
 冬の信州に車で来るときは、スタッドレス、車の雪かき、融雪スプレー(ダイソーの手動スプレーがお得)、いざという時の毛布や寝袋、非常食が必須です。雪国をなめたらあかんぜよ。死にますよ。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
 インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。長野県シニア大学や自治体などで好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。大学や市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。


にほんブログ村 写真ブログへ にほんブログ村 写真ブログ ネイチャーフォトへ にほんブログ村 アウトドアブログへ にほんブログ村 アウトドアブログ ハイキングへ にほんブログ村 歴史ブログへ にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

名宮大工棟梁・大隅流柴宮長左衛門矩重の木彫再訪。必見! 千曲市戸倉の水上布奈山神社(妻女山里山通信)

2018-01-20 | 歴史・地理・雑学
 昨年の大晦日に千曲市戸倉にある水上布奈山神社(みずかみふなやまじんじゃ)に参拝しました。その記事はすでにアップしましたが、普段は施錠されてシャッターの隙間からしか見られない本殿が中まで入って間近で見られるという貴重な機会だったので、大きな画像で再掲することにしました。本殿は国の有形重要文化財ですが、この見事な木彫は本当に宝であり、残念ながら現在はこのレベルの技術を持った人はいません。
 最初の訪問は、昨年の3月でした。諏訪大隅流柴宮長左衛門矩重 (しばみやちょうざえもんのりしげ)の見事な木彫に圧倒されましたが、同時に中に入って全部を見たい衝動に駆られました。今回それが叶ったわけです。
 前回の訪問記です。
名宮大工棟梁・大隅流柴宮長左衛門矩重の木彫が圧巻! 千曲市戸倉の水上布奈山神社(妻女山里山通信)

 境内は二年参りの用意がされていました。茅の輪も。二年参りというのは、信州や新潟の風習で、東京にはありません。拝殿の裏手に覆屋に保護された本殿があります。江戸時代初期に北国街道の下戸倉宿が慶長八年(1603)に設置された時に、諏訪大社から祭神を勧請して創建されました。

 本殿は一間社流造ですが、やはり目を引くのは圧倒的な量の見事な木彫です。その後、1789年(寛政元年)に現在の本殿が建立されました。諏訪大社下社春宮建立は安永九年(1780)ですから、その9年後の作品なんですが、立川流に評判で負けた彼を奮起させたのでしょうか。この木彫は本当に素晴らしいものです。特に形態の抽象化、曲線で表現されるものを直線化したりする表現手法をどこで会得したのか、編み出したのか非常に興味があります。

 木鼻の貘(ばく)と獅子。貘の荒ぶる体毛は迫力があります。
 柴宮長左衛門矩重(1747〜1800)は、諏訪郡普門寺村(現諏訪市)の生まれで、諏訪下社春宮幣拝殿及び左右片拝殿をはじめ、10棟余の社寺を建てました。諏訪下社春宮以外の代表作は、この水上布奈山神社と塩尻の北熊井諏訪神社でしょう。

 脇障子上の上り龍。反対側には下り龍。ため息が出るほど素晴らしい。

 右側の海老虹梁(えびこうりょう)の見事な飛龍。これを一本の欅(けやき)から彫り出してしまうのですから。

 四方にある木鼻はいずれも貘と唐獅子。その上にある虹梁を支える斗栱(ときょう)。側面を飾る木彫も見事です。最上部には唐獅子、下には波と亀。

 左側の海老虹梁(えびこうりょう)の飛龍。一度でも木彫をやった方は分かると思いますが、木彫は木目を読まないと彫れません。造形も制限されます。もちろん石彫にも石目がありますが。この木彫を見ると驚愕せずにはいられないのです。それを誤ると簡単に欠けてしまいます。それを波を重複させたりして補っているのが分かります。

 非常に複雑な木組みに圧倒されます。設計図はあるのですが、現在のように厳密緻密なものではありません。いわゆる現場合わせの技術が高度だったのでしょう。

 蘇鉄と兎(うさぎ)。やけに耳が短いので狸か狐かと思いました。面白いモチーフです。縁の下にあります。

 これも前の縁の下にある唐獅子二頭。

 後ろは唐獅子と鶏。鶏(酉)は神社と深い関係があります。天照大神(あまてらすおおみかみ)が 天岩戸に隠れた時、鶏の声や人の賑やかさに戸を開けたといいます。鶏のその功績により「神鶏(しんけい)」とされ、神様の使いとされるようになったといわれています。

 縁の下には二枚の木彫。上は鷹に松と竹ですが、下の花はなんでしょう。古代史に出る有名な花。ガガイモではなさそうで。なんでしょう。

 もう一枚の木彫。残念なのは反対側の二枚の木彫がないのです。おそらく盗まれたのでしょう。残念なことです。

 左右は脇障子の木彫。竹林七賢人。中は脇障子上の下り龍。正面扉の左右の脇羽目には、中国,唐代の隠者,詩人である寒山と拾得(じっとく)が彫られています。中国江蘇省蘇州市楓橋鎮にある臨済宗の寺・寒山寺に伝わるものです。写真は前回の記事をご覧ください。
寒山拾得は、日本人の琴線に触れるものがあるのでしょう。様々な絵師が描いています
   一たび寒山に住みて 万事休す
   更に雑念の心頭に掛かることなし
   閑(しず)かに石壁に於いて詩句を題し
   任運なること還(ま)た 繋がざる舟に同じ(寒山)

   君見ずや三界の中(うち) 紛として擾擾(じょうじょう)
   只だ無明(むみょう)の了絶せざるが為なり
   一念不生にして 心 澄然(ちょうぜん)なれば
   去(きょ)無く 来(らい)無く 生滅(しょうめつ)せず(拾得)


 神社の由緒と説明。塩尻の北熊井諏訪神社もいずれ参拝したいと思います。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
 インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。長野県シニア大学や自治体などで好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。大学や市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。


にほんブログ村 写真ブログへ にほんブログ村 写真ブログ ネイチャーフォトへ にほんブログ村 アウトドアブログへ にほんブログ村 アウトドアブログ ハイキングへ にほんブログ村 歴史ブログへ にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

その美しさから「見返りの塔」と呼ばれる大法寺の国宝三重塔。佐良志奈神社。国楽館戸倉ホテル(妻女山里山通信)

2018-01-08 | 歴史・地理・雑学
 3日は息子達と分かれて青木村の国宝大法寺三重塔へ向かいました。前夜に雪が降ったので雪景色の三重塔が撮影できるかなと思ったのです。昨年の春に梅が咲き始めの頃に訪れて以来です。
その美しさから「見返りの塔」と呼ばれる大法寺の国宝三重塔へ(妻女山里山通信)2017.4.2
 大法寺の縁起や歴史、三重塔の珍しい構造については、詳細に記している上のリンクの記事をご覧ください。なぜ見返りの塔と呼ばれるほど美しいのか。その完璧に近い美しさの秘密は。北条氏が庇護した塩田平の栄華。

(左)南面はかなり溶けていました。(中)背後に回るとこんな感じ。(右)美しいシルエット。

 北北西からのカット。逆光で完璧に近い美しいシルエットが浮かび上がります。

 北北東からのカット。雪が溶けて現れた檜皮葺の質感と雪の対比が面白い。この位置から撮影すると、左後方に借景として夫神岳が入るのがいいですね。

(左)溶けた雪が雫となって屋根の中央から幾筋も落ちています。その音も情緒があります。(中)日本刀の切っ先の下のカーブを連想させる美しく鋭いライン。(右)観音堂越しに見る塩田平。奥に拙書でも紹介している独鈷山が見えます。なかなか厳しい山で、冬には滑落死亡事故も起きています。軽アイゼン以上の装備などが必要です。

 地衣類のウメノキゴケがついた桜の枝越しに三重塔。木の体温と太陽の力で雪はどんどん溶けていきます。ウメノキゴケは排気ガスなどに弱く、環境の良さを測るバロメーターになります。

(左)境内の石像。(中)境内に登る石段。(右)参道にある羅漢石像。酒を酌み交わす二人。

(左)参道にある羅漢石像も雪をかぶっています。母子像とか色々あるので探してみましょう。(中)大法寺本堂。(右)内部。
大法寺ホームページ
青木村の国宝大法寺三重塔のページ
大法寺ウィキペディア

 大法寺から143号に出る途中で撮影した子檀嶺岳(こまゆみだけ)。拙書の表紙になっている山です。ルビが振ってなければとても読めない山名ですが、拙書ではその由来や歴史を記しています。やはり冬季は冬山の装備が必要です。狭い山頂の南面が100m以上の崖なので転落しないように注意。

(左)上田アリオへ向かったのですが、間違って右折してしまったのでそのまま麺屋蕪村へ。濃厚鶏白湯鰹出汁のバランスの良い美味しいラーメンでした。次はあご出汁麺を八幡原の向かいにある篠ノ井店で食べてみましょう。(中)戸倉上山田温泉の八王子山の北側にある佐良志奈神社。(右)茅の輪くぐり。左回りに八の字を書いて厄除け祈願をします。茅の輪といいますが、笹竹だったり杉の葉だったりと、神社によって様々です。
 拙書の冠着山(姨捨山)へ登る佐良志奈神社コースは、ここが出発地点です。
姥捨山スライドショー。(妻女山里山通信)佐良志奈神社コース(通称鳴海新道)を鳴海さんと登ったスライドショーです。

(左)変わって6日は「国楽館 戸倉ホテル」で吉例の新年会。高校の同級生が主人なので色々とわがままも効きます。(中)陶板焼きに鯉こく、蕎麦に刺し身に天ぷらに茶碗蒸し、この後大きなブリのカマ焼きがつきます。(右)昭和レトロな旅館です。今時部屋に鏡台やダイヤル式の電話がある旅館などそうそうありません。お風呂は源泉なので最高です。地下には卓球室もあります。

(左)国楽館の玄関。(中)玄関上の木彫。誰の作でしょうね。(右)千曲川堤防の上から望む、左に五里ヶ峯と右に村上義清の葛尾城跡。両山とも拙書で歴史やコースを詳しく紹介しています。今年も六文銭まんぢうと干支の茶飲み茶碗をもらって帰りましたが、もう3周ぐらいしていますね。

 帰りにホームグラウンドの妻女山(旧赤坂山)に立ち寄りました。二名ほど鞍骨山へ向かった様です。中央に茶臼山。右奥に虫倉山。左奥の白馬三山は雲の向こう。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
 インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。長野県シニア大学や自治体などで好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。大学や市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。


にほんブログ村 写真ブログへ にほんブログ村 写真ブログ ネイチャーフォトへ にほんブログ村 アウトドアブログへ にほんブログ村 アウトドアブログ ハイキングへ にほんブログ村 歴史ブログへ にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

元旦の初詣は、長野市安茂里の犀川神社へ。2日は真田幸隆昌幸の長谷寺。真田信綱の信綱寺。真田横尾神社。肉うどんの中村屋(妻女山里山通信)

2018-01-07 | 歴史・地理・雑学
   あけましておめでとうございます

 元旦はゆるゆると起きて初詣は犀川神社へ。私がこの神社に興味を持ったのは、祭神が大山咋命(くいのみこと)だからなんです。『古事記』では、須佐之男命の子・大年神が、天知迦流美豆比売(あめちかるみずひめ)を娶って生まれた子と記しています。信州の神社は、諏訪大社に象徴される様に圧倒的に諏訪系、つまり出雲系の神社が多いのです。犀川神社と同じ伊勢系の神社は、近隣では千曲市松代藩が庇護した御神事で有名な雨宮の雨宮日吉神社がその系統です。
「旧久保寺の氏神、祭神は大山咋命(くいのみこと)。天安2年(858)月林寺の鎮守として日吉山王が此の地に祀られたのではないかと伝えられてきた。日吉山王社と呼ばれてきた。文政7年(1824)社号を犀川神社と改称。祭日は4月30日、5月1日、7月26,27日、9月21,22日」(長野市のサイトより)
犀川神社 秋季例大祭 杜花火 長野県長野市安茂里 平成28(2016)-09-21
■01A 犀川神社(小西組)の神楽屋台 (長野市安茂里)

(左)旧大町街道の小路を歩いて山門へ。参道は今では生活道路になっています。狭いです。(中)犀川神社。上にリンクした秋の例大祭の太々神楽(だいだいかぐら)と杜花火はもの凄いです。伊勢系の神社ですね。(右)善男善女が列を作って初詣で。お守りとミカンをいただきました。

(左)犀川神社境内図。南方熊楠が猛反対した合祀令の結果でしょうね。(中)境内から見る風景。元旦恒例の小学生のマラソン大会がありました。(右)神社近くから望む善光寺平。北陸新幹線の向こうに長野市南部の山が霞んで見えます。

(左)昼は幻の小麦、イガチクオレゴンのうどんを塩皮鯨の出汁で汁を作り、辛味大根をおろしていただきました。写真の夕食は、塩鮭と白菜や天然キノコに青大根のおろしを添えた雑煮。ナマコの酢醤油。蕗味噌。野沢菜漬け。石川県の天狗舞の山卸廃止仕込の純米酒。(中・右)在京時代からわが家では、元旦の夜はウィーンフィルのニューイヤーコンサートを聴くのが習わしです。ラデツキー行進曲が流れる頃には、そうとうお酒が回っています。

(左)翌日2日は真田の真田幸隆と昌幸の墓がある長谷寺(ちょうこくじ)へ。(中)招き猫のおみくじ。昨年は右手を上げたもので大吉でした。今年は左手を上げたやや大きいオス猫で末吉。精進しましょう。(右)本堂内部。

(左)本堂裏手の墓所。(中)説明看板。(右)五円玉を六文銭に見立てて奉納。

 中央が真田幸隆の墓。左がご婦人。右が昌幸の墓。諸行無常会者定離。

(左)次は幸隆の兄で長篠の戦いで討ち死にした真田信綱の信綱寺へ。馬頭観音。(中)黒門。(右)歴史の丘。

 真田三代ゆかりの地 歴史の丘。上田市がめちゃくちゃ頑張って作った公園なんですが、知名度は低くいつ訪れても人影はまばらです。真田フリークのみなさん、ぜひ訪れてください。

(左)信綱寺手前の建造物なんですが、鐘楼でもないし今ひとつなんなのか分かりません。(中)本堂。(右)常香炉の上の獅子の像。

 真田信綱の墓所。

(左)近くの集落の中にある横尾神社。近くには横尾城跡(馬引城跡)もあります。(中・右)なかなか見事な木彫。

(左)上田電鉄真田傍陽線の橋の遺構。(中)伊勢山トンネルの遺構。(右)昼食は上田駅近くの肉うどんの中村屋へ。

(左)馬肉うどんと小天丼のセット。上田市民のソウルフードです。行列ができていました。馬肉だけの出汁は濃厚です。(中)帰って次男のスバルR1で買い物へ。大人の男三人が乗る車ではありません。しかしスバルが本気を出して作った軽自動車なのでいいですよ。(右)夕食は豚バラ肉を塩麹で漬けて、玉葱、人参、デルモンテの濃厚リコピンリッチで煮込んだトマトシチュー。大鹿村の鹿肉ソーセージと舞茸のソテー。チーズと長芋入りの卵焼き。フランスパン。チリのカベルネ・ソービニヨンなどなど。穏やかな正月でした。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
 インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。長野県シニア大学や自治体などで好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。大学や市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。


にほんブログ村 写真ブログへ にほんブログ村 写真ブログ ネイチャーフォトへ にほんブログ村 アウトドアブログへ にほんブログ村 アウトドアブログ ハイキングへ にほんブログ村 歴史ブログへ にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大晦日は鬼無里村の東京へ。賀茂神社春日神社と白髭神社。貴女紅葉の松厳寺。戸倉の水上布奈山神社(妻女山里山通信)

2018-01-05 | 歴史・地理・雑学
 大晦日はどこへ参ろうと話していたら、長男から鬼無里村の東京へ行こうと提案が。鬼無里に東京!? そうなんです。昨年の夏に遠山郷と大鹿村から帰る途中、東京の入り口の案内図を撮影しました。ちなみに読みはとうきょうではなく、ひがしきょう。
『日本書紀』に、天武天皇十三年(684年)に飛鳥から都を遷す土地を探すため、天皇が使者を遣わしたという記述があります。なぜ遷都を計画したのでしょう。私はその684年に起きた白鳳地震(天武地震、南海トラフ全域が震源域の可能性あり。 - M 8 1⁄4)と関係があるのではと考えています。日本最古の津波記録も残っているとか。
遠山郷の旧木沢小学校、大鹿村中央構造線博物館、鹿塩温泉山塩館、小渋ダム。大町エネルギー博物館、大町ダム、鬼無里の東京!?(妻女山里山通信
鬼無里村公式ホームページ
 村の概要(伝説・歴史・要覧)を読むとその歴史が分かります。

(左)東京公民館。(中)すぐ上に賀茂神社。(右)神楽殿。

(左)賀茂神社本殿。(中・右)狛犬。

(左)内部。左大臣右大臣の像があります。(中)御神木の見事な杉、斜めに生えているのは、やはり御神木のねずこ。(右)神社の鳥居の手前にある土蔵の鏝絵(こてえ)。能面なのは、やはり貴女紅葉の伝説からでしょう。

(左)下って西京の春日神社へ。鳥居をくぐると右に神楽殿。(中)本殿。(右)床下に面白い石がたくさんあります。基礎に使った玉石でしょうか。

(左)重要文化財の白髭神社へ。(中・右)狛犬。賀茂神社の狛犬と似ていますが、阿吽の獅子の位置が左右逆です。狛犬といいますが、本来は「獅子・狛犬」で、口を開けた阿の方が獅子なのだとか。左右を逆にするのは色々な説がある様です。

(左)白髭神社拝殿。後ろに本殿が安置された覆屋がありますが普段は見られません。(中)本殿の写真。(右)白髭神社御由緒。

 神社駐車場から見上げる戸隠連峰西岳の勇姿。

(左)貴女紅葉守護仏の寺院「凌雲山松巌寺」の山門。曹洞宗の寺院です。(中)本堂。(右)本堂の見事な木彫。本堂に入ると明治の天才宮彫師・北村喜代松の本が置いてありました。『谷の京物語 伝説の鬼無里』と共に買い求めました。車に財布を取りに行く際にご住職に出会ったので、本を頂きます。お金はお盆の上でいいですかと言ったら、いいですよと。たくさん本やお守りが置いてあるのですが、お金が置きっぱなし。大らかです。両者とも本当にいい本です。じっくり味わいたいと思います。

(左)荒ぶる波と亀。数十匹いるらしいです。一本の欅からこれを掘り起こしているわけです。葛飾北斎の影響を受けている様ですが、さらに鋭い感じがします。(右)木鼻の唐獅子と、右は毛が逆立っていて耳が垂れていないので象ではなく貘でしょう。色が他と異なるのは防腐剤を塗ったためと思われます。

(左)本堂内部。驚いたことに自動ドアです。(中)300年前の仏たち。木喰山居作。明暦元年(1655)〜亨保九年(1724)。(右)本堂には、紅葉伝説絵巻の絵がたくさん飾られています。

(左・中)鬼無里の貴女紅葉が、後に戸隠の鬼女に化身し、平維茂(たいらのこれもち)に退治されて、村の名が「水無瀬」から「鬼無里」に変わったという伝承があります。(右)国宝「童子切安綱」(脇差し・49cm)。平維茂が鬼女紅葉を討ったとされる刀です。

 南を見ると山姥伝説の虫倉山。神城断層地震で山頂が4割崩壊してしまいました。山姥伝説と貴女伝説はどこか通じるものがある様に思います。拙書でも登山コースを紹介していますが、いずれも南面です。北面のこの風景は新鮮なものがあります。低山ですが厳しい山です。

(左)406号を下って長野へ戻る途中に裾花ダムに立ち寄りました。事務所が閉まっていてダムカードはもらえませんでしたが。(中)ダム湖は凍っていました。(右)少し遅い昼は、松代の象山神社近くの娑羅樹庵へ。大盛り蕎麦。400グラムで息子達は余裕ですが、私には多過ぎ。手伝ってもらいました。薬味は辛味大根と葱だけ使い、山葵は使いません。濃厚な蕎麦湯を飲んで満足。昼に食べる年越し蕎麦でした。

(左)象山神社に参拝。(中)戸倉上山田温泉の万葉超音波温泉に入って立ち寄った水上布奈山神社。(右)大祓(おおはらえ、おおはらい)のための茅の輪。素盞鳴尊(すさのおのみこと)が旅の途中で、蘇民将来(そみんしょうらい)に世話になった故事に由来します。左回りで八の字に回って茅の輪くぐりをします。
名宮大工棟梁・大隅流柴宮長左衛門矩重の木彫が圧巻! 千曲市戸倉の水上布奈山神社(妻女山里山通信)
 前回は、扉が閉まっていてその隙間からの撮影でしたが、今回は開けられていて両側にある展望台や裏側もつぶさに見ることができました。本当に見事な木彫です。今回は説明抜きで写真だけをお見せします。







(左)途中の原信で刺し身を買いました。新潟のスーパーなので魚介類の新鮮さは他のスーパーの追随を許しません。そして牡蠣とキノコの味噌おろし鍋。味噌、青大根(中国大根)は自家製。私が採った天然ナメコとクリタケを入れて。柔らか小葱も地物。これは絶品です。(中)日本酒は次男が持ってきた秋田の地酒吟醸酒まんさくの花。(右)しめは私が買ってきた屋代の神尾の卵でおじや。美味しいんですよこの卵。特に初産みMSサイズ(小ぶりで濃厚)はすぐに売り切れてしまいます。長男が福井で買ってきた私の大好物、鯖のへしこ(へしこ工房 嵯峨)も超絶美味でした。そんなこんなで2017年の大晦日はゆるゆると新年へ向かっていったのです。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
 インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。長野県シニア大学や自治体などで好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。大学や市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。


にほんブログ村 写真ブログへ にほんブログ村 写真ブログ ネイチャーフォトへ にほんブログ村 アウトドアブログへ にほんブログ村 アウトドアブログ ハイキングへ にほんブログ村 歴史ブログへ にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岡谷の彌林山平福寺。釜口水門と『君の名は。』の聖地・諏訪湖。霧ヶ峰の絶景からの海野宿(妻女山里山通信)

2018-01-04 | 歴史・地理・雑学
 年末年始は、古社古刹巡り三昧でした。順にアップしていきます。まず30日は、東京から来る次男を長男と岡谷の真言宗智山派の古刹、彌林山平福寺で待ちました。雲一つないピーカンで、穏やかな日でした。
平福寺ホームページ

(左)駐車場にあった旧中仙道沿いの文化財の地図。(中)旧中仙道に面する平福寺。左に平福寺おひぎりさま会館。(右)山門の額は、弥林山と新字体。檀家の方が初詣の準備をしていました。信州では二年参りをする人が多いのですが、これは新潟と信州だけの言い方の様です。西日本では三社参りといって三つの神社に初詣する風習もありますし、東京でも初詣でとはいいますが、二年参りは聞いたことがないですね。

(左)「日を限って願掛けすれば、不思議にも聞き届けてくださる」ことで有名な「日限地蔵尊」が祀られる日限堂。大正十四年(1925)に現在の日限堂が建立。(中)鳳凰の宮彫り。(右)龍の宮彫り。諏訪立川流の流れを感じますが、宮彫氏は誰でしょう。

(左)本堂。高嶋藩主忠虎公(1663-1731)の帰依のもと、諸堂を建立、本尊金剛界大日如来を造顕し、悲願の復興を遂げたとあります。(中)鷹と松。(右)両脇の木鼻には唐獅子と象。諏訪立川流の初期の作でしょうか。友人の宮彫り研究家からメールが来ました。「驚いたことにほとんどすべてが長野市長沼の武田苞信(熊治)の彫物です。」ということです。大正から昭和になると諏訪の立川流、大隅流の後継者が育たず北信から宮彫師が出張したそうです。春宮の近くの宝光院、慈雲禅寺にも苞信の作品があるとか。これは意外でした。

(左)本堂にお参りします。ご本尊は、金剛界大日如来坐像。(江戸中期・桂材寄木造)【岡谷市文化財指定】(中)日限地蔵尊の分身、1000体が祀られる千体地蔵堂。2007年寄進。(右)日限堂に安置される地蔵菩薩立像(江戸期・桂材一木造)。写真に写っているのは前立本尊。ご本尊は普段は厨子に入る秘仏で、丑・未の歳に御開帳されます。

(左)ホームページにも解説がありませんが、日限堂左脇の一角。小さな仏像は、念持仏でしょうか。(中)七福神。(右)駐車場の北には弘法大師の像。

(左)次に向かったのは、諏訪湖の南西にある釜口水門。ここから天竜川が始まります。この橋の上は漁協の範囲外らしく、橋の上では大勢の太公望がワカサギを釣っていました。バケツいっぱい釣っている名人もいました。(中)諏訪湖から遠く八ヶ岳連峰を望む。湖面には薄氷があちこちに見られました。(右)釜口水門の脇にある「水の資料室」では、1936年(昭和11年)に竣工した旧水門の写真や洪水の写真、現在の水門の構造などが見られます。また、水門カードがもらえます。
釜口水門ウィキペディア
釜口水門管理システム

(左)旧釜口水門の一部が残っていて上に登れます。(中)昭和7〜9年に、旧釜口水門の建設に使ったアメリカ・オハイオ州のヘイト・ルート・ヒース社のガソリン4気筒水冷エンジンの機関車。約20台のトロッコを牽引したそうです。1924年(大正13年)購入の、当時としては最新鋭の機関車だとか。(右)昼は麺屋蔵人岡谷道場へ。私は蔵人焼き味噌らーめん 750円+味玉100円。鉄鍋で供されます。味噌どころ信州は味噌ラーメンが美味しい店が多いのですが、ここのも美味でした。

 釜口水門から望む八ヶ岳連峰の勇姿。美しい湖面ですが、ワカサギの大量死が起きたり、色々と問題も抱えているようです。世界でも人気の新海誠監督の『君の名は。』の彗星が落ちた糸守湖の舞台ともいわれる諏訪湖で聖地とされていますが、岐阜県の飛騨高山が舞台なのでその近くの湖ではという説もあるようですが、まあ両方を素材としたのではないでしょうか。二人の人物の間で記憶や人格が入れ替わるというのは、世界各地で例が報告されているそうですが、どうなんでしょうね。自我や己とは何かとかレーゾン・デートル(存在理由)を考えるきっかけになるかも知れません。私は老子の「無為自然」が好きですが、なかなか煩悩がそれを許しません。
 次に向かったのは、国指定重要文化財の片倉館。

(左)【国指定重要文化財】財団法人片倉館の千人風呂の建物。実際は100人ぐらいとサイトには書いてあります。(中)片倉館の大理石の柱。四隅が逆V字に彫られているのですが、これと全く同じものが平福寺本堂にありました。建築関係の次男や林業関係の長男が気付いたのですが、特に平福寺のものはルーターもない頃にどうやって加工したのだろうと不思議がっていました。またこの加工の様式名はなんていうのでしょう。(右)昭和3年当時の婦人浴室の写真。当時は混浴も普通だったとはいえよく撮影させてくれましたね。ちなみに男風呂の方は、こ汚いおやじがひとり横になっているものでした。
【国指定重要文化財】財団法人片倉館

(左)次に諏訪二葉高校の脇を登って40号を霧ヶ峰高原へ。スノーブーツに履き替えて車山はちょっと遠いので霧ヶ峰へ。(中)拙書でも紹介の蓼科山や車山、霧ヶ峰は信州のほぼど真ん中にあるので、条件が良ければほぼ信州中の主な山々が見られます。奥は中央アルプス。向こう側に歩くと伊那谷も見えます。(右)ここまでクリアに穏やかに晴れる日はそうないでしょうで、思わずガッツポーズ。後ろは北アルプス。

 霧ヶ峰から見る左に穂高連峰と右に槍ヶ岳。穂高はかなり強風が吹いている感じですね。右手前は鉢伏山でしょうか。手前は八島ヶ原高層湿原。ビーナスラインが見えます。

 魚眼レンズで撮影してみました。右端の白馬三山が雪雲の中ですが、北アルプスのほぼ全部が見えています。真上の空はプルシャンブルー。宇宙を感じさせる色です。右には美ヶ原の王ヶ頭も見えています。逆光にはなりますが、左には乗鞍岳、御嶽山も見えました。

(左)振り向けば左奥に拙書でも紹介の蓼科山。右手前に車山。(中)40号を白樺湖方面へ。途中のドライブイン霧ヶ峰富士見台からの富士山。積雪が最も多いのが4月、少ない黒富士は9月。(右)40号から152号大門街道を下って立ち寄った長門町道の駅に置いてあったダイハツの三輪トラック(オート三輪)。こんなひっくり返りやすいトラックがなぜ売れたか。ちょっと悲しい歴史がありました。

(左)最後は「日本の道百選」にも選ばれた海野宿へ。観光シーズンに訪れても静かなんですが…。それがここの魅力です。(中)近くの古民家からピアノの音が漏れてきました。(右)白鳥神社。この地の産土神社でもあると共に、海野氏、真田氏の氏神として祀られた歴史のある神社なんですが、派手な木彫もなく地味な佇まいです。日本武尊・貞元親王・善淵王・海野広道公の四柱を御祭神として祀っています。真田家が松代へ移封となり、白鳥大明神を松代へ分社し、安政五年、海野神社と改称しましたが、明治十三年、郷社に列格し白鳥神社と改称しています。ちなみに海野宿の社はしらとりじんじゃと読みますが、松代西条の社は本家に遠慮してしろとりじんじゃといいます。
海野宿サイト
白鳥神社公式ホームページ
 帰路につく途中で善光寺参りの精進落しの湯といわれる戸倉上山田温泉の万葉超音波温泉に入って温まって帰りました。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
 インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。長野県シニア大学や自治体などで好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。大学や市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。


にほんブログ村 写真ブログへ にほんブログ村 写真ブログ ネイチャーフォトへ にほんブログ村 アウトドアブログへ にほんブログ村 アウトドアブログ ハイキングへ にほんブログ村 歴史ブログへ にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする