モリモリキッズ

信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

妻女山展望台から善光寺平の冬景色(妻女山里山通信)

2017-12-29 | アウトドア・ネイチャーフォト
 慌ただしい師走の一日。買い物ついでに妻女山(戦国時代は赤坂山)展望台へ立ち寄りました。

 展望台から北の飯縄山(右)と戸隠連峰(左)。27日に降った雪は、善光寺平南部で10センチほど積もりましたが、翌日は晴れたので幹線道路の雪はほぼ消えました。ただ集落の中や林道にはけっこう残っています。雪かきの前に通勤の車が出ていくので、轍に圧雪が残り凍結しています。

 東方の松代とその向こうの東条にそびえる奇妙山。もちろん拙書でもその名前の由来や歴史を紹介しています。奥の根子岳と四阿山は雪雲の中。

 西方の茶臼山。右奥に虫倉山。北アルプスは雲の中。長野自動車道で大きな事故がありましたが、雪が降っていて積雪もあったそうで、時速は50キロ以下に制限されていたはずです。積雪があったら普通の信州人は、一般道は車間を開けて40キロ以下で走ります。ツルンツルンに凍結していたら30キロ以下。たいてい事故をおこすのは県外車ですね。スタッドレスは万能ではありません。ご注意を。それから長野県の条例では、車の上に厚く雪を載せて走るのは違反です。雪が滑り落ちて後続車が事故ったら間違いなく責任を問われます。急ブレーキをかけた場合はフロントグラスに雪が落ちて視界ゼロになります。車用の雪かきと融雪スプレーは必須アイテムです。ウィンドウ・シャワー液はマイナス30以下対応のものを。
 信州にお出かけの際は、長野国道事務所のサイト高速道路はドラぷらで確実な情報を収集してください。

 北北東の眺め。ホワイトリングとエムウェーブの右奥にそびえるのは、拙書でも紹介の地元ではたかやしろと親しまれる高社山。この山を境に南北で気候ががらっと変わります。山の向こうは飯山など日本有数の豪雪地帯です。
 では、良いお年をお迎えください。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
 インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。長野県シニア大学や自治体などで好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。大学や市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。


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クリスマス・イブにめぐる信濃国分寺と資料館、信濃国分寺跡。アリオ上田でエスカルゴと天狗舞山廃純米を(妻女山里山通信)

2017-12-27 | 歴史・地理・雑学
 在京時代から帰省の度にここを通っていたのですが、一度も立ち寄ったことがなく、よし行こうとクリスマス・イブの午後に車を走らせました。

 その前に妻女山で仲間とやっている椎茸のホダ木栽培を点検。その後で妻女山展望台へ。仁科三山。善光寺平は積雪のないクリスマスイブです。夕方から雨からみぞれの予報ですが、雨は夜更け過ぎに雪へと変わるのでしょうか。この記事をアップした27日は、大雪となりました。明朝はマイナス8.5度の予報。凍結が心配です。

(左)信濃国分寺の前にまず信濃国分寺資料館へ。(中)入館者は私一人でした。コンパクトですが非常によくまとまっています。撮影禁止の表示も見られなかったので撮影しました。ホームページでも展示物が見られます。縄文時代の土器。中期中頃。(右)中期の後期。縄文式土器は岡本太郎が絶賛しましたが、確かに生命の大らかで前向きな息吹きを感じます。縄文というのは縄で文様をつけたから。

(左)縄文時代の遺跡の説明写真と縄文時代の女性の想像画。しかし、縄文人は入れ墨をしていたという説もあります。(中)弥生時代に始まった米作の様子のジオラマ。(右)弥生時代の土器。左の人形が可愛い。

(左)古墳時代になると鉄器が出てきます。馬具ですね。実は縄文末期や弥生時代の遺跡からも出ているのですが、それは輸入されたものだといわれてきました。ところが弥生式土器を焼く温度で鉄が生産できることが分かったのです。砂鉄を使うたたら製鉄の前に鈴石や鳴石(鉄バクテリアの死骸)を使って製鉄する技術が大陸からもたらされていたのです。その歴史は、信州の方言で「ずく」として残っています。拙書のコラムで記した「みすずかる信濃の国の鉄バクテリアがずくを出す」をぜひお読みください。

(左)馬具ですが、これは金箔が貼られた豪華なものです。大陸から騎馬民族が来た事実が証明されます。(中)信濃の国造(こくぞう・くにのみやつこ)。初代科野國造は、『古事記』も記されている崇神天皇に任命された大和系の建五百建命(たけいおたつのみこと)。森将軍塚古墳がその墳墓といわれています。妻は斎場山の麓にある会津比売神社の祭神、会津比売命(あいづひめのみこと)。出雲系です。阿蘇氏系図に関しては、色々な説があるようです。古代科野国は、大和系と出雲系が結婚してできたのです。いずれも春秋戦国時代に古代中国から渡ってきた人々が縄文人と融合して新しい国造りをしたのでしょう。(右)弥生式土器の流れを汲む土師器(はじき)。より薄く、繊細になってきます。
古代科野国の初代大王の墓といわれる森将軍塚古墳の歴史検証(妻女山里山通信)

(左)現在の善光寺の手前に旧善光寺がありました。その本堂周辺から出土した軒丸瓦(レプリカ)。凸鋸歯文縁八葉弁連華文と線鋸歯文縁八葉弁連華文があり、白鳳時代(7世紀後半)創建のナラ県明日香村の川原寺出土の瓦によく似ているそうです。軒平瓦は、偏行忍冬唐草文。(中)金光明最勝王経・妙法蓮華経。聖武天皇は、天平9年(737)に国ごとに釈迦像と脇侍菩薩像を祀る詔(みことのり)、12年に七重塔建立の詔、13年に国分寺建立の詔を発しました。(右)僧寺と尼寺のジオラマ。

(左)別所温泉にある曹洞宗崇福山安楽寺の国宝の三重塔の構造模型。木造の八角塔としては全国で一つしかないという貴重な建築です。(中)銅製御正体(上田市真田町三島神社)。十一面観音坐像のレリーフ。平安時代後期(12世紀後半)の作で、白山信仰の本地仏として、山家神社内にあった白山寺に伝来したものと考えられています。(右)昭和7年(1932)に解体修理される以前の三重塔[左]と解体修理後の三重塔[右]。

(左)そんな奈良時代の庶民の家は竪穴式住居。狭い家に竈があり煙が充満するため眼病が蔓延しました。そのため目の神様・薬師如来を祀る寺院が各地に建立されました。(中)資料館の裏手の旧国分寺跡へ。僧寺金堂跡。敷地は約180m四方と大きなものです。敷地はしなの鉄道で分断されていますが、トンネルで行き来できます。(右)尼寺北門跡。

(左)歩道橋を渡って現在の国分寺へ。仁王門。(中)手水舎で身を清めます。(右)真田 徳川会見之地。脇の説明文を読むと、かなり具体的に書かれていましたが、終わりの方にそういうことがこの地であったとしても不思議ではないみたいな自信なさげな書き方をしていて思わず笑いました。

 信濃国分寺本堂。1月7日-8日に行われる「八日堂縁日」が有名で「八日堂」とも呼ばれます。現在は山号・院号はないのですが、江戸時代には「浄瑠璃山真言院国分寺」と号したそうです。現在の本堂は、文政12年(1829年)の発願で、天保11年(1840年)に起工、万延元年(1860年)に竣工されたものです。今回は、その造営に携わった宮彫師・竹内八十吉の木彫を撮影しました。---竹内八十吉は、文化12年(1815)生まれで、山嵜儀作の16歳年長になる。太郎山神社本殿正面八十吉は明治6年に上田市太郎山神社(太郎山の頂上付近)の彫工として参加した。棟札によると彫工の最初に竹内八十吉、善光寺妻科村彫工山崎儀三久、花岡巽、彫工後藤辰蔵とある。---(北信濃寺社彫刻と宮彫師より)

 木鼻の左右の木彫。獅子と象。思ったよりもずっと大きなものでした。ほぼ左右対称なのですが、よく見ると獅子の舌とか象の耳周りとか、左右で造作が少し異なります。日本人がシンメトリーを嫌うことについては、村上春樹さんの国分寺のジャズ喫茶ピーター・キャットでアルバイトをしていたことを綴った「国分寺・国立70sグラフィティ』の「ラプソディ・イン・国立。雨上がりの夜空に・・・」に考察を記しています。

 中央の鳳凰象。前後の羽も一本の欅材から彫り出しているわけで、超絶技巧です。

 その下の龍。圧巻です。

(左)本堂内部の額。なんて書いてあるのでしょう。(中)本堂の神鏡。(右)象の張りぼて。木鼻に日本にはいない獅子(ライオン)や象や貘をあしらうのが伝統です。

 三重塔。平安時代に国風化された正規の形式とされています。

 クリスマスイブの買い物にアリオ上田へ。好きなエスカルゴと正月に息子達と飲もうと、私が一番好きな日本酒・天狗舞山廃純米を買いました。屋上の駐車場から太郎山。太郎山神社の覆屋の中にある本殿の木彫も竹内八十吉作です。

 駐車場から見る塩田平の里山の夕日。左の三角は夫神岳(おがみだけ)。右の台形の山は、拙書の表紙にもなっている子檀嶺岳(こまゆみだけ)。なんでこんな山名になったかは、拙書を読んでいただくと分かります。寒くなって来たので温泉に入って帰宅しました。ロンリークリスマスは、タンシチューとエスカルゴとフライドチキンのハラペーニョソースにカベルネ・ソービニヨンのチリワインでした。クリスマスジャズを聴きまくりました(笑)。
 さて、今年のブログ更新はこれが最後かもしれません。この一年、ご高覧ありがとうございました。皆様よいお年を。新年はゆるゆると5日頃にアップするかもしれません。

上田市立信濃国分寺資料館
八日堂 信濃国分寺ホームページ
信濃国分寺wikipedia
信濃国分寺初詣でライブカメラ

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

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妻女山里山デザイン・プロジェクトの忘年会。牡蠣と黒大豆のおからと自家製味噌の鍋とイガチクオレゴンのおしぼりうどん(妻女山里山通信)

2017-12-13 | 男の料理・グルメ
 週末は、妻女山里山デザイン・プロジェクトの忘年会でした。毎回既製品ではなく、自家製のものや趣向を凝らした(時にやりすぎた)料理が並ぶのです。男どもが本気出すと始末におえません。さて今回のテーマはジビエだったのですが、多忙で事前の準備が整わず、臨機応変に行こうとなりました、さてどうなったでしょうか。結果をご笑覧あれ。

(左)お酒を飲むので長電バスで向かいます。千曲川と爺ヶ岳、鹿島槍ヶ岳。気温は氷点下。寒いです。べそをかきながら(泣きながら、えぼをつりながらという方言もあります)小学校に通った低学年の頃を想い出します。あのころはマイナス10度など普通でした。(中)知野じまん焼きの店。小さい頃はブウちゃん焼きを母が買ってきてくれました。数年前は鯛焼きを長男と買いに行きました。皮も美味しく少納言小豆を使ったあんこが絶品でした。閉店して数年が経ちます。(右)会場はK氏の農業倉庫。ゆるゆると準備を始めます。

(左)持ち寄った料理や酒を並べます。遠藤酒造の渓流のどむろく・姨捨正宗の純米酒・屋久島の芋焼酎・チリはコノスールのフルボディの赤ワイン・スモーキーフレーバーが癖になるスコッチウィスキーのティーチャーズにK氏が作ったシードル(林檎のみで作った本物のサイダー)。まずシードルで乾杯。長芋のソテー・野沢菜漬け・ぬか漬け・アラの煮物・カマンベールチーズ・生姜焼きとキャベツと我々が育てている椎茸の炒め物他。(中)たっぷりの牡蠣と長ネギと、私が持参したムキタケと黒大豆のおからと我々が仕込んだ麹味噌の鍋。馬鹿旨です。牡蠣以外は全部自家製。我々が作ったピーナッツの生を塩ゆでしたものもおつまみで。(右)薪ストーブがゆらゆらと燃えています。心が和みます。皆インテリジェンスが高く、それぞれ専門分野を持って探求しているので、非常に高度な会話が飛び交います。でも本質はただの飲ん兵衛だったりしますが。デザートにはリンゴ。

(左)主食は、イガチクオレゴンのおしぼりうどん。伊賀筑後オレゴン種の小麦は幻の小麦。うどん通ならぜひ一度は食べてみたいはず。これを食べずしてうどん通を名乗るなかれ。この大釜で茹でました。(中)漂白されていません。いい色です。(右)呑んでいるのでインスタ映えしないカットですみませんが、味は極上。ねずみ大根という激辛の地大根の絞り汁に自家製味噌を溶いていただきます。超絶美味です。信州でも旧埴科郡と旧更級郡でしか食べられません。長野市南部、千曲市、坂城町へおいでの節は、ネットでお店を探してぜひ召し上がってください。東京で食べられる店もあります。おしぼりうどんは、末永く元気にと元旦の昼にいただきます。年越し蕎麦もおしぼり蕎麦ですが、こういう風習を続けている家は、現在は少ないでしょうね。地大根の辛味大根には、信州地大根、ねずみ大根、戸隠地大根、灰原辛味大根、親田辛味大根などがあります。貴重な伝統野菜です。TPPに入ったらこれらの伝統野菜の栽培は違法になります。食文化が崩壊します。

 飲んだ後のおしぼりうどんは最高です。大根のジアスターゼで消化剤を一緒に食べているようなものです。辛いのですが甘みがあり、これを「あまもっくら」と表現します。ちょっと食べすぎたかも。私はニュージーランド産のラム肉を、自家製のタレに浸けてジンギスカンを作り持参しました。タレは、醤油、酒、味醂、大蒜*、生姜*、玉葱*、林檎*、柿酢*、胡麻油、檸檬汁、蜂蜜、白胡麻*、亡父の作った七味唐辛子*をブレンド(*は自家製かもらったもの)。市販のものよりさっぱりしていて味も複雑です。S氏は手作りのザワークラウトを持ってきたのですが、ザワークラウトマニアの私には絶品でしたね。これは私も作ろうと思いました。信州名産の野沢菜漬けは、家庭によって微妙に味付けが違うのです。それも面白いですね。野沢菜ですんき漬ができないかなと言われましたが、「すんきの種かすんき漬」があればできるんじゃないでしょうか。すんき蕎麦は大好きです。

(左)夕方にお開きになりました。やや千鳥足で師走の街を歩きます。でも都会のようにクリスマスソングはどこからも聞こえてきません。静かです。街角の楽器店。(中)屋代駅前の素朴なイルミネーション。派手なものは歴史館近くの公園にあります。(右)今回買った古代信濃考と善光寺関連の書籍。正月休みにゆっくりと読みます。加えて今回出席のK氏推薦の中田力「日本古代史を科学する」PHP新書をネットで注文しました。楽しみです。
「雨は夜更け過ぎに雪へと変わるだろう〜。」バスに乗ったら、屋代高校前から後輩の可愛い女の子が三人乗ってきました。今や県下でも最多の国公立大学合格者を出しています。少し話をしたのですが、頼もしいですね。酔った怪しいおじさんと思われても困るので、一応卒業生でムサビからエディトリアル・アートディレクター、デザイン・プロデューサーなどして、今は自然写真家や郷土史研究家をしていますと自己紹介も。凄い!なんて言われましたが、いやいやあなた達の方が、これから無限の可の可能性を持っているので頑張ってねと。とてもいい娘(こ)たちで、なんかほっこりしました。さて、年末に向けてやらなければならないことが山積しています。年明けには年始会と、その前に黒大豆での味噌の仕込みもあります。雪が降ったらアニマル・トラッキングも。頑張らねば。いや、ゆるゆるとゆるゆると。
JR東海 Xmas Express CM 1988年~1992年 & 2000年

携帯もメールもスカイプもない時代は本当に大変だったが、会うことの貴重さが今の何十倍もあった。ただ遠距離恋愛で失った恋を二回も経験した自分は、今の時代が羨ましい。


 後日その「長野県立歴史館」近くにある県道392号沿いの「科野の里ふれあい公園」のイルミネーションの撮影に温泉に行くついでに立ち寄りました。一応本も出しているプロの写真家なんですけど。放射冷却でもの凄く寒くて集中力がいまいちです。でも大勢の子連れの家族や勤務帰りの若い女性が訪れていました。光のトンネルの中の童女は、それは可愛かったです。制作は千曲市商工会議所青年部がメインで、協賛企業のイルミネーションもありました。大都会の豪華なものに比べるとささやかですが、周囲に里山の集落の灯りが瞬いている夜景は、大都市のそれとは違った沁沁とした趣があります。オリオン座が瞬く満点の星空も見事でした。










『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

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松代の祝神社と皆神山の皆神神社(熊野出速雄神社)へ参拝と撮影に行った小春日和の好日(妻女山里山通信)

2017-12-07 | 歴史・地理・雑学
 小春日和の日曜日、真田十万石・松代のお諏訪さんと親しまれている祝(ほうり)神社と皆神山の皆神神社(正式名称は熊野出速雄神社)へ行きました。祝神社は、延喜式内社埴科郡五社の一つで千年以上の歴史があります。『埴科郡誌』によると、元々は屋代の須々岐水神社が本来の式内社・祝神社であったそうですが、諏訪大明神と呼ばれていた現在の祝神社は、宝暦元年(1751)に祝神社と改称されました。松代城のお膝元ですしね。

(左)真田宝物館に駐車して歩いて祝神社へ。10分足らずです。神社の大鳥居。抜けるような青空。中学校のときに友人たちとお祭りの時に来た以来の参拝です。型抜きをしましたね。双頭の蛇の見世物では、いつまでたっても出てこないので餓鬼共が騒ぎ出して親父が困っていました。ガマの油売りも来ていた記憶。(右)これは本殿の左脇にある八幡社(應神天皇)・天神社(菅原道真公)・伊勢社(天照大御神・豊受大御神)の合社の木彫。本殿の看板によると諏訪立川流のものらしいのですが、作者は不明です。モチーフは獅子と牡丹でしょうか。見事です。

(左)左の木鼻の象と獅子の木彫。(右)獅子を別角度から。獅子の方が風雨に当たるので風化が進んでいます。

(左)右の(木鼻の象と獅子の木彫。右)獅子を別角度から。諏訪大社とは異なり、眼に銅板ははめ込まれていません。

 本殿の拝殿。鬼瓦などに六文銭が見えます。今もお諏訪さんと呼ばれています。祭神は、生魂命(いくたまのみこと)健御名方富命(たけみなかたとみのみこと)八坂斗売命(やさかとめのみこと)。慶長3年(1598)に、生魂命は東条から、健御名方富命八坂斗売命の諏訪二神は海津城二の丸から合祀されました。二度の大火に遭っていて、現在の社は、文化9〜12年(1812〜15)の造営です。入母屋造、桟瓦葺、妻入、正面向拝は唐破風。諏訪社なので後方に二本の御柱が見えます。

(左)龍ですね。(中)木鼻には獅子。(右)雲流ですかね水流ですかね。

(左)本殿。銅板葺きの二間社流造り。(中)遠くて見にくかったのですが正面は龍。木鼻には外向きに象、内向きに唐獅子。(右)脇障子は梅に鷹かと思いましたが、拡大するとこれは梅ではないですね。なんでしょう。鷹と松でしょうか。

(左)宗方社。祭神は、宗像三女神・国家鎮護の神・治水水運の神・漁業守護の神。(中)覆屋の内部の本殿。なんか新しい。塗り直したのでしょうか。(右)境内の図。他に稲荷社、西宮神社(恵比須神社)、猿田彦社など。

(左)真田宝物館に戻りました。公園の南に象山と戸神山脈。小春日和の公園で幼女が隠れんぼをしていました。皆神山に向かいます。(中)南の平林から登っていくと岩戸神社。円墳です。(右)皆神山の南の豊栄を治めた大王の墓でしょう。皆神山を拙書に載せなかったのは、平林の登山口に駐車場がないからです。大日池には3台ほど駐車できますが、そこまで行く道が狭く標識もないのです。ここはなんとか改善して欲しい。

 皆神神社の広場から望む仁科三山。うららかな日で大勢のハイカーや歴史好きが訪れていました。釧路産の焼き鯖寿司と豚汁で昼餉。寒風もなく、なんともゆるゆるとした贅沢なお昼でした。皆神山は、標高659メートルの30~35万年前にできた溶岩ドームです。ピラミッドなんかじゃありません。麓からの比高は280mほど。合祀されて神様の集合体ですが、別に特別なパワースポットでもなんでもありません。神聖な場所ではありますが。
 皆神山については、以前も記しましたが、1965年(昭和40 年)8月3日から約5年半もの間続いた、世界的にも稀な長期間にわたる松代群発地震の震源地のほぼ中心でした。有感地震は6万2826回、あまりに長期に渡ったためノイローゼになる住民も出たほどです。幸い死者は出ませんでしたが、怪我人や家屋の倒壊はありました。近所の古民家の屋根瓦が全て落ちたり、土塀が倒れたりしました。震度5の時に太い梁が抜けて白い部分が見え、あと5センチずれたら家が壊れるという状況がありました。
 私も目撃しましたが、地震時の宏観現象として皆神山や妻女山などの発光現象があり、大きな話題になりました。このような目撃例は安政の大地震など古くから目撃例があり、岩盤の崩壊による放電が原因のようで特に珍しいことではないそうです。また、この群発地震で山は1m高くなったということです。
 皆神山付近には低重力域があり、地下には、縦800m、横1500m、高さ200mのマグマ溜りが起源と考えられる空洞があって、地下に巨大な貯水池があると推定されています。皆神山溶岩は150m程度の厚さがあることが確認されていて、その下に湖水堆積物が見つかっています。また、山頂には川の跡の河床礫が見られます。
 つまり溶岩がまだ地上に出る前は、ここは池や川があったということです。地蔵峠から流れ出る蛭川と藤沢川が、現在山のある一帯で合流していたのでしょう。山頂に泉があるのも豊富な地下水脈があるからと理解できます。皆神山を形成した溶岩は極めて粘性が強く噴火したり流れ出したりせずに、そのままプリン状に固まったと考えられています。
 ノイローゼ患者が出るほど長期に渡った松代群発地震は、最終的に大量の深層地下水湧出という事態になり、火山性群発地震という当初の想定が、水噴火群発地震であったとの考えに変わりました。しかし、最新の学説では地殻の継続的な変形による応力速度の上昇によって説明できることが分かったということです。

 魚眼レンズで撮影するとこんなです。真上の空は宇宙を感じるほどの深い群青色でした。プルシアンブルーと言ってもいいかな。左向こうの山脈は。妻女山から鏡台山へ続く戸神山脈。下の舗装路の上から二番目の道を右へ10分ほど下ると、後述の小丸山古墳です。

(左)皆神神社の山門。(中)右脇の長野市指定の天然記念物クロサンショウウオが生息する池。(右)菅原道真公を祀った天満宮。

 皆神神社。正式名称は、熊野出速雄神社。本殿は、天保14年(1843)起工、弘化3年(1846)に竣工。木鼻と懸魚(げぎょ)は消失しています。盗まれたのでしょう。会津比売神社や妻女山松代招魂社の木鼻も、韓国人の窃盗団によって盗まれたといわれています。
以前書いた記事をリライトして再掲します。
 皆神神社は、大国主命の子で諏訪大社の祭神・健御名方命(たけみなかたのみこと)の子・出速雄命(いずはやおのみこと)が祭神で、熊野出速雄神社ともいいます。(本殿は室町時代のもので長野県指定県宝)本来は出速雄神社で、熊野信仰は中世に加えられたものです。
 出速雄神は、貞観二年(860)二月に信濃国従五位下の位を授かっており、斎場山(旧妻女山)の麓にある會津比賣神社の祭神・會津比賣命(あいづひめのみこと)が御子といわれています。會津比賣神は、貞観八年六月に妹の草奈井比売命と共に従四位下を授かっています。これは上から八番目の非常に高い位です。
 その後、出速雄神は、貞観十四年(872年)四月に従五位上に、元慶二年(878年)二月に正五位下を授くとなっています。『日本三代實錄』

 出速雄命の父、健御名方命は、大国主命の子ですから出雲系。出速雄の出は、出雲の出。出雲=伊豆毛(日本書紀)=伊都・伊豆志=伊豆。イヅ=厳で、斎み清めること。『古事記』のみに記されている伊邪那岐命の禊(みそぎ)によって生まれた神々のひとり、伊豆能売(いづのめ)神が元でしょうか。伊豆能売を祀る神社は現存しないため「埋没神」ともいわれています。
 会津とは、崇神天皇10年9月9日、崇神天皇の伯父大彦命(おおひこのみこと)を北陸道へ、その子武淳川別命(たけぬなかわ わけのみこと)を東海道へ遣わせた。日本海側を進んだ大彦命は越後から東に折れ、太平洋側を進んだ武淳川別命は南奥から西に折れた。二人の出会った所を相津(會津、会津)という。『日本書紀』
 相津と想定される会津坂下町青津。能登南部からの移住者を想定される弥生時代終末期の男壇遺跡・宮東遺跡があり、亀ヶ森古墳等がある。(会津学研究会サイトより引用)
 この会津と、会津比売命の関係やいかに・・。大彦命は東征の後で、長野市篠ノ井の茶臼山動物園の下の長者窪という所に住み、薨去したと伝えられています。彼の功績を讃えて父出速雄命は娘に会津比売とつけたのではないでしょうか。

 皆神山の小丸山古墳が出速雄命の、斎場山古墳が會津比賣命の墳墓ではないかという説があるのです。しかし、古墳様式から推察される年代、及び発掘調査から、古墳は5世紀のものといわれているので、両命の墓ではないかもしれない。あるとすれば、もっと古い年代の前方後円墳などではないでしょうか。古墳の推定年代は、かなり曖昧だと思いますが・・。
 小丸山古墳は、ずっと下って飛鳥時代の第三十四代舒明天皇(在位:629-641)の皇子・古人大兄命(ふるひとおおえのみこと)の墳墓ともいわれており、大化の改新に至る皇位継承争いの末に吉野を逃れてこの地に落ち延び、皆神山を開いたという里俗伝もあります。
 そうなると、積石塚古墳群と同様に古墳時代後期のものということになります。実際は吉野で殺害されたといわれていますが。小丸山古墳の側には、古人大兄命の子の墓といわれる大輪王墳墓があります。古人大兄命は、大化の改新の首謀者?である中大兄皇子(後の天智天皇)の異母兄です。古墳の築造年代とも合致するのでありえない話ではないということになります。ま、火の無い所に煙りはたたない程度の話ですが・・。
 ちなみに皆神神社の祭神は、伊邪那岐尊(いざなきのみこと)、伊邪那美尊(いざなみのみこと)、出速雄命、熊野速玉男命(くまのはやたまおのみこと)、予母都事解之男命(よもつことさかのおみこと)、(配祀神)舒明天皇(じょめいてんのう)、古人大兄命で、まさに皆神様です。熊野信仰は、中世以降に流行り付加されたものです。修験地は主に近くの尼巌山と奇妙山(帰命山・仏師岳)の岩山や岩窟だったと思われます。

(左)神社の木彫。右は中国の伝説の女性、太真王夫人の玉巵弾琴(ぎょくしだんきん)だそうです。左は笛を吹く仙人。それと龍。友人の宮彫り研究家の話では、作者は不明だが諏訪立川流のものかもしれないと。(中)拝殿の内部。日如来、阿弥陀如来、弥勒菩薩が安置されています。製作年代は1507年。3体の仏像は、皆藤山修験道場としての熊野出速雄神社の本尊として歴史的に重要且つ、製作年代、作者、願主が銘文で明らかなのが素晴らしい。拝殿の右奥には、小さな旧本殿があります。棟札により、天明元年(1781)に作られたことが分かっています。棟梁は松代の谷源内雅(立川小兵衛、立川与市より秘事を習う)とあります。(右)熊野出速雄神社本殿。康応元年(1389)再建の撞木造(しゅもくづくり) 。屋根の形がT字型となっており独特のもので、善光寺本堂がそれです。

(左)一番高いところにある富士浅間神社。(中)なんとなく予感がして後ろに回ってみると、謎の穴。(右)百躰ノ定所。なんですかねえ。左の墓石は、戦国時代ぐらいの古い様式の五輪塔ですが、里俗伝では村上義清の娘、鶴姫の墓といわれています。

(左)小丸山古墳へ向かいます。大日池へ下る登山道を10分ほど歩くと着きます。(中)小丸山古墳。(右)古墳の上の石祠。歴史考証は上の記事をお読みください。

 松代城北の駐車場から望む皆神山。噴火し損なったコニーデ型の火山です。繰り返していいますがピラミッドではありません。それにしても長閑で暖かい小春日和の好日でした。まあこの3日後には初雪が降ったのですが。信州の長い冬が始まります。どうか豪雪だけは勘弁して欲しいです。

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