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信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

妻女山から上杉景勝も布陣した清野氏の鞍骨城跡(鞍骨山・鞍掛山)へ登山道整備の好日(妻女山里山通信)

2016-02-29 | 歴史・地理・雑学
 晴れた週末は、妻女山から鞍骨山(鞍骨城跡)までの登山道の点検と整備をしました。真田信繁(幸村)を描いた大河ドラマ『真田丸』の効果もあってか、昨秋辺りから全国からハイカーが訪れています。日曜の放送では、ちょうど上杉景勝が赤坂山(現在の妻女山)から鞍掛山(鞍骨山)に御旗を建て、海津城の北条氏直を威嚇したというのをやっていました。、上杉についたものの真田昌幸に調略され、挙句の果てに殺されたという春日(高坂)昌元(春日信達)は哀れでしたが、史実はどうだったのでしょう。

 妻女山駐車場の奥の右手の林道を登ります(左)。入口に斎場山や鞍骨山までの略図と説明があります。約15~20分で長坂峠(中)。鞍骨山は左へ。右に見えるのは上杉謙信が本陣としたと伝わる斎場山(旧妻女山・地元では妻女山というとこの山のことです。昭和41年の地形図にはここを妻女山と明記。その後昭和47年に地形図を改定した時に現在の妻女山(本当は赤坂山)に三角点を置き、名前を国土地理院が勝手に移動してしまったのです)。約15~20分で林道を離れ天城山(てしろやま)経由で鞍骨城へ(右)。

 途中、謙信が七棟の陣小屋を建てたという陣馬平へ。貝母(編笠百合)がかなり大きくなってきました(左)。ゴールデンウィーク頃に満開になります。今回、一番切ったのがこのヤマガシュウ(中)。ノコギリやカマでは切れないので剪定ばさみを使います。非常に鋭い棘で、刺さると悲鳴をあげるほど痛い。これが登山道を塞ぐと前に進めなくなります。他にはノイバラとエビガライチゴも。いずれも棘があり放っておくと登山道が塞がれてしまいます。満開の福寿草(右)。綺麗ですが毒草なので要注意。
 この陣馬平にオフロードバイクで侵入した大馬鹿者がいます。最低の環境破壊です。私有地であり、個人の敷地や畑に無断で侵入するのと同じ犯罪です。

 尾根に出て振り返ると斎場山が眼下に見えます(左)。左手には目指す鞍骨山(中)。ここから1時間弱ですが、作業をしながらなので普段よりかなりゆっくりです。天城山は巻道を使い、二本松峠を通過(右)。左へ下ると清野。右は倉科。鞍骨城跡まで850mの標識。天城山は尾根が十字に出ているので、下る方向を間違えると大変です。先日も2名ほど間違えたというハイカーに出会いました。標識の地名をよく確認してください。拙書『信州の里山トレッキング 東北信編』では、コースを記載した地形図と詳細な説明やコースの写真を載せています。

 尾根の一本道を進むと、駒止と呼ばれる深い堀切(左)。更に進むと突然目の前に鞍骨城跡が現れます(中)。芽吹いてしまうと見えなくなりますが。明るい尾根を進み高圧線の鉄塔をくぐると、二条の堀切(右)。奥の堀切からは左へ林道倉科坂線へ下る登山道があります。以前ここはエビガライチゴとヤマガシュウの酷い藪で通れませんでした。今回も3mにもなったエビガライチゴを伐採。

 堀切を越えると鞍骨城の全貌が見えてきます(左)。尾根の両側は4mほどの長い削平地があり、馬場跡などともいわれています。尾根には4月にはカタクリ、5月には猛毒のヤマトリカブトが咲きます。城跡へは左手(北側)から登ります(中)。登り口が分かりにくいという声を聞いたので、今回かまぼこ板に矢印を書いたものを付けました。また補助用にトラロープを設置しました。大きなケヤキのある二つ目の広い郭(右)。ここで右手(南側)に回ります。斜めに細い道が付いています。

 そこから本郭を見上げたところ(左)。本郭の石積みが見えます。斜めに登って行くと南面のやや広い郭に出ます(中)。ここからはつづら折れで南面の虎口へ。足元がかなり不安定なので要注意。標高798mの本郭に到着(右)。
 武田氏滅亡後、鞍骨城は『景勝一代略記』によると、 1582(天正10年)7月に上杉景勝が「清野鞍掛山の麓、赤坂(現妻女山)と云所に御馬を立てられ、・・・鞍掛山へ御上がり云々」との記録があり、景勝と北条氏政が川中島四郡支配を争った際に、上杉方がこの一帯に陣取った様子が記されています。そういう経緯から、今の鞍骨城は、景勝時代の姿ではないかともいわれています。そんな城跡を500年前の石垣かと思って触れると、色々な事を思います。なぜ人は戦ばかりするのだろうとか…。
「七度の飢饉より一度の戦」戦国時代の凄まじい実態 (妻女山里山通信)大河ドラマでは見えてこない戦国時代の姿

 本郭から東へ痩せ尾根を30mほど行くと二ヶ所の展望岩があります。まず西の展望岩から、出発点の妻女山を見下ろしたカット。妻女山から陣馬平、天城山、二本松峠を経由して鞍骨山。普通なら約90分ですが、今回は体調がいまひとつだったのと作業で2時間以上かかりました。
「妻女山」「妻女山 行き方」「妻女山 地図」「斎場山」「さいじょざん」「さいじょうざん」

 東の展望岩からは眼下に松代城跡(海津城跡)。右下の小山は、象山の先にある離山。山頂には離山神社が鎮座しています。その向こう側には、松代文武学校。戦国時代はもちろん、江戸後期の戌の満水後の瀬直しまでは、この松代城の脇を千曲川が流れていました。
真田十万国「松代城(海津城)」の歴史 その1(妻女山里山通信) その2

 結局、今回は行き帰りで200本以上のヤマガシュウを切り払ったと思います。尾根の途中で二ヶ所ほど見つけたタヌキの溜糞(左)。春先は最も食料が乏しい時期。何を食べているのでしょう。何か小動物の毛の様なものも見られますが。雑食性なので樹の実や果実以外に、ネズミやカエル、ミミズなども食べます。ドバトの羽根が散乱していました(中)。襲ったのはタヌキかキツネか猛禽類のノスリかトビか。有毒なので最後まで残っているヒヨドリジョウゴの赤い実(右)。午後になって冷たい南風が吹き始めて腰痛が酷くなったため慌てて下山しました。

 日曜日は、長坂峠でノイバラの伐採(左)。ノイバラも大きくなると木質化し、非常に厄介です。腰痛のため草刈機が使えないため、鉈鎌と剪定バサミでゆっくりと。正面にある数本の木はオオムラサキの幼虫の食草となるエノキ。昼食の弁当は野沢菜漬けのチャーハン(中)。副菜は自家製のキムチとカクテキ。出る直前に作ったのでまだ温かく美味でした。小鳥のさえずりを聞きながらのんびりと昼食。ちょうど知り合いのKさんが通りかかりました。山蕗を採ってきた様です。信州名物? 山蕗とスギヨのビタミン竹輪のかき揚げにでもするのでしょうか。やや早めに下山。妻女山松代招魂社奥の駐車場はかなり広く、上手く停めると20台以上駐車できます(右)。両日とも何人もの歴史マニアや観光客が訪れていました。4月上旬には桜も満開になり、遠足の保育園児や小学生の歓声で溢れます。花吹雪の妻女山に、ぜひお出掛けください。

真田丸の影響か、アクセスも増えています。ご質問やご感想、情報提供などコメントも大歓迎ですが、コメントを表示されたくない方は、その旨を書いていただければ、承認制ですので非表示にします。遠慮無く書き込んでください。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。『真田丸』関連の山城巡りに最適なガイドブックです。鞍骨城跡や上杉謙信の陣城跡と伝わる陣馬平への行き方や写真も詳しく載せています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。その山の名前の由来や歴史をまず書いているので、歴史マニアにもお勧めします。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左上のメッセージを送るからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。

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妻女山でニホンカモシカのシロと邂逅。オメデタか!?(妻女山里山通信)

2016-02-20 | アウトドア・ネイチャーフォト
 先週末の雨で残雪が消えた妻女山山系ですが、今週末はまた雨で大荒れになる予報です。南信では雪だとか。冬ごもりの虫達が這い出てくる3月初旬の啓蟄(けいちつ)もまだですし、これから三寒四温で少しずつ春が近づいてくるのです。
「大蛇や 恐れながらと 穴を出る」 小林一茶
「啓蟄の 蟻が早引く 地虫かな」 高浜虚子
「啓蟄の 虫ににぎりの 粒が降る」林風

 雪解けの水たまりで喜々として水浴びをするのはエナガ(左)。句碑の陰に隠れて観察しました。水溜りの上でホバリングして飛び込むものもいて、なかなか見飽きませんでした。そこへやってきたヤマガラ(中)。平安時代から飼育されていた鳥で、おみくじを引く鳥でも知られます。奥多摩などでは餌付けして手に載せた樹の実を食べに来るのが観光化されていますが、バターピーナッツとか塩味のついたものは絶対にやってはいけません。私はどんな野生動物にも餌付け自体をしませんが。
 ちょっと寄り道して落葉松林の蕗を見に行こうとすると何かの視線を感じました。見上げるとニホンカモシカ(右)。久しぶりに邂逅したシロです。その向こうには娘のブランカもいました。最近は面倒なのでシロ二世と呼んでいますが。

 二匹は別々の方向へ歩いて行きました。この落葉松林がシロの母親の代も集合場所でした。双子の兄のクロ二世は、独立したようです。そして、シロが下って行ったので先回りして行くといました。いやあすっかり熟女です。しかもお腹を見ると妊娠しているようです。前回、2011年に双子を出産。2014年3月の写真を見ると、妊娠しています。この年に一頭出産。そして、今年2016年にまた妊娠。お腹の大きさから見ると、また双子かも知れません。
 ニホンカモシカの双子は珍しいそうですが、彼女の母親のマダムもシロとクロの双子を産んだので、これは遺伝子ですかね。もしまた双子だったら楽しいですね。5月か6月には生まれるはずです。ただこのお腹の大きさだと出産はもう少し早いかもしれません。それにしてもシロは多産系ですね。

 左は2011年3月10日のシロ。右は今回のもの。毛の色が違いますが、左は冬毛から夏毛に変わったもの。毎年、啓蟄を過ぎた頃にある日一気に冬毛が抜け落ちます。写真のものも冬毛だけの時はもっと黒いので、既に夏毛も生えてきていることが分かります。シロは2011年に比べてもグラマーになりましたね。今回も双子でしょうか。右は横を向いていますが、これは私が話しかけているのを耳をそばだてて聞いているのです。

 色々話しかけながら撮影していると、またこちらに向きました。話しかけていないとすぐに興味を失って歩きさってしまうのです。「あんたどこかで見た顔だわね」とでも思っているのでしょうか。「はいはい、あなたの事はちっちゃかった子供時代から知ってますよ」と。彼女の母親のマダムも、子供の頃に見て知っていますが、非常に表情豊かで妖艶な雌で、マダムと名付けたのです。といっても命名は個体識別のために便宜上しているもので、餌付けはもちろん過干渉は絶対にしません。

 話すネタも尽きると彼女はゆっくりと去って行きました(左)。左はリョウメンシダ、右はヤブソテツ(中)。どちらも冬のニホンカモシカの食料になります。蕗の薹も食べますが、同じものを食べつくすということは決してしません。採食歩行をしながら実に多様なものを食べます。右はマダムとシロとクロが以前塒(ねぐら)にしていた谷。妻女山の上杉謙信槍尻ノ泉のすぐ上の谷です。すぐ下を上信越自動車道が通っています。世代交代した後に塒を山の奥に移しました。

 後日、また会えるかなと彼女が通りそうな斎場山の尾根へ。御陵願平にある猪のヌタ場へ(左)。6m×4mぐらいある大きなものです。先日100キロの雄が仕留められましたが、その2年ほど前に140キロの雄が捕獲されたことがあり、その個体が鼻で掘ったものです。周囲には泥浴びの後で体を擦り付けた木がたくさん見られます(中)。そこから西へ土口将軍塚古墳へ(右)。古代科野国の古墳であり、川中島の戦いでは上杉軍が布陣した尾根です。長尾根といいます。

 長尾根から北の川中島の眺め。左に戸隠連峰と右に飯縄山。眼下には千曲川。橋は岩野橋。この辺りの流れは、江戸時代後期の戌の満水の後に松代藩が大改修をしたために戦国時代とは流路が全く違います。黄土色の河原も、4月中旬を過ぎると桃の花や葉の花、林檎の花で桃源郷になるのです。

 西方の北アルプス。「春は名のみの風の寒さや」早春賦。左に蓮華岳、右奥に針ノ木岳、中央に爺ヶ岳、右に鹿島槍ヶ岳。手前の里山、右に三つ前の記事で書いた大彦命の墳墓と伝わる川柳将軍塚古墳があります。

 右に目をやると白馬三山。右手前は茶臼山。妻女山山系と共に、私がフィールドワークの定点観測をしている山系です。両山系とも登山道以外でも目をつぶっても歩けるほどに熟知している山です。古代からの歴史と豊かな自然の生態系が体験できます。春には松代夢空間主催の妻女山山系のハイキングツアーのインタープリターをします。長野県シニア大学長野学部、松本学部での里山講座も好評でしたが、できれば若い人にも、この北信濃の里山の素晴らしさを知って欲しいので、大学や短大、高校などでの講座をやってみたいと思っています。これから色々アプローチしていきますが、興味を持たれた方は、ぜひお気軽にご相談ください。

★Youtubeスライドショー






冬のニホンカモシカは何を食べている?(妻女山里山通信)

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たった一晩の豪雨で妻女山の雪が消えた。そして吹雪…(妻女山里山通信)

2016-02-15 | アウトドア・ネイチャーフォト

 12日(金)の妻女山展望台(左)。14日(日)の展望台(中)。13日夜半から14日朝まで15ミリほど降った雨で、一晩で雪が消えました。前の記事で書いた泉のカーブも大丈夫。妻女山から斎場山へ行く林道も10~20センチの残雪があったのですが、ほとんど解けました(右)。ギックリ腰後の坐骨神経痛が思わしくなく、動くのがきついのですが、最高気温15度ということで無理をして山へ。登る速さはいつもの半分ぐらい。途中落枝が三ヶ所ほどあり片付けながら登りました。体力がないので上杉謙信の本陣と伝わる斎場山(旧妻女山もしくは本当の妻女山。山頂は古代科野国の円墳)はパス。長坂峠の分岐を左へ。

 まず上杉謙信が陣小屋を七棟建てたという陣馬平へ(左)。場所によっては30センチぐらいあった残雪もご覧の通り。雪の下からは芽吹き始めた貝母(編笠百合)が(中)。春の儚い命、春の妖精と呼ばれるスプリング・エフェメラル。ゴールデン・ウィーク前頃に満開になります。オオカマキリの卵も雪が解けて姿を現しました(右)。その年の積雪量に合わせて卵塊の高さを変えるという説は間違いだそうです。この卵も雪に埋まっていたものです。雪に埋まったぐらいでは、中の卵がダメになることはないということです。

 下って堂平大塚古墳へ(左)。古墳の南側の斜面には福寿草が咲き始めています。古墳の近くの紅梅も咲いていました(中・右)。平安時代には、「色は紅梅、香りは白梅」といわれていたそうですが、実際白梅に比べて紅梅は香りが薄いです。セイヨウミツバチが盛んに吸蜜していました。以前見られたニホンミツバチは、ネオニコチノイド系農薬の空中散布で姿を消しました。十数種類いたゼフィルスも全滅です。
「紅梅の 落花燃ゆらむ 馬の糞」(蕪村)

 古墳から見下ろす千曲川の河川敷もすっかり雪が消えました。この日、息子が白馬八方尾根スキー場に行っていたのですが、なんと雨が降ってきたそうです。

 日当たりの良い斜面では、ミヤマキケマンやミヤマハコベ、アオイスミレの小さな葉が見られます。オオイヌノフグリもあちこちで咲いています(左)。地面に落ちていた透かし俵と呼ばれるクスサンの繭(中)。これは蛹が入っていたので持ち帰ることにしました。幼虫は10センチもあり、昔はこれを引きちぎって中の5mもある絹糸腺を取り出し、酢に浸けて強度を増して釣り糸として使ったそうです。私が子供の頃は既にナイロンのテグスが普及していたので使ったことはありませんが。体力が落ちているので息を切らしながら、いつも最初に蕗の薹が出る斜面へ(右)。まだ小さめですが30個ほど採れました。蕗味噌にしましたが、ご飯のおかずにも酒の肴にも最高の早春の恵みです。

 気温は高いのですが、風が出始め冷えて腰痛と神経痛に加えて偏頭痛も出始めたので、妻女山展望台へ戻りました。風雲急を告げるような怪しい雲行きです。西にそびえる北アルプスは稜線が見えません。よく出会うコーギー連れの老人と談笑。娘さんが山好きなので拙書も紹介しましたが、実際は体調が最悪で結構辛かったのです。そうは見えなかったと思いますが。帰宅してすぐに倒れこみました。
 雪が消えたのは嬉しいのですが、それより株という博打につぎ込んで年金資産が9.4兆円も消えたほうが私は気になるのですが。しかも誰も責任を採らない。マスコミも責任を問わない。異常な国ですね。

 北にそびえる飯縄山。結局この冬は山全体が真っ白になることは一度もなく終わりそうです。AC長野パルセイロのホームスタジアムも、シーズン前なので静かです。前夜からの雨で、千曲川もかなり増水していました。翌月曜日の午前中は積もらなかったものの猛吹雪。夕方になるに連れて気温もぐんぐんと下がり、火曜の朝の最低気温は、マイナス9度の予報。なんと気温差24度!体が持ちません。本格的な春が待ちどうしい北信濃です。

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猪の厄日と猟犬の厄日と私の厄日?(妻女山里山通信)

2016-02-06 | アウトドア・ネイチャーフォト
妻女山へ来られる方へ。
 国道403号から上信越自動車道をくぐって右折して登った上杉謙信槍尻ノ泉のある最初のカーブが凍結しています。午前中は完全凍結しているのでスタッドレスなら登れますが、午後気温が上がって解けるとご覧のようにスタッドレスでも登れません。写真は午後3時頃。観光客の車がカーブで横向きになり動けなくなりました。毎年1月より、2月、3月にこの様な事故が多発します。ガードレールに激突の例も。午前中でもカーブの内側ではなく、外側を登ってください。表面が解けていたら登れません。『真田丸』で観光客が増えているので長野市に対策をお願いしましたが、充分注意してください。高速のトンネルの手前に駐車して徒歩で登っても15分ぐらいです。ドライバーの方に了解を得たので写真を掲載します。信州では403号の麻績へ登るカーブとか、雪解けの水が流れて凍りついてアイスバーンに。国道でもこうなる箇所があります。充分注意してください。

 最高気温が6度でほぼ無風というので、痛めた腰のリハビリにと妻女山へ。車を停め林道を登ろうとすると、まあなんということでしょう。檜林の林床がまるで耕うん機で耕したようにひっくり返されているではありませんか。

 雪は凍って解けてを繰り返しているのでほぼ氷状(左)。それをなんなく掘り返しています。それもかなり広い面積を。猪の仕業ですが、これはかなり大きな個体です。3年ほど前に140キロの雄が仕留められたのですが、それに次ぐぐらいの大きさでしょう。林道を登って行くと、途中にも数か所掘り返した跡がありました。林道に沿ってずーっと掘り返した跡も。さながらちょっとした土木工事です。北面の林道は雪がまだ10-30センチはあります(中)。長坂峠に来ると、峠の南面はずいぶんと雪解けしていました(右)。正面は斎場山。

 菱形基線測点のある陣馬平へ(左)。謙信が七棟の陣小屋を建てたと伝わる平地です。ここにもその大きな猪の足跡がありました。これは珍しい。その猪の足跡をなぞるように歩いたタヌキの足跡(中)。猪の足跡の中に途中までタヌキの足跡がずっとついていました(笑)。これはタヌキが吐き出したのか(右)。ネズミか何か小動物の肉か内臓のようです。

 堂平大塚古墳へ。そこから見る千曲川(左)。例年なら見える辺りに鴨が飛来しているのですが。今年は見られません。暖冬が影響しているのでしょうか。古墳の上に咲き始めた福寿草(中)。雪がないので例年より早めです。日当たりの良い斜面に咲いていたオオイヌノフグリ(右)。大きな犬の陰嚢という意味ですが、実が似ているのです。しかし、わざわざそこに目をつけて命名しなくてもよかったんじゃないのとは思います。別名は、瑠璃唐草、天人唐草、星の瞳などで綺麗なのですが…。明治初期に渡来した欧州原産の帰化植物です。

 妻女山展望台から北に見える戸隠連峰と飯縄山。飯縄山は拙書では3つのコースを紹介しています。豪雪の年は真っ白だったので、やはり雪は少なめです。水不足にならないといいのですが。

 翌日も日中は気温が上がったので再び山へ。斎場山を過ぎて御陵願平にある猪のヌタ場へ行ってみました(左)。猪が体についた虫を落としたり、猟で追われた場合に火照った体を冷やすために泥浴びをする場所です。雪で分かりにくいのですが、5m×4m位の大きなものです。最初は写真の木の根っこの大きさだったものを鼻だけでここまで掘り広げたのです。猪の足跡(中)。結構大きな個体です。斎場山(旧妻女山)山頂。512.8m。山頂は円墳で、上杉謙信が最初に本陣としたと伝わるところです。

 斎場山から千曲川と川中島を見下ろしたところ。落葉期の今が一番見晴らしが効きます。5月になり葉が茂ると展望はほぼなくなります。川向うの正面は合戦場という地名で、川中島の戦いの際に戦場になったといわれている場所です。千曲川の流れは、1742年(寛保2年)8月の大洪水、戌の満水の後に松代藩により大規模な瀬直しが行われたため、戦国時代とは流路が全く変わってしまっています。そのころはもっと激しく蛇行、分流していました。
上杉謙信が妻女山(斎場山)に布陣したのは、千曲川旧流が天然の要害を作っていたから(妻女山里山通信)

 長坂峠へ行くと猟師がいました。なんでも100キロの雄を仕留めたそうです。来る途中で見た大規模に掘り返した跡がその雄のものだそうです。これから帰るんだけれど、谷に下りた猟犬一頭が戻らないのだとか(左)。別れて陣馬平へ向かうと、下から猟犬が一頭登ってきました。こいつだなと思い、ご主人様が呼んでるよ。こっちだよといって峠へ付いてくるようにいうと、距離をおいて付いてきました。ところが峠へ戻ると車がいません。どうやら山を下りて尾根を回って谷底へ探しに行ってしまったようです。私は斎場山方面へ撮影に。猟犬はどこへ行くんだようと鳴いていましたが、向こうへ下りなといって私は斎場山へ。撮影を終えて下っていくと、さっきの車が。どうやら会えなかったようです。哀れな猟犬はまた谷に下りてしまったようです。
 仕留められた猪が掘り返した跡。彼の最後の晩餐の痕跡です(中)。隣には、私と仲間がやっている椎茸のホダ木が(右)。これを全部ひっくり返されなくて良かったと思いました。以前友人のホダ木が全部ひっくり返されたことがあるのです。結局また上に探しに行ったようですが、妻女山展望台の下にいると車が下りてきました。結局見つからなかったようで浮かない顔をして下って行きました。声ではなく遠くまで聞こえるホイッスルで猟犬を呼び戻すように仕込んでおかないと駄目ですね。どうなったのか心配です。

 最後に妻女山展望台からの松代方面。左には拙書でも紹介している奇妙山。右に保基谷岳。間の奥には根子岳と四阿山(あずまやさん)。両山とも拙書で紹介しています。真田と深く関係する四阿山は、『真田丸』効果もあって今年は登山者が増えるでしょう。特に目ぼしい被写体も見つけることができなかったので、もう少し粘りたかったのですが、寒風が吹き始めて神経痛が酷くなったので下山することにしました。

長野県鳥獣保護区等位置図 期間・狩猟鳥獣・連絡先等
 毎年11月15日 から 翌年2月15日まで
 ただし、ニホンジカ及びイノシシ(わな猟 ※)に限り、翌年3月15日まで延長。
 ※「止めさし」に限り、銃器使用は可能です。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。陣馬平への行き方や写真も載せています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。その山の名前の由来や歴史をまず書いているので、歴史マニアにもお勧めします。

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