モリモリキッズ

信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

秋、手作りベーコンの仕込み:新信州郷土料理(妻女山里山通信)

2009-08-29 | 男の料理・グルメ
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 久しぶりに手作りベーコンを作ることにしました。市販のベーコンは、ほとんどが燻煙しておらず燻液に漬けただけのもの。やはり、本格的に燻煙した方が風味も格段に違います。また、しっかり漬け込むことで熟成もします。なにより無添加がいいですね。これで作るカルボナーラハッシュドポテト、BLTサンドは本当に美味です。激安の国産豚バラ肉を1.5キロ用意しました。

 まずは、豚バラ肉を南米産のピンク色の岩塩で一晩塩漬けにしました。そして翌日、ソミュール液を作り、くず野菜とともに漬け込みます。今回は、通常のレシピの材料の他にジュニパーベリーを少し加えました。これを一日に一回以上ひっくり返して一週間漬けます。この間に熟成も進むというわけです。今日はここまでの作業です。約一週間後に一日がかりで風乾から燻煙までするので、その時にまたアップします。

★この手作りベーコンのレシピは、私のレシピサイトMORI MORI RECIPE(モリモリ レシピ)の西洋料理の肉のコーナーに、オリジナルレシピがあります。ベーコンの作り方をマスターすると、色々な燻製にも応用できます。
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信濃路は 今の墾道 刈株に(茶臼山里山通信)

2009-08-27 | アウトドア・ネイチャーフォト
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 北信濃の里山は、夏の終わりで秋の始まり。今が一番なにもない時。夏キノコは終わり、秋のキノコはまだ。鬱陶しいクロメマトイは減ったものの、ハチは餌が少なくなって気が立っています。今日は久々に息子達が刈ってくれた山の草を刈りに行きました。梅の木にからみついたアレチウリを除草した瞬間に、アッという間にハチに二カ所刺されました。ムモンホソアシナガバチです。今年はもう4回目。鉈鎌を放り出してとりあえず逃げて、刺された所を吸って毒を出します。小さなハチでもアナフィラキシーショックを起こすことがあるので侮れませんが、私は大丈夫なようです。といっても手首はまだ腫れたままですが…。

 久々に茶臼山へ行きました。猛毒のドクツルタケを採取するためです。鳴いているセミもヒグラシからツクツクボウシやミンミンゼミに代わりました。ドクツルタケは、殺虫に使うためですが、わざわざ猛毒のキノコを探すとなると、これがなかなかないものです。それでも目星をつけたところでなんとか6本を採取できました。

 この季節、一番なにもない時と書きましたが、それでも見られる動植物はあります。まず目に付いたのがたくさんのギンリョウソウ(銀竜草)。イチヤクソウ科の腐生植物で、全体がやや透明感のある白色で、鱗片葉に包まれた姿が竜のようであるということからつけられた名称です。なるほど鱗片葉は、竜のウロコに見えなくもありません。

 ギンリョウソウは、ベニタケ属菌類に寄生し、それらが共生する樹木が光合成で作り出す有機物を、菌経由で得て成長します。そのためギンリョウソウには葉緑素がありません。花茎は白く半透明ですが、雌しべが灰青色のため外からは透けて、写真のように青みがかって見えます。青い柱頭の周りを黄色い葯が取り囲んでいます。花茎の中心も青紫で、そのため全体に青味を帯びたように見えるため、幽霊茸という別名もあります。ギンリョウソウの花は液果と呼ばれ、数千の小さな種を内包します。花茎が倒れると、地面で溶解しあるものは発芽するようです。

 倒木には、変形菌(粘菌)のマメホコリの子実体ができていました。触ってみるとかなり乾燥が進んでおり、茶褐色になると胞子を飛ばし始めます。別の倒木にはぎっしりとナラタケモドキの幼菌が。山頂南面は、そこだけダウンバーストが発生したのか、集中的に新しい倒木がたくさん見られました。花はほとんど見られなかったのですが、マゼンダピンクのツリフネソウ(釣船草、吊舟草)が、艶やかに咲いていました。この花は、花器の釣り舟に似ているという風流な語源とは違い、実に妖艶です。夏の終わりを告げる花です。

 展望所から見る山布施の風景は北アルプスの絶景もなく、いつになく重く深い湖の底に沈んだような沈静を保っていました。
 「信濃路は 今の墾道(はりみち) 刈株(かりばね)に 足踏ましむな 履(くつ)はけわが背」(万葉集 詠み人知らず)
 「信濃路は、開墾されたばかりなので、切り株も多いので足で踏んで怪我をしないように履をはいていってください。」と万葉集に詠われているような風景です。いくつもいくつも山を超えないと目的地には着かないわけです。これ以前に信濃(科野)への道も当然あったのでしょうが、「続日本紀」に、大宝2(702)年から12年の歳月をかけて東山道神坂道の補助街道として吉蘇路が完成したと記されています。

 第四次川中島合戦の折りに武田信玄が布陣したとされる有旅茶臼山は、最後のカットのように至る所で崩壊しています。善光寺地震で崩壊が始まり、大正時代に大きく崩壊したわけですが、崩れる前はいまより50mも高く、隣にある茶臼山と双耳峰を成していたといいます。茶臼山には、古い山城の跡と思われる腰郭や掘切の跡が残っています。有旅茶臼山には九基の塚が残っていますが、私は川柳将軍塚古墳や斎場山古墳と同様に、山頂には円墳があったのではと考えています。

★茶臼山トレッキングルポは、【MORI MORI KIDS(低山トレッキング・フォトレポート)】をご覧ください。

★茶臼山の自然は、【MORI MORI KIDS Nature Photograph Gallery】をご覧ください。夏の信州里山特集。妻女山通信、茶臼山通信を続々アップ中です。
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「真田幸隆の攻略に敗る尼巌山」アップ!:MORI MORI KIDS(妻女山里山通信)

2009-08-21 | アウトドア・ネイチャーフォト
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 尼巌山南東面の中腹にある天の岩戸(天の岩屋)は、戸隠と合わせて手力男命が天の岩戸をあけた際、二度と閉じられないよう岩戸を隠してしまおうと、隠し場所を探していてひと休みした場所が尼巌山という伝説があるのですが、一方で聖武天皇や行基、坂上田村麻呂に由来する岩窟でもあるのです。高さ20mはある崖の上をへつる山行はスリル満点でした。

【鑰掛観世音舊址】(鍵掛観世音旧址・カギカケカンゼオンキュウシ)
本村寅の方尼尼巖山の東半腹にあり。往昔天平年中、僧行基、東国下向の日、草創する所と云うと雖(いえど)も、口碑のみ。開基詳かならず。奥院本地は一ヶの岩窟にして、方二間、奥行五間なり。即ち聖徳太子御作、十一面観世音を安置し、塔仲永福寺外六坊舎、伽藍を備へたる梵刹(ぼんさつ)なりと云ふ。当国三十三番札所の一にして、第十六番鑰掛岩戸観世音と称す。然るに数度の兵燹(ひょうせん・兵乱による火事)、野火に罹(かか)り(年代不詳)堂塔頽廃(たいはい)、僅に本地を存せしのみ。元禄九丙子年九月東光寺住務某之を憂ひ、力を衆生に借り、本堂一宇を再建す。爾來(じらい・以来)東光寺をして別当たらしむ。後弘化四年(1847)三月地震の災、山面の磐石崩転し、堂宇破壊に属す。因て佛躰を該寺に移し。今其址地を存するのみ。[明治の埴科郡誌より](注:PCによっては旧字が文字化けします)

 つまり、明治の東条村村誌によると、天の岩戸の崖下(或いは崖上)には永福寺(えいふくじ、えいふくてら、ようふくじ)という、聖徳太子御作の十一面観世音を安置した寺院があったとされています。しかし、東条氏の尼巖城のすぐ下にあり、度重なる戦火に焼失。元禄年間に、現在も麓にある東光寺住職が民の力を借りて再建するも、1847年の善光寺大地震で崖が崩壊し堂宇も壊れてしまいました。その後は、現在の天の岩戸のみがある状態に戻ってしまったということです。現在、十一面観世音は、麓の東光寺にあります。

★尼巌山のトレッキングを、フォトドキュメントの手法で綴るトレッキング・フォトレポート【MORI MORI KIDS(低山トレッキング・フォトレポート)】にアップしました。どうぞご覧ください。もちろん、天の岩戸の写真もあります。また、バーズアイビューの絶景が堪能できます。


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「藪こぎ三昧の三滝-鏡台山ルート」アップ!:MORI MORI KIDS(妻女山里山通信)

2009-08-19 | アウトドア・ネイチャーフォト
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 三つ前の記事で紹介した「藪こぎ三昧の三滝-鏡台山ルート」をMORI MORI KIDS(低山トレッキング・フォトレポート)にアップしました。想像以上の背の高い藪に悩まされた三滝沢の遡上でしたが、逆になかなか楽しい想い出になりました。暑さに耐えて登った後の絶景と、水温8度の縄文の名水は、なによりのご褒美でした。

 花や昆虫、キノコや粘菌など見所もたくさん。どうかご高覧ください。

★ネイチャーフォトは、【MORI MORI KIDS Nature Photograph Gallery】をご覧ください。キノコ、変形菌(粘菌)、コケ、花、昆虫などのスーパーマクロ写真。滝、巨樹、森の写真、特殊な技法で作るパノラマ写真など。
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汗だくの里山保全(妻女山里山通信)

2009-08-17 | 歴史・地理・雑学
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 送り盆の朝、息子達に手伝ってもらい妻女山にあるわが家の山の草刈りをしました。この夏は例年になく多雨だったために、草の繁茂が激しく何度除草しても追いつかないほどでした。近年里山は、里山ブームとは裏腹に高齢化や過疎化、利用価値の減少とともに放置されているところが多くなっています。さらに温暖化や帰化植物の流入などにより植生も変化しています。妻女山も例外ではありません。

 特にアレチウリには本当に手を焼いています。切っても切っても出てきます。クズも厄介です。クズは、在来植物なので問題ないと書いている森林サイトがありましたが、これは現場を知らない机上の論理です。繁茂したクズは、樹木を覆い尽くし立ち枯れさせてしまいます。わが家の唐松も5本が犠牲になりました。ミツバアケビ、ヤマフジも適度に除伐しないと木々を絞め殺してしまいます。

 朝早くとはいえ、日が昇ると気温はグングン上昇します。息子達は、暑い暑いと言いながらも、崖上や急斜面での作業でしたがよく頑張ってくれました。ムモンホソアシナガバチなどの危険も多い除草作業です。この夏実際に私は3回刺されています。免疫ができたのか3回目は刺されても腫れませんでした。彼らには一応注意はしましたが、幸い刺されませんでした。

 山を知らない人は、山の怖さを知らずに無謀なことをしたり、逆にひとりで山に入ることを極端に恐れたりしますが、それは山に対するリテラシー(読解力)が足りないからです。何度通っても、それだけではリテラシーが高まるわけではなく、やはり学習が必要ですが、その上でさらに経験を積むと山の全容が見えてきます。それも地域ごとに植生や形態が違うので、この山の常識が他の山で通用するとは限らないところが、また面白いところです。

 上杉謙信が布陣したといわれる妻女山と、武田信玄が布陣したといわれる茶臼山では、面白いほど形態、土質、植生や棲息する昆虫などが違います。私が主にその両山を訪れているのも、そうした差異が面白いからです。もちろん共通点もあります。

 息子達のお陰で、予定した除草は午前中で終わりました。いい汗をかいたようです。帰る前に妻女山展望台に寄ると青い北アルプスの山脈や戸隠連峰が見えました。海津城のある松代側は、桜の木が大きくなりすぎて展望が遮られるようになりました。立ち枯れもでてきたので桜切るバカといいますが、いずれ枝打ちしなければならないでしょう。日中は猛暑並みの暑さになりましたが、朝晩はやや冷えるようになりました。秋の足音が近づいています。

★妻女山には、観光客と昆虫採集の子供達が来ています。スズメバチに注意してください。黒髪、黒い服は危険です。威嚇されたら姿勢を低くしてその場を立ち去ること。絶対に手などで振り払ってはいけません。妻女山は戦国時代はなかった。詳しくは、本当の妻女山について研究した私の特集ページ「妻女山の位置と名称について」をご覧ください。
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真田幸隆の攻略に敗る尼巌城跡(妻女山里山通信)

2009-08-16 | アウトドア・ネイチャーフォト
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 長野市松代の松代城(海津城)から東を見ると、奇妙山の左手前に蛸入道のような形の急峻な山塊がそびえています。それが尼巌山(あまかざりやま)です。旧字では尼巖山・尼巌山、別字では、尼飾山・雨飾山、天飾山とも書きます。山頂にはこの地を治めた東条氏の山城、尼巌城跡があります。周りがいくつもの高い崖で囲まれているため、詰城としては最高の場所ですが、それほどに山容が急峻ですから水の確保には相当苦労したことでしょう。天王山に二ヶの魯門を構えると明治の村誌には書いてあります。低山ですが、冬に単独で登ったところあまりに展望がよかったので、今回は息子達と訪れました。

 玉依比売命神社(池田の宮)前から出発します。新年に玉の増減でその年の吉凶を占うという児玉石神事で有名な「延喜式」所蔵の古社です。裏手へ登り初めてすぐに天王山。尾根の端を鋤(すき)崎(古くは兒玉崎)といい、鋤崎峠は、第四次川中島合戦の時、上杉謙信が妻女山布陣の折りに越えたという伝説の残るところです。

 尼巌城は、北の支尾根に谷街道の要所、可候(そろべく)峠を持ち、北には真田へ抜ける地蔵峠があり、松代の防御の要の詰城であったと思われます。第四次川中島合戦に至る8年前、村上義清が越後に逃れた直後の天文22年(1553)8月、武田晴信は真田幸隆に尼厳城攻略を督促しています。城主東条遠江守信広は、真田幸隆の攻略に敗れ越後に逃れます。加賀井にはその時に東条氏達が泣きながら駆け下ったという泣き坂という伝説の地名が残ります。

 落城後、武田晴信は、西条治部少輔に城の普請を行わせ、永禄元年(1558)4月の越後軍進攻の際に、「東条籠城衆」として真田幸隆と小山田備中守昌行をあてています。武田氏滅亡後、天正10年(1582)に上杉景勝が川中島周辺を征圧すると、東条氏が城主に復帰しますが、慶長3年(1598)豊臣秀吉の命により景勝の会津移封によって北信濃の武士達は、妻子を連れて会津に移ったため廃城となったといわれています。

 また、それより遙かに昔、手力男命が天の岩戸をあけた際、二度と閉じられないよう岩戸を隠してしまおうと、隠し場所を探していてひと休みした場所が尼巌山であり、岩戸を隠したところが戸隠であるという神話の山でもあります。『古事記』中巻に「神八井耳命(かむやいみみのみこと)者科濃国造等之祖也」とあり、その子の一人が阿蘇を治めたという神話と関係があり、高千穂の伝説がこの地に飛来したのでしょうか。なんでも天の岩戸は両開きで、その一枚が北信濃に飛来したそうです。城跡ばかりが有名ですが、周辺には古墳や塚がたくさんあります。また、至る所でお地蔵さんが迎えてくれる信仰の山でもあります。奇妙山は、本来は仏師岳といい奇妙は、仏教用語の帰命が転訛したものでしょう。天の岩戸の下には、オオキツネノカミソリがひっそりと咲いていました。

 最近登山道や標識が整備されましたが、登り優先の標識で、下りがあまり考慮されていないようです。各所にある赤テープが迷いの原因ともなっています。私は基本的に赤テープの誘導には反対です。コーナーなのか途中なのか、ハイカー達の共通認識があるわけでもなく、進むべき方向も不明です。また、あのケミカルな色合いは自然に馴染みません。信濃では間伐の印などに使うので、それとの混同もあり得ます。蒲鉾板に矢印を書いてつけるとか何か工夫が欲しいところです。登山口にあるパンフレットの案内図は、あまりに大雑把で全く役に立ちませんでした。特に立見岩から下るコースは、間違って下ると崖上に出てしまうところもあるので注意が必要です。

 とはいえ、市街からこの近さでバーズアイビューを何カ所も楽しめる低山は、本当に魅力的です。また、古墳時代や戦国時代の遺跡なども豊富にあり、歴史マニアにとってもはずせない山です。もちろんフリークライミングなどをする人にとっても。夏の低山は敬遠する人が多いのですが、朝早くから登れば暑くなる前に山頂に着けます。杏の花咲く春や、錦秋の季節でしたら、奇妙山との縦走もいいでしょう。自然も豊かです。息子達も心から堪能したようでした。

★このトレッキングは、フォトドキュメントの手法で綴るトレッキング・フォトレポート【MORI MORI KIDS(低山トレッキング・フォトレポート)尼巌山】に詳しく掲載してあります。里山トレッキングのインストラクターもしていますが、天の岩戸の崖の上に出てしまうコースは、危険で一般向きではありません。経験者のみにしてください。




★ネイチャーフォトは、【MORI MORI KIDS Nature Photograph Gallery】をご覧ください。キノコ、変形菌(粘菌)、コケ、花、昆虫などのスーパーマクロ写真。滝、巨樹、森の写真、特殊な技法で作るパノラマ写真など。
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藪こぎ三昧の三滝-鏡台山ルート(妻女山里山通信)

2009-08-13 | アウトドア・ネイチャーフォト
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 千曲市倉科の三滝から谷をつめて百瀬、船ケ入のサワグルミを経て鏡台山へ登りました。まず出発点の三滝園地入口に駐車。8時に出発。滝を巡る遊歩道を登ります。三滝は、いつもは水量は少なく地味な滝なのですが、このところの多雨で轟々と流れていました。最高気温33度の予報でしたが、谷は渓流の冷たい水のお陰で涼しく快適な沢歩きで始まりました。道はないので、ルートを探しながら何度か渓流を渡らなければなりませんが、それもまた楽しい。

 ところが、谷が開けて林道樽滝芝平線まであと400mというところでものすごい藪になりました。予想していたこととはいえ、あまりの藪に息子二人も笑うしかありませんでした。用意してきた鎌で高さ3mのオオイタドリとエビガライチゴを伐採しながら藪こぎです。しかも、高さ5mはある堰堤を二つ越えなければなりません。これほどの藪になると、もう獣道も分かりません。冬になんどか遡上したルートを思い出しながら進みました。クサギの花が満開で、白粉臭い臭いが谷に充満していました。

 結局、三滝から林道に出るまで1時間半かかりました。冬場は1時間ですから30分余計にかかったわけです。所々でニホンカモシカの糞場があるのか強い獣臭がしました。月の輪熊に襲われたと思われるニホンカモシカの骨が散乱していたのもその辺りです。先頭を切って鎌を振り回した長男の腕は、傷だらけになりました。しかも、朝露で体中ビショビショです。林道に這い上がったとき、息子達は思わず万歳をしていました。

 そこからは、標識に従って林道や作業道、古道、登山道を歩いて頂上を目指します。多雨すぎたのか期待したキノコは既に黴びたり腐っているものが多く残念でした。粘菌はツノホコリが元気でした。花はフシグロセンノウ、ソバナ、アキノキリンソウが見られた程度。大正時代に埴科郡中の小学生による運動会が何度か行われた鏡台山北峯は、腰まである笹に覆われ登山道がまったく見えないところもありました。朝露を切りながら進み、11時25分に登頂。約3時間半の道のりでした。

 山頂でお昼。測量事務所の人がGPSを使って標高や緯度経度の測定をしていました。北アルプスは、山頂部分に雲がかかっていましたが、時折取れて鹿島槍ヶ岳が見えたり、白馬三山が見えたりして、それなりにパノラマを楽しむことができました。富士山は、八ヶ岳の左山裾にあるのですが、残念ながら見えませんでした。コロッケとおにぎりと朝採りのキュウリに味噌をつけて昼食。私は冷やしてきた缶ビール、息子達は凍らせてきた杏エードで喉を潤しました。

 帰りは、林道まではほぼ同じコース。途中、武田別働隊が越えたのではないかと伝わる西条の入から坂城の日名へ抜ける通称猿飛越えの峠を見て林道樽滝芝平線に下りました。しばらく林道を歩き、縄文の名水へ。霧が立ち上がるほど冷たい水が大量に出ています。水温を測るとなんと8度。タオルを浸して汗をぬぐいました。ペットボトルに冷水をたっぷりと詰めて出発。帰りは三滝上に下りるすごい急斜面の尾根を下りました。

 この尾根はまず下り口が難しい。道はなんとなく右へ下っていますが、下り口から15m程急斜面を下ったら、左の木落の沢へ下りていかなければならないのです。右へ下りると登ってきた谷に下りてしまいます。木落の沢を下っていくと、やがて尾根に乗ります。ここからもすごい急斜面です。途中傘の直径が30センチ近くあるカブラテングタケを発見したり、チチタケを採ったりしながら下りました。

 ほとんど崖状になった尾根を下ると、最後は三滝上の崖に出てしまいます。戻って右へ下りるルートを探します。左はザレていてカヤが多くて痛くてとても下れません。右もカヤがあるのですが、少ないのでなんとか下れます。やっと治助橋上のトラロープを発見し、それを頼りに下り立ちました。そして三滝の上段の滝で水遊び。縄文の名水ほどではありませんが、ここも水温は10度前後。火照った首や手を冷やしました。

 今回の谷のルートは、とてもお薦めできるものではありませんが、藪こぎを厭わない人にはとてもいいコースです。浮き石や落石、倒木も多いのでそれなりの準備は必要ですが、晩秋から早春までは大雪でなければより遡上は容易になります。また、三滝遊歩道は、ファミリー向きと書いてありますが、ここも浮き石や落石だらけで、手すりもないので、幼児や老人は要注意です。サンダル履きで気軽に歩けるようなコースではありません。

★このトレッキングは、後日フォトドキュメントの手法で綴るトレッキング・フォトレポート【MORI MORI KIDS(低山トレッキング・フォトレポート)】の「三滝--鏡台山」を御覧ください。


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杏の香りのキノコと和製ポルチーニ(妻女山里山通信)

2009-08-08 | 男の料理・グルメ
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 集中豪雨並の雷雨で、山がどうなったか心配で見に行きました。斜面を登っていくと、いつもと風景が違います。整備中のわが家の山に隣の山林から大きな赤松が倒れていました。松食い虫で立ち枯れしていたので心配していたのですが、昨夜の豪雨で倒れたようです。幸い枝打ちしたカエデをなぎ倒したくらいで済みましたが、枯れ枝を伐採し、片付けるのに難儀しました。あと数メートルずれていれば、わが家の大切な山栗の大木が犠牲になるところでした。

 信じられないほど雨が多いせいか、森の中はキノコだらけです。でも多すぎるために生えてもすぐにカビたりして傷んでしまいます。今回も、イタリアではポルチーニ。フランスではセップ。英米ではサマー・セップといって珍重される高級キノコ、ヤマドリタケモドキが十数本生えていました。ハラタケ目イグチ科ヤマドリタケ属の美味しい食用キノコです。しかし、当地では誰も採る人がいません。

 乾燥ポルチーニなどは、結構いい値段で売られていますし、イタメシ屋でポルチーニのパスタを食べて、その美味しさをご存じの方もいると思います。エビとポルチーニのクリームパスタは、超簡単でバカ旨のイタリアン。 ジンでフランベするのが、私オリジナルのレシピです。

 しかし今回、残念な事にほとんどは傷んでいました。それでも4本状態のいいものがあったので採取。これは、天ぷらにすることにしました。少ない本数でも重量感があり量もあるので、残りはパスタに使ってみようと思います。味も良く、甘い香りと歯ごたえがいいキノコです。ただ、ドクヤマドリとか、苦くて食べられない他のイグチ科の紛らわしいキノコがあるので注意が必要です。ドクヤマドリには、ヤマドリタケモドキのような柄に美しい網目模様がありません。

 図鑑には、欧州のものに比べて香りも味も薄いと書かれているものもありますが、少なくとも私が知る限り、都内の高級スーパーで売られている輸入生ポルチーニよりも、香り、旨味、甘さとも格段に濃厚でした。特に柄の断面はまるで白トリュフのようで、歯ごたえもあって絶品でした。

 ついで見つけたのは、杏の香りがするアンズタケ。ヒダナシタケ目アンズタケ科アンズタケ属。松茸とか椎茸は、いわゆるカビ臭があるので嫌う欧米人も多いのですが、このキノコは本当に爽やかな杏の香りがします。いわゆるキノコの香りとは全く違うので、知らない人は驚くでしょう。これも似た毒キノコがあるので、きちんと同定できるひとがいないと危険ですが、杏の香りが目安にはなります。今回は、少量だったのでオムレツにして私が食べてしまいました。

 他にも傷んでいて採りませんでしたが、ハツタケやオニイグチモドキなどがありました。夏のキノコ狩りは、しばらく続きそうです。

★ネイチャーフォトは、【MORI MORI KIDS Nature Photograph Gallery】をご覧ください。キノコ、変形菌(粘菌)、コケ、花、昆虫などのスーパーマクロ写真。滝、巨樹、森の写真、特殊な技法で作るパノラマ写真など。

★新信州郷土料理として、MORI MORI RECIPE(モリモリ レシピ)の西洋料理の野菜・卵・山菜・茸にアカヤマドリのプロヴァンス風オムレツのレシピを載せました。この料理は、ヤマドリタケモドキ(セップ)やポルチーニでも美味しくできます。
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粘菌のラデツキー行進曲:茶臼山里山通信(妻女山里山通信)

2009-08-06 | アウトドア・ネイチャーフォト
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 関東に比べると北信濃の梅雨は雨量が少ないのですが、今年は例外のようです。大量の雨が降ったせいか、キノコも粘菌も非常に元気です。山はアカジコウ、アカヤマドリ、チチタケ、アイタケなど、夏のキノコだらけ。もちろん粘菌も元気です。ラデツキー行進曲に合わせて進軍するかの如く、倒木上を這いずり回っています。今回見つけたのは、キウツボホコリとクダホコリ。

 まずウツボホコリ科ウツボホコリ属のキウツボホコリ(黄靫埃)。胞子が飛んだ後の網目のような細毛体が見えます。また、周囲に飛散した胞子も少し見えます。上の写真右上は、まだ成長過程のもの。甲虫が来ていましたが、胞子を食べていたのかは確認できませんでした。

 次に見つけたのは、クダホコリ(管埃)ドロホコリ科クダホコリ属。変形体は無色から白色。中の写真は裏返したところ。子実体の基部となる変形体の白い膜が見えます。下の写真は割ってみたところ。既にネバネバした状態からコンニャクゼリーぐらいの固さになっていました。先端部がふた状に裂開して胞子を飛ばします。未熟な子実体は、可愛いベビーピンクで、次第に朱色がかり、やがて褐色へ。中には紫になるものもあります。子実体は、写真のように蟹蒲鉾のように単子嚢体がいくつも密着した擬着合子嚢体。

★これ以外の粘菌は、【MORI MORI KIDS Nature Photograph Gallery】の変形菌(粘菌)をご覧ください。











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アールヌーボーのランプのようなキノコ(妻女山里山通信)

2009-08-05 | アウトドア・ネイチャーフォト
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 林道の脇、エノキの枝の下にたくさん生えていたのが写真のキノコです。傘の直径は1センチ内外。高さは6センチほどの小さなキノコです。まるでアールヌーボーのランプのようなお洒落なキノコ。自然というものは、時に見事なデザイナーぶりを見せてくれます。

 これはハナオチバタケといって、キシメジ科ホウライタケ属のキノコで褐色タイプ(傘が肉桂色)。他に薄紅色タイプがあります。それも可愛くてお洒落です。か細い軸は以外と強靱です。写真のように曲がったり、一回クルッとまわったりするものもあって見飽きません。もちろん食べられないキノコですが、なんとも愛らしいキノコです。

★妻女山には、夏休みの観光客と昆虫採集の子供達が来ています。スズメバチに注意してください。黒髪、黒い服は危険です。威嚇されたら姿勢を低くしてその場を立ち去ること。絶対に手などで振り払ってはいけません。妻女山は戦国時代はなかった。詳しくは、本当の妻女山について研究した私の特集ページ「妻女山の位置と名称について」をご覧ください。

 ★ネイチャーフォトは、【MORI MORI KIDS Nature Photograph Gallery】をご覧ください。キノコ、変形菌(粘菌)、コケ、花、昆虫などのスーパーマクロ写真。滝、巨樹、森の写真、特殊な技法で作るパノラマ写真など。キノコ、粘菌、夏の花、昆虫、樹木、蝶などを更新しました。トレッキング・フォトルポにない写真も掲載してあります。
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スルメタケって美味しそう?(妻女山里山通信)

2009-08-04 | アウトドア・ネイチャーフォト
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 山に除草をしに行って、足元に大きなキノコを発見しました。左右は40センチ近くあります。雨後のため濡れていて表面は滑らかですが粘性はなく、固いゴムのような触感です。しかもひとつのキノコではなく、どうやら複数のキノコが成長過程で合体したようです。横から見ると親キノコの上に子キノコ乗せて子キノコの上に孫キノコ乗せてという風情。まるでキノコの段々畑か集合住宅です。横には単独ではえた直径6センチぐらいの同じキノコもありますが、これも二階建てでした。

 これは多孔菌科スルメタケ属のスルメタケ。広葉樹の根株腐朽菌で、これに取り付かれると木は枯れてしまいます。このキノコは、切り株に発生しているのではなく、地下にあるソメイヨシノの根を侵して地上に生えているのでしょう。傘裏の孔口は非常に小さく肉眼ではほとんど見えません。草をかんでいますが、キノコとキノコの間に入って、成長過程で挟まれてしまったんですね。草にしてみればいい迷惑です。

 これだけ大きなキノコですから食べられると嬉しいんですけど、多孔菌科のキノコで食べられて美味しいのはマスタケぐらいですかね。スルメは食べられなくて鱒(マス)は食べられるんです。名前の通りサーモンピンクのきれいなキノコで、フライにして食べたら鶏肉のフライのようで大変美味でした。でも多孔菌科のキノコで最も美味といえば、忘れてはいけません。やはり舞茸ですね。これに勝るものはありません。

 面白いキノコを見つけたと喜んで林道を歩くと、アールヌーボーのランプのようなお洒落なキノコを見つけました。それは次回に紹介します。

★ネイチャーフォトは、【MORI MORI KIDS Nature Photograph Gallery】をご覧ください。キノコ、変形菌(粘菌)、コケ、花、昆虫などのスーパーマクロ写真。滝、巨樹、森の写真、特殊な技法で作るパノラマ写真など。
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森本と本田を使えないなら岡田監督は失格

2009-08-04 | サッカー
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 PSVのサポーターもうならせた本田の活躍はすごいですね。三人抜きのドリブル。ヒールパスにダイレクトボレー。沈静した移籍騒動も再燃。責任感はもちろん、実力的にもまだまだ伸びしろがあるように思います。
 森本もゴールこそありませんが、本番に向けて調子は上がってきているようです。今年は二けた得点を狙っているそうですし、活躍が期待されます。

 システムに合わないから代表に呼ばないというのは、ブラジルのようなハイレベルの選手が何人もいる国が言えること。日本人でセリエAのFWでレギュラーの選手は森本しかいないし、欧州の一部リーグでキャプテンの選手も本田しかいません。この二人を代表にいれなかったら、世界の笑い者になるでしょう。

 問題は、岡田監督が使いこなせるかどうか。ふたりが今の代表の戦い方に合わないというほど特殊な選手だとは思いません。要は、監督と周りの選手が二人の特徴を理解して使いこなせるかどうか。本田は中村とかぶると言われていますが、中村はエスパニョールでもしたように左もできるし、ゴールへの意識が強いのは本田の方が上なので、本田が右で中村が左でもいいのでは。本田のセンター、或いは森本と並べて1.5列目で使う手もあるのではないでしょうか。欧州列強と戦う場合、中村憲剛はフィジカル的にやや不安が。ボランチに下げて使う手もあるのでは。

 ボランチには、守備の強いストッパータイプがひとりは欲しい。長谷部と遠藤に、今や欧州列強チームを渡り歩いたベテラン稲本の復活も願いたいところ。問題はよく指摘される右サイド。先日の試合でマッチアップでことごとく勝っていた柏の大津を左で使って、右に長友をコンバートなんて奇策は? 大津は、早く代表に呼んで鍛えた方がいいと思うのです。才能は十二分にあるので、意識改革になると思うのです。バックアップの阿部と今野は、なぜかポカが多いのが気になりますし、駒野の凋落が著しいと思うのは私だけ?

 闘莉王と中澤の後継は、早急に発掘しなければいけないのは周知のことですが、じつはGKも危ないと思っています。現在のキーパーは、正確で強く遠くまでスローインできることが必須。それもキャッチしてから素早く判断して。そう言う意味では楢崎は、旧来のタイプで遅い。GKコーチや監督の指示がないのかもしれませんが、ゆっくり組み立てる場合は、相手がアジアチームで格下ならともかく、こちらが格下のW杯では、そんな攻撃では得点できません。ここは楢崎の意識改革か、新しいGKの発掘を期待したいところです。

 早く代表に呼んで欲しいのは、F東京の石川。今期の活躍は、決してまぐれではありません。既にベテランですし、攻撃しなければならない時にいい切り札になるのではないでしょうか。FWが入れてくれればベストですが、ストライカー不足はなにも日本に限ったことではありません。要はだれが得点してもいいからチーム全体の得点力が上がればいいわけです。それには、全員が守備の意識と同時に、ゴールの意識を持たなければいけないのです。その意識づけがまだまだ足りないように思います。

 VVVのファン・ダイク監督が、PSVのアフェライと本田。どっちが上か?という質問に2人は違うタイプの選手だが、本田はより頭がいい選手だ。と応えたとか。現代サッカーは戦術が複雑で展開が速いため、頭脳の素早い切り替えも要求されます。フィジカルや技術と共に頭脳が必要だと思います。実はブラジル人も、相手を翻弄するインテリジェンス溢れるプレーを好むのです。それが本来のマリーシア。決してこずるい、こざかしいプレーのことではありません。

 とにかく、大迫や大津など若いプレーヤーも、なるべく早く呼んで、欧州列強との試合で経験を積ませ層の厚い日本代表を作り上げて欲しいものです。
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奇妙なキノコ:茶臼山里山通信(妻女山里山通信)

2009-08-03 | アウトドア・ネイチャーフォト
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 「奇妙な果実」とは、リンチされ木に吊されて焼かれた黒人の歌。アメリカの黒人差別を告発するビリー・ホリデイの名曲ですが、森を歩いていると時々奇妙なものを発見します。粘菌もそうですが、今回見つけたのは、まるで達磨(だるま)のような奇妙なキノコ。白くまん丸い基部から出臍(でべそ)のようなものが飛び出しています。匂いを嗅ぐとかすかにえもいわれぬ異臭が。食毒不明とありますが、この臭いでは食べる人はいないでしょう。

 夏のキノコ狩りをする人は、本当にキノコ好きかマニア。暑い夏の森はスズメバチなど危険がいっぱいですからね。夏、サマータイムといえば、ビリー・ホリデイが有名ですが、ジャニス・ジョプリンのもいいですね。70年代の美大のキャンパスには、ジャニスの真似をしてトンボメガネにノーブラでタンクトップの女の子があちこちにいました。ジャニスというと、やはりムーヴオーヴァーを忘れてはいけませんね。

 夏は秋以上に猛毒のキノコが多いと感じるのは私だけでしょうか。特にドクツルタケが多い。あちこちに見られます。「死の天使」は、雨がお好きなようです。そして次に見つけたのがシロオニタケ。これも食毒不明とありますが、ドクツルタケと同じ科のキノコですから食べるに気にはなりません。本によっては毒キノコと書かれたものもあります。

 そして、赤松林で見つけたのが、ヘビキノコモドキ。名前からしてもう毒キノコと分かります。幼菌は、金属のような光沢があります。見るからに怪しいキノコです。幻視が現れ、昏睡状態になるとか。

 やっと見つけた食菌がチチタケ。人が足を踏み入れないような急斜面に群生していました。滑落しないように木に掴まって採取。触ったり柄を折ったりすると白い乳液がたくさん出ます。それで乳茸。栃木県では、チタケともいって大人気のキノコらしいですね。これをナスと油炒めして、うどんや冷や麦、素麺、蕎麦のつゆにすると絶品です。

 キノコは、縄文時代から日本人の食料でした。遺跡からキノコの形を正確に模した粘土細工が見つかっています。万葉集にもキノコのうたが。
 高松の この峰もせに 笠立てて 満ち盛りたる 秋の香のよさ
 (高松之 此峯迫尓 笠立而 盈盛有 秋香乃吉者)
 これは、秋の香のよさということから松茸をうたったものといわれているそうです。奈良の高圓山という説があります。

★ネイチャーフォトは、【MORI MORI KIDS Nature Photograph Gallery】をご覧ください。キノコ、変形菌(粘菌)、コケ、花、昆虫などのスーパーマクロ写真。滝、巨樹、森の写真、特殊な技法で作るパノラマ写真など。
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妻女山から斎場山への行き方(妻女山里山通信)

2009-08-02 | 歴史・地理・雑学
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 夏休みに入って、妻女山を訪れる人も増えてきました。妻女山を訪れるにあたって、妻女山(斎場山)について研究した私の特集ページ「「妻女山の真実」妻女山の位置と名称について」をご覧になって来る方もおられるようで、たまたま妻女山に居合わせた折りに、何人かの観光客や団体の方を斎場山まで案内したことがあります。

 といっても、いつも妻女山にいるわけではないので、検索した折りに妻女山から斎場山への行き方が分かるように記事を書くことにしました。掲載の写真と合わせてご覧いただければ、迷わず行けることと思います。また、注意事項も記しますので参考にしてください。

●1 出発地点は、妻女山展望台と妻女山松代招魂社奥の駐車場です。右の林道に入ります。斎場山まで10~20分ぐらいかかります。今の季節は、クロメマトイという目に飛び込んでくる小さな虫が多いのでメガネは必須です。また、ハチに襲われないように黒髪や黒い服は禁物です。香水も不可。

●2 林道入口に説明と簡単な地図を記した看板があります。

●3 すぐに急カーブがありますが、ジグザグに登って6つ急カーブがあります。途中運がよければ、ニホンカモシカに遭遇するかもしれません。タヌキ、野ウサギ、テンもいます。

●4 高い唐松林を抜けると6つめ、最後の急カーブです。この辺りはノケダン(野毛壇)といって崖と平地が段々になった地形です。猪が掘り返した跡があちこちに見られます。

●5 ゆるやかに曲がりながら尾根に沿って登ります。

●6 10~15分ほどで東風越(こちごえ)という峠の分岐に出ます。ここを右へ入ります。2分で斎場山です。
逆に道なりに左へ行くと、約5分で謙信陣城跡と伝わる陣場平(天城山と堂平古墳の標識あり)、さらに約20分で天城山(てしろやま)。そこから約30分で鞍骨城です(標識完備)。
東風越からは、西方に冠着山(姥捨山)、三峯山、有明山、森将軍塚古墳などが見えます。また南方には天城山が見えます。陣場平方面は、オオスズメバチが集まる樹液の出る木が何本もあるので要注意です。

●7 東風越から右へ。一旦鞍部に少し下って登り返すと、右手に円い古墳の丘が見えてきます。目指す斎場山古墳です。

●8 登りきると斎場山古墳の登り口。上に標識が見えます。右手に林間に七つ並ぶ小さな塚を見ながら直進すると、御陵願平の広場に出ます。転訛して竜眼平とか両眼平とか呼ばれます。
急坂を下ると尾根の先に国指定史跡埴科古墳群のひとつ土口将軍塚古墳があります。さらに先には謙信寝屋があったと伝わる薬師山(笹崎山)。現在は小さな薬師堂があります。さらに右へ下ると笹崎から千曲川堤防、岩野集落に出ます。左へ下ると古大穴神社を経て土口集落です。

●9 斎場山山頂です。標識には五量眼塚古墳とありますが、これは宛字で誤りです。正しくは地名をもって斎場山古墳です。信玄軍が千曲川対岸にいたときに、ここを謙信が本陣としたと伝わっています。そのため床几塚、謙信台などの呼び方もあります。山名は斎場山。(この辺りの山は、いずれも個人所有の私有地なので、マナーを守ってください。)

●10 木々に遮られて展望は限られますが、千曲川の向こうに川中島古戦場が見えます。また晴れていれば飯縄山や戸隠連峰が見えます。
海津城は右手ですが、樹木で遮られて見えません。冬枯れの季節なら茶臼山は見えます。鞍骨城など山城探索には、熊やスズメバチ、藪の心配のない晩秋か早春がおすすめです。

「妻女山」「妻女山 行き方」「妻女山 地図」「斎場山」「さいじょざん」「さいじょうざん」
 より新しい記事です。地図も掲載しています。こちらを御覧ください。

★妻女山(斎場山)について研究した私の特集ページ「「妻女山の真実」妻女山の位置と名称について」をぜひご覧ください。武田別働隊の経路図、きつつき戦法の検証、上杉謙信斎場山布陣図などもご覧いただけます。
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タラコと春雨 可愛い変形菌(妻女山里山通信)

2009-08-01 | アウトドア・ネイチャーフォト
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 どう見てもタラコと春雨にしか見えないのは、倒木に出た変形菌(粘菌)です。夜明けと共に子実体形成が始まったのでしょうか。タラコのように見えるのはクダホコリですが、子実体形成がかなり進行しているのか、触れてもアメーバー状に崩れず弾力性があります。もう少し成長しそうですが、伸びきると胞子形成が始まります。それに伴って色はピンクから茶褐色、または紫がかった茶褐色へと変化し、乾燥すると一気に胞子を飛ばし始めます。クダホコリは、MORI MORI KIDS Nature Photograph Galleryの変形菌(粘菌)1ページ目に未熟から子実体まで、色々な写真があります。

 春雨の方は、ツノホコリの変種のエダナシツノホコリ。クダホコリと違い先端に無色の外生胞子をひとつつけます。粘菌の中では原始的なタイプといわれています。純白の粘菌は、薄暗い林下でもよく目立ちます。ツノホコリは、公園や雑木林などでもよく見られる粘菌ですが、純白でたいへんきれいです。

 東北地方は、5年連続で梅雨明けが8月にずれ込んだそうです。関東甲信越も梅雨明けしてからも雨ばかり。山も畑も雑草がはびこって大変ですが、粘菌は元気です。

★ここに登場した粘菌は、【MORI MORI KIDS Nature Photograph Gallery】の粘菌3にアップします。
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