モリモリキッズ

信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

壇香梅薫りカモシカ緩む妻女山早春賦(妻女山里山通信)

2012-03-28 | アウトドア・ネイチャーフォト
 早朝の激しい名残雪で妻女山は真っ白になりました。3月下旬で早春賦は、いくら信州でも時期が遅すぎるのが例年ですが、今年に限ってはそれでいいようです。いつも3月初めに咲き始め、中旬には満開になる妻女山の壇香梅(だんこうばい)が、やっとほころび始めました。

 壇香梅によく似た花にアブラチャンがあるのですが、壇香梅が枝から直に咲くのに対してアブラチャンは花柄があるので区別がつきます。といっても遠目では分かりませんが。妻女山には壇香梅しかないので間違えようもありません。

 陣場平の編笠百合(貝母)もようやっと蕾をつけました。といっても満開になるにはまだ半月ほどかかります。中国原産で薬用として輸入されたものなので、植物図鑑にもあまり載っていませんが、茶花や観賞用として静かな人気があるので、自然愛好家よりはむしろ園芸家に知られた花かもしれません。

 ここは、昔薬草畑だったところが野生化したものですが、3年前に私が発見した時には薮に覆われて絶滅する寸前でした。灌木等を切り払って復活しましたが、日当りを好むので周りの森の中へはあまり浸食していかないようです。

 足早に戻る途中で視線を感じて見上げるとニホンカモシカがいました。シロだと思うのですが、まだ冬毛が落ちていないようです。去年は3月10日に夏毛になっていたので、半月以上遅れていることになります。最低気温が0度、最高気温が10度以上が続くと抜け落ちる感じです。おそらく今週中には抜け落ちると思います。

 3月下旬というのに山はまだ梅も咲いていません。これで急に気温が上昇すると、梅、杏、桜、桃、林檎と連続して一気に咲くことになりますが、エルニーニョの影響で低温が続くと開花も遅れて農作業にも影響が出てきます。今年は、長期予報で北海道、東北が低温傾向と出ているので、冷害による農作物の不作が心配されます。

 加えて関東、東北の放射能汚染の影響で野菜が品不足となって高騰するかもしれません。というわけで、今年は自家用野菜を例年より多種類多量に栽培することにしました。これで、大地震でも起きたら本当に大変な事態になるでしょうから。家庭菜園やベランダ園芸をしている人は、充実させておいた方がいいかもしれません。

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ニホンカモシカが森の哲学者といわれるわけ (妻女山里山通信)

2012-03-24 | アウトドア・ネイチャーフォト
 天気がぐずついて気温も上がらず北信濃の春は足踏み状態。いつも3月初めには咲く近所の白梅もようやっと咲き始めたばかり。明後日の天気予報は雪マーク。こんな寒い春は、記憶では1984年ぐらいでしょうか。4月10日にブラジルから帰国した時、東京はまだ桜が開花していませんでした。

 あの年は東京都心では冬期間(12 - 2月)の総降雪量がなんと89cmでした。そして半年以上低温が続いたのです。ラニーニャがその原因のようですが、今年もラニーニャが収束しないと冷害が出て春夏の野菜が高騰するかもしれません。そうでなくても、関東東北の野菜は放射能の影響が出ているというのに。そんなわけで今年は例年以上に野菜の種類と量を増やして栽培することにしました。

 去年は、3月10日に冬毛が抜け落ちたのを確認した妻女山のニホンカモシカですが、今年はまだ夏毛になっていません。月の輪熊も3月中旬に目撃情報がありましたが、いずれも今年は遅れそうです。
●2011年3月1日:まだ冬毛のニホンカモシカ。
●2011年3月10日:冬毛が抜け落ち夏毛になったニホンカモシカ。(抜け落ちた冬毛のカットも)

 写真は、ニホンカモシカの塒(ねぐら)と糞場、角研ぎ場、餌場です。巣は急斜面に囲まれた杉林の林床にあり、ヤブソテツなどのシダ類が地面を覆っています。よく見ると杉の根元に座った窪みがあるのが分かります。このヤブソテツやリョウメンシダなどは、ベッドにもなり、また餌が少ない冬期の食料にもなります。

 夜明けとともに目覚めるとまず近くの糞場に行きます。糞場は決まっていて、シカのように歩きながらすることはありません。いっぱいになると近くに糞場を移します。脱糞は決まった糞場だけでなく採食歩行の途中にもするので、獣道の途中にも見られます。小用はどこでも。餌場は、歩きながら採食するので山中全部ですが、必ず立ち寄る場所が2、3カ所あります。

 ニホンカモシカは、オスメスともに角があるので見分けにくいのですが、小用のときに深くしゃがむのがメスで、割と高い位置でするのがオスです。オスの方が立ち小便がし易いというのは人間と同じですね。糞場からは、よくヒトヨタケ科のキノコが発生します。キララタケやササクレヒトヨタケなど。ササクレヒトヨタケは、真っ白でマッシュルームとエノキダケを合わせたような食感と味でバターソテーなどにすると美味しいのですが、さすがに糞場に出たものは食べません。

 角研ぎは、太さ3~4センチの木で行い、高さは50~80センチぐらい。子供はずっと低い位置で。写真の木はヤマザクラです。他にはリョウブとか。なぜ角研ぎをするかは、実はよく分かっていないようです。シカの場合は皮膚を削ぎ取る意味があるのですが、ニホンカモシカの場合は、それは不要ですし。

 武器として使用するために先端を尖らせると書いてあるのも見ましたが、どうでしょう。実際の角研ぎの場面を見ると先端ではなくむしろ根元の方をこすりつけています。老獣では、根元の方が、角研ぎによってえぐれているのを見る事ができます。角研ぎの後で眼下腺から液を出して縄張りを主張するマーキングをしているのを見たことがあるので、角研ぎ自体マーキングのひとつなのかもしれません。

 ニホンカモシカは、基本的に鳴かないので鳴き声を聞いたことのある人は少ないと思います。よく「シュッ」と鳴いたと書いてある記事がありますが、それは鼻から出す威嚇音で、鳴き声ではありません。私はたった一度だけ鞍骨山で子供が母親を呼ぶ鳴き声を聞いたことがありますが、その声は「グエ~ッ」という感じで濁声のヤギのようでした。普段鳴かないニホンカモシカが鳴いたのですから、その子にきっとただならぬ事が起きたのだろうと思いました。発情期には、メスもオスも鳴く事があるようですが、普段はいたって寡黙な動物です。森の哲学者といわれるゆえんです。しかし、好奇心が強いため狩られやすく、ニクバカとか単にニクなんて方言もあるちょっと可哀想な動物でもありました。







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春の儚い妖精・節分草がやっと咲いた北信濃の遅い春(妻女山里山通信)

2012-03-21 | アウトドア・ネイチャーフォト
 暖かい春ならば3月上旬に咲く千曲市の節分草がやっと咲き始めました。千曲市には二カ所の群生地があります。戸倉駅の西のキティーパークの近くにある群生地と、倉科の杉山にある群生地。前者の方が大規模で観光化されています。日当りもいいので咲き始めもやや早いようです。

 例年通り、倉科の三滝近くにある群生地に寄ってみました。ここは半日陰の杉林の林床に群生地があるため咲き始めも遅く、戸倉ほどの群生もありませんが、訪れる人も少ないので静かに撮影ができます。今春は寒さで開花が昨年より1週間ほど遅れています。そのせいか先日出会ったニホンカモシカは、まだ冬毛のままでした。

 節分草やカタクリのように早春に咲き、2、3ヵ月でその年の生活サイクルを終え消えてしまう植物は、スプリング・エフェメラル(Spring Ephemeral、春の妖精、春のはかない命)と呼ばれます。節分草は、万葉集には詠われていませんが、平安時代の「本草和名」や「倭名類聚鈔」に「以倍仁礼(いえにれ)」という古名で登場します。

 節分草の種には、アリをひきつけるエライオソームという物質がついていて、種と一緒にアリが巣に運んで発芽する虫媒花(アリ散布植物)です。日本には200種類以上あり、アリが絶滅すると絶えてしまう植物です。種子から開花まで3年以上かかるので、林床の環境が良い状態で続かないと生育ができません。昔は雑木林に入って薪広いや草刈りをしたので、明るい林床にセツブンソウがたくさん咲いたのです。カタクリと同様、人の暮らしと密接な関係にある植物だったのです。ですから、自生地の環境が破壊されると真っ先に消える植物です。(絶滅危惧植物II類)

 節分草はキンポウゲ科セツブンソウ属で、本州の関東地方以西に分布する高さ10センチほどの小さな多年生草本。花の直径は約2センチ。花びらに見えるのは萼です。先が黄色く見えるのが退化して蜜腺になった花びらです。雄しべのスモーキーヴァイオレットと白、黄色の組み合わせが、北欧の妖精の様な雰囲気を感じさせる可憐な花ですが有毒です。

 帰りに立ち寄った三滝は、月の名所鏡台山を水源とする三連の滝で、普段は水量が少ないのですが、雪解けの水が滔々と流れていました。
「三瀧山岩の苔間に住ながら思ひくらせし瀧の水かな」(西行法師)
 此歌里俗の口碑にして、確乎たらず。(倉科村誌)

 北信濃の里山では、まもなく梅、壇香梅(だんこうばい)、木五倍子(きぶし)が咲き始めます。

【信州の里山】春の花 Spring Flowers in Shinsyu


フォト・レポート「花と新緑の鞍骨城跡」

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孫崎 享さんの『不愉快な現実』発売に関してのツイートまとめ

2012-03-16 | 歴史・地理・雑学
孫崎 享 @magosaki_ukeru
著書:『日本の国境問題ー尖閣・竹島・北方領土』『日本人のための戦略的思考入門』『情報と外交』『『日米同盟の正体』、『日本外交 現場からの証言』(第2回山本七平賞受賞)、今、東アジアの安全保障『不愉快な現実』(3月16日発売)


 冒頭:東アジアで今、大変革。それも、日本に不利な大変革。後世、歴史家は2010年を東アジアでの大転換の象徴的年とみなす。2011年1月朝日新聞は「中国、GDP(国内総生産)世界2位へ 日本抜く」「日本は1968年に西独抜き以来“世界2位の経済大国”。この看板降ろす」。
 中国がGDPで日本を抜いた現象は、「世界2位の経済大国」の座をめぐる戦いに終わらない。中国が米国を追い抜く序章。日本は第二次大戦以降、米国との関係を重視で生きてきた。米国との関係重視すれば、日本の繁栄があると思ってきた。しかし「日本が米国に全面的に依存する。
 その結果、日本が繁栄する」図式には、コインの裏側に、第二次大戦以降、米国が東アジア戦略で日本を最も重視の事実。今中国が台頭。2010年中国GDPは日本を抜く。当然、米国は東アジアで最も重視する国を日本から中国に移し変え。第二次大戦から今日まで続いた日本の環境は一変。

 この中、日本はどう生きるべきか。日本の環境が一変、当然、日本国内には、この歴史的大転換を前に、新戦略の在り方が真剣に論議されるべき。その議論はない。何故。政治家、官僚、マスコミ、「過去の政策の延長線上で全てがうまくいく」という幻想の中。「日米同盟強化」というスローガンを取り憑かれたように、ただ繰り返し。中国の大国化という歴史的大変化を前に、日本では変化に対応する戦略の用意が全くない。「現状維持でよい」「日米強化をすればよい」とみなす人々は次のように言う。

 「中国には問題。中国が大国化することはない」「米国は、中国に対抗するために、日本を必要。だから日本は米国への依存体質を強めれば安心」「独裁国家の中国と日本が連携することはありえない。我々の課題は独裁国をとるか、民主主義国家米国をとるか」論は勇ましい。
 しかし、今やこの論は実態から遊離。中国は大国化する。米国は日本よりも中国を重視する。」 我々日本人にとって、極めて「不愉快な現実」である。しかし「不愉快な現実」から目をそむければ「不愉快な現実」が消えるわけでない。見極め、日本としてどうするかを考える勇気が必要である。それがこの本の目的。

 多くの人は中国の核兵器に対して米国の「核の傘」があると思っている。ない。もし中国が日本を攻撃したら米国は中国に核攻撃すると脅しても、その時は米国の都市(例えばシアトル)に報復すると言った途端、米国は脅せない。米国有力学者、元CIA長官等発言してきていること。

 次は尖閣諸島。多くの人は米軍が出てきてくれると思っているが出ない。先ず法律論。安保条約は「日本の管轄に攻撃があった時」。今尖閣を最初に守るのは日本で合意。自衛隊守り切れなかったらどうなるか。管轄は中国に移行。その際は最早、安保の対象でない。この事、アーミテージ元国務副長官明言。次に軍事。今中国の300機以上の戦闘機は台湾に向けて配備。これは全て尖閣の行動圏内。これを日米で排斥できるか。出来ない。中国の潜水艦50隻以上。これ瞬時に排斥出来るか。米国が尖閣守るには中国との大規模戦争の覚悟が必要。
 米国の戦闘機が日本の基地から出れば、中国、ミサイルで簡単に在日米軍滑走路を破壊出来る。軍事的対応はない。それを前提に考えるべし。世界の戦争は 国境問題、米国の民主化のための戦争を除けば、今日ほとんどない。戦争でえるものと失うものの比較では圧倒的に失うものが多い。

 中国共産党が支配を継続するためには国民の経済水準向上が唯一の手段。そのためには市場の確保等安定した外的環境が必要。この判断は米国国防省の見解。我々には中国に軍事的に対抗出来る手段はない。ないのにあるかの如き幻想に浸るべきでない。ないことを前提にどうするかを考えるべき。
 実現出来ない選択をあたかも、存在するかの如く話す人は国を滅ぼす。戦略比較では第2次大戦前の日米バランスより、今の日中バランスの方が遙かに悪い。軍事的に中国と対峙は日本の生き残りにはない選択。 打つ手なければ他を捜す。囲碁や将棋の常識。無い手考えるは負けに直進。

 もし、日本の将来を真剣に考えて見ようと思うなら、読んで見て下さい。考える材料は詰めました。

 後書き部分:新しいパラダイム変化の中、日本の生きる道を模索。独仏は第一次、第二次大戦を戦った.今誰も独仏が戦いと思わない。EUを中心に複合的相互依存関係が出来た日本が東アジア諸国を自国の繁栄の核心であることを認識し、複合的相互依存関係を強化する必要がある。では日本はその道を歩むか。私は、悲観的。日本人は本来、知的水準の高い国民。客観的情勢を把握すれば、正しい方向に歩む国民。しかし、日本は今、独自に自己の戦略を考えれぬ。

 筆者は2009年『日米同盟の正体』記述。ここで日本が米国戦略の中に取り込まれ、世界的な範囲で軍事的な貢献をすることを指摘。今、この事態は一段と進む。日本社会が全面的に米国システムを導入する事が求められてる。典型がTPP。TPP騒動で極めて異常な事態。2011年11月TPPで紛糾。この中、ペリー元米国防長官、米戦略国際問題研究所所長、前駐日大使、アーミテージらが野田首相と会談。さらにキッシンジャー。圧力以外の何物でもない。日本が自分の進路を考える際に、過去米国は介入。今後も、節目節目で米国の強力な圧力あろう。
 圧力中、日本の首相が客観的に自己の行く末を選択するのは容易でない。無理。首相本人が頑張ろうと思っても、引きづり降ろされた。政界、官界、経済界、マスコミ、ここには米国に従属するシステムが出来上がっている。日本が中国との関係を構築しようとすると、「米国とるのか中国をとるのか」という声。この言葉で、一気に冷静な情勢判断が出来なくなる。今、日本人に求められているは「日本の隣国中国は、経済・軍事両面で米国と肩を並べる大国になる」という事態を直視出来るか否か。そして「“米国との協調を求めれば日本の繁栄があるという時代は終わった」という事態を直視出来るか否か。

 日本は明治時代以降、過去一五〇年間「中国に未来はない」「西洋の文明國と進退を共にし、正に西洋人が之に接するの風に從て處分す可きのみ」(福沢諭吉著「脱亜論」と思ってきた。一五〇年の歴史の中、この考え方は日本人の中に深く浸透。
 その中筆者の論、多分、多くの国民の耳に届かない。昔、私は米国情報関係者と「犬死」論争。「国家機関で働く者には犬死とみられる任務が課せられることがある。その時どう対処」が筆者の問。答え「ノルマンディへ行け。墓標を見ろ。多くの戦士は崖をよじ登った。上から機関銃。兵士は上るだけが精一杯。反撃すら出来ず。ノルマンディはその人達の墓標。しかし、“犬死”とみられる行為の積み重ねの上に、誰かが登りきった。そして勝利を得た」この言葉はその後、何となく私の生き方に影響を与えていると思う。この本も、「犬死」なら犬死にの役目。
(まとめはここまで)

 黒船来襲以来、欧米への劣等感に苛まれてきた日本が日清日露に勝って大恐慌後の1930年(前年後藤新平死去)から軍国主義に邁進。敵うはずのない米に宣戦布告して完膚なきまで叩きのめされ隷属。その結果が今日。この対米トラウマを払拭しないと日本の再興はない。


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森の中に30センチの大きなティラミスが落ちていた! (妻女山里山通信)

2012-03-07 | アウトドア・ネイチャーフォト
 春を招く雨の後、妻女山奥の大木の陰に、30センチぐらいの大きなココアパウダーをまぶしたような物体がありました。まるでイタリアンスウィーツのティラミスのようです。こんなところにケーキが落ちているわけはないのですが、食いしん坊なせいか、そう見えてしまいました。これはハラタケ科のキノコのオニフスベの老菌です。ハラタケ科ですからマッシュルームに近いキノコ。別名は、薮玉、薮卵、馬屁包、馬糞包、灰包菌、地煙などといい、地方名もたくさんあります。

 1712年(正徳2年)頃出版された江戸時代の百科事典『和漢三才図会』巻九十七苔類では、馬勃(ぼうべいし)として紹介されています。「煮て食べると味は淡く甘い。老熟したものは、はなはだ大形で、死者の首に似て醜い。」と書かれていますが、馬勃とは馬のおならのことです。

 ホコリタケの仲間は、成熟すると胞子を飛ばしますが、人が蹴ったりつぶしたりすると、勃(ボッ)と胞子が吹き出ます。その様を馬の屁(あるいは馬の糞)にたとえたのでしょう。もっとも馬勃とはオニフスベだけでなく、ホコリタケ一般をさすらしいのですが。

 「煮て食べると味は淡く甘い」とありますが、かなり木の臭いが強烈です。ゆでこぼすか、濃い味付けにしないときつそうです。あちこち調べても美味からず不味からずとか、食べられるが美味しいものではないとか、食べたけれど二度食べたいとはおもわないとか、大きなマッシュルームといえなくもない姿ですが、どうも評価はもうひとつのようです。食指が動きません。ただ薬効はあるようで、清肺、利咽、解毒、止血作用があるとして、漢方薬として用いられたようです。

 うちの山にあるエノキの切り株には、例年通りエノキタケが出ました。ラテン語で「ビロード状の柄の小さな炎」というのですが、その名の通り軸にはビロード状の細かな毛があります。栽培のものとはずいぶん色形が違います。最近では原木栽培のものもありますが、おがくずにせよ原木にせよ福島産のものを使用したものからは放射性物質が検出されているので控えた方がいいでしょう。

 枯れ木の伐採をしていて、枯れた蔓草、カナムグラですが、それをどけるとヒラタケの老菌が顔を出しました。ここまで古いと食べられません。秋、ヤマザクラの老木や枯れ木に大量に出ますが、春や梅雨の時期にも出る事があります。

 ヤブソテツは、緑の葉が少ない冬期にリョウメンシダと共にニホンカモシカの重要な食料となります。また、寝床にもなるようです。アオイスミレは、妻女山で春真っ先に咲くスミレです。タチツボスミレに似ていますが、小さく花立ちが悪く華奢な感じです。林道ののり面に沢山咲き乱れるのも間近です。

 林道に落ちていた黄色いヤドリギ(宿木)は、他の樹木の枝の上に生育する半寄生の灌木です。果実は鳥によって運ばれます。種子は、非常に粘着質なにかわ状の繊維に包まれていて、他の樹皮にくっついて繁殖します。ギリシャ神話や北欧の神話にあるように、西洋では霊力を持つ不思議な植物と考えられていたようです。クリスマスの日に男女がヤドリギの下でキスをするという慣習があり、永遠に結ばれるという伝承があります。

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独鈷山。下界は早春でも上は真冬でした・・(信州妻女山里山通信)

2012-03-01 | アウトドア・ネイチャーフォト
 独鈷山(とっこさん・どっこさん)1266.3mは、信州の鎌倉と呼ばれる上田市の塩田平にある険しい山です。弘法大師が独鈷という仏具を山頂に埋めたという伝説から名づけられた修験の山です。山の周囲には、前山寺、龍光院、塩野神社、中禅寺などの多くの古刹がある歴史の里。山脈が鋸の刃のように切り立っていることから、信州の妙義山ともいわれます。

 登り口は四方にあり、南に丸子町の宮沢コース、北に上田市の西前山コース、西に沢山湖コース、東に平井寺コース。今回は、別所温泉にも近い中禅寺近くから登る西前山コースを選びました。帰りは沢山湖コースを下ってループとすることも考慮しました。

 春休みの長男と山でも登ろうかと。長野市の山は雪があるので上田ならあまりないかなと、今回初めて独鈷山に挑んだのですが、一度雨で溶けた後に凍結して、さらに積雪があったため、真冬以上に厳しい状態となっておりました。谷を詰める滝ノ沢の林道はつるんつるんのアイスバーン。杉の落ち葉の上を歩いたり、脇を通ったり。やがて積雪も増してきましたが、数日前に登った人の足跡があり、そこを辿れればいいのですが、足跡が凍結している有様。

 杉や檜の植林地を抜け、ニホンカモシカとノウサギの足跡を横目にミズナラの急登にかかると、積雪の下はアイスバーン。不用意に足を置くとつるっと滑ります。エッジをきかせて登っていくと、なんとか稜線に出ました。トラバースの後、大岩下の急登を這々の体でこなしてやっとこさ展望岩へ。感動ものの360度の大パノラマが待っていました。そこから幅1mあるかないかの凍結したやせ尾根を進んで高さ5mほどの急登へ。長男がアタックしたのですが、アイスバーンでつるつるで足を置く場所がない。なんとか途中までは登ってみたのですが、危ないから止めようということに。アイゼンがあればなんなく登れたでしょうけど、我々はなかったので。また初めてだったので、その先の様子を知らなかったということもありました。

 山頂はすぐそこに見えるのですが、命あっての物種。展望岩に引き返しました。岩には雪もなく、そこで昼食。畳2枚もない狭い岩の上で、足下は斜めで凍結しているので、ザックを落とさない様に固定してパノラマを撮影しました。息子は味噌ラーメンの支度。自家製キムチと魚粉を持ってきました。おにぎりは、鮭タラコマヨと野沢菜炒めの二種類。風もほとんどなく美ヶ原から穂高、槍、鹿島槍、白馬、戸隠、火打、妙高、四阿、烏帽子、浅間ともの凄いパノラマ。眼下には溜め池の点在する塩田平。去りがたい絶景でした。

 展望を堪能して、さて問題の下山。これが大変でした。首から下げた一眼レフを雪に何度かダイブさせながら、やっとのことで雨首との稜線出合いに戻り、ミズナラの森を急下降。滑るので太腿がきつい事。やっと植林地へ下りた時にはけっこうヘロヘロになっていました。虚空蔵堂に戻り、疲れた体を癒しに別所温泉の大湯へ。近隣のおじいさん達が来ていました。独鈷山へ登って来たんですよと言うと「そうかえ」と、なんでも昔は小学校2年生以上は、遠足で登ったとか。沢山コースらしいのですが、信州の子供達は逞しい。このコースは、昔は一般的だったようですが、現在は登る人が少なく、一部コースが不明瞭とか。一般的なのは、今回登った西前山コースと南の宮沢コースのようです。1月には平井寺コースで滑落死亡事故も起きているので、低山といえども侮ってはいけません。

★このトレッキングは、フォトドキュメントの手法で綴るフォトレポート【MORI MORI KIDS(低山トレッキング・フォトレポート)】に掲載してあります。 こちらをクリックしてご覧ください

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