南信の中川村にある陣馬形山オートキャンプの続きです。翌朝は午前6時前に起床。朝食後にテントを撤収し下山して遠山郷に向かいました。まずゴールデン・ウィークにも訪れた旧木沢小学校へ。次男は初めてです。
◉「大鹿村、伊那谷、下諏訪。中央構造線を巡る旅 その1」2017.ゴールデン・ウィーク。信州の南端近くの秘境、遠山郷と大鹿村へ。そして伊那谷から下諏訪へと、中央構造線を巡る旅
◉「遠山郷、大鹿村、伊那谷、下諏訪。中央構造線を巡る旅 その2」
(左)旧木沢小学校校庭。盆踊りのやぐらでしょうか。東京だと「東京音頭」、松代だと「真田節」、遠山郷はなんでしょう。鹿塩の湯には「塩見音頭」があるのですが。(中)職員室前の廊下。懐かしすぎて、音楽室から「夏は来ぬ」の合唱が聞こえてきたりしそうな感じ。廊下にはハモンドオルガンがたくさん並んでいて懐かしい響きが味わえます。猫踏んじゃった。(右)校長先生はお昼寝の最中でした。
(左)体育館で卓球。昔は得意だったのですが、ずっとやっていなかったのでダメダメでした。ちなみにわが家には卓球台があり、今は高齢で駄目ですが母が異常に上手かった。(中)教室です。懐かしい木製の机が並びます。雑巾がけもしましたね。小学生の頃、私は放送委員長をしていたのでお昼の放送とか運動会のアナウンスをしました。(右)遠山森林鉄道の展示も充実しています。林業を駄目にしたのは外材ではなく、日本の林業行政なのです。車や家電を売るために自民党が林業を犠牲にしたのです。上にリンクした記事では、もう少し詳細な写真をご覧いただけます。ノスタルジーに浸るだけでなく、我々が効率や便利のために何を失ってしまったかが分かります。
(左)昼はちょっと外れた「信玄」という蕎麦屋へ。可愛い小学生の姉妹がお手伝いをしていました。お姉ちゃんが注文をとりにきて、私が字が読めなくて息子になんて書いてあるって聞いたらお姉ちゃんがえ?って表情をしたので、「あっ、おじさん馬鹿だから字が読めないんじゃなくて、眼鏡がないから読めないんだからね」と言ったらクスッと笑っていました。小さな妹が小上がりで夏休みのドリルをしていたのですが、全然進んでいなくておじさんはちょっと心配になりました(笑)。十割蕎麦は夏休みでなかったのですが、蕎麦は美味しかったです。水もいいんでしょうね。それと地鶏の焼き物が大層美味でした。息子たちが代わり番こに運転してくれるので私はビールを。(中)旧道の古い月の島橋。こういう廃墟があちこちに見られます。(右)大鹿村の中央構造線博物館再訪。ここはお勧めです。
(左)中央構造線の立体模型。地質が色分けされていてよく分かります。ランプで色々表示できたり、断面を上昇させて観ることができます。(中)中央構造線を実際に切り取ったものです。素晴らしい。(右)中央構造線の西と東の違いがよく分かります。前回詳しい説明を聞いたので、今回はパスしましたが。学芸員の河本さんの説明は秀逸です。ぜひお聞きすることをお勧めします。
(左)マイロナイトやチャートなど、各種の岩石標本が並んでいます。単なる石も切断して磨くと非常に美しいものだと分かります。(中)事務所の入り口に岩石見本があって欲しいなと思ったら、石は下の河原で拾ってくださいと(笑)。それはそうです。売るほどあります。で河原で石を探しました。(右)こんな風に色々な石が見つかります。ストーン・ハンティングも楽しい。
(左)そこから大鹿村のほぼ最上部にある信濃宮へ。南朝の宗良親王を祀る神社。南北朝の時代というのは、実に魑魅魍魎が跋扈する時代でした。それが明治維新のクーデターや、安倍売国奴政権まで繋がっているのです。田布施システムで検索を。(中)その帰りにゴールデン・ウィークに泊まった民宿美野鹿の上からの眺め。前回の記事をご覧頂くと花桃が満開の様子が見られます。今回は緑濃い大鹿村。(右)夕方少し前に今夜の宿、鹿塩の湯の山塩館に着きました。前回は怪我をしていて入れなかった塩辛いお風呂が楽しみです。
(左)本当に塩辛いお風呂でした。湯上がりにはシャワーで流すことをお勧めします。でないと塩で体がベタベタします。いいお湯でした。夕食は地物を使った素朴な料理ですが、無化調で素材本来の味が楽しめます。喜久酔の黒純米を頼みました。私は醸造用アルコールが入った日本酒は呑みません。この黒純米は甘露でした。辛口というよりあっさり口です。鹿肉のカルパッチョと鯉の甘露煮がツボでした。(中)これはイワナですかね。アマゴではないような。美味でした。(右)夏野菜の天ぷら。山塩で頂きます。美味。
(左)朝食です。もちろん朝風呂にも入りました。素朴ですがひとつひとつ丁寧に作られています。普段は1日に二食の私ですが、美味しくいただきました。気さくなご主人との会話も楽しいものでした。土産に鹿肉が入った大鹿カリーと山塩羊羹を買いました。大鹿カリーは鹿肉の存在がイマイチだったので、下にある塩の里で買った鹿肉のソーセージを入れたら馬鹿旨でした。山塩羊羹もお勧めです。(中)食後のんびりする息子たち。せせらぎの音が涼しい。(右)チェックアウトして向かった先が小渋ダム。大きなダム湖ではボートを出して釣り人が。
小渋ダム。アーチ式コンクリートダムで、高さが105m。股間がヒュンヒュンします。高所恐怖症の人はヤバイです。田中康夫旧長野県知事の時代に脱ダム宣言がありましたが。確かにゼネコン儲けの不要なダムもあるのは事実ですし、ダムのコンクリート使用量はいくらでもごまかせると、その筋の人から聞いたこともあります。でも必要なダムもあるのも事実です。ビジターセンターでは、ダムの建設の歴史が見られ、ダムカードがもらえます。
ダムに下りていく階段が見えますね。私は昔アマゾンのサンタレンの奥地で大きなダムの見学に、しかも夜に行ったことがあって、その時に100m以上の階段をサーチライトを頼りに下まで下りたことがあるのです。怖すぎてもう笑うしかなかったですね。しかもダム湖には大きな穴があって、膨大な量の水が吸い込まれて行くのです。地獄の入り口に見えました。
(左)小渋湖。(中)アーチ式のダムなのでカーブを描いています。ダムの管理事務所もとんでもない所にあります。(右)へっぴり腰の息子たち。まあ演技ですが。でもこの左右を覗き込むと、あながち演技でもないような。
(左)で、高速に乗って安曇野ICで下りて千国街道(糸魚川街道)を北上。混んでいたので途中で山側の道に逃れ、大町の「ちひろ美術館」でトイレ休憩。息子たちが幼いころ訪れました。次男が屋外にある木琴だかの楽器を思いっきり叩いて木琴のバチの玉がどこかへ飛んでいってしまい、探しても探しても見つからずそそくさと後にしました。その節はごめんなさい。彼女があんな粗悪な絵の具ではなく、マッチカラーを使っていたらなと悔やまれます。世界最高の透明水彩絵の具ですが、彼女の時代にはありませんでした。安価で安全で発色が素晴らしい透明水彩絵の具です。これ以上のものはありません。創業者が存命の時に家族で訪れて貴重な話を聞きました。(中)大町の商店街へ。通路の淺井裕介氏の作品はそのままでした。嬉しいですね。(右)昼は大町駅前の「豚のさんぽ」へ。これは長男が頼んだチーズカレー豚ラーメン。なんか見本写真よりカレーが少ないなと、でも美味しかったと。次男は汁なしつけ麺。美味しかったけど麺が負けてるなと。私は辛豚ラーメンを食べたのですが、辛すぎて大変な事になったのでコメントは控えさせていただきます。とにかく信州の店は量が多いので、少食の私には問題なのです。
(左)「大町エネルギー博物館」へ。ここに来た理由は、二つ前の記事で紹介した「北アルプス国際芸術祭」の淺井裕介氏の「土の泉」を観るためなんです。(中)大町市の色々な山や場所で採集した土で描かれた絵。制作にはボランティアの人も参加したそうです。土はそのままでは定着しないのでエマルジョンを混ぜて描いたのでしょう。素朴で非常にいい作品だと思います。(右)博物館の裏庭にある直流と交流の変換器。
(左)「大町エネルギー博物館」は、色々なアトラクションや展示があって面白いです。でも故障して動かないものがあったり。結構アバウトです。夏休みの家族が大勢訪れていました。(中)その上にある大町ダム。いや別にダムマニアではないのですけれどね。(右)大町ダムから大町市街方面の眺め。
(左)で、大町市から温泉を求めて小川村に行ったのです。しかし、星の浪漫館が貸し切りで入れない。よって峠を超えて鬼無里村へ。ところがここのお風呂も休業中。数日前に豪雨にみまわれあちこちで土砂崩れ。そんな鬼無里村に東京があるのです。賀茂神社も。(中)谷の都・東京案内図。これは作り事ではなく実際に京都からここに遷都しようかなとなった歴史があるのです。驚きますよね。ここの取材とレポはいずれするつもりです。興味のある方は検索してみてください。私は貞観の大地震と関係があるのではと思っているのですが・・・。(右)長野市へ戻りますって、ここ鬼無里も長野市なんですが。結局、裾花渓谷を下り県庁近くのうるおい館で入湯しました。ちょっとお値段は高めです。泉質は二種類あるのですが、ひとつは松代の秘湯・加賀井温泉の湯を薄めた感じです。
(左)そして、夕食は長男の勧めで、長野県庁やあちこちの官公庁に入っている「ししとう」へ。(中)直径34センチの皿に入ったあんかけ焼きそば。まあ美味しかったですけど食べきれません。4分の一は息子に食べてもらいました。(右)長男が頼んだ山賊焼き定食。私の3日分ぐらいの量です。というような感じでほぼ信州中を巡った楽しい旅は終了しました。さて秋はどこへ行きましょう。
◆『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。
★本の概要は、こちらの記事を御覧ください。
◉「大鹿村、伊那谷、下諏訪。中央構造線を巡る旅 その1」2017.ゴールデン・ウィーク。信州の南端近くの秘境、遠山郷と大鹿村へ。そして伊那谷から下諏訪へと、中央構造線を巡る旅
◉「遠山郷、大鹿村、伊那谷、下諏訪。中央構造線を巡る旅 その2」
(左)旧木沢小学校校庭。盆踊りのやぐらでしょうか。東京だと「東京音頭」、松代だと「真田節」、遠山郷はなんでしょう。鹿塩の湯には「塩見音頭」があるのですが。(中)職員室前の廊下。懐かしすぎて、音楽室から「夏は来ぬ」の合唱が聞こえてきたりしそうな感じ。廊下にはハモンドオルガンがたくさん並んでいて懐かしい響きが味わえます。猫踏んじゃった。(右)校長先生はお昼寝の最中でした。
(左)体育館で卓球。昔は得意だったのですが、ずっとやっていなかったのでダメダメでした。ちなみにわが家には卓球台があり、今は高齢で駄目ですが母が異常に上手かった。(中)教室です。懐かしい木製の机が並びます。雑巾がけもしましたね。小学生の頃、私は放送委員長をしていたのでお昼の放送とか運動会のアナウンスをしました。(右)遠山森林鉄道の展示も充実しています。林業を駄目にしたのは外材ではなく、日本の林業行政なのです。車や家電を売るために自民党が林業を犠牲にしたのです。上にリンクした記事では、もう少し詳細な写真をご覧いただけます。ノスタルジーに浸るだけでなく、我々が効率や便利のために何を失ってしまったかが分かります。
(左)昼はちょっと外れた「信玄」という蕎麦屋へ。可愛い小学生の姉妹がお手伝いをしていました。お姉ちゃんが注文をとりにきて、私が字が読めなくて息子になんて書いてあるって聞いたらお姉ちゃんがえ?って表情をしたので、「あっ、おじさん馬鹿だから字が読めないんじゃなくて、眼鏡がないから読めないんだからね」と言ったらクスッと笑っていました。小さな妹が小上がりで夏休みのドリルをしていたのですが、全然進んでいなくておじさんはちょっと心配になりました(笑)。十割蕎麦は夏休みでなかったのですが、蕎麦は美味しかったです。水もいいんでしょうね。それと地鶏の焼き物が大層美味でした。息子たちが代わり番こに運転してくれるので私はビールを。(中)旧道の古い月の島橋。こういう廃墟があちこちに見られます。(右)大鹿村の中央構造線博物館再訪。ここはお勧めです。
(左)中央構造線の立体模型。地質が色分けされていてよく分かります。ランプで色々表示できたり、断面を上昇させて観ることができます。(中)中央構造線を実際に切り取ったものです。素晴らしい。(右)中央構造線の西と東の違いがよく分かります。前回詳しい説明を聞いたので、今回はパスしましたが。学芸員の河本さんの説明は秀逸です。ぜひお聞きすることをお勧めします。
(左)マイロナイトやチャートなど、各種の岩石標本が並んでいます。単なる石も切断して磨くと非常に美しいものだと分かります。(中)事務所の入り口に岩石見本があって欲しいなと思ったら、石は下の河原で拾ってくださいと(笑)。それはそうです。売るほどあります。で河原で石を探しました。(右)こんな風に色々な石が見つかります。ストーン・ハンティングも楽しい。
(左)そこから大鹿村のほぼ最上部にある信濃宮へ。南朝の宗良親王を祀る神社。南北朝の時代というのは、実に魑魅魍魎が跋扈する時代でした。それが明治維新のクーデターや、安倍売国奴政権まで繋がっているのです。田布施システムで検索を。(中)その帰りにゴールデン・ウィークに泊まった民宿美野鹿の上からの眺め。前回の記事をご覧頂くと花桃が満開の様子が見られます。今回は緑濃い大鹿村。(右)夕方少し前に今夜の宿、鹿塩の湯の山塩館に着きました。前回は怪我をしていて入れなかった塩辛いお風呂が楽しみです。
(左)本当に塩辛いお風呂でした。湯上がりにはシャワーで流すことをお勧めします。でないと塩で体がベタベタします。いいお湯でした。夕食は地物を使った素朴な料理ですが、無化調で素材本来の味が楽しめます。喜久酔の黒純米を頼みました。私は醸造用アルコールが入った日本酒は呑みません。この黒純米は甘露でした。辛口というよりあっさり口です。鹿肉のカルパッチョと鯉の甘露煮がツボでした。(中)これはイワナですかね。アマゴではないような。美味でした。(右)夏野菜の天ぷら。山塩で頂きます。美味。
(左)朝食です。もちろん朝風呂にも入りました。素朴ですがひとつひとつ丁寧に作られています。普段は1日に二食の私ですが、美味しくいただきました。気さくなご主人との会話も楽しいものでした。土産に鹿肉が入った大鹿カリーと山塩羊羹を買いました。大鹿カリーは鹿肉の存在がイマイチだったので、下にある塩の里で買った鹿肉のソーセージを入れたら馬鹿旨でした。山塩羊羹もお勧めです。(中)食後のんびりする息子たち。せせらぎの音が涼しい。(右)チェックアウトして向かった先が小渋ダム。大きなダム湖ではボートを出して釣り人が。
小渋ダム。アーチ式コンクリートダムで、高さが105m。股間がヒュンヒュンします。高所恐怖症の人はヤバイです。田中康夫旧長野県知事の時代に脱ダム宣言がありましたが。確かにゼネコン儲けの不要なダムもあるのは事実ですし、ダムのコンクリート使用量はいくらでもごまかせると、その筋の人から聞いたこともあります。でも必要なダムもあるのも事実です。ビジターセンターでは、ダムの建設の歴史が見られ、ダムカードがもらえます。
ダムに下りていく階段が見えますね。私は昔アマゾンのサンタレンの奥地で大きなダムの見学に、しかも夜に行ったことがあって、その時に100m以上の階段をサーチライトを頼りに下まで下りたことがあるのです。怖すぎてもう笑うしかなかったですね。しかもダム湖には大きな穴があって、膨大な量の水が吸い込まれて行くのです。地獄の入り口に見えました。
(左)小渋湖。(中)アーチ式のダムなのでカーブを描いています。ダムの管理事務所もとんでもない所にあります。(右)へっぴり腰の息子たち。まあ演技ですが。でもこの左右を覗き込むと、あながち演技でもないような。
(左)で、高速に乗って安曇野ICで下りて千国街道(糸魚川街道)を北上。混んでいたので途中で山側の道に逃れ、大町の「ちひろ美術館」でトイレ休憩。息子たちが幼いころ訪れました。次男が屋外にある木琴だかの楽器を思いっきり叩いて木琴のバチの玉がどこかへ飛んでいってしまい、探しても探しても見つからずそそくさと後にしました。その節はごめんなさい。彼女があんな粗悪な絵の具ではなく、マッチカラーを使っていたらなと悔やまれます。世界最高の透明水彩絵の具ですが、彼女の時代にはありませんでした。安価で安全で発色が素晴らしい透明水彩絵の具です。これ以上のものはありません。創業者が存命の時に家族で訪れて貴重な話を聞きました。(中)大町の商店街へ。通路の淺井裕介氏の作品はそのままでした。嬉しいですね。(右)昼は大町駅前の「豚のさんぽ」へ。これは長男が頼んだチーズカレー豚ラーメン。なんか見本写真よりカレーが少ないなと、でも美味しかったと。次男は汁なしつけ麺。美味しかったけど麺が負けてるなと。私は辛豚ラーメンを食べたのですが、辛すぎて大変な事になったのでコメントは控えさせていただきます。とにかく信州の店は量が多いので、少食の私には問題なのです。
(左)「大町エネルギー博物館」へ。ここに来た理由は、二つ前の記事で紹介した「北アルプス国際芸術祭」の淺井裕介氏の「土の泉」を観るためなんです。(中)大町市の色々な山や場所で採集した土で描かれた絵。制作にはボランティアの人も参加したそうです。土はそのままでは定着しないのでエマルジョンを混ぜて描いたのでしょう。素朴で非常にいい作品だと思います。(右)博物館の裏庭にある直流と交流の変換器。
(左)「大町エネルギー博物館」は、色々なアトラクションや展示があって面白いです。でも故障して動かないものがあったり。結構アバウトです。夏休みの家族が大勢訪れていました。(中)その上にある大町ダム。いや別にダムマニアではないのですけれどね。(右)大町ダムから大町市街方面の眺め。
(左)で、大町市から温泉を求めて小川村に行ったのです。しかし、星の浪漫館が貸し切りで入れない。よって峠を超えて鬼無里村へ。ところがここのお風呂も休業中。数日前に豪雨にみまわれあちこちで土砂崩れ。そんな鬼無里村に東京があるのです。賀茂神社も。(中)谷の都・東京案内図。これは作り事ではなく実際に京都からここに遷都しようかなとなった歴史があるのです。驚きますよね。ここの取材とレポはいずれするつもりです。興味のある方は検索してみてください。私は貞観の大地震と関係があるのではと思っているのですが・・・。(右)長野市へ戻りますって、ここ鬼無里も長野市なんですが。結局、裾花渓谷を下り県庁近くのうるおい館で入湯しました。ちょっとお値段は高めです。泉質は二種類あるのですが、ひとつは松代の秘湯・加賀井温泉の湯を薄めた感じです。
(左)そして、夕食は長男の勧めで、長野県庁やあちこちの官公庁に入っている「ししとう」へ。(中)直径34センチの皿に入ったあんかけ焼きそば。まあ美味しかったですけど食べきれません。4分の一は息子に食べてもらいました。(右)長男が頼んだ山賊焼き定食。私の3日分ぐらいの量です。というような感じでほぼ信州中を巡った楽しい旅は終了しました。さて秋はどこへ行きましょう。
◆『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。
★本の概要は、こちらの記事を御覧ください。