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信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

地球温暖化は壮大な嘘も納得の?寒い毎日(信州妻女山里山通信)

2013-01-26 | アウトドア・ネイチャーフォト
 NASAが温暖化と人間は関係なく太陽のサイクルが原因だと認めたわけですが、テレビでは、特にNHKなんぞが普通にニュースで温暖化温暖化と嘘を擦り込んでいますね。JAXAも太陽はピークを過ぎて地球は寒冷化に向かうと発表しています。
 よくまとめられたこんな記事もあります。【地球温暖化の嘘その1~8:blog.鶯梭庵】ずっと温暖だった時代に恐竜は栄えたわけで、むしろ氷河期の方が生物には深刻なダメージを与えるのです。作物が採れなくなり、大飢饉が来る可能性があります。

 写真は、ここ10日ほどの妻女山や善光寺平の風景ですが、雪が降ると景色は一晩で見事に変わってしまいます。けれども、凍結していた地面は、雪の布団で逆に溶けて地温は少し上がります。既に雪の下では、蕗の薹が膨らみ始めています。林道の斜面で雪をのけると、オオバコやヒメジョオン、ハルジオンなどのロゼット葉の鮮やかな緑の葉が顔を出します。

 40センチほどの雪をラッセルしながら、アニマルトラッキングをしましたが、足跡が少なくなった感じです。獣害駆除でイノシシを大量に狩猟したのが影響しているのでしょう。ニホンカモシカ、タヌキ、ノウサギ、ホンドテンなどの足跡は例年通りでした。増えても減ってもいないということでしょう。

 大雪の後は、雲ひとつない晴天が来ます。ちょっと気になるのは、留鳥はいるのですが、漂鳥があまり見られないということです。冬になると下りて来るはずのルリビタキも去年から見ていません。渡りのアトリの群れも見ていません。アトリは年変化が大きいので、特別なことではないのかも知れませんが。この辺りはともかく、東北や関東では、相当放射能の影響が出始めているんじゃないでしょうか。危惧しています。

 最後の写真は、日の出直後ですが、山際に高さ10m位の靄が立ちこめました。いわゆる川中島の霧は、川霧で川面から立ち上がって野辺に溢れ出るのですが、この靄は雪原から立ち上がっています。とても幻想的ですが、川霧の様に山全体を覆う事はなく、日の出からしばらくすると消えます。

 現在、日本はかなり冷えた状態で、北海道や日本海側では大雪となっています。日本を含むアジアやヨーロッパなど北半球では記録的な寒波 に襲われている一方、オーストラリアでは最高気温が45度を超えるという前例がないほどの猛暑となっています。ブラジルも。インドでは寒波で100名以上が凍死し、アルゼンチンでは「熱波」でシロクマが死亡というニュースもありました。そして、NASAが、今年の北半球の夏は過去最高の猛暑になると警告しています。

 やっぱり地球温暖化? そうではない様です。地球全体の平均気温は上がっていないのです。ただ、気候の変動が非常にドラスティックになっている。極端なんですね。エルニーニョやラニーニャだけでは説明がつかない様です。世界中の工場や車が出すCO2や原発が出す膨大な量の温水も問題ですが、それ以上に太陽の盛衰や、ミランコビッチ・サイクル(Milankovitch cycle)、地球地場の磁極移動と地軸の反転(ポールシフト)のもたらす影響もあるのかもしれません。

【要チェック】アジアの大気汚染:リアルタイム気質指数ビジュアルマップ[PM2.5] :西日本の数値が上がったら要注意!

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坂城神社から村上義清の葛尾城跡経由で五里ヶ峯へ、北アの絶景を見に登る。(信州・妻女山里山通信)

2013-01-09 | アウトドア・ネイチャーフォト
 気温マイナス4度の中を千曲市と坂城町の境にある五里ヶ峯に登りました。寒さで頂上近くの樹木には霧氷がついていましたが、雪がほとんどなく、ラッセルすることもなく登れました。難攻不落と言われた村上義清の葛尾城跡へは急登続きですが、坂城神社の裏手から、約40~60分で登れます。

 葛尾城跡からは南に、蓼科山と八ヶ岳連峰のシルエットがくっきりと見えました。パノラマ写真を撮ってから五里ヶ峯へ。撮影しながら約50分で山頂です。途中2年前にも出合った、ほぼ毎日登っているという長靴を履いたおじいさんと出合いました。

 山頂に近づくと霧氷と雪がありましたが、難儀するほどではありませんでした。ほぼ無風で陽も射して来たので体は寒くないのですが、むき出しの顔はこわばるほど冷たくなりました。

 五里ヶ峯の山頂は、東側と南側は樹木に遮られて展望はありませんが、西側と北側は展望が開けていて、北アルプスから戸隠連峰までの大パノラマが堪能できます。当日も、鹿島槍ヶ岳の近辺は雲で隠れていましたが、絶景が楽しめました。冠着山(姥捨山)の左奥に槍ヶ岳の頂きもくっきりと見えました。

 今回は行きませんでしたが、五里ヶ峯の山頂から北の尾根に下りると、山本勘助が葛尾城攻略の為に作らせたという「勘助道」があります。以前この勘助道がどこまで続いているだろうと、息子達と辿ってみたことがあります。結果、1kmほど東へ続いていることが分かりました。その探索ルポはこちらです

 麓の善光寺参りの精進落しの湯、戸倉上山田温泉からは、正午の鐘が聞こえて来ました。山頂を独り占めしながら昼食をとり、大パノラマを堪能しましたが、この言葉を失うほど美しい風景の中にも、福島第一原発の放射能で、汚染された地域が少なからずあると思うと、本当に腹立たしく悲しくなってきました。眼下の千曲市でもキログラムあたり10000ベクレルの汚染が見つかっているのです。

 確実に環境濃縮は始まっています。生物濃縮も。舞上がりによる吸引内部被曝は、食物による内部被曝と違い、100パーセントが体内に吸収され、非常に危険です。原発・放射能情報は、ツイッターで呟いています。情報収集にお役立てください。

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■原発・放射能情報
健康を守るためのデータをどこで知るか? - とある原発の溶融貫通(メルトスルー)
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鎌倉時代の栄華と滅亡。上田市塩田平の三重塔に見る今の日本。(妻女山里山通信)

2013-01-04 | 歴史・地理・雑学
 信濃北條氏の栄華と滅亡の歴史を尋ね、長野県上田市の塩田平から別所温泉にかけて、鎌倉時代の古刹巡りをしてきました。そう大きいとはいえないこの扇状地に二つもの国宝の塔があるのは驚きというほかありません。今回訪れたのは、前山寺の未完成の重文三重塔と、国宝の安楽寺八角三重塔です。

 もうひとつの国宝は、そのあまりの美しさに、誰もが思わず振り返ることから「見返りの塔」と呼ばれている大法寺三重塔です。ここへは、2010年の新年と早春に二度訪れました。季節毎に訪れたくなる美しい三重塔です。

 鎌倉時代、源頼朝がこの信濃国小県郡塩田庄に、彼の最も信頼する惟宗忠久(後の島津忠久)を地頭として任命しました。塩田庄を非常に重要視していたことが分かります。また、北条氏も信濃国を重要視し、信濃国守護に北条重時を任命しました。
 塩田平は平安時代までに新田開発が進み、鎌倉時代には米と麦の二毛作が行われ、相当に豊かでした。そして、信濃北条氏の庇護を得てたくさんの寺院や塔が建立されました。

 まず、その栄華の証を見ようと、別所温泉の奥にある国宝の安楽寺八角三重塔へ。塩田平を西へ向かうと、左に独鈷山、正面左に女神岳、正面右に夫神岳、右に子檀嶺岳がそびえています。ところが、温泉街入り口の1キロ以上手前から、北向観音への初詣客で大渋滞。諦めてUターンし、独鈷山(とっこさん)麓の未完の塔がある、真言宗智山派 獨股山 前山寺へ向かう事にしました。

 前山寺の創建は、弘仁年中(810~823年)弘法大師によるといわれています。未完の三重塔は、前山寺のサイトには、「塔の建立年代は、資料がないのではっきりしないが様式上は室町時代の初期と推定されている。」とありますが、鎌倉幕府の滅亡と信濃北條氏の衰退に関係があるのではないでしょうか。

 「未完の塔」、または、「未完成の完成の塔」といわれていますが、実際のところ本当に未完成なのかも分かってはいません。実はこれが完成の姿だったのかもしれません。
 佇まいは、「見返りの塔」と比べると骨太で男性的です。屋根の反りも、中国ほどではありませんが、「見返りの塔」の日本刀の様な反りに比べると、もう少し強く、長刀の様な感じです。

 寺にはサバ白の猫がいて、寺院の中や木や屋根の上を自由に歩き回っていました。観光シーズンだと多くの参拝客で賑わうのでしょうが、訪れる人も少なく、ゆっくりと見る事ができました。冬のモノトーンの中に佇む未完の塔は、一番この塔らしいのかもしれません。

 ゆっくり見学して次は別所温泉へ。山際から回ると、渋滞もそれほどではなくなっていました。駐車場に止めて北向観音の表参道を登ります。参道入り口で行列しているのを見ながら右の小路へ。すぐに左手に崇福山の文字がある門があります。くぐって石畳の道を登ると右手に安楽寺の参道と石段が見えます。八角三重塔がある曹洞宗 崇福山 安楽寺です。

 温泉街にあるためか、こちらの方が参拝客は多めでしたが、それでも混雑はしていません。八角三重塔は、石段を上って山懐の中段にあります。太い杉木立から見える八角の塔は、非常に美しいものでした。一見四重塔に見えますが、一番下の屋根はひさしに相当する裳階(もこし)です。塔は日本に現存する唯一の八角塔で、非常に貴重なものです。

 下から見上げると、扇状に広がった垂木が見事で息をのみます。軒の組物は、禅宗様三手先で、非常に複雑で美しい。創建は、天平年間(729 - 749年)、行基の建立とも、平安時代の天長年間(824 - 834年)ともいわれていますが、不明です。八角三重塔は、近年の調査研究によると、13世紀末、1290年代に建築されたものということで、日本最古の禅宗様建築ということです。

 八角は中国の易経思想に基づいているそうで、中国では八角の塔は珍しくないそうです。そのためか、この塔もなんとなく中国風の香りが漂います。長男に言わせると、「お菓子の器みたい」ということですが・・。月餅かなにかが詰まっていそうに見えないこともありません。裏山に続く小径があったので登って上から見てみましたが、反りのある屋根の重なりが、非常に奇麗でした。

 参道を戻りながら、鎌倉幕府の栄華と滅亡を思いながら、北向観音にお参りする善男善女を尻目に、屋台の並ぶ通りを車に戻り、荷物を置いて、北向観音の参道のすぐ上の川沿いにある大師湯へと向かいました。

 別所温泉には他に大湯、石湯と計三軒の外湯があり、いずれも150円で入れます。清少納言が、好ましい湯といった「七久里の湯」は、別所温泉の事だそうです。大湯、石湯は入った事があるので、大師湯へ。一番小さく湯温もややぬるめで、ちょっと大きな家の風呂という感じですが、泉質はとてもよく、温まります。

 湯から出ると、温泉街は暮れなずんで、参拝客もずいぶんと少なくなっていました。遠く上田市街の灯りを見ながら屋台の並ぶ参道をゆるゆると戻りましたが、今年は日本にとって、世界にとって非常に厳しい年になるだろうなと思わずにはいられませんでした。

「見返りの塔」国宝大法寺三重塔フォトルポ

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■今年は、福島や首都圏、東京で、放射能による突然死や疾病が顕在化する。身近な人や文化人、芸能人が犠牲になることで・・。それは既に始まっている。福島第一原発からの放射性物質の総排出量は、約90万テラベクレル(テラは1兆)で、原爆の約170倍。空間だけで現在も毎時1000万ベクレル。毎日2億4000万ベクレルが放出中。収束は嘘。さらに地中から海へ流れ出ている総量は見当すらつかない有様。1、2、3号機は、もう手が付けられないレベル。石棺すらできない。4号機はなんとか修理しているが、使用済み核燃料プールが崩壊したら日本は終わり。米でさえ、すでに流れは脱原発。GEのトップでさえそう言明している。米が日本に原発続けさせたいのは、劣化ウランが欲しいから。そして、自国の財政破綻を救うため、TPPで日本から、血の最後の一滴までもぎ取ろうとしている。それに加担する原発村企業官僚自公民マスコミの隷属グループ。正に彼らこそ日本を滅亡に導く真の売国奴。
チェルノブイリ事故との比較

■千年に一度の地震多発期にある日本。富士山の大噴火に始まった貞観地震の時には、9年後に関東大地震が起き、間に大噴火がふたつ。18年後には、東海、東南海、南海地震が連動したともいわれる仁和地震が起きている。今回もM9の大地震なので、100パーセント噴火があり、1~10年の間に必ず大地震が起きる。速やかに全ての原発を廃炉にし、核燃料を安全な場所に移さないと、間違いなく日本は滅亡する。高レベル廃棄物の処理方法はなく、その見通しさえたっていない。六ヶ所村ももうすぐ満杯。大地震で六ヶ所村が崩壊すれば、その時は人類の終わり。それだけの核廃棄物がある。われわれに時間の猶予はない。

■歴史は繰り返す:864年:富士山噴火/868年:播磨国地震(阪神)/869年:貞観地震M9・貞観津波(東北)/871年:鳥海山噴火/874年:開聞岳噴火/878年:相模武蔵地震(関東)M 7.4/887年:仁和地震(東海南海地震)M9(M=推定)

■原発情報は、左のツイッターで。
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正月は 冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし(妻女山里山通信)

2013-01-03 | 歴史・地理・雑学
 善光寺平(長野盆地)は、例年になく雪の無い正月を迎えました。風景は、まるで晩秋か早春のようです。とはいえ、気温は-4度。真っ白に霜が降りていました。松代の向こう、東条の山裾には霧がかかっていました。

 この善光寺平は、北側の山は盆地に平行に山脈があり、南側は北に向かって何本もの山脈が突き出ているという地形をしています。そのことが、2011年3月の放射性プルームの流れと降下に大きく影響をしたと思われます。

 放射性プルームは霧状になり、北側の山際を舐める様に犀川沿いに西へ向かいました。そのため、長野市北部や信濃町が汚染されました。一方、南側は、高社山初めいくつもの尾根が、その進行を遮ったと思われます。それ以前に、群馬県境にある四阿山が、ブロックしてくれたわけです。しかし、次に福一で、あるいは他の原発で、事故が起きた時に、また同じ様に流れるとは限りません。

*山名の入った妻女山や茶臼山からのパノラマ写真は、信州の低山123をご覧ください。

 タイトルの「正月は 冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」は、一休さん(一休宗純)の歌ですが、資料により、歌の言葉遣いが違うのです。
「門松は冥途の旅の一里塚馬駕籠もなく泊まりやもなし」が「正月は(元日や)冥途の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」と変化した。
「門松は冥途の旅の一里塚」は一休の狂歌「門松は冥途の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」による。
一休蜷川道歌問答の章に「門松は冥途の旅の一里塚馬駕籠もなく泊まり屋もなし」あり。下の句の説明として以下の記述がある。
「風来山人(平賀源内)『根無草後編』では、下の句を「目出たくもあり目出たくもなし」とする。
一休の道歌-蜷川親当との道歌問答-に「門松は冥途の旅の一里塚、馬駕籠もなく泊りやもなし」というのが、のちに「正月は(元旦や)冥途の旅の一里塚、めでたくもあり、めでたくもなし」といわれるようになった、とあり。
「いずれの時か夢のうちにあらざる、いずれの人か骸骨にあらざるべし。」という言葉の<解説>に、「元旦や冥途の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」とあり。
「門松は冥途の旅の一里塚」は諺とする。解説に、「『一休咄』等の咄本では、『門松は冥途の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし』という歌の形で出ており、一休禅師の作と伝えるが、真偽は不明である。」とあり。(東京都立中央図書館レファレンス協同データベースより)
 いずれにせよ、生きているということは、少しずつ死んでいるということ。一度しかない人生を、我欲のために汚している者が、いかに多いかということ。何百億円稼ごうが、あの世には一円も持って行けません。

 今年は、所謂初詣はしませんでした。その代わりといってはなんですが、鎌倉時代の栄華と滅亡の証を残す塩田平の信濃北條氏の三重塔を訪れました。前山寺未完の塔と安楽寺八角の塔です。残雪の曇り空に佇む古刹は、無常を感じるには最適の佇まいでした。驕れる平家は久しからず。驕れる○○も久しくはないでありましょう。この初詣については、また後日。

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