モリモリキッズ

信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

秘密の遊歩道

2007-10-28 | アウトドア・ネイチャーフォト
試合に行く次男に昼飯を食わせて、やっとサイクリングへ。腰の痛みは治らないまま野川遊歩道へ。台風通過の後なので下水が流れ込んでいるか心配でしたが、雨量がそれほどでもなかったせいか、臭みはまあまあ。雨後急に晴れて気温が上がったために虫の羽化が一斉に始まったようで、自転車をこぎながらうかつに口を開けると羽虫がたくさん口の中に飛び込んでくる始末。私が鳥だったら大口を開けて走るのですが、あいにくそういう趣向はないので、うつむいて爆走。

台風一過なので、国分寺崖線の上に行けば、奥多摩の山並みが一望できるだろうと、秘密の(人通りが少ないというだけなんですが)散歩道へ(上から二番目のカット)。何を隠そう以前にも紹介した東京国立天文台の西側の遊歩道です。野川の遊歩道からはずれているせいか、訪れる人は地元の人ばかり。それも相当に少ない。

見えました。まだ木々の葉が落ちていないので見晴らしは良くありませんが、丹沢の奥に富士山。南は大山から北は大菩薩嶺から三頭山、大岳山、御岳山に奥秩父の山々。冬になれば葉も落ちて、もっとワイドに、遠くは南アルプスまで見えます。東京では高層ビルを除いて、こんなに山が見える場所はないと思います。確かに穴場です。あっ、昨日が天文台の特別公開の日でした。そういえば、ホームズ彗星が大アウトバーストを起こしたんですよね。まだ見られるんですかね。

遊歩道は人気もなく静かなんですが、下界がやけに五月蠅い。東京スタジアムからは、どんどこ。サンバのリズム。今日はブラジルデイか。なんだか調布飛行場からもどんどこ。こちらは和太鼓。Jリーグの試合はともかく、飛行場の騒ぎが気になって行ってみることに。すごい人でした。調布飛行場祭。それでも飛行機が間近で見られるとなれば、寄らねばなるまい。

エスニックやら、伊豆諸島やらの屋台がたくさん出ていて賑やか。普段は金網の外からしか見られない飛行機やヘリコプターが間近で見られました。滑走路の近くまで行けるので、ボンバルディアやセスナがすぐそこから飛び立っていきます。飛行機の爆音。興奮する小さな子の歓声。なかなかいいもんです。飛行機の部品も売っていました。私は、大島の青ムロアジのくさやとアシタバを家族のお土産に購入。発酵食品を食べましょうね。で、帰路につきました。

野川沿いを戻り、夕食の買い物をサンディですませ、裏通りの小路にはいると、とある木塀の門になにやら小さなひな壇があり、なにか小さなものが並んでいます。通りすがりに除くと、ウルトラマンやらのフィギュア。奥にお兄さんが憮然と座って煙草をくゆらせていました。こんな人通りの無いところで…。街はハロウィーン。そこのフリマにでも出せばすぐに売れるのにと思いながら通り過ぎました。

最後の坂は、地獄坂。本当の名前は他にある鎌倉道の由緒有る坂なんですが、ここを下りずにこぎ登りきるのが、なんていうか決まりなんですね。自分の…。筋肉痛ではなく神経痛でギブアップ寸前でしたが。なんとかよじ登り、這う這うの体で家に辿り着いたのでありました。ビールが旨いわ…。
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週末雑記(OM-1・川中島合戦・戊辰戦争)

2007-10-22 | 歴史・地理・雑学
お気づきでしょうか。このところ東京の空が時折やけに騒々しいのを。先週、あまりに空が五月蠅いので外に出てみると、ものすごい数のヘリコプターの大編隊。V字に7機ずつ21機。そのあと双発のヘリも含めて計50機あまりが南へ飛び去っていきました。なんでも28日に観閲式があるとかで、その練習に行った帰りのようです。どうやら行き帰りでコースを変えているようです。

まるで「天空の城 ラピュタ」のワンシーンのようだとは、次男の感想。味方と分かっているので安心ですが、年輩の方はおぞましき空襲なんかを思い出してしまうのでしょうね。なにやら日本周辺はきな臭いニオイがしますが、どうにか平和であって欲しいものです。

そんな週末に、まずは今年初の「鮭の白子のフライ」をいただきました。キングサーモンだと最高なんですが、銀鮭でもそこそこ美味しい。なんでも若返りにいいそうで、鮭の白子から抽出したエキスで作られたサプリメントもあるとか。白ワインでマリネしてフライにし、レモン醤油でいただくと絶品です。あとは、たたいて味噌と練り合わせて鍋にすると濃厚で美味しい。

次男と新宿へOM-1の電池アダプターを買いに行きました。OM-1は、私が学生時代に初めて買った一眼レフで、これで写真を覚えました。アマゾンにもこれを持っていきました。その後コンタックスに乗り換えましたが、やはり捨てがたくカメラケースの隅に眠っていたのですが、ある時から次男のPCのデスクトップが、スバル360から、このOM-1に代わっていたのです。聞くといいなあこれというので、じゃあ誕生日のプレゼントにやるよ、とあいなったのでありました。

ところで、これは製造中止になった水銀電池なので、私は使えないと思っていたのですね。そしたら息子がアダプターをつければ使えるってというのです。知りませんでした。ということで新宿ヨドバシカメラのカメラ館へ本当に久しぶりに行きました。ハッセルブラッド、ライカ、マミヤ、オリンパス、ニコンなど往年の名器が並んでいます。しばし感慨にふけりましたヨ。

息子がメモを渡すと、お兄さんの目が一瞬光りましたね。年輩の店員さんもニコニコと嬉しそうでした。やっぱりね、写真はアナログよお!分かってんじゃないのお若けえの、ってな感じでした。でもって、今度はストラップを探しに。ところが今はみなデジカメ用の1本フックのものばかり。やっと一眼レフ用のものを見つけたら、これが高い。結局ニコンの一番安いものを購入。

最後はやっぱりフィルムだねと、フィルムを探しに別の建物へ。まずは、カラーネガでと5本ほど買って、やっぱりモノクロも撮りたいなと、それも購入。全部揃って彼もニンマリ。あのね分かってる?撮り直しとか消去とかできないんだよ。分かってるよ! デジカメにはない、その緊張感がいいんですよね。なにかテーマ決めて撮った方がいいな。うん。何を撮るんでしょうね。そのうち彼のブログでアップされるでしょう。
でもって全ての用事が終わって博多天神でチャーシュー麺を食べて帰ったのでした。

でもって午後は、連れが東部公民館でやっている展覧会の撮影をしてから、niwa-coyaさんでやっている水彩画教室の撮影に長男と。なるほど絵を描くにはいい環境ですね。光の入り方もいいし、みなさん集中して描いておられました。

その後、仙川商店街へ行くと諏訪郷友会長善館の学生による記念祭の御輿行列に行き会いました。通り道なので、ずっと以前から練習風景は見ていましたが、実際に練り歩いているのを見たのは今回が初めてでした。いいもんですね。ところで、この間に信州つながりで実はniwa-coyaさんに、とても珍しい方が訪れてこられたのでした。残念ながら携帯を持ち合わせていなかったので、お会いできなかったのですが…。

なんでも、私の「清野氏の要害、鞍骨城についてのフォトルポ」をご覧になって、わざわざ東京の反対側より訪ねてくださったとか。清野氏の末裔の方でした。清野に清野氏なしといわれるように、村上義清の家臣でもあった清野氏は、北信濃が武田信玄によって占領されると、上杉氏を頼って越後へ移ったのです。その後武田の滅亡後に、一旦は松代に戻るのですが、豊臣秀吉の命で上杉景勝が会津130万石に移ると、松代の清野氏・寺尾氏・西条氏らは、家来妻子を伴って全員が会津に移ったのです。その後、米沢減封となりますが、会津に残ったものもいたでしょう。

そして時は流れ、戊辰戦争の官軍の中心をになったのは、真田幸民を藩主とした松代藩でした。松代藩のメリケン砲は、会津若松城を穴だらけにして勝敗を決したわけです。つまり、戊辰戦争は、有る意味一部は、松代出身者同士の戦争でもあったのです。歴史の偶然とはいえ、これは衝撃の史実といえるでしょう。
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ハプニングの野草園

2007-10-14 | アウトドア・ネイチャーフォト
次男がサッカーの試合に勝って帰ってきたので、買い物がてら深大寺のはずれにある野草園へ自転車で。前回と違って下水は流れ出しておらず、臭い匂いがしないのはラッキー。でも、今回も野川には行って魚捕りをしている親子がいましたが、時に下水が流れ込む川だとは知らないで遊んでいるのでしょうね。一刻も早くなんとか下水処理場を作って欲しいものです。

野川の遊歩道に出たところで、次男が叫びました。
「あっカワセミだ!」
見ると枯れ草のさきっぽにブルーのカワセミが留まっています。いや別に珍しくはないです。武蔵野市場の下がカワセミの撮影ポイントとして有名で、週末の朝行きますと、ものすごい大きな望遠レンズをつけた老人の一団が、全員カワセミにその大砲を向けて構えています。でもその気になれば、野川界隈では割と普通に見られる鳥です。それでもこんな武蔵野の市街地の真ん中でカワセミを見ると、なんだかとても嬉しくなるものです。

さて前回は野川公園自然観察園に行ったので、今回は野草園から神代水生植物園から深大寺城址、深大寺と回って帰るつもりでした。まずは野川からはずれて野草園へ。ここはカニ山も含めて子供達が赤ん坊の時から自転車に乗せてきて遊ばせた所のひとつです。野川公園にもよく行きましたし、多摩川には夕焼け鑑賞会といって、週末の夕飯前によく夕焼けを見に行ったものです。

野草園は、おじいさんがふたりいるだけでした。まず入口で名前住所と人数を書いて入ります。小さな野草園ですが、武蔵野に自生している、或いは昔は自生していた植物が見られます。今回見られたのは写真にある花とミズヒキ、シュウメイギク、シロヨメナぐらいでした。外にはキバナコスモス。あっ、アオバナフジバカマは南米原産の外来園芸種です。繁殖力が旺盛なので、知らずに植えると生態系を滅ぼす可能性のある植物です。園芸種にもそういうものが有ることを知っておいて欲しいですね。わあきれい!じゃ済まないんです。

そして、深大寺へ行こうと自転車に戻ったら、なんと後輪の空気が抜けてペッチャンコ。ここのところゴムなしバルブの具合が悪くて、数日経つと空気が抜けていたので、パンクではないけれどおかしいなと思っていたところでした。よりによってこんなところで…。まあたいていそんなものですが。公園の事務所に空気ポンプはないか聞いたらないというので、しょうがない帰ることにしました。

こんな時は、頭の中のマップで最短距離を選びます。普段は通ったことがないような道も選んで。お陰でいつもなら、見られないような景色や道を発見できました。おお、こんなところにこんな花がとか、こんな古い家がとか、庚申塔を見つけたり…。歩くと、車や自転車では見逃してしまうようなものまで、しっかりと見ることができます。怪我の功名とでもいうのでしょうか。

野川野草園のフォトレポは、こちらでご覧ください。また、野川は11月になると紅葉がきれいです。こちらでご覧ください。また12月に入ったらこんな感じです。
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秋を探して野川公園自然観察園

2007-10-08 | アウトドア・ネイチャーフォト
三連休中日、家族はみな所用で出払ったので、久しぶりに野川公園自然観察園へサイクリング。キンモクセイの香りが強烈な住宅街を抜けてキバナコスモスの咲く野川沿いの遊歩道へ。走り始めると、こんないい天気にもかかわらず出歩いている人が少ないことに気付きました。

しばらく走っていると、なにか爽快じゃない。そうなんです。野川が臭いんです。河川改修によって以前のように水がたまることもなく、見た目には割ときれいな水がよどみなく流れているにもかかわらず臭い。この夏の猛暑の影響で、なにか腐敗するような菌が大量発生でもしたのでしょうか。

実は、野川処理区には浄水場がなく雨天時に未処理の下水をそのまま野川に流しているんです。ですから、野川が臭いと思ったときは、下水が流れていると思った方がいいわけで、当日も川の中で魚を捕っている少年がいましたが、(まさか食べないでしょうけど)あまりお勧めはできませんね。 つまり、野川は、時として下水そのものなんですよ。野川処理区下流部合流改善施設の計画があるようですが、運用は6年後だそうですから…。小さい子供を遊ばせるときは気をつけた方がいいですね。なめてしまったりしますからね。

あまりに臭いので、スピードを上げてようやっと野川公園自然観察園へ。さすがにここまで来ると、下水をたれ流しているゲートはないので水は臭いません。絶品サンマのオリーブ油煮をアオサンのパンに挟んでサンドウィッチを食べてきたのですが、小腹がすいたので、コンビニで烏龍茶とチャーシュー葱おにぎりを買ってベンチで腹ごしらえ。不景気なんですね、有名な蕎麦屋の駐車場はすいてるのに、コンビニは行列でした。

さて野川公園自然観察園は、秋の花が咲き誇っていました。詳しくは写真を見ていただきたいのですが、他には、カントウヨメナ、キンミズヒキ、シュウカイドウ、ヤブタバコ、ユウガギク、ナンテンハギ、キバナアキギリ、ガマズミ、ママコノシリヌグイ、アキノウナギツカミ、タカアザミなどが咲いていました。ツマグロヒョウモンもたくさん飛んでいました。写真は、ツマグロヒョウモンのオスです。盛んにメスを追いかけていました。温暖化と共に北上しているそうです。

帰りは、いつものように調布飛行場へ。プロペラカフェの駐車場は満員でした。ここはお勧めです。私は丘の上で飛行機の発着を見て帰路に就きました。

野川公園自然観察園の他の季節のフォトレポは、モリモリキッズでご覧ください。
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武田別働隊はどこをたどったか!?【妻女山里山通信】

2007-10-06 | 歴史・地理・雑学
前回に続き次男に、武田別働隊の辿ったと思われる経路を、別の角度から作ってもらいました。松代の東にそびえる奇妙山上空2000mから見た図です。プラス、その断面図も作ってもらいました。

黄色い線が、海津城を出陣した武田別働隊が辿ったと思われる経路です。西条の入から唐木堂越え、大嵐の峰を辿り、鞍骨、天城を巻いて妻女山(斎場山)へ攻め込みました。『更級郡誌』には、甲ノ十将が夜間越えたる処として戸神山の記載があり、倉科生萱土口等より妻女山を襲うため、とあります。つまり、軍勢を大嵐の峰で隊を分けて、一部は倉科、生萱、土口に下りて妻女山へ向かったと解釈できます。

断面図は、海津城から西条の入--唐木堂--戸神山--大嵐山--鞍骨山--天城山--東風越--斎場山--薬師山--岩野のものです。標高差:約835m。戸神山に登ってしまえば、多少のアップダウンはあるものの、後は下りということが分かります。東風越で隊を分けて一部は赤坂山(妻女山)へ攻め込んだと思われます。倉科に下りた隊は、一部が二本松峠から妻女山へ、生萱・土口を回った隊は、土口の古大穴神社から薬師山へ、あるいは堂平から陣場平・斎場山へ攻め込んだと思われます。

こんな長い尾根を深夜に歩けるのだろうかと思われるでしょう。不可能だという歴史家も少なくありません。ところがどっこい大正時代のことですが、まだ坂城、戸倉、屋代、松代が同じ埴科郡だった頃、鏡台山はその中心に位置していました。そこでなんと山頂で小学生の合同キャンプと運動会が開かれたわけです。

大正9年5月27日には、埴科郡の尋常小学校5年生以上の児童が、鏡台山頂に集まり、合同運動会を開催しました。清野・岩野からは、小学生が鍋釜・米・味噌・缶詰・野菜・着替えなどを背負って、妻女山から天城山、鞍骨山を周り、戸神山脈を辿って鏡台山まで行き、飯盒炊さんをして翌日の運動会に備えたといいます。運動会は、合同体操に始まり、綱引、鉢巻取、襷(たすき)取、棒倒しなどを行ったということです。

驚くのは、夕食の後、ドドドドーン!という轟音と共に浅間山が大噴火し、真っ赤な火柱が見えたというのです。生涯忘れえない想い出となったことでしょう。今時の子供なら登るだけでも精一杯、体力のない子は無理かもしれません。七回ほど開催されたそうですが、雨天により登山途中で中止になったりで、大正12年より廃止されたということです。

 夜の行軍とはいえ、ましてや命を受け命をかけた武士達ですから、このルートを辿るのは大変なこととはいえ不可能ではないと思われます。戸神山脈の尾根に登れば、妻女山までの尾根道はほとんどが下りだというのも見逃せません。現代人のやわな体力や山に対するリテラシー(読解力)の無さを基準に考えてはいけないということです。ちなみに岩野あるいは清野の麓から鏡台山までは、山に慣れた人なら6~7時間ぐらいで登れます。但し、月の輪熊や猪の生息地なので、対策は必須です。オオズズメバチ、マムシにも要注意。

詳しくは、本当の妻女山について研究した私の特集ページ「妻女山の位置と名称について」をご覧ください。もっと大きな図や、絵地図、妻女山・鞍骨山トレッキングルポなどがご覧いただけます。

参考資料:『清野小学校開校百年誌』『更埴市誌』『埴科郡誌』他
■「国土地理院の数値地図25000(地図画像)『松代』」をカシミール3Dにて制作。高さを1.5倍に強調。
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