モリモリキッズ

信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

菅平高原へ、根子岳と四阿山、真田一族(妻女山里山通信)

2009-05-19 | 歴史・地理・雑学
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 実に6年ぶりの菅平高原です。6年前はまだ小学生だった息子達を連れての夏の四阿山から根子岳の縦走でした。四阿山から大すき間(コル)への急な下りと根子岳への登り返しで、当時体重が今より10キロ近く重かった私はヘロヘロになった想い出があります…。下界は雷雨で火事が起きるほどの猛暑でしたが、大すき間は気温が15度でした。四阿山手前の鞍部で岩の上に熊のものと思われる糞を発見しました。

 今回は登山ではなく山菜採りです。ワラビや山ウドには少々早いのですが、多忙になる前にとでかけました。某所を駆けめぐり深い森に入り、藪こぎまでして採った山菜は漢字で書くと、蕨、山独活、針桐、漉油、愡之木。それぞれはそれほど量は採れなかったのですが、合わせるとかなりの量になりました。帰宅後早速天ぷらで堪能しました。

 根子岳は、元は禰固岳と書かれました。「禰」は弥の旧字で、天理によく沿い従うもの。親孝行の意味があります。「禰」に固まると書いて「禰固岳」でした。天意に適うようにお参りすれば願い事がかなう山という意味でしょうか。この字は根子岳山頂の祠の隣にある石碑に書いてあります。猫嶽、あるいは猫岳とも書きますが、まるで眠る猫の背中のような山容から、そう呼んだのでしょう。

 日本百名山でもある四阿山は、真田一族と非常に深い関係にあります。真田十勇士はフィクションですが、真田忍びは実在のものです。戦国の乱世、真田は北の上杉、南の武田という強大な勢力に挟まれた厳しい状況にありました。まさしく信濃の国は、ベトナムかアフガニスタンか。そんな状況の中、天下の情報を素早く正確に捉えるために、真田幸村は山伏の情報源を活用したのです。
 真田氏のいる上信越国境には、山伏が修行する霊山が連なっていました。その中でも四阿山は、たくさんの山伏達が集まる代表的な霊山でした。頂上には白山権現を祭神とする四阿神社がまつられています。鳥居峠付近には中社と籠り屋があり、山伏達の修行場となっていました。

 山伏達は古来より関所の通行が自由だったそうです。彼らは苦行に励み、棒術や刀術にたけており、強靱な肉体をもっていました。彼らが真田忍びの中核を担い、隠密活動や敵のかく乱など変幻自在の大活躍をしたのだそうです。
 当時、真田幸村は、世に「不思議な弓取り」と言われました。天下の大群を相手に、一歩も引かぬ変幻自在の戦いを挑みましたが、その背景には四阿山を舞台にした特殊技能を持つ山伏達の忍びの活躍があったのです。そんなことに思いをはせながら四阿山に登るのも、またいいかもしれません。また、麓の上田市や長野市松代町には、真田ゆかりの史跡がたくさんあります。登山やハイキングの後に訪れてみるのもいいのではないでしょうか。

 妻女山や茶臼山、川中島からは、両山がクッキリと見えます。写真の白いものはレタス畑、冬はスキー場になるところもあります。夏はサッカーやラグビーの合宿で有名です。

★ネイチャーフォトは、【MORI MORI KIDS Nature Photograph Gallery】をご覧ください。キノコ、変形菌(粘菌)、コケ、花、昆虫などのスーパーマクロ写真。滝、巨樹、森の写真、特殊な技法で作るパノラマ写真など。春の花、昆虫、樹木、滝などを更新しました。

★フォトドキュメントの手法で綴るトレッキング・フォトレポート【MORI MORI KIDS(低山トレッキング・フォトレポート)】もよろしく。四阿山から根子岳の縦走ルポは2003年です。
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