北信濃寺社彫刻と宮彫師

―天賦の才でケヤキに命を吹き込んだ名人がいた―

(現代版)医界の鉄錐-新型コロナ対策(イベルメクチン)- 

2021年08月01日 | ●全般
 現在の医学は専門分化したため、新型コロナウイルスに関して、感染症医>内科医>他科の医者 のように興味が薄れてしまい、コロナ関連の知識も積極的には得ようとしない。最も興味を持つはずの感染症医は、30年ほど前から流行った「エビデンス」という概念に縛られ、(平時に行われる)大規模臨床試験のデータしか信じなくなり、既存の薬の中でコロナに有効である可能性が高いアビガン、イベルメクチン(ストロメクトール)は . . . 本文を読む

中村不折 ー明治・大正・昭和をまたいだ ”マルチクリエーター”

2021年01月19日 | ●全般
 現在(2021年1月19日)、長野県立歴史館(千曲市)で企画展として「洋画家・書家・コレクター 中村不折ー伊那谷から世界へ」が開催されており、先日観覧、図録(1000円)を購入してきました。私は、中村不折を北村四海(大理石彫刻家)、和田啓十郎(漢方の中興)から知りました。不折という人はマルチに活躍して、「何者?」と最初に感じた人物でした。  今回の展示内容は、不折が関わった絵画、書、印刷物 . . . 本文を読む

■瀬原田区の神楽屋台(長野市篠ノ井)-山嵜儀作

2020年10月16日 | 01 山崎儀作
瀬原田太々神楽保存会  一間社流造、総ケヤキ製。残念ながら制作年、制作者の記録はないが、彫物(獅子の木鼻)は儀作として矛盾しない。七瀬中町の神楽屋台よりも小さめで彫物は少ないが、総ケヤキ製で重厚感があり、個々の彫物は精巧に作られている。屋台の妻部は、他の神楽(力神)と異なり「仙人」となっている。 屋台前部 中備「龍」、正面扉脇(方立)「龍」 木鼻「獅子」「象」 右側面 . . . 本文を読む

■七瀬中町の神楽屋台(長野市)-山嵜儀作

2020年10月14日 | 01 山崎儀作
 一間社流れ造、彫物のみケヤキ製。屋台各所には精巧な彫物がたくさんつき、妻部には「力神」、その下部には仙人になる。正面中備は「八岐大蛇退治」で小西組、新諏訪町と共通する。海老虹梁の「龍」は、立体感があって重厚なものである。作風は儀作のものといって矛盾しない。  現役で使用され、「ながの獅子舞フェスティバル」(2017年から開催)でも披露された。制作年、制作者の記録ないが、町の伝承で「明治後期 . . . 本文を読む

■加茂神社の神楽屋台(長野市西長野)-山嵜儀作

2020年10月12日 | 01 山崎儀作
明治27年、山嵜儀作。  現在、加茂神社には3台の神楽がある。そのうち二台が現在も秋季例大祭で使用されているが、儀作の神楽屋台は境内の倉に保管されたまま人目に触れてこなかった。平成28年から氏子の方々の発案で、儀作の神楽屋台を拝殿内に移し、秋季例大祭(9月16日)では参拝者が神楽屋台を見学できるようになった。  神楽屋台の制作時期であるが毘沙門天の右手にもつ杯の上面には「明治二十七年」と刻 . . . 本文を読む

■新諏訪神社の神楽屋台(長野市新諏訪町)-山嵜儀作

2020年10月11日 | 01 山崎儀作
明治17年、山嵜儀作。瓜割神楽保存会(新諏訪町)  獅子舞神楽は、祭礼の際に地元の神社、家々をまわって獅子舞を奉納、披露し無病息災を祈願することである。地域を練り歩くときに神楽屋台を伴うことが一般的である。神楽屋台は「太神楽」(単に「神楽」)と呼ばれ、箱型の長持に貫を通して、その上に社殿形の祠を載せ、後部に太鼓が取り付けられた形態である。以前は担いで移動したが、近年はリヤカーに載せて移動して . . . 本文を読む

▲和田啓十郎-日本漢方の中興の功労者

2020年07月08日 | ▲善光寺平の歴史
7月8日は和田啓十郎先生の命日になります(大正五年、享年45)。雨の中、恒例にしていました命日の墓参をしてきました。 現在、医者にかかって、西洋薬の他に漢方薬が処方される状況も、和田先生の尽力が大きいと思います。 ・和田啓十郎先生の肖像(明治44年、39歳)『和田啓十郎遺稿集』(和田正系著)より引用 ・故郷・長野市松代町牧島の墓所 正面には「和田啓十郎墓」、下の石段には「治本堂」と刻まれ . . . 本文を読む

■国宝 旧開智学校(松本市)-擬洋風建築への宮彫(諏訪立川流)の融合

2019年06月16日 | 20 立川流
・旧開智学校 正面玄関部の中備の龍  浄林寺から転用されたものと言われています。(棟梁手記「竜彫残シ」とあります。)    2019年5月に松本城の北に建つ「旧開智学校」が国宝指定の答申がされました。長野県内の建築物としては、松本城・善光寺本堂・大法寺三重塔・安楽寺三重塔・仁科神明宮につぐ6件目の国宝指定になります。  明治九年4月に竣工された旧開智学校校舎ですが、以前は女鳥 . . . 本文を読む

●坂井衡平について (続編)

2019年04月24日 | ▲善光寺平の歴史
*前回のブログ投稿が字数制限で全てを掲載できないため分割して載せます。 13. 坂井衡平の業績 (1)著書・論文 表1に衡平が著述したものを示した。『善光寺史』以外は、衡平の生前に刊行されたもので、郷土史関連が四冊、それ以外が九冊(一部重複あり)となっている。校正は衡平と甥の喜夫が行った。本の主題は、それぞれ郷土史(善光寺や更級郡関連)、国文学、日本人の国民性であり、一見関連がなさそうに思え . . . 本文を読む

●坂井衡平について (前編)―国文学者であり、『善光寺史』を著した偉大な郷土史研究家

2019年04月22日 | ▲善光寺平の歴史
*他紙(市誌研究ながの26号)に投稿したものですが、坂井衡平の業績をネットで検索できるようにブログにあげました。字数制限により抜粋になります。  坂井衡平は、善光寺研究における最高レベルの学術書『善光寺史』の著者として知られる。その研究は著者の存命中には刊行されず、没後も長い間、信濃教育会資料室に保管された清書原稿が一部の研究者に閲覧されただけで、光が当たることはなかった。衡平が亡くなって33年 . . . 本文を読む