モリモリキッズ

信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

聖高原の三峯山は、低さを感じさせない大展望が魅力と発見!(妻女山里山通信)

2011-10-30 | アウトドア・ネイチャーフォト
 土曜日は、一日で鏡台山、三峯山、茶臼山を登りました。理由はキノコが全くなかったからなのです。それにしても、三峯山は善光寺平南部からはその三つのピークで簡単に識別でき、近くでは頂上の展望台の建物も見えるため馴染みの山です。江戸時代の『信濃奇勝録』(明示40年復刊)では、この山を姥捨山と書いています。聖湖の横を通る403号線は、何度も通っているのに、すぐ上にある三峯山はあまりに手軽すぎて登る気にもならなかったというのが正直なところ。標高も1131.3mしかないですし。しかし、11年ぶりに登ってみて、その展望のよさに驚きました。11年前は親戚の子供達とわが家の息子二人と母と聖湖からリフトで上り、下りはスカイライダーで下るという楽ちん登山だったため、余計に印象が薄かったのでしょう。やはり山は歩いて登るべし。

 今回は、東側の大池から風越山経由で登りました。一般的には大池キャンプ場から登るのですが、今回はその下の遊歩道の起点に車を置いて大池の西側の遊歩道を巡って三峯山へ向かいました。出発地点が770mですから、標高差は約360m。池の水面を左下に見ながら落葉松林の中をトラバースしていきます。例年なら出ていそうなジコボウ(ハナイグチ)も全く見られません。大池を回った辺りで林道へ出たのですが、ここで道を間違えてしまいました。上の林道へ行ってしまったのです。ススキが逆光で輝く道を登って行くと、行き止まりになってしまいました。森の上からは人の声が…(なんとゴルフ場です。丘陵地帯の少ない信州は、こんな熊が出るような山中にゴルフ場があるのです)。

 林道を戻り、キャンプ場の方へ歩いて行くと、竪穴式住居の横に登山道入り口がありました。ここから1時間位で山頂のようです。まずは風越山を目指します。登山道は、丸太の階段があり、よく整備されています。林道を横切り、急登をこなすと風越山直下の尾根に出ます。あとは尾根伝いにひとつ1068のピークを越えるだけ。尾根の左手には麻績村の別荘地が点在していて少々下世話ですが、林の中に点在しているので、あまり気になりません。結局キノコもなかったので、頂上には40分ぐらいで着いてしまいました。

 頂上にはこぎれいな二階建ての展望台があります。中で喫茶が開かれていることもあるようですが、この日は休業でした。上空は雲ひとつない青空。遠方は霞んでいるものの、ほぼ360度の大展望です。北信五嶽、北アルプス、美ヶ原から蓼科。浅間山から四阿山、志賀高原。間近には錦秋の聖山や冠着山。北アルプスの手前には、京ヶ倉。東の眼下には善光寺平が広がります。こんないい眺めの所だったのかと驚きました。あまりに眺めがいいのと善光寺平との標高差があるので、わずか1131mの低山にいる気がしません。昼食は、展望台の中のテーブルで大パノラマを堪能しながら。

 下りは、山頂直下から林道へ下る最短ルートへ。キャンプ場へは30分ほどで下りました。家族がバーベキューをしている横を抜けて、大池の湖畔沿いの遊歩道へ。午後の陽射しが眩しい黄葉した白樺の林を抜けて車に戻りました。このコースは、小さな子連れのトレッキングには最適ですね。長野市や千曲市からこんな近い所に、こんないい場所があるのに、なぜ皆来ないのだろうと思った次第です。

 ここで帰ってもよかったのですが、キノコ狩りのベテランとしては、坊主はなんとしても避けたいところ。山際を車を走らせて茶臼山へと向かいました。この続きは次回に。



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★ネイチャーフォトのスライドショーやムービーは、【Youtube-saijouzan】をご覧ください。粘菌や森のあんずのスライドショー、トレッキングのスライドショーがご覧頂けます。「キノコの汚染と除染について」は。アクセスが増えています!

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10月29日(土)のつぶやき

2011-10-30 | アウトドア・ネイチャーフォト
●朝から鏡台山・三峯山・茶臼山と三つ登った。三峯山は11年ぶりだが低いのに展望の良さに驚いた。信玄が超えたという猿ヶ馬場峠も北アルプスも四阿山もよく見える事。 http://t.co/GTJfMzy5
●左に常念岳と燕岳。手前に京ヶ倉。右にアンテナのある聖山。なんで三つも登ったかというとキノコがないから。あればひとつで済んだ。 http://t.co/sn7OL1U9
●聖高原の三峯山(1131m)から望む北アルプス。 http://t.co/YTA64kBW
●信州聖高原の三峯山から望む戸隠連峰。善光寺平。 http://t.co/sGkzsgVZ
●市川定夫 - 放射能はいらない http://t.co/1QpZ8DfA #genpatsu #hibaku #fukushima
●国内原子力施設情報公開ライブラリー http://t.co/sNJhci7v 本当にトラブルだらけの「トラブル情報」必見! #genpatsu
●4号機の使用済み燃料プールと日本の運命 http://t.co/gRodaV1h 貞観地震を見るまでもなく大地震はまた来る。燃料プールが崩壊したら日本は終わる #genpatsu #fukushima #nuclear
●カナダの物理学者:「今すぐに4号機プールの補強工事を!」 http://t.co/97ecsFJ3 四号機の格納容器の外にある1535本の燃料棒が地面に落ちれば、東京と横浜は閉鎖される #genpatsu #fukushima #nuclear
●これから放射能汚染は環境濃縮を繰り返す(全国各地に降ったセシウムの量) http://t.co/8yx25G1v 長野県民で高濃度汚染地域の自覚を持った人は極少数 #genpatsu #hibaku
●『玄海原発は爆発する』 いつ「ドカン!!」と来てもおかしくない、と言う危険度最高の話 http://t.co/ByHSYPFa #genpatsu
●【被ばく強要か!福島市で東日本女子駅伝開催】 http://t.co/T33ds0gh 電離放射線障害防止規則違反の大会 #genpatsu #hibaku #fukushima
●「こんなの論外だ!」アマゾンの契約書に激怒する出版社員 国内130社に電子書籍化を迫る #blogos @ld_blogos http://t.co/QghQD27p 出版業界は今までなにをしていたの?これがTPPさ!
●【信州の里山】キノコの汚染と除染についてRadioactive contamination and decontamination for the mushroom http://t.co/NQCFE6zu #genpatsu #nuclear #fungi
●再びM9の地震が発生する確率が高くなってきた:VHF電磁波の地震エコー観測 http://t.co/gJz7X9E4 貞観地震の前後を見れば充分あり得る #jishin #genpatsu
●I favorited a @YouTube video http://t.co/afq7yZUj KEITH JARRETT: The Köln Concert Remastered - Part 1 - HD
●I favorited a @YouTube video http://t.co/gNRDyZ8S Keith Jarrett & Chick Corea - Play MORZART #12
●前原氏「不満持つ人に配慮すれば前に進まない」 http://t.co/JJGHi3N2 前原、仙石と読売はアメリカのエージェントだからねえ。金の為なら国も売るか。
●時間がない人も1分でいいから見て欲しい。「原発いらない福島の女たち」経産省交渉(動画) - ざまあみやがれい! http://t.co/5ELHaxSO
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10月28日(金)のつぶやき

2011-10-29 | アウトドア・ネイチャーフォト
●チェルノブイリの専門家が緊急伝授。放射能汚染から身を守る“除染食”のススメ - 特集 - 週プレNEWS http://t.co/59lVHuuo via @shupure とにかく内部被曝を避ける #genpatsu #josen
●世田谷の食料品店で110マイクロ・シーベルト http://t.co/xox4SfZW 次々見つかるマイクロホットスポット #genpatsu #hibakuまた、ラジウムか? ラジウム鉱石は商品として売られている。この被曝時代にわざわざ被曝量を増やすのはいかがなものか。ラジウム温泉もWHOは、肺がんのリスクが高まるとして注意を喚起している。
●放射性ラジウム・ラドンへの警鐘、マンション屋上ストロンチウムの危険性 20111013【たね蒔きジャーナル 京都大学原子炉実験所助教 小出裕章】
●「日本人は何を食べてきたか」織田信長 こんにゃくまで赤く? ド派手信長伝説 http://t.co/wJHqjdin モミジガサは秀吉が好んだためトウキチロウという。謙信は塩鮭など塩分過多で脳卒中とも。兵糧丸は戦国の行動食。 #sengoku #rekishi
●農業環境技術研究所における放射能モニタリングの研究について http://t.co/Ru2UmGn6 福一事故以前、核実験によりかなり汚染されていた驚愕の事実
●消されたレポート「TPPに潜む危険性」(あおぞら銀行 金融法人部門) http://t.co/eHvRDzha
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キノコ狩りでムキタケを大量ゲット…(妻女山里山通信)

2011-10-28 | アウトドア・ネイチャーフォト
 茶臼山でムキタケが採れたので、妻女山も出ているはずとシロへ向かいました。そのシロは、林道から外れた谷の崖に倒れ込んだコナラの倒木なんですが、谷は深い薮の奥にあり、手入れのされていない暗い杉林の縁にあるため、地元の人でも足を踏み入れる人は誰もいません。あるのはイノシシの足跡ぐらい。稀に月の輪熊も来るかな。

 谷に向かって倒れこんだコナラは、ほぼ45度の角度で、斜面は場所によっては、それ以上。救いは岩場でなく土の崖であることですが、雨後で泥濘状態であるため、足場をちゃんと確保しないと転落の危険がありました。コナラの根元まで登って採り始めたのですが、ムキタケは雨後のためたっぷりと水分を含んでいて、むしり取ると露がたっぷりと滴り落ちるほどでした。

 苦労して採り終えると、持って行った不織布の袋がほぼいっぱいになりました。ザックに袋を詰め込み、次のシロへ向かいました。そして、ムラサキシメジとクリタケをゲット。もうひとつのシロは、知人のKさんに先を越されたようでした。

 茶臼山でも皆さんが言っていましたが、ウラベニホテイシメジもジコボウ(ハナイグチ)も出ないままムラサキシメジの季節になってしまったと。9月初めに降雨があり冷え込んで松茸やら初秋のキノコが一斉に出たのですが、その後残暑がぶり返し、以後全くキノコが、毒キノコさえ出なくなってしまったのです。そして、10月下旬になってやっと雨が降り、気温も下がってキノコが出始めたのですが、季節は早晩秋のキノコの時期になってしまっていたというわけです。

 さて、採ってきたキノコですが、通常ならムキタケは、洗って掃除したらそのまま料理に使います。しかし。これからはそうはいきません。たっぷりの湯で茹でこぼす必要があります。もちろんセシウムと一緒に味も抜けてしまいますが、命には代えられません。除染用のガス代は東電に請求したい。だいたい除染は、原因を作った東電が出費して、東電の社員が専門教育を受けてボランティアでやるべきです。チェルノブイリでは、除染作業にかかわった50万人のうち2万人が亡くなり、20万人が放射線障害による病気で苦しんでいるそうです。素人が軍手とマスクでやる作業ではありません。それに、高濃度汚染地帯は、まず避難が先でしょう。

 ムキタケ、クリタケ、ムラサキシメジともに腐生性キノコで、セシウムを10倍溜めるという菌根性ではありませんが、念のためたっぷりの塩水に浸けた後、流水でよく洗ってから、茹でこぼしました。ムキタケは、皮が剥けて白くなってしまいました。これはすぐに食べる分を除いて冷凍にしました。塩水に浸けるのは虫を追い出すためですが、セシウムと結合するので除染効果もあるようです。また、酢やクエン酸を加えるとより効果があるそうです。(ベラルーシのベルラド放射能安全研究所)

 長野県の発表で、佐久のチャナメツムタケからセシウム134が600Bk/kg、セシウム137が720Bk/kg検出されました。場所は群馬県境に近い物見山(1378.4m)西側。ムラサキシメジは不検出(定量下限値:28 Bq/kg)。場所は佐久市内山で、前記の場所より約6キロ以上西の里山。やはり群馬県境が高い様です。県境の山が低い所は放射性物質が超えて降下していると考えていいでしょう。上田の真田が以外と高いのも、鳥居峠を超えて来たと考えられます。
 しかし、長野県北部が高いのは、放射能雲が南風に乗って2000m級の県境の山脈を超えたのではないかとも考えられます。また、一度新潟県に抜けたものが北東の風で信濃川を遡ったという人もいます。
 善光寺平南部の松代、屋代、篠ノ井が低かったのは、四阿山がブロックしてくれたことと、放射能雲が飛来した当日に、その隣接地域で降雪や降雨があり、これらの地域でなかったことが挙げられます。恐らく鏡台山から北、奇妙山から西、西山の冠着山より北で犀川以南だったら大丈夫だと思いますが、念のために除染することをおすすめします。
 ◆暫定基準値の500Bk/kgは、全面核戦争の非常時の許容量。ドイツ政府は、大人:8Bk/kg、子供:4Bk/kgを基準としています。500Bk/kgを数年食べたら即致死量になります。

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【10月に入ってから東京都・千葉・神奈川の水道水にヨウ素やセシウムが検出され始めたのはなぜか】高濃度に汚染された群馬・栃木山間部や奥多摩の汚染水が流れて来たためか。半減期8日のヨウ素が検出されるのはなぜか。4号機の再臨界は続いているのか。羽村市では、セシウム134・137計23Bq/kg、ヨウ素131が7.7Bq/kg。政府の高い暫定基準値以下とはいえ、毎日飲むもの。積算値が問題。◆セシウム除去には、逆浸透膜型の浄水器が必要です。
【4号機爆発は、想定外の核爆発だった!:岩田 清氏】これは海外では定説になっているらしい。再び大地震は、必ず起きます(二つ前の記事の下部・貞観地震から仁和地震の年表参照)。4号機の建家が崩壊して使用済み核燃料のプールが壊れたら、東京圏は終わりです。全原発即時停止廃炉以外日本には道がありません。全世界の原発も同様に! 子孫に最終処分の技術もない大量の核廃棄物を残すべきではありません。いずれにせよ50億年後、地球は赤色巨星化した太陽に飲み込まれ蒸発して終わるのですが・・。
■メルトスルーしてしまった原発から核燃料を取り出す技術は、まだどこも持っていないし、やったこともないという事実。東電の冷温停止など絵に描いた餅にすらならない。
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★ネイチャーフォトのスライドショーやムービーは、【Youtube-saijouzan】をご覧ください。ニホンカモシカや粘菌、森のあんずのスライドショー、トレッキングのスライドショーがご覧頂けます。◆キノコの放射能汚染と除染についても。

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中尾山・茶臼山ハイキング2011(妻女山里山通信)

2011-10-25 | アウトドア・ネイチャーフォト
 10月23日(日)は、川中島町の中尾山・茶臼山ハイキングのインストラクターをしました。友人のN氏が事務局長を務める「茶臼山トレッキングコース愛護会」が整備をしている約8キロ弱のコースです。当日は、雨の予報もあったのですが、曇りから晴れ間も出るまずまずの天気。秋の訪れが遅かったので、昨年に比べると紅葉は始まったばかりでしたが、タイミングが良かったのか途中でキノコを採った人が続出したのには驚きました。

 私が担当したのは「一本松コース」で、黒木学園--松仙閣--登山口--ろくろう坂--山の神--一本松--アルプス展望台--旗塚分岐--植物園--恐竜公園--交流会場というルートです。黒木学園から中尾山に向かってリンゴ畑の道を真っすぐに登って行き、松仙閣(日帰り入浴もできる温泉旅館)の前を左へ橋を渡ると、登山道入り口です。ここから一本松の峠まで約1時間が登り、あとは尾根伝いにあまり高低差のない林間の道を歩きます。今回は前日の雨で滑るので茶臼山山頂はパスすることになりました。まあ登っても眺望もないですしね。これが茶臼山の弱点といえば弱点です。切り開きが無理なら展望台が欲しいところですね。
 北アルプスが見える唯一の展望台からは、仁科三山(爺ヶ岳、鹿島槍ヶ岳、五竜岳)の中腹だけが見えました。晴れていれば右に白馬三山まで見えるので、ぜひ晴天の日にまた登って欲しいものです。

 キノコを採ったひとが大勢いたので鑑定をしました。ナラタケ、ムラサキシメジ、ムキタケ(カタハ)、クリタケ。そして、ジコボウ(ハナイグチ)と言っていたのは、落葉松林ではなく赤松の混合林だったので、おそらくヌメリイグチ。それから、皆さんがシロシメジと言っていたのは、シロノハイイロシメジでした。このシロノハイイロシメジは、当地ではけっこうたくさん生えていて、昔から食べている人が少なくないのですが、毒性があるので保健所では食べない様に指導しているキノコです。皆さんにはその旨を伝えました。昔から食べ続けている人は、まあ仕方がないということで。

 茶臼山山頂へ寄らなかったこともあり、予定より早くみな下山して交流会場に着きました。昼食後はインストラクターの講演です。私は「茶臼山の自然」というテーマで、四季で見られる花や果実、昆虫やキノコの話を、プリントアウトしてきた写真を提示しながら説明しました。世界三大毒キノコのうちドクツルタケとシロタマゴテングタケの二つが茶臼山にあるというのは受けたようです。ちなみに、最後のひとつはタマゴテングタケです。テングタケ科のキノコは猛毒のものが多いのですが、欧州の絵本には必ず登場するのがベニテングタケ。上田や菅平では、ベニテングタケを湯がいて冬まで塩漬けにし、流水で洗い流しながら塩抜きをして食用にする習慣が昔からあります。ただし、微量とはいえ肝臓に溜まる毒性分も含まれるため真似しない方がいいでしょう。ついでですが、クリタケも近年微量ですが毒性分が見つかったとして、欧州では毒キノコの仲間入りをしてしまいました。過食は禁物ということでしょう。

 展望台では、キノコの汚染状況と除染についてもお話ししたのですが、長野県が高濃度汚染地帯と世界から認定されているという事実を知らない人が多いのには驚きました。参加者には、キノコ汁の他に共和のリンゴ、秋映と長野牛乳がふるまわれ、大好評だったようです。しかし、原発事故以降、全ての食物に猜疑心を持って望まなければならなくなったことに、激しい憤りを覚えます。人類は長い歴史の中で、食べられるものと毒のものを選り分け、安全な食生活が営める様に時間を費やしてきたのです。それを原発事故が一気に原初の状態に戻してしまったともいえるのです。これからは、なにひとつ無意識に、無防備に口にしていいものは、何一つないことを肝に銘じないといけません。内部被曝は、非常に深刻な問題です。「気にしない。気にしてもしょうがない。食べて助ける」という人から淘汰されていく非常に冷酷な運命を、我々は背負ってしまったのです。

 茶臼山の中腹にある恐竜公園の交流会場からは、善光寺平が一望できます。そして正面に見える百名山の四阿山が、福島第一原発からの放射性物質をブロックしてくれて、この篠ノ井、屋代、松代は奇跡的に高い汚染から免れたのです。それをお話ししました。しかし、まったく汚染されなかったわけでもないと。半減期というのを説明する時間はありませんでしたが、半減期をもってしても、人間が注意を払い続けるには余りにも長過ぎる時間です。核種によっては、ほぼ永遠と同じ。やはり、原発=核発電は、人類が手をつけてはいけない技術だと思うのです。原子力で動く鉄腕アトムは、結局彼の母である核融合の太陽へ還って行くしかなかった。同じ様に原子力で動くどらえもんも同じ運命を辿るでしょう。我々人類は、原子力とは手を切るべきです。原子炉は太陽だけでいい。

 来年のハイキングが実施できるかは分かりませんが、もしできるならば、茶臼山に棲息する国蝶オオムラサキについてお話ししようと思います。善光寺平周辺の山には、たいていどこにもオオムラサキはいるのですが、里の人はほとんど知りません。それは、暑い夏に発生することと、彼らが山中にいて決して里には下りて来ないことに起因します。ですから、彼らに会いに行くには、蒸し暑い中を汗をかきながらオオスズメバチや蛇や熊、鬱陶しいクロメマトイのいる山に登らなければなりません。でもそこには、市街地にはない里山の豊かな自然の営みが見られるのです。その魅力を伝えたいと思います。

 また、里山はその地域の郷土史とも密接な関係にあります。電気やガスがなかった頃は、里山が命をつなぐ元でした。里山がなければ人は生きられなかった。神は山にいて下って水の神になった。現在の害獣問題や過疎問題は、そういう人と密接な関係にあった里山を忘れたツケとして、現在我々にのしかかっているとも思えるのです。経済効率からだけ里山を見ると必ずしっぺ返しをくらいます。それが現在の状態なのではないでしょうか。今必要なのは里山に対するリテラシー(読解力)だと私は思っています。そして、それを養うには知識だけではだめで、実際に色々な角度から里山に馴染むことが重要だと思います。ただ登るだけでなく、写真を撮るとか、工芸の材料を集めるとか、昆虫採種、山菜採り、俳句、絵画などなど。なんでもいいから山中に滞在すると、色々なものが見えてきます。

 知り合いに、同じ里山に毎週の様に登る人がいます。季節のゆっくりとした、しかし確かな移ろいが見えてくると言っていました。大きな風景や樹木だけでなく、センブリやゲンノショウコのような小さな花。粘菌やイヌセンボンタケのような小さな生物。コナラやミツバアケビの実生。ザトウムシ。小さなものに目をやると、一本のブナの大木には4000種類の生物がいるという、里山の途方もない複雑な構造の一端が見えてきます。

◉この中尾山や茶臼山も掲載の拙書『信州の里山トレッキング東北信編』川辺書林が発売中。平安堂やAmazonで。カラー668枚の写真と分かりやすいと評判のコース地図とガイド。初心者からベテランまで38山、74コースを収録。信濃毎日新聞の記事と書評に次いで新潮社『SINRA』の本のコーナーでも高い評価を頂きました 。2015年7月10日初版

★【MORI MORI KIDS(低山トレッキング・フォトレポート)】茶臼山トレッキングは、2009年に三本あります。キノコの汚染と除染については、このブログの二つ前の記事をご覧ください。

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吉田初三郎作鳥瞰図『長野電鉄沿線温泉名所案内』(妻女山里山通信)

2011-10-22 | 展覧会・イベント・コンサート
 先週の日曜日に調べものをしに森将軍塚古墳の麓にある長野県立歴史館へ行きました。ちょうど「観光地の描き方」という特別展示をしていました。中に「大正広重」と呼ばれた鳥瞰図絵師で有名な吉田初三郎のものがありました。その作品の中に『長野電鉄沿線温泉名所案内』という昭和5年に書かれた絵があり、それの縮刷版が売られていたので買い求めました。来年には廃線になる予定の長野電鉄屋代線も描かれています。鳥瞰図は、英語でbird's eye viewといい、遠く見えるはずのない(この絵では九州の門司や佐渡島)所まで描かれるのが特徴です。

 その中で注目したのは、妻女山の描き方。著作権もあるのでその一部を画質を落として掲載します。なかなか面白く、他に2作品も販売されているので、興味を持たれた方は歴史館でお求めください。その妻女山なのですが、現在の招魂社と展望台のある411mの妻女山ではなく、上杉謙信本陣跡として後方に妻女山が描かれています。謙信本陣跡ということで、強調したかったのでしょうか。えらくディフォルメされて大きな山になっていますが、位置関係でいうと、ここは現在の天城山(てしろやま・手城山)694.6mになります。実際の妻女山(旧妻女山、本名は斎場山)は、その手前の山です。現在の妻女山は、さらにその下で、桜の花と招魂社という文字が見えます。

 それに対して、武田信玄の本陣と伝わる茶臼山は、長野電鉄沿線にないためか、信玄があまり好きでなかったかは分かりませんが、右端に小さく描かれているのが極めて対照的で面白いところです。ディフォルメされている割には、周囲の山がかなり位置関係や形がその特徴をつかまえて正確に描かれているので、同定をしてみました。ディフォルメ、あるいは便化(デザインの簡略化)されていても、その特徴がはっきりと残っているのは、実際の山を観察したか、写真などの資料を揃えたからでしょう。

 左、松代の奥にある狼煙山などは、三角の山容はそのままですし、中央の双耳峰の鏡台山から左へ高遠山までの山並みなども実際の形とほぼ同じです。鞍骨城趾は資料がなかったのでしょう。五里ヶ峯の台形の形もよく描けています。また、季節に関しては、左上は万座温泉ですが、高い山地は錦秋の紅葉が描かれ、低い妻女山や里は桜の春爛漫が描かれているのが面白いところです。

 一番下には長野市街地が描かれていますが、旧長野駅や町並みが詳細に描かれていて、古い町並みを知る人には興味深いものだと思います。肝心の温泉ですが、渋温泉、野沢温泉、地獄谷温泉、五色温泉、七味温泉などは、この絵地図の左手の方に描かれているので、ぜひ実物をご覧になってください。販売されているのは、「観光信州」(880円)・長野電鉄沿線を描いた「長野電鉄沿線名所案内」(680円)・戦前の軽井沢の様子がつぶさにわかる「軽井沢」(580円)の3枚です。(電話026-274-2000)なお、この企画展の開催は、11月13日(日)までです。

森将軍塚古墳・大室古墳群トレッキング・ルポ最寄り駅はしなの鉄道屋代駅か篠ノ井駅。車は更埴ICから南へ約5分。古墳上へシャトルバスあり。
森将軍塚古墳館石室再現他。おすすめ。

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■今回の「東北太平洋沖地震」は、約1000年前に起きた貞観地震と酷似しているといわれています。貞観地震の時にも、地震や津波以外に、火山の噴火やさらなる大地震に三度も見舞われました。今回も、これで終わりとは到底思えません。すでに警告されていますが、充分な心構えと準備が必要です。

■貞観地震から仁和地震年表

貞観(じょうがん)859年-877年。清和天皇、陽成天皇。
元慶(がんぎょう、げんけい)877年-885年。陽成天皇、光孝天皇。
仁和(にんな)885年-889年。光孝天皇、宇多天皇。

•貞観3年(861年)4月7日、直方隕石が落下。落下の目撃がある世界最古の隕石。 •貞観6年(864年)富士山噴火(貞観大噴火)

•貞観10年(868年)7月8日、播磨国で地震。日本三代実録によれば官舎、諸寺堂塔ことごとく頽倒の記述。前年から引き続き、毎月のように地震があったことも見受けられる。

•貞観11年(869年)貞観地震とそれに伴う貞観津波が発生。(格12巻が完成。貞観の韓寇)

•貞観13年(871年)鳥海山噴火。(式20巻が完成。貞観格式の完成)

•貞観16年(874年)開聞岳噴火。

•元慶2年(878年)相模・武蔵地震(現在の関東地方における地震)伊勢原断層の活動によるM 7.4の大地震

•仁和3年(887年)8月22日(8月26日)に仁和地震(南海地震、M 8.0~8.5。東海・東南海との連動説も有り)。
 八ヶ岳が突然水蒸気爆発をおこし崩壊。千曲川・相木川を堰き止めて“大海(南牧湖)”や“小海湖”を造った。天狗岳と硫黄岳の東側斜面が大きく崩れた跡が今でも見られる。

•仁和4年(888年)大海が決壊し、善光寺平までその被害は及んだ。

•寛弘8年8月3日(1011年9月3日)に再決壊。下流域に再び災厄を撒き散らして完全に消滅した。
 長さ3kmに達した「小海」は、古地図等からその後600年以上、江戸時代初期まで残っていたことが確認できるが、いつどうやって消滅したのか判っていない。 恐らく1742年(寛保2年)に千曲川流域で発生した大洪水、戌の満水(いぬのまんすい)で消滅したのではないだろうか。

•弘化4年(1847年5月8日)善光寺地震による土砂崩れが犀川をせき止め、崩壊し下流に大きな被害をもたらした。(マグニチュードは推定7.4、死者総数8,600人強、全壊家屋21,000軒、焼失家屋は約3,400軒)


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【信州の里山】キノコの放射能汚染と除染について

2011-10-19 | アウトドア・ネイチャーフォト
【信州の里山】キノコの汚染と除染について


 放射性物質に汚染されたキノコと、その除染方法について。「菌根性キノコ」と「腐生性キノコ」に分けてまとめてみました。特定の樹木と共生する「菌根性キノコ」は、放射性セシウムを腐生菌の約10倍吸収(同じ条件の場合)。主な「菌根性キノコ」は、アミタケ、コウタケ、サクラシメジ、シモコシ、チチタケ、チャナメツムタケ、ハツタケ、ハナイグチ、ホウキタケ、ホンシメジ、マツタケ、ヤマドリタケモドキなどです。
 但し、高汚染地では腐生菌でも、チャナメツムタケやシモフリシメジなどは、非常に高い汚染値が出ています。長野県のキノコについては、県のサイトで確認を。

 後半にウクライナ放射線医学研究センターとフィンランド食品安全局による除染方法も載せてあります(意訳)。汚染されたキノコは食べないのが一番いいのですが、どうしてもキノコ狩りをしたい、食べたいという人のためのスラードショーです。実際の除染は、ネットなどで詳細を確認の上、ご自分の判断で行ってください。また、栽培キノコについては、生産者かメーカーにお問い合わせください。独自に検査しているメーカーもあります。
Radioactive contamination and decontamination for the mushroom.

 大きな画面でご覧になりたい時は、左上のsaijouzanさんのアップロード動画の文字をクリックして、Youtubeのページを開き、画面の右下の歯車で720pを選んでください。次にその右の四角をクリックして、シアターモードでご覧ください。

 キノコの放射能汚染についての記事は、ふたつ前の記事をご覧ください。下部に関連外部リンクもあります。

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姥捨山スライドショー。(妻女山里山通信)

2011-10-17 | アウトドア・ネイチャーフォト
 冠着山(1252.2m)は、全国的には別名の姥捨山の方が有名かもしれません。姥捨山という呼称は、主に西側の麻績方面の人が使いますが、北東側の川中島の人にとってとても馴染み のある山です。それは、冠着山に雲がかかると天気が崩れるといわれているからです。冠着山には登山道がいくつかあるのですが、最近は車で山頂直下の鳥居原か坊城平まで行って30~40分で登るのが一般的になってしまいました。

 ところが昔は、色々な尾根の先端や谷から山頂へのルートがありました。北側の冠着神社一の鳥居から久露滝経由で登る冠着神社コースは、山頂の冠着神社への表参道なのですが、登るのは里山マニアぐらいでしょうか。このコースは、大雨で道が崩壊することがままあるので、現状を問い合わせてからがいいでしょう。また、現在も遠足で使われている冠着駅からのコースがありますが、古峠からの長い林道歩きがあります。昔は途中から右に折れて鳥居平へ出る山道もあったようですが、現在の状況は不明です。

 そして、昔は私も高校の遠足で下った事があるのですが、あまりにも長いため、いつしか廃道になってしまったのが、この鳴海新道なのです。地元の古老から昔は登山道があったと聞いた坂城在住の鳴海さんが、なんと20回以上も通い詰めて灌木を切り払い、苦労の末に昔のルートを開通させたのです。これは、お誘いを受けてトレッキングしたときの記録です。

 コースは、麓の佐良志奈神社から八王子山にとりつき、ひたすら長く急な尾根を登るという、なかなかハードなもので、3時間前後かかります。車を鳥居原か坊城平にデポしておくといいかもしれません。ひたすら尾根の稜線を登るので迷う事もなく、また景色は尾根が東西に延びるため、東南北のパノラマが楽しめます。中間点には正城城跡もあります。また鳴海さんが作った展望台が4箇所あり、北アルプス、戸隠連峰、蓼科山などのパノラマが堪能できます。

 余裕があったら山頂直下の「ぼこだき岩」に寄るといいでしょう。母親がぼこ(赤ん坊)を抱いているように見えることからの命名ですが、松代地震で上半分とぼこが落ちてしまいました。昔は、この「ぼこだき岩」の左手から鎖場を経て山頂に向かうルートがあり、母は女学校の遠足で下りたそうですが(あまりに恐かったので今でも覚えているとか)、今は廃道になっています。ぼこだき岩は、フリークライミングの名所でもあります。

 山頂は、北信五岳から、眼下に姨捨の長楽寺と姨捨SAと田毎の月で有名な棚田、目を上げると北アルプスの白馬三山、仁科三山のパノラマが広がり、南には蓼科や美ヶ原のパノラマが堪能できます。運が良ければ富士山も見えるかもしれません。このルポは5月ですが、錦秋の最中を登るのも気持ちがいいと思います。

 現在は冠着山=姥捨山となっていますが、江戸時代には別の山として描かれているものもあります。スライドショーの最後に載せましたが、『信濃奇勝録』では、姥捨山は、長楽寺の後ろにある三峯山(1131.3m)、あるいは一本松峠近くの1080m辺りが姥捨山となっています。

 この棄老伝説というのは、日本全国にあるのですが、地名として残っているのはここだけだそうです。棄老伝説は、インドを起源とする仏教説話らしいのですが、古代日本においては平均寿命も短く、高齢者はほとんどいなかったということ。老人は働き手だったということ。飢饉などの際に口減らしのために犠牲になったのは赤ん坊であることなどから、実際はただの伝説であったろうといわれています。

 むしろ現在では、強欲な極一部の老人達のために、福島や東京圏の子供達が高い放射線量の中で暮らす事を余儀なくされていることの方が遥かに大問題といえます。もう何度も書いていますが、生物学的に見ると少子化というのは、民族の緩慢なる自殺(滅亡への道)といえるわけです。この原発事故の影響で少子化にはますます拍車がかかることでしょう。色々な試算がありますが、50年度には、日本の人口は半分以下になると推測されるということです。

 江戸時代では、藩が口減らしのための間引きをさせないために(働き手が減ると年貢が取れない)、妊婦の数を報告させ、金銭的な補助もしたという記録が残っています。今年二度登った生坂村の京ヶ倉の麓の神社には、中信随一という大きな男根と女陰の陰陽二石がありました。村にとって人口が減って行くということは、村の滅亡を意味するため、「子宝」というように、非常に大切にしたのでしょう。ところが現在の日本は、「お子様」などといって子供を金蔓ぐらいにしか思っていないようです。民族滅亡への道をまっしぐらというところでしょうか。

 さて、日本では放射能汚染の話題が最大のニュースですが、世界では資本主義経済、あるいは自由主義経済の破綻が間近と大騒ぎです。新自由主義のグローバリズムによって世界中で格差が広がっているわけです。TPP(農業だけではなく全ての産業が入ります)にしても、米とて一枚岩ではなく、中小企業は反対しています。新自由主義を標榜しているのは、極一部の資本家や銀行家、投資家のみです。日本でも参加を焦っているのは、そうした連中のみ。決して市井の人々の総意を占めるものではありません。しかし、原発マフィアのやり方を見ても分かる様に、無関心でいるといいように利用されて捨てられてしまいますからご用心めされよ。

【信州の里山】冠着山(姥捨山)鳴海新道 Mt.Kamuriki at Togura in Nagano


原発情報リンク集(妻女山里山通信編集)最新情報はツイッターでも流しています。

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野生キノコの汚染と除染について。(妻女山里山通信)

2011-10-15 | アウトドア・ネイチャーフォト

 妻女山でも、例年より約ひと月遅れでハタケシメジが採れました。同じシメジとつきますが、「ホンシメジ」は「菌根性キノコ」で、「ハタケシメジ」は「腐生性キノコ」です。前者の方が10倍セシウムをため易いといわれています(同じ条件の場合)。9月6日に発表されたSPEEDIの3月の放射性物質飛散予測では、当地はギリギリ白で、高い被曝を免れたようです。でも東日本は多かれ少なかれ被曝しています。

 このハタケシメジがあったのは北面のコナラの木の下で、キノコは芝草の葉に隠れて生えています。三月は落葉期ですが、すぐ上に杉林があるので雨もかなりブロックされます。当地は友人の計測でも低い値なので、大丈夫だろうと思いましたが、念には念を入れてフィンランド食品安全局によるキノコの除染方法をやってみることにしました。

 まず、大量の水に浸けてから、流水でゴミを取りながらよく洗います。そして、多めの水で茹でこぼします。これで9割近くは除染できるはずです。元の線量が低いはずなので、大丈夫でしょう。または、濃いめの塩水に浸けて半日置くという方法もあります。塩水の浸透圧でセシウムを除去します。両方を組み合わせてもいいでしょう。ただ、9割除染できたとしても、元々の線量が高い場合には食べない方がいいと思います。もっとも、今の日本で完全に放射能ゼロの食事をしようとすると、餓死するかしないまでも健康を損なうでしょう。原発などなければこんな心配も不要なのに!

 ハタケシメジには、β-グルカン、ビタミンB2、ビタミンD、パントテン酸、ナイアシン、カリウム、食物繊維が含まれています。また、抗腫瘍作用、高血圧予防作用、高脂血症予防作用、血糖値上昇抑制作用、動脈硬化予防作用があります。抗腫瘍作用とセシウムの発ガン作用とどっちが勝つのでしょう。そういう問題ではないのですが。ハタケシメジは、見てくれはあまりよくないのですが、味はホンシメジにも負けないほど。天ぷらや炒め物、鍋などに最適です。

 キノコと放射性物質との関係について、茨城の研究者の「放射線と生活」から引用しました。チェルノブイリ後のフィンランドの研究成果のようです。ちょっと専門的ですが。

■キノコと放射性セシウム
●蓄積型キノコ類 >1000 Bq / kg
ニセイロガワリ(Xerocomus badius)
ヒダハタケ(Paxillus involutus)
コガネヤマドリ(Suilus luteus)
アガリスク・アマラス(Agaricus amarus)
ショウゲンジ(Rozites caperatus)

●高摂取型キノコ類 400~1000 Bq / kg
サフランミルクカップ(Lactarius torminosus)
ベニダケ属
キシメジ(Tricholoma flavovirens)
アンズタケ(Cantharellus cibarius)

●中程度摂取型キノコ類 65~350 Bq / kg
ポルチーニあるいはヤマドリダケ(Boletus edulis)
ヤマイグチ(Leccinum scabrum)
コガネヤマドリ(Suilus luteus)
クロラッパタケ(Craterellus cornucopioides)

●低摂取型キノコ類 < 60 Bq / kg <br /> カラカサタケ(Lepiota procera)
ナラタケ(Armillaria mellea)
ホコリタケ(Licoperdon perlatum)
アミカサタ(Morchella)
ササクレヒトヨタケ(Coprinus comatus)
栽培キノコ
ヒラタケ類


 セシウム137を多く含むものには、チチタケ属、カノシタ属、ヌメリイグチ属の一種、アンズタケ、ショウゲンジ、ヤギタケなど。
比較的少ないことが知られているきのこには、イグチ属、ヤマイグチ属、ニンギョウタケモドキ、ヌメリイグチ、ナラタケ属、アミガサタケ属、マツタケなどです。これから信州で出るハタケシメジ、クリタケ、ムキタケ、ムラサキシメジは、いずれも「腐生性キノコ」なので汚染は少ないと考えていいのですが、土壌汚染が高い地域は「腐生性キノコ」でも要注意です。イグチとマツタケは、「菌根性キノコ」なのに低めというデータもあるようで、詳しい調査が必要です。

 チェルノブイリ後の研究で、低線量被爆であっても免疫系、内分泌系、神経系、生殖系の機能の攪乱が起き、遺伝子が傷つけば世代を超えた影響にも及ぶことが分かっています。これからは、極力内部被曝を避ける知識や排出する方策を身につけていかないと生き残れません。やれやれ。

食品の放射性セシウムを減らすためのアドバイス」放射性セシウムは、きのこ(生、乾燥、塩漬け)を水につけたり茹でたりすることで除くことが可能であり、この工程で70~90%のセシウムが削減できる。つけたり茹でた水は捨てる。
ビタペクト2」はりんごから抽出したペクチンに7種類のビタミンを混ぜた粉末状の健康食品です。水に混ぜるだけでジュースになり、それを1日ティースプーン2、3杯分飲むだけで、体内の放射能が体外に排出されます。 また、母乳の初乳に多く含まれる成分のラクトフェリンも防御効果があるとされています。
長野県内産農産物等の放射性物質測定結果」キノコもあります。

【遺伝子組み換え作物・農薬】
【サルでもわかるTPP】農業も工業も破滅する。円高には円の増刷を! 非常に分かり易いので、ぜひご一読を。医療、医薬品や弁護士、サービス業も無関係ではありません。
ネオニコチノイド系農薬を空からまくという無謀(長野県千曲市)蜂群崩壊症候群の原因、人間も脳神経を冒される。欧州各国ではあまりに危険なため禁止。

原発情報リンク集(妻女山里山通信編集)最新情報はツイッターでも流しています。

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古代科野国の初代大王の墓といわれる森将軍塚古墳の歴史検証(妻女山里山通信)

2011-10-09 | 歴史・地理・雑学
 長野県千曲市森大穴山(善光寺平南端)にある森将軍塚古墳は、今からおよそ1,600年ほど昔(4世紀)に造られた、全長 約100mの前方後円墳です。左右対称ではなく、やや曲がっているのが特徴。古代科野国の王の墓といわれています。竪穴式石室は日本最大級で、三角縁神獣鏡を初め、多くの副葬品が発掘されています。この山は大穴山といい、この辺りは大穴郷(おうなごう)といわれました。まさにここは古代科野国の王家の谷なのです。森の古清水神社には、「信濃国縣庄大穴郷清水里森村鎮座」と記された木札が現存しています。

 古墳の様式は前方後円墳で、長さ:100m。後円部径:43~ 50m、高さ:11m、後円部頂部径:15~29m。前方部幅:30m、長さ:41m、高さ:4m。くびれ部幅:15m。方位:N120E。後円部頂に竪穴式石室(長さ:7.6m、幅:2m、高さ:2.3m、推定割竹形木棺・組合式木棺)。前方部に竪穴式石室2基。墳裾に小型埋葬施設多数(組合式箱形石棺64・埴輪棺12・土壙墓2)。葺石の材質:大穴山産石英斑岩。総数:約8万個。前方後円部頂部敷石:千曲川川原石。石室:板石積み・ベンガラ朱彩。

 出土品:埴輪(壷形・朝顔形・円筒形・合子形・家形)・鏡片(長野県唯一の三角縁神獣:鏡径22.6cm)・土師器・玉類(翡翠製勾玉1・碧玉管玉5)・鉄剣3・鉄刀2・鉄槍2・鉄鏃・鎌1
【国指定史跡】築造:推定4世紀中~末。標高490mの大穴山山頂、位置:東経138度8分25秒、北緯36度31分42秒。自然地形を利用したため楕円形に近い後円部と前方部がやや屈曲したアシンメトリーな形状。後円部2段築成。後円部三方裾下に貼石帯あり。
発掘保存の経緯:1965年発掘調査。1981年から全体発掘調査。1992年復原完成。墳丘・葺石・埴輪列を復原。平成19 年2 月6 日埴科古墳群として国指定史跡。

 後円部頂は、盗掘のため埴輪の配列が不明で再現されていませんが、家型埴輪の破片などが出土しているそうです。
 1923年刊行の『長野縣史蹟名勝天然記念物 調査報告書』で森将軍塚と記されたのがこの名称の始まりということです。ただ、もっと古くから将軍塚と呼ばれていたようで、その俗称が正式名称になったということでしょう。
 もちろん、古墳時代に将軍という呼称はありません。おそらく江戸時代の当地(松代藩)の御用学者が将軍塚と呼んだのではないでしょうか。全国各地にも将軍塚があるので、江戸時代の大きな古墳の一般的な呼び方だったようです。基本的に古墳の名称は、字名(地名)で呼ばれます。また、大きな古墳に関しては旧村名や町名で呼ばれることもあります。

 では、将軍でないとしても、この古墳の最初の埋葬者は誰でしょう。当時はまだ漢字で歴史を残すということがなかったため、後の古文書の記述や口伝を頼りに推測するしか方法はないわけですが。(神代文字というものがあったという説があります。大御食神社例大祭と日本最古の家系小町谷氏。立川音四郎種清の木彫。光前寺と熱田神社(妻女山里山通信)を)
 ヤマト王権と関係のある信濃国になる前の科野国の初代大王の墓という説が最も一般的なようです。

 崇神天皇の代に、ヤマト王権より科野国の国造(こくぞう・くにのみやつこ)に任命された、神武天皇の皇子・神八井耳命(カムヤイミミノミコト)の後裔の建五百建命(タケイオタツノミコト)が埋葬されているといわれています。また、妻女山の麓にある会津比売神社の祭神・会津比売命(アイヅヒメノミコト)は、建五百建命の后であると伝わっています〔埴科郡誌・會津比賣神社御由緒・里俗伝など。さらに、他の記述では、会津比売命は皆神山にある皆神神社(熊野出速雄神社)の祭神で、諏訪の健御名方命(タケミナカタノミコト)の子・出速雄命(イズハヤオノミコト・伊豆早雄)の御子であり、両神はこの地の産土神(うぶすながみ)といわれています。(松代町史)〕さらに、出速雄命の出(いず)、会津比売命の会津(あいづ)は、松代の古名・海津(かいづ)に繋がるものとも記されています。

 延喜元年(901年)に成立した日本三代実録には、貞観二年(860年)に出速雄神に従五位下、貞観八年(866年)に會津比売神に従四位下を授くとなっています。その後、出速雄神は、貞観十四年(872年)に従五位上に、元慶二年(878年)に正五位下を授くとなっています。当時の埴科郡の大領は、諏訪系統の流れを汲む金刺舎人正長*であったため、産土神としての両神社の叙位を申請したものと思われるということです。[松代町史]
 *貞観4年(862)、埴科郡大領外従7位金刺舎人正長。[信濃史料]

 これらの史料を考慮すると、諏訪大社の祭神で大国主命の子息・健御名方命の子・出速雄命とその子・会津比売命と、崇神天皇の時代に科野国造に任命された建五百建命との関係やいかにということです。夫婦とすると天皇家の家系に属する建五百建命と結婚した会津比売が、父の出速雄命よりも官位が高いというのも頷けます。つまり、大和系の建五百建命と、それ以前に渡来した出雲系の会津比売命が夫婦になり、古代科野国を造ったということなのです。

 限りなく神話の世界の話なので、濃霧の彼方にありますが、科学的歴史考証は無理としても、色々と想像力をかき立てる話ではあります。皆神山の子丸山古墳は出速雄の、斎場山の斎場山古墳は会津比売のそれぞれ墳墓という説もあります。いずれも北信濃屈指の規模を誇る円墳なのですが、埴科古墳群の前方後円墳の陰に隠れて注目されることがないのが残念です。
 また、この頃は現在と似ていて、貞観6年(864年)には富士山噴火。貞観11年(869年)には貞観地震と大津波。仁和3年(887年)には、仁和地震で八ヶ岳が崩壊して大海(南牧湖)と小海湖出現。翌年大決壊と大変な時期でした。

 森将軍塚古墳を始め、薬師山(笹崎山)の土口将軍塚などの埴科古墳群や、川柳将軍塚古墳は、信濃国造や信濃の豪族と深い関係にあることが知られています。そこで、信濃豪族の系譜を探ってみましょう。信濃の古墳研究の第一人者であった元長野県考古学会長・故藤森栄一氏の全集第11巻「古墳の時代」の「信濃の古墳文化」>「将軍塚と信濃国造」より引用の文章を挙げてみます。
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【信濃豪族の系譜】
 古代史に登場してくる信濃の豪族としては、信濃豪族の系譜『古事記』上巻と『先代旧事本紀』三に出てくる国譲神話の建御名方神と、『日本書紀』五の崇神天皇と、『国造本紀』に出てくる科野国造建五百建命よりない。

 タケミナカタははっきり南信濃諏訪のかみとわかっていて、諸種の条件もそなわっている。とすれば、この更埴方面の大勢力に擬せられるのほタケイホタテ*よりないわけである。
 『紀(日本書紀のことですよ)』によればタケイホタテは神八井耳命(かむやいみみのみこと)の孫となっているが、『古事記』五にはその神八井耳命の子孫たちについてかなりくわしい記述である。すなわち、意富(いほ)臣、小子部(ちいさこべ)連、坂合部連、火君、大分君、阿蘇君、筑紫の三家(みやけ)連、雀部(ささき)連、雀部臣、小長谷(おばせ)造、都祁(つげ)直、伊余国造、科濃国造、道奥の石城国造、常道(ひたじ)の仲国造、長狭国造、伊勢の船木直、尾張の丹波(には)臣、嶋田臣などがそれで、この皇兄は、大和朝廷創始の伝承につらなる神武天皇が、大和に入って后とした媛踏鞴五十鈴媛(ひめたたらいすずひめ)の長子である。第二代の緩靖天皇となる神淳名川耳命(かむぬなかわみみのみこと)はその末弟であるとされているところからすると、科野国造の毛並みというものは並大抵なものではないといえる。この点、太田亮**は信濃国造の設置を、国造中最古の一つにおいている。
 「神武紀」はとにかくとしても、信濃国造が大和朝廷の力を背景に勢力を張りめぐらした古代天皇家に連らなる大家族の一つであったことは確かである。

注(筆者):*ここでいうタケイホタテとは、崇神天皇の御代、信濃国造であった、神八井耳命(カムヤイミミノミコト)の後裔と云われる建五百建命(タケイオタツノミコト)。森将軍塚古墳の埋葬者ではないかといわれるが、科学的に証明はされていない。
     **太田亮(1184~1956):系譜学者、『姓氏家系大辞典』『日本古代史新研究』等。
     ***国造(くにのみやつこ・こくぞう)とは、大和朝廷の行政区分の1つである国の長。(まあ県知事みたいなもの。大化の改新以降は単なる名誉職へ変貌)
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 会津比売神社御由緒には、会津比売命は、建五百建命の妻とされ、妻女山という山名の(松代藩による)命名の由来とされています。また、その墳墓は、土口将軍塚とも斎場山古墳とも云われています。私は妻なら同じ古墳に埋葬されたのではないかと思いますが。土口将軍塚は、森将軍塚以降の王の墓なのではないでしょうか。八世紀に入り、国府が上田付近に置かれる以前、科濃国造の所在は、埴科であった可能性もあるといいます。「石川将軍塚が豊城命の墳墓であるとか、森将軍塚古墳が建五百建命の墳墓であるという明快な解答は考古学ではできない。」と、藤森栄一氏は述べています。「あらゆる諸学の知識を動員しても、それは永久に不可能である。」と。しかし、一方で、「たぶん四世紀頃、川中島を中心に、大和朝廷の勢力が到来して、弥生式後期の祭政共同体の上にのっかって、東国支配の一大前線基地となっていたことは事実である。」とも記しています。

 そして、五世紀には、大陸から渡来人(唐と新羅に滅ぼされた高句麗人)と共に馬が到来し、六世紀から十一世紀にかけて信濃は牧馬の中心地となったのです。その機動力により、ヤマト朝廷の権力が地方にも早く確実に届くようになり、次第に古い国造の治外法権を奪っていきました。そして、律令管制が布かれ、諸国に国司・郡司が置かれるに至っては、祭礼のみを司る象徴的な役目へと変貌したと云われています。この古墳上は、北アルプスや北信五岳も望め、高さ以上に展望がいいのでおすすめです。この上から古代科野の国へ思いを馳せてみるのもいいと思います。


神武天皇--神八井耳命--武宇都彦命--武速前命--敷桁彦命--武五百建命--健稲背

大国主命--建御名方富命--出速雄命(伊豆早雄)--八縣宿禰命(佐和惠多良六老彦神)、出速姫神(會津比賣命)、草奈井姫神、可毛羽神、若木姫神


縄文時代から古墳時代にかけての人口の変動と、大陸からの移住者の増大と、それに伴う文化人類学的な変化を検証しましょう。
 歴史人口学の研究者、鬼頭宏氏の推計によると、-----縄文時代の人口は約10万人~約26万人であり、弥生時代は約60万人だった。奈良時代は約450万人、平安時代(900年)には約550万人となり、慶長時代(1600年=関ケ原の合戦のころ)には約1220万人となった。-----
 -----縄文時代前半に人口が増えたのは、このころ気温が上昇、日本列島に食料資源がふんだんに用意されたからだ。縄文人はクリなどの木の実やサケ、マスなどの 魚類を食べた。ところが、縄文時代中期から気温が下がり始め、落葉樹林の生産力が落ちる一方、西日本では照葉樹林が広がった。これが食料を減らし、人口を 減少させる原因になった。縄文時代の人口はピーク時26万人だったが、末期には8万人にまで減少したとみられている。
弥生時代に入ると再び増加に転じ、約60万人になる。大陸からの渡来人が持ち込んだ稲作の普及が主な原因だ。渡来人自体が人口増に貢献するとともに、稲作により食料が確保され、大量の労働力が必要になったことが増加の圧力になった。-----
 大陸から新たな文化がもたらされたのは事実ですが、それは稲作や鉄生産の技術を携えて大量の渡来人が流入したことを意味すると考えられます。生物学的な自然の人口増の範囲を遥かに超えています。そこで必要なのは、どこの誰が入ってきたのかということです。
 私は三国志に登場する呉がその鍵を握っていると考えます。呉は水運が発達していてベトナムも治めていました。発掘された船の埴輪を見ると、相当の航海術を持っていたと思われます。滅びた呉のエリート達が大量に日本に来たことが考えられるのです。広島県に呉市がありますが、まさにそれかと。また、和服を売る店を現在でも呉服店といいます。呉布、呉織という名で残っています。高度な文明が日本にもたらされたのではないでしょうか。紀元前480年頃のことです。それが出雲一族かもしれません。

 その後、紀元前230年頃に越のエリート達が来訪した思われます。越中、越後にその地名が残っています。高志(越)の国ともいいました。それが大和一族かも。更に、三国志の魏呉蜀の魏が元になったともいわれる秦に失われた古代ユダヤの一族といわれる、徐福を長とした3000人ほどの集落がありました。彼は秦の始皇帝に、日本へ不老不死の薬を探しに行くと言って毎年村人を渡らせ、最終的には全員が日本へ行きました。そして誰も戻りませんでした。秦の始皇帝を騙したのです。しかし、一箇所にいては秦の始皇帝に滅ぼされる危険があるので全国に散らばりました。徐福伝説が全国にある所以です。飯縄権現の祭神は白狐に乗った烏天狗ですが、それがユダヤ人ともいわれます。秦氏、羽田氏、本多氏、本田氏などは、その系列ともいわれています。大和王権の祖ともいわれます。
 諏訪氏や諏訪大社、善光寺にある守屋柱など、古代ユダヤとの関連を思わせる名前や建築物、祭祀がたくさんあります。ユダヤ教にのシンボル、ダビデの星(六芒星)を記した神社(例えば伊勢神宮)がなぜ存在するのか。古代科野国の始まりは、崇神天皇に初代信濃國造に任命された大和系の武五百建命で、妻は出雲系の会津姫命(會津比賣命)です。会津は、福島の会津とも深い関係があります。古代科野のクニは、大和系と出雲系が結婚してできたといえるでしょう。これらは、真剣に研究する対象になる事案だと思われます。

■科野国造 武五百建命と妻 会津比売命の家系図(諸説あり)
神武天皇--神八井耳命--武宇都彦命--武速前命--敷桁彦命--武五百建命--健稲背
          大国主命--建御名方富命--出速雄命--会津比売命(出速姫神)


森将軍塚古墳・大室古墳群トレッキング・ルポ最寄り駅はしなの鉄道屋代駅か篠ノ井駅。車は更埴ICから南へ約5分。古墳上へシャトルバスあり。
森将軍塚古墳館石室再現他。おすすめ。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。その山の名前の由来や歴史をまず書いているので、歴史マニアにもお勧めします。
 本の概要は、こちらの記事を御覧ください

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東京・神奈川の航空モニタリング測定結果(文科省)(奥多摩町北端の放射線量は、ホットスポットと呼ばれる千葉県柏市や松戸市周辺と同レベル! 雲取山は危険。登山者は要注意!  しかし、これでは都心のホットスポットが分からない。はるかに高線量のマイクロホットスポットがあることが確認されている。奥多摩は都民の水源林。水道水の汚染が心配 )
8年間で自転車世界一周をしたスイス人夫婦の旅で知った地球最高の国日本・スライドショーあり(この美しい国を自ら世界最悪の放射能で汚してしまった)
〔フクシマ・NEWS〕 カナダ紙に現場の上級エンジニアが匿名で証言 「キリのない作業」「再爆発、起こりうる」
経済産業省がプルトニウム 32億ベクレル放出とそっと発表。重いから遠くまで飛ばないは嘘。プルトニウムが付着した煙の粒がふわふわと漂い続ける。放射性物質が付着した黒い粒は風に乗り、いつまでも空中に漂って世界を何周もする。落ちるのは雨粒に遭遇したときだけ。そのときは黒い雨となって降る。(吉岡英介氏・京大工学部原子核工学科卒)粒子が小さくなればなるほど大気摩擦による影響の方が重力による影響よりも大きくなる。インフルエンザウイルス3つ分の大きさの粒子になったプルトニウムは粒子よりも気体の挙動を見せ風に乗って遠くまで飛ぶ。

★信州のトレッキングは、フォトドキュメントの手法で綴るトレッキング・フォトレポート【MORI MORI KIDS(低山トレッキング・フォトレポート)】をご覧ください。古墳巡りもあります。
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古代科野国の大王の墓・倉科将軍塚古墳へ(妻女山里山通信)

2011-10-06 | アウトドア・ネイチャーフォト
 先週末、妻女山から天城山(てしろやま)経由で倉科将軍塚古墳へ往復しました。台風の後、全くといっていいほど雨がないので、山には毒キノコさえ見られませんが、林道の真ん中に直径5センチぐらいのノウタケが出ていました。これぐらいの大きさで割って中が白ければ食べられるそうで、結構いい出汁が出るそうですが、これはちょっと行き過ぎているようです。幼菌ぐらいが食べるのには最適です。ホコリタケ科なので味はホコリタケやタヌキノチャブクロと同じだと思います。ホコリタケの味噌汁は経験があります。

 林道脇には、明治時代に入って来た帰化植物のマルバフジバカマが群生を作っています。クサギが羽根つきの羽根のような可愛らしい実をつけています。ガマズミの赤い実は果実酒になります。イヌタデは、セシウムの収集がいいようです。「タデ食う虫も好きずき」といいますが、「辛い蓼を食う虫があるように、人の好みはさまざまである」(広辞苑)ということですが、特有の辛みがあるので薬味に使われます。タデの葉をすりつぶして酢でのばしたタデ酢は、アユの塩焼きに添えられます。

 ヤクシソウもあちこちに。薬師草の名称は、葉の形が薬師如来の周縁部光背に似ていることから。傷つけると白い乳液が出ます。舌状花だけの頭花は咲き終わるとうなだれてしまいます。日当りのいい場所には、ノコンギク。野紺菊は、冠毛は長め。全体に短毛が多く、葉はざらつきます。高さは1メートルぐらいまでで、シロヨメナよりも低く、シロヨメナよりも日当たりのいい場所に生えています。

 今秋は、ジョロウグモが大発生で、あちこちに巣をかけてあるので、森の中を歩く時は、棒で前方を払って歩かないとクモの巣の餌食になります。クモの巣はすぐに取れますが、すぐに張り直してしまいます。クモの糸というのは、髪の毛の約10分の1の太さですが、非常に強靭で、同じ太さの釣り糸や鋼線より強く、ナイロンより柔軟で、帯電しにくく、紫外線による劣化も起こらないそうです。なんでも1センチの太さがあれば、ジャンボジェットが吊るすことができるとか。これを人工的に作り出す研究もされているようです。

 将軍塚への尾根には、タヌキの溜糞があり、オオヒラタシデムシがたくさん群がっていました。糞の中身を見ると、柿の種がたくさん入っていたので、山麓で食べてきたのでしょう。

 倉科将軍塚古墳は、森将軍塚古墳より新しく、古墳時代中期(5世紀前半ごろ)のものといわれています。長野県では3番目の大きさとなる全長83メートルの前方後円墳です。この地にあった古代科野国の大王の墓なのでしょう。古墳は赤松林と広葉樹林に囲まれ、眺望はほとんどありませんが、落葉期に来ると北と西の眺望があり、雪をいただいた北アルプスのパノラマが望めます。
鷲尾城-倉科将軍塚古墳(2008.12.27)トレッキング・レポート

【原発情報】
【自治体が公表した食品の放射性物質の検査結果 10/5版】とても情報量が充分とはいえませんが…。
現在も毎時2億ベクレルが放出(原子力安全委員会):除染より避難と放射能を止めろ!
特集:震災が変えた風景[WSJ日本版]
【埼玉・千葉】 航空機モニタリングによる放射性物質沈着の測定結果:分析記事。小出助教の話も必見!
放射線モニタリング情報:文科省(埼玉・千葉の測定結果発表。東京・神奈川も発表)但し、高所からのモニタリングなので大雑把。マイクロホットスポットは表示されません。
小出氏:放射線審議会基本部会、一般市民の年間1mSv見直し提言について@たねまき:許すまじ。国民に被曝を強制するという方針へ!
【放射性物質に狙い撃ちされた村:飯舘村の悲劇(前篇)烏賀陽 弘道】なんと353.6マイクロSv!!!

【遺伝子組み換え作物】
【サルでもわかるTPP】農業も工業も破滅する。円高には円の増刷を! 非常に分かり易いので、ぜひご一読を。
原発情報リンク集(妻女山里山通信編集)最新情報はツイッターでも流しています。

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