森出じゅんのハワイ生活

ハワイ在住のライターが、日々のあれこれをつづります。

ハワイでは今日が母の日

2014年05月11日 | 日記


日本から1日遅れて、ハワイでは今日が母の日。思いがけず娘から紫の美しい薔薇をもらい、すごくハッピー!

今日は1日のんびりしたいところですが、これから仕事を兼ねてクアロアまで行ってきます。高校生の子供達も、母の日だからこそ、文句を言わず遠出についてきてくれる模様。ハワイアン夫がランチも作ってくれました。スパムむすびをリクエストしました。

では行ってきます!(母の日ということでごく簡単でゴメンナサイ~)
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ヒロ津波の悲しい跡地、ラウパホエホエ岬

2014年05月08日 | 歴史


先日ハワイ島を訪れた際、ヒロ郊外のラウパホエホエ岬を見てきました。ラウパホエホエ岬は、ヒロの津波の悲劇を今に伝える悲しい土地です。1946年の津波で大きな被害を受け、海近くにあった学校の生徒が多数亡くなったことは、今もハワイで語り継がれています。

私は2012年にヒロの津波博物館でその悲劇を知り、いつかラウパホエホエ岬を訪問したいと思っていましたここ(クリックお願いします)に書いたとおり、なにせ24人もの子供達が亡くなった土地です。その多くが、日系移民だったんですよね。

ラウパホエホエはヒロから車で約30分ほどだったでしょうか。ハイウェイから海辺の低地まで車の通れる舗装道路が続いていて、低地に降りていくと、そこにはまだ多数の家々がありました。私の想像ではラウパホエホエは単なる海辺の一角で、学校だけがそこにあったのかと思っていました。しかも津波以来、空き地になっているかと思っていたのですが。実は今も昔も、そこには村落があるのでした。

海の際に記念碑やパネルが立てられており、それを読んで、さらにラウパホエホエ岬について多くを学ぶことができました…。驚いたことに、津波当時ここにはホテルやレストラン、ベーカリーなどもあり、2000人の住民が暮らしていたそうです。ラウパホエホエは寒村などではなく、賑やかで本格的な町だったんですね! 

それにしても、なぜホテルがここに? …というのも岬には立派な船着場があり、多くの移民が、そこからハワイ島に上陸したのだそうです。ここに到着した日本からの移民も多かったのかもしれません。

学校も、小学校から高校まである規模の大きい学校でした。そのため、3人兄弟の全員が亡くなったケースもあったそうです。親御さんの心情を思うと…胸が締めつけられます。

今も岬には船着場が残っていますが、学校があった場所には緑の芝生が広がり、広々とした公園になっていました。岬ですから、三方を海に囲まれている感じで…しかも土地柄か、風がものすごく強いんです! 結果、海も大荒れ。大波が打ち寄せる海を見て、なるほど、これなら1946年の津波の日も、教師達を含め最初は「今日は一段と波が高いな」くらいにしか考えていなかったのかも。そのために多数の人が逃げ遅れたのもしれない…。そんなことを考えました。

さらに。学校跡にある公園はトイレも完備した小綺麗な公園なので、そこでBBQをする人や海水浴客もいるにはいたのですが…。なんだかその一帯が荒涼としていて、私は、まるで墓場のような雰囲気を感じていました。後に主人に聞くと、主人もまた同じように感じたそうです。…約60年前の悲しいエネルギーが、まだ岬には満ちているのかもしれませんね。

以下、今回は珍しく、写真をたくさん載せて見ました。説明抜きでゴメンナサイ!(モノクロ写真は、追悼パネルにあったものです) ラウパホエホエ岬の雰囲気を感じてみてください。











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ハワイではリボンカットではなくマイレ解き

2014年05月04日 | ハワイアナ


ホノルル・ダウンタウンをふらふら歩いていたら、マイレレイのかかった店を見かけました。銀行だったのですが、ごく最近、オープンしたばかりなのでしょうね。

というのも、ハワイで新装開店やイベントのオープニングセレモニーがあると、リボンカットの代わりマイレ解きというのが行われます。入口前に2本のマイレのレイがかけられ、結ばれていて、オープン時にはそれを切るのではなく紐解く形で、オープンするんですね。下の写真のように、解かれた2本のレイは左右のドアの取っ手に結ばれています。オープニング後、左右にタランと垂らされてる場合もよくありますよ。



この時、マイレレイをカットしないのがよいところ。有難う、おめでとう、ようこそ、お元気で、などなど、様々な想いをこめてレイを贈るハワイ。レイはAlohaの象徴ですから、そのレイにはさみを入れるなんて、タブーですものね。特にマイレのレイはハワイでは格別、というか別格! 結婚式や卒業式、引退の際など、大きな節目やメジャーな機会にのみつけるのがマイレレイ。誕生日や父の日などカジュアルな日に贈るレイではアリマセン。

またフラの女神ラカの化身ともされる神聖なレイでもあり、フラの祭壇に捧げられたりフラダンサーが身に着けたりする、ものすごくスペシャルなレイでもあります。このあたり、プルメリアやカーネーションのレイとは意味合いが違うというか…。

…そういえば以前、こんなことがありました。日本の有名な料理家と仕事でご一緒する機会があり、テーブルデコレーション(撮影用)のための花を仕入れに、ある花屋に出かけた時のこと。グリーンの葉も飾りに使いたいということで、その方はマイレレイを買いたいとおっしゃったのです。レイを切っていろいろ使おうと思ったようなので、私は上記のようなことを説明しなければいけませんでした。「このレイはハワイではすごく神聖なレイで、切ったり、テーブルを飾ったりという使い方はまずくて…」と。

その方はすごくカリスマ~な料理家でしたが、私の説明をよく理解してくださり、あっさり諦めてくださったのでホッとしました。短くカットされたマイレレイがテーブルデコレーションに使われ、それが日本の雑誌に載ったりしたら、大変。ハワイアンが激怒しそうです!

話が横に逸れましたが、ドアに掛けられたマイレレイを見ながら、そんなことをいろいろ思い出しました。そういえば5月1日はハワイではレイデーでした。ハッピー・レイデー!(遅すぎますね)
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ナタリー・アイをお供にロミロミを楽しもう!

2014年05月01日 | ハワイアナ


昨夜は、世にも贅沢なコンサートに行ってきました! ワイキキのシェラトン・モアナ・サーフライダーの中庭でワインをいただきつつ、ナタリー・アイの音楽を楽しむ催しに誘っていただいたのです。声をかけてくださったライター&コーディネーターのAちゃん、MAHALO!



モアナ・サーフライダーはワイキキでも一番古く格式があり、「ワイキキの貴婦人」とも呼ばれる優雅な白亜のホテル。そのスパ(モアナ・ラニ・スパ)が、なんとナタリー・アイとコラボしてハワイアン音楽のCDを作ったのですって! そのCDリリースパーティに行って来たというわけなのです。

ナタリーは数々の賞を獲得したシンガーであり、ミス・アロハ・フラの称号も持つクムフラ(フラの師)でもあり。昨日はステージに一番近いかぶりつきのテーブルに着きましたが、ホント、美貌の女性でもありますね。そして感情豊かに歌うナタリーを見つめるご主人、イオラニさんの視線の熱いこと!

イオラニさんはギターを弾き、時に歌うこともしていましたが…。真横にいるナタリーを、何度もウットリするような眼差しで見つめていたのが印象的です。時々、2人の長女が美しいフラを披露していたのですが、イオラニさんの視線は、娘ではなく妻に向いていました…。熱々のカップルの醸し出す音楽、とても素敵でした!

ちなみにナタリーとモアナ・サーフライダーのコラボCD「モアナ・メモリー」は、なんとそのスパのロミロミ・マッサージ中に流れるCDとして、制作されたそうです。ロミロミのセラピストとナタリーが、ナタリーの過去のアルバムから選曲し、オリジナル曲も入っているとか。何ともずいぶん斬新な試み! 

ハワイでは言葉にこそマナ(霊力)があるとされていますから、ナタリーの歌声は癒し効果抜群なのかも? …そういえば数年前までグラミー賞にハワイアン音楽部門があり、でも選ばれるのは毎年、歌のないスティールギター&ウクレレなどのインストルメンタル音楽のCDばかりで、ハワイではものすごく批判されていたんですよね。「ハワイアン音楽の真髄は言葉だ!」と。

…というわけで次回から、モアナ・ラニ・スパでロミロミの施術を受けたら。波の音と、そしてナタリーの歌声がBGMに流れる模様ですよ! 体験した方は、ぜひ感想聞かせてくださいね。私もロミロミ、受けたいな…。
コメント (2)
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