今は昔…。ハワイ州観光局のお仕事で、「ラハイナ歴史ガイド」を制作したことがありました。
その序文には、こんなことを書いています。
『雄大なハレアカラ山を頂き、冬には海の巨人、鯨が集うマウイ島。ハワイで2番目に大きな島、マウイの観光拠点であるラハイナは、目抜き通りのフロントストリートを中心に世界の旅行客で賑わう、活気いっぱいの港町だ。その一方で、ラハイナは、16世紀からマウイ王族が暮らし、ハワイ王国時代には首都も置かれていた歴史深い町でもある。この町がたびたび「オールド・ラハイナ」「ロイヤル・ラハイナ」と呼ばれるのは、そんな理由から。実際、ラハイナ港周辺&フロントストリート沿いは国定史跡としてひとくくりにされ、前世紀の木造建物を大切に保存・復元している。フロントストリートを歩く時、誰もがそのノスタルジックな街並みに魅了されることだろう。この散策ガイドでは、そんな古都ラハイナの見所をじっくり紹介! 端から端まで歩いて約3キロ。ラハイナの歴史散歩を楽しんでみよう』
その「活気いっぱいの港町」が。「古都ラハイナ」が。「国定史跡エリア」が、焼け落ちてしまいました。冊子で紹介した歴史スポット35か所もすべて焼失です。あ、海中にあるハウオラストーンは大丈夫でしょうか。
現在判明している死者は36人。まだ行方の分かっていない人がいるので、この数字は増えていくことになるでしょう。
…火事の犠牲になった方々の冥福を、心よりお祈りします。
その序文には、こんなことを書いています。
『雄大なハレアカラ山を頂き、冬には海の巨人、鯨が集うマウイ島。ハワイで2番目に大きな島、マウイの観光拠点であるラハイナは、目抜き通りのフロントストリートを中心に世界の旅行客で賑わう、活気いっぱいの港町だ。その一方で、ラハイナは、16世紀からマウイ王族が暮らし、ハワイ王国時代には首都も置かれていた歴史深い町でもある。この町がたびたび「オールド・ラハイナ」「ロイヤル・ラハイナ」と呼ばれるのは、そんな理由から。実際、ラハイナ港周辺&フロントストリート沿いは国定史跡としてひとくくりにされ、前世紀の木造建物を大切に保存・復元している。フロントストリートを歩く時、誰もがそのノスタルジックな街並みに魅了されることだろう。この散策ガイドでは、そんな古都ラハイナの見所をじっくり紹介! 端から端まで歩いて約3キロ。ラハイナの歴史散歩を楽しんでみよう』
その「活気いっぱいの港町」が。「古都ラハイナ」が。「国定史跡エリア」が、焼け落ちてしまいました。冊子で紹介した歴史スポット35か所もすべて焼失です。あ、海中にあるハウオラストーンは大丈夫でしょうか。
現在判明している死者は36人。まだ行方の分かっていない人がいるので、この数字は増えていくことになるでしょう。
…火事の犠牲になった方々の冥福を、心よりお祈りします。
うちの近所にある横浜開港資料館には、1854年にペリーが横浜に来港した時からある「玉楠」があります。
それはそれは見事な大木で、浮世絵に描かれたり、教科書で見たことのある日米和親条約締結時の絵にも描かれているほどの老木なのですが、1866年の関東大震災で、なんと幹のほとんどを焼失したことがあるのです。でも残った根から新たに芽が出て、現在も青々と巨大な枝を広げています。
ラハイナが、この玉楠のように復活し、これからもハワイの歴史の生き証人として繁栄しますように。
私は、きっとそうなると信じています。
前出のコメント訂正させてください。
玉楠は1866年の関内の大火、1923年の関東大震災、二度の焼失の危機を乗り越えています。
そして素敵なお話を有難うございます。玉楠、そうなのですね! 実は開港資料館、行ったことがなくて。
そんな重要な場面を見下ろしてきた大木、まさにラハイナのバニヤンのよう。
次回、ぜひ見てみたいです。
帰国の楽しみがまた増えました!