ホノルル・ダウンタウンのイオラニ宮殿は、1882年、王国7代目のカラカウア王により建てられた宮殿です。ですが、それよりはるか以前、1800年代初頭からその敷地には数々の王族が暮らしていました。
そのためカメハメハ2世夫妻がイギリス訪問中に亡くなってから1年後の1825年、イオラニ宮殿の敷地の一角に、夫妻を埋葬する王家の霊廟が造られました。それが上の写真でございます。当時はまだ宮殿はなかったのですが、今の位置関係でいうと、宮殿正面に向かって右側の一角に、旧霊廟があります。
ここにはカメハメハ2世以降、そしてそれ以前のいにしえの王族の遺体も含めて多くの亡骸が埋葬されましたが、1865年。霊廟がいっぱいになったので、山側に車で10分ほど行ったところにあるヌウアヌの丘に、新たな霊廟が造られました。21体の王族の亡骸が、宮殿内の霊廟から荘厳な行列とともに移されたということです。
この旧霊廟は今も聖地として崇められていますが、それはただの「旧霊廟」ではなく。今なお遺体が残されているという意見も根強いもの。宮殿の資料のようなものにもその可能性が示唆されています。ゆえに訪問者はいっそう敬意を示さなければいけないわけですね。
さらに。実はこの囲まれた霊廟内だけでなく、柵の外のエリア一帯も、王族墓地として使われていた時期があったそうです。恐らく、霊廟内の王族に比べると、少し位の低い王族だったのかもしれません。が、墓地であったのは事実。そのため、広い宮殿内でもこの一角だけはベンチが置かれていないんです。
たとえば宮殿正面に向かって左側の庭には、いくつかベンチがありますが、旧霊廟&墓地のあった宮殿正面に向かって右側のセクションには、「そういった理由でベンチがないのよ」と、宮殿スタッフ。
もちろん、埋葬されていた亡骸はすでに移されているのですが、もと墓地ですからね。その上で寝転がったりピクニックしたりというのは…どうなんでしょう? 知っていたらやらないですよね~、誰も。
ところが、このセクションには大きな木陰を広げるモンキーポッドの木があるためでしょうか。けっこうその芝生の上でノンビリしている人が多いんですよね。何だか人気のセクションのよう。知らぬが仏、と言いましょうか? でも私はそんな姿を見ると、胸が痛みます…。ここはダメですよ、と言いたくなるのが常でございます。
そんなわけで。皆さんも宮殿を訪れたら。どうぞこのエリアでお弁当を広げたり…しないでくださいね。ぜひベンチのあるエリアに移って、楽しんでくださいませ!
住居エリアに墓地があるという習しが、他にもあるということは知りませんが、これは王族、貴族の墓を一般の人のそれと区別することと、やはり先祖の霊に護っていただくため、ということでしょうかね。霊廟のフェンスのあたりにティーツリーが
たくさん植わっているのも、魔よけ、ということか。
イオラニ宮殿はまだ中に入ったことはないです。あまりの列にあきらめたことがありました。ただ、これはビショップ博物館を訪れたときも感じたことですが、どちらも立派な西洋建築、その当時はおそらく最先端の建築物だったと思われます。その中にハワイアンが住んでいる。さらに西洋の衣服を着た誇らしげなカラカウア王などの写真を見ると、何か妙な違和感というか、そぐわない感じがするのですね。ちょうど日本の明治維新後の伊藤博文の洋装や鹿鳴館の写真を見たときのような。思えば明治維新もアメリカの黒船やアヘンでしこたま儲けた、かのジャーディン マセソン商会の配下の武器商人、トーマス グラバーが薩長の若者を味方に取り込んでなされた、「欧米の都合による」、革命でした。なんかそこら辺がハワイも日本も似ているような気がします。その中でティーツリーを植えたり、居住区に墓を作ったりすることで、精一杯の自分達のアイデンティティーを示した、ということなんでしょうかね。
イオラニ宮殿、いっぱいで入れなった時には、偶然カマアイナ・サンデー〈地元民が入場無料になります〉にあたっていたのかもしれませんね!
次回はぜひぜひ、私にご案内させてくださいね~。なんたって、ダウンタウンに住んでいますから。
さて、ハワイアンの洋装に関するご意見ですね。
カラカウア王の洋装に関しては、もしかしてこの時代には、もうハワイは洋装100%の時代に突入していたのかも、です。
アメリカの宣教師がやってきたのが1820年。カラカウア王の生まれたのはその後、約20年たっていますから、もう洋装が一般化していたのかもしれません。
そういえばカラカウア王やリリウオカラ女王のハワイアンな服装って、写真で見たことがありません…。
一方、カメハメハ大王の子供だったカメハメハ2世の洋装は、私も違和感大! です。
カメハメハ2世はイギリスを訪れていますが、なんとアポなし。しかも、イギリス側で服装を整えてからでないと、歓迎会など歓迎式典が全く開けなかったそうです。
いったい、2世&夫人は、どんな服装でイギリスに到着したのやら。
その弟の3世あたりまでは、洋装が珍しかった時代ではないでしょうか? 私が想像するに。
私は日本の歴史は全く詳しくないのですが(恥)、グラバーって…そうなのですね~。武器商人だったなんて!
ハワイの勉強する前に、自国のことを知らなければ…と反省しております。