森出じゅんのハワイ生活

ハワイ在住のライターが、日々のあれこれをつづります。

(再び)ヘンリー・バーガー氏秘話

2022年11月17日 | 歴史


「アロハ・オエ」を有名にしたヘンリー・バーガー氏について、地元紙からもう一つユニークな逸話をご紹介しますね。なぜドイツからヘンリー・バーガーがハワイにやって来たか…という裏話です。

時は1870年、カメハメハ5世の治世のこと。オーストリア海軍の小型駆逐艦ドナウ号が5、6カ月、修繕のためホノルル港に停泊していました。ドナウ号の軍楽隊はその間毎日、無料コンサートを開催したとか。

やがて船は去って行きましたが、ドナウ号の軍楽隊の演奏を懐かしんだのが、ホノルルの市民たちです。カメハメハ5世は新たにバンドメンバーと指揮者を雇い入れ、ドナウ号のコンサートを再現しようとしましたが、その演奏はドナウ号の軍楽隊にはるかに及びませんでした。

そこで1872年、「ハワイに軍楽隊を作るため指導者を送ってほしい」とカメハメハ5世がドイツにリクエスト。その結果、ヘンリー・バーガーがホノルルにやってきたというわけです。バーガーはまだ28歳の若者でした。

バーガーの指導のもとバンドは見る見るうちに上達し、1883年には「アロハ・オエ」の演奏でコンテストにも優勝したことは、前回書いた通りです。

…ちなみにバーガーは「世界でもトップレベルの音楽をハワイに提供する」という理念とともにハワイにやって来たそう。コンサートでも必ず1曲はクラシックの名曲を紹介したバーガーの音楽の影響は、とても大きかったようです。後年、バーガーは嬉しそうによく言ったそうですよ。

「ハワイアンはポイ作りなどの作業などしながら、よくクラシック音楽やオペラの一節を口笛で吹いていたものだよ」

う~ん、バーガーもすごい人ですが、その音楽を理解しそれほど愛したハワイの人たちも、すごい!

バーガーはそのままハワイに根づき、1929年、ホノルルで死去。享年85歳でした。バーガーがハワイの土を踏んでから、今年でちょうど150年だそうです。

(※注 バーガーはロイヤルハワイアンバンドの指揮者&指導者。そのロイヤルハワイアンバンドは1830年代、カメハメハ3世によって創設されたのですが、コラムではカメハメハ5世が新たにバンドを作ろうとしたかのように書かれていました。恐らくカメハメハ5世は新たなバンド創設というより、新メンバーを雇ったがうまくいかなかったのだろう…という風に私は解釈しています)

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする