菱沼康介の、丸い卵も切りよで四角。

日々の悶々を、はらはらほろほろ。

雛壇にっぽん。  『あのこは貴族』

2021年03月12日 00時00分24秒 | 映画(公開映画)

で、ロードショーでは、どうでしょう? 第1852回。


「なんか最近面白い映画観た?」
「ああ、観た観た。ここんトコで、面白かったのは・・・」

 

 

 


『あのこは貴族』

 

 

東京生まれのお嬢様と田舎から上京した庶民の娘、対照的な境遇ながら、それぞれに息苦しさを抱えていた2人が、ふとした出会いをきっかけに自らの生き方を見つめ直していくドラマ。

山内マリコの同名ベストセラーを映画化。

主演は、門脇麦と水原希子。

 

監督・脚本は、『グッド・ストライプス』の岨手(そで)由貴子。

 

 

物語。

榛原華子は、東京生まれの開業医の箱入り娘。初等部から大学まで何不自由なく育ち、就職もしたが、20代後半になり、結婚を周りから求められる。
良家の弁護士の青木幸一郎と出会い、運命の相手と確信する。

時岡美紀は、地方の庶民の出で、慶応大学入学を機に上京する。
数年後、故郷には帰らず、独りOLとして働いていた。
お正月に帰京し、高校の同窓会に出席する。

原作:山内マリコ 『あのこは貴族』(集英社文庫刊)

 

 

出演。

門脇麦 (榛原華子)
水原希子 (時岡美紀)

高良健吾 (青木幸一郎)
石橋静河 (相楽逸子)
山下リオ (平田里英)

佐戸井けん太 (榛原華子の父)
篠原ゆき子 (榛原華子二番目の姉)
石橋けい (榛原華子の一番目の姉)
山中崇 (榛原華子の義兄)
高橋ひとみ (青木幸一郎の母)
津嘉山正種 (青木幸一郎の祖父)
銀粉蝶 (榛原華子の祖母)

 

 

スタッフ。

プロデューサー:西ヶ谷寿一、西川朝子、宮本綾
ラインプロデューサー:金森保
キャスティング:西宮由貴
助監督:張元香織

撮影:佐々木靖之
照明:後閑健太

美術:安宅紀史
装飾:佐藤桃子
スタイリスト:丸山晃
ヘアメイク:橋本申二
衣装:大森茂雄

録音:近藤崇生

編集:堀善介

音楽:渡邊琢磨

 

 

『あのこは貴族』を鑑賞。
現代東京、東京出のお嬢様と田舎出の庶民娘、雛壇の段が違う2人が己の生きる檻に気づいていくドラマ。
山内マリコの同名ベストセラーを岨手由貴子が監督と脚本で映画化。
日本の3つの階層を章立てて小説的な展開をきっちり落とし込んで、シンプルに状況で見せ続ける。脚本は巧みだが、物語としては弱いが、そのことで描写に目が行く。見せたいところが見えている。
女性だけの問題だけにせず、広い視野が日本の構造にメスが引かれる。
TVドラマなどでやりがちな、わざとらしい富裕層演出になっていないところが素晴らしい。
日本的でありながら西洋的な技法をきちんと取り込んだ日本ではまだまだ少ない稀有な21世紀型邦画。
いくつも入れた技巧派ながら、抑えめに潜ませている。最近のJ-POPのよう。
キャストが的確で成瀬作品を思い出す。抑えて見せ斬った門脇麦が骨格をつくり、水原希子が肉づけし、高良健吾が皮を纏わせる。全キャストに内臓がある。
芝居と配置で見せる映像は、邦画黄金期のような風格がある。
最近の邦画では珍しい、学校を地獄としない交差点として描く。
もうね、一言でいえば、上品。
堂々たる撮影。
洋画好きにこそ、見て欲しい。
屋上か踊り場かステージか、どこで踊るか。
写真にさえ枠を見つける柵作。

 

 

 

 

おまけ。

英語題は『Aristocrats』。
Aristocratsは、貴族、貴族的な人、最高のもの、という意味。
小説の英語版のタイトルなのだろうか?

 

2020年の作品。

 

製作国:日本
上映時間:124分
映倫:G

 

配給:東京テアトル=バンダイナムコアーツ  

 

 

 

 

 

ネタバレ。

映像イメージを西洋映画的作法に使っているのに、そのイメージがザ・日本で、これは小津や黒澤の系譜ともいえる。
日本では少ないモチーフ話法も徹底しており、最近だと是枝の最近作に近い。

その最たるものが雛壇。

乗り物がモチーフとなっている。
タクシーから始まり、三輪車で終わる。
華子はタクシーから降りて、美紀の自転車へと歩み寄る。
美紀は電車で始まり、先輩から譲り受けた弟のスポーツカーに乗る。
美紀と里英は地下鉄の駅へ降りないで、自転車にニケツしていく。
華子は橋でニケツする女性二人に手を振る。
華子は三輪車に二人乗りして乗っている逸子を押す。

そこには、枠や柵がある。窓枠、駅の入り口、歩道や橋の柵、屋上の柵。
加えて、家族写真、お見合い写真、スマホ写真、SNS、スナップ、政治活動の記事と、写真のフレームでも比較される。

お茶をするのは、高いビルで、外ではない。最後、美紀と里英が東京駅を見下ろすのは外。
解放感を出さないように、華子と幸一郎のシーサイドの家の柵には近づかず、窓枠から出ない。

他にも、逸子がマカロンタワーの一番上からマカロンを食べ、花を挿すのも象徴的。

アフタヌーンティーセットのスナックケースも上下二段になっている。

べランダと庭、自然の景色の見せ方も。

衣装でも、ドレス、ブランドもの、ズボン、着物、スーツ、下着と部屋着と階層を見せる。

 

 

 

日本の映画でよく見るロケ場所をうまく使っている。
実際、自分も3か所ほどおいらも仕事で行ったことがあるレンタルスタジオ。
華子と幸一郎の家は、分かりやすいところでは、『ラブ&ピース』で成功した後に住む部屋であり、『アウトレイジ』の闇カジノだったりします、『嫌われ松子の一生』でも出てきますね。
よく使われる場所を使いこなすのもスタッフの腕。
『ブレードランナー』のデッカードの部屋もよく使われるセットだったけど、照明と飾りで見たことのない場所に変えている。

なんだか、最近、よく知ってるロケ地が使われている邦画に出会う。
『すばらしき世界』の水神大橋はあまり渡らないけど、あの辺りは地元なので、よく知ってる場所が出てきまくり。
『あの頃。』の土下座する喫茶店JOYはうちの近くで、よく使われるロケ地だったりするし、働くライブハウスは渋谷のライブハウスで、何度か行ったことがある。

 

労働を見せない。
クラブで働く姿はあるが、あれも食事をしているシーンだし、3つのイベントのシーンも音楽と会食であり、労働の場所に見えないようにしている。(最後のイベントは君たち二人も華子たち三人も仕事中だが、仕事に見えない)
わずかに、写真で政治活動を見せるシーンがある。
あとは、ネイルをきれいにするところぐらいか。
弁護士も医者も会社でさえも見せないようにしている。
ある意味、貴族的だ。
家事手伝いへの言及もそこを意識しているのだろう。
結婚観も透けて見えるようになっている。

結婚についても、並べられている。
独身、シングルマザー、主婦、未亡人の祖母、妻を亡くした祖父、先妻。不倫、セフレ。
深読みすれば、逸子はどうも同性愛者の可能性(ドイツでの写真に女性との写真がある)がある。

邦画が得意な、家族、友達、富裕と庶民、食事、芸術、家などを用いて、日本を見せている。

飲むものも並べており、シャンパンの写真などで意識的であることがわかる。

 

 

描かれる階層は三つになっているが、さらにその下の貧困層があるが、貴族を敵にしないためか、そこを排除したのだろうか。
華子を真ん中にするためか。
一応、クラブで働く美紀の一時期にそこを集約させているともいえる。
まぁ、テーマが違うしね。
ウディ・アレンなどのニューヨークの描き方に近い。(ウディ・アレンの映画には貧困層は記号としてか、あまり出てこないし、主役になることも少ない。『カイロの紫のバラ』などないわけではない)

 

女性には、その生きづらさを共感してくれる友人がいるが、男には競争相手になるからか縦の繋がりしか描かれない。

友がいることの救い。

ブロマンスは夢のよう。
『ハングオーバー』とか。
でも、同階層の仲間で集まるのが主よね。
『あの頃。』でも結局、同階層でまとめていた。

伯父の票田という地盤の地獄に幸一郎は繋がれてしまう。

男女だけでなく、階層の差だけでなく、それぞれの場所での「あるべき」と継承の呪いと地獄がある。
そこからどう外れていくか。

幸一郎の父は外れてもその場所にいるし、華子の二番目の姉もまたそこにいる。

トイレの描写には、見る側のラベリングが見えなくもない。
お手洗いをするのを我慢したのかな。
華子がいづれ逃げ出すことのお知らせをするシーンだったか。

 

カトラリーを落とした時の対応で、見についた作法が見える。
華子はスタッフを呼び、美紀は拾おうとする。
その時の頭の位置でさえ階層を示す。

学校が、階層を交差させるように、音楽もまた交差させる。

華子が話す映画は、「最後、カンサスに戻る」と言っているので、『オズの魔法使』であろうと思われる。幸一郎は「自分が見たのと違う」と言ってるので、何を見たか不明だが、手品師オスカー・ディグズがオズの魔法使いにまるまでを描いた『オズ はじまりの戦い』かもしれない。
『オズの魔法使』ではドロシーはカンザスに帰り、「お家が幸せ」と気づく。だが、華子は家を出たのだろう。
そして、『オズ はじまりの戦い』ではオスカー・ディグズはオズの国で王様になる。華子と違い、幸一郎は青木家の王子(政治家=先生)となる。
だが、最後、華子の自由な姿に声をかける。

『オズの魔法使』が原作小説の『あのこは貴族』で出て来るかは不明だが、ドロシーと知恵のない案山子、心のないブリキ人形、臆病なライオンと旅をするので、家の無いドロシーを自由のない華子としたら、知恵のない案山子は仕事のない逸子、心のないブリキ人形は金のない美紀、臆病なライオンは勇気のない里英と言ったところだろうか。もちろん、それぞれが欠けていたものを手に入れる。
オズの王たる幸一郎は、魔法使いでないことがばれ、ドロシーも失う。

 

階段を降りて踊り場に立つ華子は逸子と幸一郎を見る、一番高いところで見下ろす幸一郎は華子を見る、ステージで演奏する逸子は客を見る、テラスから美紀と里英は東京駅を見下ろす、それぞれの前に柵や壇があり、その先に憧れの場所やリアルな向き合うべき対象が見える状態で、映画は幕を降ろす。

 

 

 

 

 

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