菱沼康介の、丸い卵も切りよで四角。

日々の悶々を、はらはらほろほろ。

演技という技術について、考えたこと。

2024年08月04日 00時46分41秒 | 映画のあれこれ

演技って、恐ろしい技術。
全く経験なくてもプロ顔負けの素晴らしい演技をすることもできるし、年齢でどんどんやれることが変わっていくし、中堅クラスでも凡庸な演技を見せてしまうこともあるし、演出やシナリオで上手くなりも下手にもなる、何年もいまいちだった人がある日突然上手くなることもあるしね。
でも、だからこそ、必要な表現に合わせられるブレない技術が大事ってことなのよ。

演技は、理に適った技術を習得するなら、きちんとしか機関で2~4年はかかるもの。それで、基礎技術と主流派のものを2~3つほど獲得できる。

当然、実践で経験を積んで技術の錬磨と自己適応をさせていかなければならない。
深い実作に関わったり、いい指導者と会うことで、短い期間で獲得できることもある。されど、短期間ではだいたいは個人的な能力に留まり、技術の向上には、その先の研鑽をし続けていく必要がある。
何しろ、作品やメディア、時代で変化するものだから。

自分だけで成立しない表現の中でも最も難しい部類に入る技術と言える。

しかも、仕事にする場合は、その技術の高さなど理屈だけでは通じない部分さえあるのが悩ましい。
技術と個人的要素(個性や容姿など)と外的要因(役や時代的要求)が噛み合いがあるから。
だからこそ、演技は技術と割り切り、さらにどう生かすかという工夫と自分自身の適正と向き合わねばならない。

それでも、求められることに応える基礎的技術は、短い期間で、コツを教えることはできる。
そして、表現するということにおいては、その欠点や噛み合わない部分を、あえて利用して選択することも可能であろう。

 

 

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