映画のファースト・シーンについて。
映画のスタイルのひとつに、ファースト・シーンに、映画全体に関わるテーマや情報を入れるというものがあります。
「冒頭は結末を内包する」とに言われたりします。
これは、アメリカ映画に多く見られる特徴。
この方式は、アメリカ式を強く学んでいる韓国映画によく見られますね。
教会とかの説教話、教訓譚の形式とかの語り口なのではないかと思っているのですが、詳しく調べきれてないところでもあります。
この話の教訓はということを最初に伝えて、物語の意味づけを最初にしてしまうといことです。
実際、教訓を書いてしまうものも多いです。
よく文章が最初に出て、ヨブ記33章とかでたりするやつですね。
「穴を覗く者は、その奥から覗かれれてもいる」みたいなやつです。
ファースト・シーンが映画全体のイメージを作る例で、おいらがよく挙げるのは、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のファースト・シーン。
それは、ドクことエメット・ブラウンの家から始まります。
ドクの不在で、さまざまな機械が不毛な繰り返しを続けたのが分かります。、
繰り返しのテーマと不在の寂しさが描かれていきます。
しかも、その登場人物なしで、表現した上、次にやってくるマーティとの関係、彼の性格まで見せてくれます。
彼はこの奇妙な男と仲良くなれ、スピーカーのボリュームを最大限まで上げてしまう青年。
つまり、映画全体は繰り返しと人物の不在とマーティがこの性格をどう越えて成長するのか、が描かれるわけで、これはのちに作られる、『2』と『3』でも引き継がれていきます。
最近だと、『アーティスト』のファースト・シーンがこれに当たります。
映画を見ている観客の息を飲む姿から、スクリーンの裏の舞台挨拶を待つ出演者たちの姿・・・。
これで、サイレント映画であること、映画の舞台裏の話であること、後から誰かがやってくる映画であることなどが示されていくのです。
これが上手く行っている映画はシナリオが上手と言えます。
映画を一度観た後で、もう一度、ファースト・シーンを見直して見てみるとよく分かります。
ドラマなどの主題歌を流すオープニング映像はその圧縮版とかそういう感じですかね。
真逆のタイプにファースト・シーンはあくまで始まりとして、じんわりというものも多い。
これは、助走というか、現実からゆっくり物語世界に入らせる方法なのですね。
これを導入とか誘導とか言ったりします。
これは、おとぎ話と言えば、「昔々、あるところに・・・」ということに近いです。
で、まんまなのは、『スターウォーズ』ですね。
聖書とかの始まりも、こういう感じで始まるので、より古いスタイルといえるでしょう。
だから、このスタイルで始まるのは、そういう古いスタイルの物語ですよ、ということがわかる。
この導入に似ているようで、またタイプが違うものでは『ともだちの家はどこ?』のドアを大写しにしたファースト・シーン。
まぁ、これはファースト・カットになりますね。
このタイプは、需要情報ではなく映画の気分を伝えっるタイプですね。
しかも、イラク映画ですね。
イスラム教の映画でもあり、どちらかというと情報ではなく、物語の世界へと連れていくタイプのものです。
ドアが世界を隔て、何かが始まるという予感とその向こうにあるものへの興味をかきたてます。
物語の始まりの期待感や象徴を見せてくれるものです。
実際には、小学校の教室のドアで、子供らの声と先生の声も聞こえてきますので、その雰囲気とドアがつながるわけです。
これは、黒澤明も絶賛してましたね。
このじんわりの変形で、ラスト・シーンやクライマックスから始める映画なんてのもあります。
『ミッション。インポッシブル3』がそれに当たります。
クライマックスの大ピンチから話を始めて、最初に戻る。
『タイタニック』もラストから。
回想で語るものも、この形式の一つですね。
回想の入口から語るパターン。
『父親たちの星条旗』は、このタイプですね。
『ウォーク・ハード ロックへの階段』では、これをジョークに使い、ステージの出番まで1分しかないのにこれまでの人生全部を振り返るというスチルで始まります。
手紙からとkまおありますね。
『プライベート・ライアン』や『ジョン・カーター』はこのタイプでした。
映画史に残る傑作『市民ケーン』もこの形式でした。
これに意味を加えていくものがあります。
最近だと、『ファミリー・ツリー』のファースト・シーンがこれに当たります。
この映画のファースト・シーンはサーフィンをする妻の姿。
物語はじまると、妻は海での事故で、意識不明になっているので、あの元気な頃の妻の姿が記憶としてよみがえる仕組みになっている。
そして、ハワイっぽいイメージでも幕開けて、実際はそうではないという夫というギャップも見せている。
舞台演出家として高名なフランク・ハウザーも「結末はオープニングに内在する」と言ってますね。
そう、舞台、映画、つまり物語形式の時間芸術は、語りに使える時間を無駄にできないので、オープニングから、切り込んでいかないといけないのですな。
ウェス・アンダーソンやデビッド・フィンチャーは予告編や別の短編で物語を膨らまそうとさえしてましたね。
これはまた、別の話。
オープニングについては、他にもいろいろありますが、今日はこの辺で。
映画の見方の一つとして、ファースト・シーンに注目していただきたいな、と思う次第です。