一期一会

日々是好日な身辺雑記

晩秋の鎌倉へ

2015年12月10日 | 日記



一昨日8日(火)から大船の実家に2泊で帰っていた。
兄が海外旅行中で90歳になる母が一人なのでご機嫌伺いに行ってきた。
そのついでに鎌倉の紅葉見物に円覚寺、建長寺、天園ハイキングコースと
廻ってきた。
今年の紅葉見物は10月中旬の涸沢カール、先週の秩父御嶽神社と期待外れだったが、
鎌倉は温暖な気候を反映してか紅葉の盛りは東京より遅めで、ちょうど良い時期だった。
ただそれでも例年と比べ紅葉の色鮮やかさに欠けると感じたがどうだろう。
去年も全く同じ時期に里帰りし、紅葉見物をしたが、その時は実家から天園ハイキングコース
に出て、建長寺、円覚寺と廻った。今回は北鎌倉から逆に廻った。

鎌倉五山の一位、二位となる建長寺、円覚寺は臨済宗のお寺らしい禅宗様式の建物だ。
亡父のお墓がある戸塚の長福寺は臨済宗円覚寺派のお寺だ。
北鎌倉駅には11時に着き、円覚寺に行くと山門前の紅葉が盛りだった。
前を行く中年の女性が(先週来た時は未だ・・・)と言っていたので、
この時期が一番良かったのかもしれない。

(円覚寺の紅葉)


(佛日庵/北条時宗の御廟)


(選佛場/坐禅道場)


円覚寺の後は建長寺に廻る。ちょうど昼時だったので建長寺前の( そば処 五山)というお店で
けんちん蕎麦(900円)を食べる。北鎌倉には日高屋も吉野家も無いので蕎麦になる。
そういえば建長寺山門脇にある私立男子中・高の鎌倉学園は知人I氏の出身校らしい。



建長寺の法堂には日本画家小泉淳作氏の描いた天井画(雲龍図)がある。
小泉画伯は京都の建仁寺の天井画(双龍図)も描いており、
どちらも定年まで勤めた会社の親会社である横河電機と日経新聞社が寄進したものだ。
それから石段を昇って半蔵坊へ。この日は曇り空で富士見台からの富士山は見えなかった。
天園ハイキングコースを歩き、峠の茶屋を左に行き15:00には実家に着く。

(法堂と雲龍図)





(半蔵坊からの紅葉)


翌9日(水)は朝食の後8:30から散歩がてら、 天園ハイキングコースを紅葉谷から鎌倉宮へと歩く。
天園ハイキングコース入口へは実家から歩いて15分位。
紅葉谷は紅葉の名所として知られているので、9時過ぎという早い時間にも関わらず
ハイキング姿のシニア女性グループが多かった。シニアは女性の方が元気が良い。


この日は前日の禅宗寺巡りから変わり、鎌倉宮、荏柄天神社と神社巡りをする。
荏柄天神社は学問の神様菅原道真を祀る神社で、亡父が娘と息子の中学大学受験の時に、
必ずお詣りに行き、御守りを買ってきていた。

神社巡りの後は来た道を戻り、11:00には実家に帰ってくる。
昼からは炬燵に入り、持参したパトリシア・コーンウェルの「 死層」を読んだり、
庭になっている金柑を取ったりして過ごす。
今年はミカンも良く成り200個近く取れ、近所にも配ったらしいが、
それでも大きなカゴ2つに沢山のミカンが入っていた。

(紅葉谷の紅葉)




(庭の金柑)



そして夕方には20代からの友人と会う為に根岸線の洋光台へ。
17:00に洋光台駅で待ち合わせた彼とは、駅前の居酒屋で一杯やろうと思っていたが、
家に行こうと誘われ、遠慮したが(用意してあるから)と言われ、訪問することになる。
洋光台の駅から歩いて5分位の閑静な住宅街にある180坪の土地に建つ改築した家は、
広い庭と大きな素敵な家だった。

同じ歳の彼は私より1年位前に結婚しており、その新婚家庭に行ったりしていたので
奥様も知っていた。私の新婚当時にも夫婦一緒に一泊で伊豆旅行に行ったりした。
奥様とはその伊豆旅行以来だったが、気兼ねなく手料理をご馳走になり、
奥様も交えお酒を飲みながら昔話に花を咲かせた。
ボランティアで社会福祉活動をされている奥様の児童問題等の話は興味深かった。
そんな話に時間の経つのも忘れ、気づいたら21:00を過ぎていた。
それから果物とお茶を頂き21:30に失礼した。

そして今日昼頃に自宅に帰ってきた。