一期一会

日々是好日な身辺雑記

晴走雨読の週末

2012年07月08日 | 日記



勿論、こんな(晴走雨読)四文字熟語はなく(晴耕雨読)をもじったもので、現在の休日の基本スタイルである。
そして今日は雨で走れなく、カミさんと娘も外出し留守でもあり、一日家でソファーに横たわりながら読書。

日曜日から半藤一利の「昭和史」を読み始めたが、なかなか読み進めなかった。
ミステリーのように(一気読み)は出来ないこともあるが、
今週は月曜日3時起きでのイタリアvsスペインのEURO2012決勝戦のTV観戦、
水曜日は外資IT会社時代の仕事仲間三人と市ヶ谷で呑み、焼酎2本を空け、
昨日は川越で友人ゲンちゃんと来週の八ヶ岳行きの打合せで一杯・・・という具合だったから。

この本は年数回行われる所沢のイベントホールでの古本市で買ったもので定価1600円が500円だった。
同じ著者の(幕末史)も2年前に読んだが、講談調でイマイチだったが、
先月読んだ「日本近代史」が昭和史の部分は少なかったことと、価格にも惹かれ買った。

講談調は相変わらずであるが、これも歴史を平易に解りやすく・・・という編集意図からなのだろう。
この本には1926年から終戦の1945年までの20年間の激動の時代が書かれている。

その20年間を年表的にまとめてみると、

●関東軍による張作霖暗殺事件。昭和3年(1928年)
●満州事変や日本軍謀略による上海事変の勃発とラストエンペラー溥儀による満州国の独立。昭和7年(1932年)
●国際連盟による日本の満州からの撤退勧告、それを無視しての国際連盟脱退。昭和8年(1933年)
●北京郊外の盧溝橋での銃撃戦、いわゆる盧溝橋事件に端を発しての日中戦争の始まり。昭和12年(1937年)
●日独伊三国軍事同盟の調印。昭和15年(1940年)
●真珠湾攻撃そして米国との太平洋戦争開戦。昭和16年(1941年)
●サイパン島陥落、連合艦隊フィリピン冲でほぼ全滅。昭和19年(1944年)
●東京大空襲で下町が大被害。広島、長崎に原爆投下。ポツダム宣言を受諾・終戦。昭和20年(1945年)

明治時代の日清戦争、日露戦争の勝利から日本は軍事優先の国家になったのだろうが 、
軍部の独走やそれを許した政府首脳の無能さや定見の無さが良く分かる。
特に第三次内閣までやり、「国民政府(蒋介石)を相手にせず」として日中戦争を
泥沼化した近衛文麿の責任は重大である。

そして笛や太鼓で国民を煽り、熱狂した世論を作った現在の朝日、毎日、読売の大新聞社の責任。
また太平洋戦争開戦時の熱狂ぶりは戦後を代表する評論家の小林秀雄や亀井勝一郎も同じだったのだ。

そんな中で全編を通して引用される永井荷風の日記が興味深かった。
日本に「中国を一撃すべし」の空気が満ちてきた頃の昭和11年2月の日記は次のように
書かれている。

「日本現代の禍根は政党の腐敗と軍人の過激思想と国民の自覚なき事の三事なり。
政党の腐敗も軍人の暴行も、これを要するに一般国民の自覚に乏しきに起因するなり。
個人の覚醒がせざるがために起こることなり。然り而して個人の覚醒は将来に於いても
これは到底望むべからざる事なるべし」

熱狂の中で冷静に観察していたのである。

また2・26事件や各事変や開戦に関しての昭和天皇のスタンスが天皇の言葉として
「昭和天皇独白録」から引用されており、これが非常に興味深かった。
この本は文春文庫から出版されているようなので、早速読んでみよう。

それにしても大義なき戦争であり、日本の防衛線としての満州駐屯や、
資源確保の南進という理屈を付けても侵略戦争であることは明白である。

太平洋戦争の主な戦場での日本の兵隊さんの死亡数は・・・
*ガダルカナル島での戦死、餓死、病死18,300人 *ニューギニアでの戦死157,000人
*サイパン島での戦死30,000人 *フィリピンでの戦死470,000人*硫黄島で19、900人
*沖縄での戦死109,600人 赤紙一枚で招集され亡くなっていった人たちである。
その他に一般の市民が沖縄で100,000人、本土空襲で299,485人が亡くなっている。

また、8年間にわたる日中戦争の死者は411,610人。

太平洋戦争で敗色が濃厚になってきてからの特攻作戦により若い命を散らしていった人たちは
海軍2,632人、陸軍1,983人の合計4,615人。
この戦争での日本の死者は3,100,000人を超えている。
これだけの死者が20年の昭和史の結論。

この本の最後は「それにしても何とアホな戦争をしたものか」と締めくくられているが
その通りである。

6年前に亡くなった父親はフィリピンまで行って生還してきたのだが、
この本を読んであらためて大変な時代を生きてきたのだと思う。