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一期一会

日々是好日な身辺雑記

初夏の京都旅行

2019年06月02日 | 旅行


今日2日(日)は6:40発の羽田空港へのリムジンバスに乗り、JAL便で伊丹空港、そして京都へやって来た。
日曜日の早朝という事もあり高速道路も空いていて、羽田空港には8:00に着き、9:30の出発まで搭乗口のソファーで本を読んで過ごす。
乗換案内でチェックしてみると、同じ時間に家を出ても新幹線利用だと9:55には京都に着いてしまう。
ただ飛行機の方が何となく空港の雰囲気からも、旅に出かけるという感じになる。
京都から奈良へも廻ろうと思ったが、カミさんが奈良の室生寺に行きたいと言うので、今回は一人での京都4日間観光にした。
若い時から京都のお寺巡りが好きで何回も訪れており、リタイア後は2011年2月、2012年10月、2013年6月に来ている。
真冬、紅葉の秋、初夏と季節を変えて訪れているが、今回は4つのエリアに分けてのお寺巡りのプランを立てた。
真冬に訪れた大原の里や比叡山延暦寺は今回のプランには無い。



お寺巡りをするにあたって、何年か前に読んだ(梅原猛、日本仏教をゆく)を本棚から引っ張り出してまた読んでいる。
この本は言わば仏教のガイドブックのようなもので、臨済宗、曹洞宗など各宗派と栄西、道元など宗祖、歴代天皇との関わりなどが書かれている。
バスや機中でも読んできたが、難解で途中でギブアップしまだ本棚にある(正法眼蔵随聞記)と比べ読み易い。

伊丹空港からはリムジンバスに乗り京都駅八条口に11:50に着き、バス停前のなか卯で牛丼と小うどんの炭水化物ランチセットを取る。
腹を満たしたところで、市営バスに50分ほど乗り南禅寺・永観堂へ。今日は銀閣寺エリアを歩いて廻る予定を立てた。
永観堂から南禅寺と廻り、明治時代に建設された琵琶湖疏水を京都に引き込む水道橋の水路閣と見て廻る。
臨済宗の総本山・南禅寺は京都五山の上と禅寺最高位に列せられるだけの風格を示す豪壮な建築物と、
レンガ造りのアーチ橋水路閣は、イタリアやスペインで見た古代ローマ時代の水道橋を思い出させた。
それから哲学者・西田幾多郎が思索を巡らし歩いた事からその名がついた、疎水べりの小道(哲学の道)を歩いて銀閣寺に向かう。

(南禅寺三門)



(水路閣)



(哲学の道)



永観堂、南禅寺は意外に団体客も少なくて静かな感じだったが、さすがに銀閣寺に来ると修学旅行生や外人観光客で賑わっていた 。
銀閣寺は室町幕府8代将軍足利義政により造営された山荘・東山殿を死後、寺に改め東山慈照寺として臨済宗の寺院となった。
砂を波紋のように敷きつめた盛砂の銀沙灘や、円錐台形の盛砂の向月台は禅寺らしく簡素な庭園だ。

(楼閣庭園)



(展望台からの銀閣寺)



銀閣(観音殿)





銀閣寺の後は曹洞宗の寺院詩仙堂に廻る予定だったが16時を過ぎた為に止めて、
2013年にカミさんと来た時に入った甘味処(喜み家)に寄り、あんみつを食べて一休み。
このブログは自分のライフログとしても書いているので、思い出し読み返すと店名が分かる。
その時に夕食を取り鳳凰美田を呑んだおばんざいの店(京・薬膳五けんしも)を調べたら閉店になっていた。

(喜み家のあんみつ)



そこからは歩いて烏丸五条にあり3連泊する京王プレリアホテルに向かう。
途中平安神宮の前を通るが今回の京都観光のポイントは(禅寺巡りと枯山水庭園で侘び寂びの世界を)、
なのでスルーして歩き続け、錦小路や新京極も観光客の賑わいを避け、裏通りを歩くが京町家は見当たらなかった。
銀閣寺から1時間半ほど歩いたろうか、京王プレリアホテルにチェックイン。
このホテルは昨年11月にオープンし、京都駅の隣駅烏丸五条と四条の間に位置し何かと便利な所だ。
楽天トラベルで予約した部屋はスタンダードツインだったが、空いているという事で広めのコンフォートツインにしてくれた。
大浴場や部屋の設備も新しく、パジャマやアメニティも充実しており、このホテル選択は正解だった。

(京王プレリアホテル)





夕食は四条の京都大丸の周りで探したが、1人でのアルコール抜きの食事の店となるとなかなか難しい。
探し回ったところで、現役時代の客先訪問時のランチによく通っていた中華の(万豚記)があり、白ゴマ担々麺と野菜餃子を食べた。



万豚記を出て少し歩いたら(大戸屋)があった。ここなら1人でアルコール抜きの定食の要件にピッタリだ。
明後日の夕食はカミさんが調べてくれた1人飲み居酒屋リストから、鳳凰美田が飲める店を探してあり、
場所も確認し日本酒と蕎麦が売りの居酒屋なので、4日の夕食はここで取ろう。

明日は4つのエリアから嵐山・嵯峨野を廻る予定だ。

JAL/ どこかにマイル

2019年05月14日 | 旅行



GWが終わり観光地の混み合いも落ち着いたところでと、一人旅の検討を始めた。
去年は4月に山陰旅行、6月に2週間の台湾一周旅行に出かけたが、一人旅はへそくりでのやりくりなので
予算に限りがあり、伊勢神宮から熊野古道というコースを深夜バスで検討したら、松坂まで¥3,800というのがあった。
図書館から熊野古道に関する本や地図を借りてきて検討したが、伊勢神宮を含めると日数がかかるので今回は諦めた。
6月はどうしても出たい株主総会があり、その会社に電話をし開催日を確認して、先ず日程を決めた。

そしてJALマイレージが12万マイル近く貯まり、有効期限切れに近いマイルもあるので(どこかにマイル)を使う事にした。
(どこかにマイル)はJALマイレージで通常日本各地12,000マイルのところを半分の6,000マイルで行けるものだが、
行き先は4つの候補地から JALが決めるので、何処に行くか分からないというものだ。
4つの候補地は全国各地のJAL便の空港の組合せがスロットマシンの様に変わり、そこから選択するのだが、
良いと思った組合せもその時に申し込まなければ後から戻れないし、同じ組合せも2度は出ない。
そこで土曜日にカミさんのiPadと自分のIPad miniを使い、札幌と那覇が入る組合せが出るまで何回も再検索して、
(徳島、、熊本、札幌、那覇)というのが出たが、徳島の見所が思い浮かばなかったのでスルーして
再検索を続けたら(大阪、青森、札幌、那覇)が出たので、これに申し込んだ。

青森になったら奥入瀬渓流や白神山地へ行けるし、大阪はビジネス利用が多いので当たる事はないだろうと思っていたら、
翌日JALから大阪に決まったとのメールがあった。
予想が外れた事にガッカリしたが、日本で一番好きな観光地京都に行けるという風に気持ちを切り替え、
6/2(日)から(どこかにマイル)で大阪に飛び、京都2泊、奈良1泊の日程で一人旅をする事になった。



米中通商摩擦は中国も報復関税をかけるという日経速報メールが21:47に入った。この速報メールだけは着信音の設定がしてある。
この21:47というのがNY市場が開く40分前という、中国の姿勢を感じさせるタイミングでNYダウもNASDAQも大きく下げた。
トランプは相変わらずの訳の分からないツイートと発言で、自分の支持層である大豆農家が中国への輸出減で影響を受けているので、
その大豆を政府が買い取り人道支援が必要な国に配るという、ソビエト時代の集団農場コルホーズか!という思いつき発言で、
この話にはオチがあり、この大豆は家畜の肥料用で、人道支援には向かないと否定される始末だ。
元々この男の頭の中に人道支援という概念が無いのはプエルトリコのハリケーン被害時の対応で明らかで、
全ての発想の元は2020年の再選しかない。

トランプのツイートは株価操作とでも言うべき、解決への期待を上げるツイートから一転して追加関税決定とのツイートで株価が急落するというもので、
テスラのCEOイーロン・マスクが自動車生産台数や資金の点などの不正確なツイートで株価に影響を与えたという事でSECから訴えられた事と似ている。

それと逆なのが中国で、今回のアメリカの追加関税決定のニュースを報じず、SNSでこの件に書かれたものは削除されるという信じられない対応で、
個人投資家は上海市場急落の原因を知らなかったいう。
流石に翌日にはSNSでの削除は止めたらしいが、俄かに信じられる話ではないが、情報がなければ暗闇で野球をやる様なもので、
ボールを打てないしボールを捕る事も出来ない。

変な男に、変なシステムの国、まとまるわけがない。

アエロフロート

2019年04月27日 | 旅行


昨日から北アルプスの西穂高登山をする予定だっがこの天候で中止となった。
4月中旬の降雪で4/14の名栗トレイルランの大回りコースが中止となった事で、1,300mの低山でさえ積雪凍結だったのだからと、
(ヤマケイオンライン)で西穂高の最新状況を調べてみた。
そこには西穂山荘の4/17の投稿で(冬も終盤、診療所まわりの除雪作業はじまる。もうしばらくは冬山装備で)とのタイトルで、
真っ白な雪景色の西穂高の写真が載っており、稜線は風が非常に強く防寒着必須、丸山から独標まではルートを見失いやすいので無理は禁物、
西穂独標の100m手前からは険しい岩稜帯で滑落すれば大きな事故に・・・とあり、これでは無理と相棒と相談し中止を決めた。

そんな事でGWは前半は天気も悪いらしいので、近場ぶらり歩きと誉田哲也の本を3冊確保したので、それを読んで過ごそう。
5月下旬から6月中旬頃に海外、国内を問わず何処かへ旅行したいと思って、福建省の客家の土楼、熊野古道、しまなみ海道などを
検討し未だ決めていないが、9月中旬の旅行としてウィーンINミュンヘンOUTのエアチケットをロシアのアエロフロートで購入した。
ヨーロッパ行きはアエロフロートが一番安いのは知っていたが、今まで検討した事もなかった。
ロシアというイメージと、インターネット上での口コミが良くないのと、2年前に娘がプラハ行きの便にアエロフロートを利用し、
スーツケースに入れておいた10万円相当のユーロが盗まれたというトラブルがあり、その連絡を受けてアエロフロートに電話をしたが、
お金が戻ってくる事は無かった。
現地での届け出とか面倒な手続きを教えてもらったが、旅行中の娘が対応出来ず諦めるしか無かった。
まぁ、これはスーツケースに現金を入れておく事じたいが、不注意極まりないので授業料として仕方がない。
大学生時代からバックパッカーとして一人旅をし、三十数ヵ国を旅してる娘だが、どこか抜けてるところがあって、
他に2度ほどトラブりその度にサポートセンターとして私が対応していた。
この10連休も昨日からバリ島へ出かけているが、カミさんから重々と注意されていた。

そんな経緯の中で何故アエロフロート便を購入したか、それも格安航空券サイトではなくアエロフロート直接購入だったか。
いつもエアチケットは半年くらい前に格安航空券サイトで購入しているが、94歳の母親が年末に体調を崩し、あまり先のものを買えなくなった。
幸いにもその後は特に問題はないが何せ高齢なので先は分からない。
そんな話を隣町に住む飲み友達のIさんにしたら、アエロフロートの直接購入ならキャンセルが出来て、
そのキャンセル料も12,000円が4,500円に値下がりなると教わり、彼も5/5のプラハマラソンに出場する為に
ウィーンINプラハOUTの便を昨年末にアエロフロートで直接購入したと、便の種類などの資料を貰った。

それから格安航空券サイトやウィーン直行便のあるANAのキャンセルポリシーを調べたが、電話でも確認したアエロフロートの
1時間前のキャンセル可の4,500円という条件にかなうものはなかった。
今回はブタペストと南ドイツがメインなのでブタペストINの便も検討したが、モスクワでの乗り換え時間が短くターミナルも違うので止めた。
ウィーンから電車でブタペスト、またウィーンに戻り2泊して電車でミュンヘンへという大まかな予定だが、
購入した今でもアエロフロートへの一抹の不安は拭えない。
口コミではなく、アエロフロートのサイトを見ると(手荷物が到着していない場合のお手続き)というタイトルで届出フォームや賠償請求、
未到着の手荷物に関する情報などが載っている。
もしウィーンでスーツケースがピックアップ出来なかったら、その後の旅行はどうなるのだろうと想ってしまう。
ウィーンにユニクロとマツキヨがあれば問題は無いのだが。

GW明けにプラハ旅行から戻るIさんに会い、アエロフロート利用状況を聞いてみよう。
彼はご子息がモスクワ駐在なのでアエロフロートは利用した事があるのだろうが、トラブル話は聞いてない。
トラブルと言えば、爆弾テロがあったスリランカのシナモン・グランド・コロンボは、一昨年の3月に旅行した時に
同じグループのシナモン・レッドに泊まり、夕食は2度このシナモン・グランドで取った。
今回のテロは富裕層を狙ったものらしいが、まさに5ツ星の高級ホテルだった。

平和で安全な日本にいると気づかないが、海外を個人旅行すると色々リスクは感じる。

ケベックからモントリオール、そしてバンクーバーへ

2018年09月28日 | 旅行


実質的なカナダ旅行最終日となる27日(木)は8:30発のバスでモントリオールに向かった。
来る時の鉄道と平行して走っていた道路かと思ったが、別な道路で途中一部の黄が色づいていた。
モントリオールのバスターミナルには11:30に着き、前に泊まった(マノワール シューブリック)にチェックイン。
このホテルは2回目の宿泊は10%割引きとなるサービスがあり、施設や親切なスタッフも気に入っていたので、予約しておいた。

スーツケースを解きテレビをつけたら、丁度セクハラ告発者Drフォードの公聴会がLiveで放送されていたが、最後となるモントリオール観光へ。
先ずはカミさんの行きたい所リストの(ジャン・タロン・マーケット)へ。
オレンジラインのジャン・タロン駅から徒歩5分位のこの市場は、野菜や果物が色どりよく積まれ、
肉や魚、チーズなどの専門店もあり、ロブスターまで売られていた。





路上ではアコーディオンとエレキギターの演奏が行われていて、カミさんがチーズなどの買い物を
している間は、ベンチに座って聴いていた。途中からイタリア系の住民が曲をリクエストし、
(オーソレミオ)を歌ったが見事な歌声だった。演奏代を払った風でもなく一曲歌って去って行った。
このマーケットの近くにはイタリア系住民の住むリトル・イタリーがある。
20分近く演奏を聴かせてもらったので、コインをギターケースに入れさせてもらった。



カミさんの買い物が終わり、マーケット内のサンドウイッチの店に立っていたらスーツ姿の中年男性から
片言の日本語で声をかけられた。直ぐ英語に切り替わったが、博多や金沢に居たことや、48歳から60歳
の定年まで勤めていた三鷹が出てきた時は驚いたが、最初は半信半疑の会話だった。
海外で声をかけられると警戒心が働く傾向があり、イスタンブールでは妻が日本人だと言う、
何人もの男性から声をかけられ、絨毯の店を案内すると言われた事か。一人旅の経験は警戒心を強くする。
勿論本当に親切にされた人も多く、帰国してから心ばかりの品を送った人もいる。



一緒のテーブルでサンドウイッチを食べたこの男性は55歳のモロッコ人で、名刺を貰ったらシェフで
ガイドとなっており、話せる言語がフランス語、スペイン語、英語、アラビア語となっていた。
パリの料理学校コルドンブルーを出たと言い、数々のデザートの作品をスマホの写真で見せてくれた。
次の旅行地としてモロッコに関心がある事からサハラ砂漠への行き方や日数、タシケントやカサブランカ
への移動などを尋ねたら教えてくれ、行くならママの家に泊めてあげると言い、(keep in touch)と言ってくれた。

55歳と聞いて、40代前半としか見えない皺一つない顔から、カミさんが凄く若く見えると言ったら
アルガンオイルを就寝前に塗っているという話にカミさんが興味津々になったら、
マーケット近くのモロッコ商品の店を案内してくれ、そこで20ドルでアラガンオイル一瓶を買った。
その一瓶で2年間は持つと言う。1年間使ってみて、効果があってシミが取れたら使用前、使用後の写真をアップしよう。

モロッコはずうっと関心があったが、飛行機代が高く、長時間なのと、サハラ砂漠への移動などで
個人旅行は無理かと思っていたが、ママの家への宿泊はともかく、サハラ砂漠のガイドの手配だけでも頼めたら大助かりだ。
カミさんが帰ったらメールしようと言ってたので(keep in touch)はカミさんに任せよう。
友達と待合わせているという彼と別れ、次は日曜日のミサで入れなかったノートルダム大聖堂へ。

セリーヌ・ディオンの結婚式が行われたという教会ではパイプオルガンの演奏が行われていたが、
その曲がよく聴く映画音楽で、スペインで聴いたような厳かさがなく、ライトアップされた内部はディズニーの様だった。





寒さの厳しい気候のモントリオールでは、市民が冬でもより快適に移動出来るようにと、
大規模な都市計画を行い、地下にショッピング街とプロムナードを建設し、
主な地下鉄駅とも連結しアンダーグラウンドシティ・モントリオールと言われる銀行、ホテル、大学、レストラン、
デパートなどの施設が地下で連結しあっている。初日に地下鉄からセントラルステーションへ行くルートを
探すのに時間がかかったのは、網の目のように張り巡らせた33kmに及ぶ地下ネットワークが原因だ。
初日に行ったデパート「La Baie」に直結したプロムナード・カテドラルを見たところで観光は終わり。
市民の移動を考えたこの地下街の他にも自転車専用道路もあり、よく考えられた都市造りだ。





翌日は5:20発のバスで空港に向かうのでスーツケースをまとめ、ホテルフロントの女性に聞いた
レストランに8時頃に出かけたが、その道に迷っていたら若い黒人女性から日本語で声をかけられた。
北海道の石狩市に英語教師として4年間住んでいたと言い。石狩市と住民を懐かしがっていた。
生まれも育ちもモントリオールという彼女はグーグルマップで店を探してくれ、途中まで案内してくれた。
この日2回目の一期一会で、今回の旅ではカナダ人の親切さを感じたがそれは多民族国家だからか。

そして2週間の旅の終わりの28日(金)は4:00に目覚ましをかけ、シャワーを浴びて4:50にチェックアウト。
初めて見かけたフロントの中年男性は、タクシーは大丈夫か、バスターミナルへの道は知ってるか、
飛行機の出発時刻はと尋ねてくる。ブティックホテルならではの触れ合いだ。
サマータイムなので5時でも真っ暗だがスーツケースを引きながら歩いても危険は感じないので治安は良いのだろう。







8:30にモントリオールを発ったウェストジェット航空の便は4時間のフライトでバンクーバーに11:10に着いた。
モントリオールとバンクーバーの時差が3時間あるのでこの到着時刻になる。
バンクーバーに近くなってからはロッキー山脈の雄大な連なりを見る事が出来た。










25年ぶりのバンクーバー空港はこんなに広かったかと思う、成田空港の倍以上の広さで幾つもの店があった。
バンクーバー空港でカレー味のチキンライスのライスボールを食べ14:15発のJALの便で帰国する。
機中では映画を見て過ごそう。


ケベック市街観光

2018年09月27日 | 旅行


ケベック滞在3日目となる26日(水)はようやく時差ボケも解消されたか 、いつも通り5:00まで寝れた。
ケベック滞在最後の1日になるが、生憎の小雨が降ったり止んだりという天気で傘持参の観光だった。
午前中は旧市街を、午後は新市街と廻ったが、合間にホテルに戻り一休みするという便利な立地だ。

(メゾン・シュバリエ)
1752年に建てられた、豪商シュバリエの私邸を博物館として公開しているが、
9月上旬までの公開という事で入館見学は出来なかった。



(テラス・デュフラン)
フェアモント・ル・シャトーの裏手から延びる約670mの板張りの遊歩道で、大砲が据付けられ
ロウワータウンとセントローレンス川を眺められる絶景スポットで、城壁に沿って歩くと戦場公園に出る。





(戦場公園)
高台にあり、180ヘクタールの広大な公園で、1759年イギリスとフランスの決戦場となり、
フランス軍が大敗した場所で、それからケベック・シティはイギリスの植民地になる。



(ウルスリンヌ博物館)
1639年に建てられたウルスラ会修道院の博物館で、当時の修道女の生活ぶりが解る手紙や
古楽器、刺繍製品などが展示されている。





ここまで観て廻ったところで、スーパーでWrapを買ってホテルの部屋で昼食とする。
途中フェアモント・ル・シャトーの前を通って戻るが、ここは1日に何回も通り、旧市街にいると
何処からも見えるという高台に建つその威容は、ケベック・シティを象徴する1893年の建築。

(フェアモント・ル・シャトー・フロントナック)



(グランダレ通り)
城塞のサンルイ門から続く続く新市街の通りで、通りの両側にはレストランやオープンカフェ、
バーやブティックホテルが並ぶ華やかな通り。カレーシュと呼ばれる観光用の馬車が走っている。







(ケベック州議事堂)
午前中に寄ったが中に入るにはパスポートが必要なので、ホテルに戻り14:00から出直して来た。
新市街に建つが城塞から出ると直ぐだし、ケベックはコンパクトな町なので歩いて廻れる。
1866年に建造されたフランス・ルネサンス様式の重厚な建物で、セキュリティチェックを受けて
内部の見事ななシャンデリアやステンドグラス、フレスコ画が飾られた議場が観れる。





(シタデル)
イギリス統治時代に建設されたカナダで最大の要塞で、1820年に始まり、全てが完成されたのが1857年。





16:30頃にまたホテルに戻り一休み。夕食の店をホテルフロントから予約してもらう。
プチ・シャンプラン通りにレストラン(Le Lapin Sauté)はいつも賑わっており、取れた予約は20:00からだった。

ホテルの部屋ではCNNを付けっ放しにしているが、17:00からはトランプの記者会見がLiveであった。
CNNではこの会見を(TRAMP HOLDS RARE SOLO NEWSCONFERENCE,, AFTER 3RD WOMAN
MAKES ALLEGATIONS AGAINST KAVANAUGH) とタイトル付けしていた。
(カバナー最高裁判事候補を3番目の女性が訴えた後に開かれたレアな会見)とでも訳するのだろうか
17:00から始まって18:20までCMなしで放送していた。

最初は安倍総理との会見や北朝鮮との関係に触れた自画自讃のスピーチから始まり、
記者からの質問受付になってもそれを途中で遮り、一方的にトランプが喋るという独演会のようだ。
カバナーとローゼンスタインの件に関する質問が多かったが、それ以外はNAFTAやシリア問題もあり、
何回もオバマ前大統領との比較しての自画自讃ぶりだった。

記者からは鋭い質問が投げかけられるが全部を言わせず遮るのがトランプ流だが、
3番目の女性の訴えを(Con job)とツイートした事への質問も多かった。
それにしてもアメリカの記者と大統領のやり取りは凄い!日本では見れない様子だ。
例の就任時の会見でフェイクニュースと言われた記者ジム・アコスタも質問していた。
それとCNNのアンカーのクリス・クオモというキャスターも鋭い。ディペートを仕切るのだが
その様が凄い。日本にはこういうキャスターはいないなぁ。田原総一朗くらいか?

元クオモニューヨーク州知事の息子らしいが、父親はイタリア系の顔をしていたが、
彼はそんなでもない。兄は現ニューヨーク州知事というエリート一家育ちだ。
いずれにしても明日27日はカバナーのヒアリング、ローゼンスタインとのMeetingがあり、
トランプにとって逆風が吹き、余裕が感じられない会見だった。







20:00からの(ル・ラパン・ソテ)の夕食はこの店はウサギ料理が名物で、昼に撮った店の写真を
見てもらうとウサギのディスプレイが見える。名物料理を食べなければとウサギのコンフィを
マスタードとガーリックの2種類のソースで食べたが、肉はチキンの様だった。
カミさんはとても可哀想で食べられないと言ってシュリンプとホタテの料理を食べた。
ウサギを飼っていた姪には言えないが、食はその国の文化で馬刺しや鯨刺しを食べる日本人を
異様に感じる欧米人がいるように文化の違いだ。
その違いもベトナムの赤犬まではトライ出来なかった。