五高の歴史・落穂拾い

旧制第五高等学校の六十年にわたる想い出の歴史のエピソードを集めている。

五高記念館周辺散策(復習)

2011-07-25 03:41:43 | 五高の歴史
今朝は五高記念館の構内の散策を依頼されているので復習として構内説明を記載してみる。黒髪北地区に入構した見学者が構内を散策でもすれば記念碑の多いのに驚かされることでありましょう。

明治30年第十回の開校記念日に教員総代として『夫れ教育は建国の基礎にして師弟の和塾は育英の大本たり』と祝辞を述べている、この文字は記念碑として構内の西側に建っている。
これは祝辞としながらも日清戦争の後の軽佻を批判した若者に対する格調高い漢文調で語られている。それぞれの碑は現代の若者というより国民に語りかけている。五高記念館の名前が続く限り、武夫原がある限り現代の教育者の心の糧に成りうることであろう。記念館の展示室では濁世の波を思い出し、かって若い青春を散らした五高の校風、質実剛健剛毅木訥の教育精神を知ることが出来る。



サインカーブから中門を通して記念館を眺める

武夫原グラウンドの現在

以下構内に残る歴史的記念物を紹介する。重要文化財に指定されている正門(通称赤門)を入りサイン・カーブを通って来ると、ラフカジイオ・ハーンの碑のレリーフを左手に見て、右側には竜南健児の像が五高時代の昔を思い出させる。この場所から中門を隔ててこれも重要文化財の五高記念館が見えて来る。このサイン・カーブの両側は五高時代は植物園であって薬園由来の碑がある。

ここ植物園には漢文教授であった黒本植先生の「栽ゑておくかたみの小松色そへよ学びの園の文の林に」の碑文が刻まれている。そのほか第五高等学校跡の碑もある。

このようにサインカーブの左右を眺めて記念館に到達するのであるが右側の通路を下れば漱石の像と句碑が建っている。
記念館の右側の建物はこれも重要文化財に指定されている階段教室を持った化学教室であり記念館の裏に廻れば習学寮跡の碑が見られる。

西側のグランドはこれこそ「武夫原頭に草萌えてと」歌われている武夫原運動場である、

南側の体育館の前には講道館柔道の創始者嘉納治五郎の碑が現代の若者を見守っている。かっての五高の敷地を隅から隅まで散策すれば昔の五高時代の歴史を窺い知れる事でしょう。
一番北側には昭和6年に天皇の行幸があっているがこのとき五高の行幸を記念して行幸記念碑が建っている。

これらの遺蹟のキャプションを読んでいくだけでも五高の歴史を知る手がかりになるのではなかろうか(kaminokawa)




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