夏目漱石は五高の英語教師として明治29年4月赴任した。これは翌年の明治30年(1897)11月8日から11月11日までの4日間にわたって、佐賀県尋常中学校、福岡県修猷館、久留米明善黌、柳川伝習館を訪問し授業を参観した。写真の参観報告書はその時の出張復命書である。各中学校とも五高への有力な進学校であったためか各中学校の授業の様子について23ページにわたって几帳面に綴られている。漱石もこの報告について大分注意を払ったように思われ明らかに出来のよいクラスのことは教師の実名を上げて報告し、また出来の悪いクラスについては教師名を某氏また失名とするなどの心配りも見せている。漱石の五高における在職期間は7年であるが、(明治33年6月には英国に留学した)教壇に立ったのは約4年である。今朝はその最終回として柳川伝習館の授業参観の様子を掲げる
第四 柳川伝習館
授業参観時数三時間九時より十二時に至る
此の日午後一時半より行軍あるを以て此日午後一時午後の課業を観るを得ず
参観年級一年二年三年四年
一年級
課目 訳読及綴字
用書 斎藤氏著第二読本
教師 玉真氏(長く米国に遊学せる人)
生徒六拾名許
教授法 生徒は勿論日本語にて教科書を訳解し教師も書中にある言語は日本語にて説明すれ雖「書を発け」「翻訳せよ」等の命令的の註は重に英語を用うるが如し
傾向 一般に生徒の出来も教師の教方も可なるが如し
二年級
課目 和文英訳
用書 山崎氏著英語教科書
教師 同志社卒業生某氏
生徒五拾名内外
教授法 教科書中にある和文を英訳せしめ順次に之を黒板に書かしめ之を訂正す
傾向 此の書を発炁に教授せば将来の弘害の利点あるべし然し生徒の文章中の文法の誤記あるは問はざるも綴字の乱雑なるは二年級にして未だ英字を書するの時日短かきが為か
三年級
課目 和文英訳
用書 斎藤氏英会話文法
教師 農学士某氏
生徒四拾名内外
教授法 前に異なる事なし但二年にあっては英訳を一々黒板に書せしめ此級に在っては只生徒の回答に止まること多し思うに二年級二年級に在っては専ら文章を学び此の級に在っては会話を主とするにあるか
傾向 然れども過半の生徒は教師の問に答へ能はざるのみならず会々答うるも誤謬多き事甚し以て生徒の餘り熱心為らざるを見るべし
四年級
課目 ユニオン第四読本
教師 農学士某氏
生徒三十五名許
教授法 先ず生徒をして稿該せしめ教師再び之を講じ而る後質問に移る読方等正答的訓練には余り意を用いざるに似たり
傾向 注意すべきは生徒の発音よからぬ事なり又訳読の力も割合に進まざるに似たり
十一月二十三日 第五高等学校 教授 夏目金之助
以上が漱石の復命書の全部であるが、この柳川伝習館では余り気に入らない授業を見たのか、教師については一年級を教えた玉眞氏のほかは二年級も、三年級も、四年級も某氏となっているのは,漱石自身は英語の教師であるし、玉眞氏は米国に永く遊学した人となっているところを見れば発音も米国流で英語教師として、他の三者に比べて自分の気に入り良かったのだろう
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