五高の歴史・落穂拾い

旧制第五高等学校の六十年にわたる想い出の歴史のエピソードを集めている。

五月も十日を迎えて

2015-05-11 04:25:35 | 日常生活について
五月も十日を過ぎ今日は十一日である。月日の経つのは何時ものことながら早い。例のさわやか大学院の講座が今度は日銀の先生の話とか、さわやかでは俺が、俺がと常に指導者だというような人ばかりである。面白くないことこの上ない。この講座は時間潰しのためと言う事で始めたのであったが、、、、。今までの講座で気に入った主なる話で五百旗先生の分ををまとめたものを眺めてみる。

昭和二十年の場合はこちらの都合で悪さをしている。モスクワ公国から広く膨張を続けるロシアは領土をアラスカまで拡げ、シベリアでは鉄道の敷設太平洋へ進出のため不凍港の設置、黒海の方へはクリミア戦争でトルコ、インド、アフガニスタン等を植民地として拡げている。その上極東の旅順を確保した。当時の山形有朋の意見書は日本の安全圏は、戦略的重要地頭上に刃が立てられたようで日本の委任は朝鮮半島の中立、日露間の静かな勝利、現場をに於ける力を持っている者は素通りした。政府はロシアには伊藤博文を派遣して日英同盟を締結、中国には小村寿太郎を派遣した。田中義一内閣ではロシアの太平洋への出口を抑えることでイギリスが困るように恒久の日英同盟を促進している。イギリスの栄光ある孤立を脱却するように、日清、日露戦役では旗艦バルチイク艦隊を打倒している。日本海海戦、長春会戦、奉天会戦、ここに欧州列強と肩を並べる新興国日本の意気が見えたものである。

相手方に対し自分の方が敗けたと思ったらそれで終わりである。奉天の会戦では日本の力はなかった。ポーツマス条約での勝利は出来すぎた勝利である。ロシア革命が起こり日本陸軍までが勝ってきた等々で日本は欧州情勢を甘く見ていた。それ故30年代日本は対21ヶ条を付きつけている、日本はこれを一遇千来のチャンスと捉えその辺の条件を21ヶ状条の要求を世界に発信、宣伝している。かってのヨーロッパ列強が領土拡大に走ったように日本は満州事変、支那事変そして日中戦争へと領土拡大を図っている。経済的私権軍事的対華21条要求は世界に発信されABC包囲網に会うようになってしまった。ヨーロッパ列強とアメリカの介入はヨーロッパの開国選択は、アジア問題解決、力に依ってのABC包囲網・・・・・

昭和20年のマンハッタン計画での原爆投下では5月の投下予定、ターゲットは京都、広島、横浜、新潟であり横浜は大空襲に合っている。新潟は海岸沿いで効果が薄い、5月28日フォーブス准将は京都が84%で地形的に効果がある、技術的に良い、軍事生産の地であると言明している。しかし知識人の間では京都は日本人の心の故郷で日本人は衝撃を受けるだろう。千年の都京都が戦争の和解が出来てから国務長官へフォーブス准将の橋渡しでポツダム会談、スチームソンの外交、軍事の英知ポツダムへ同行している。見るだけの文書からペット・アイズオンリー・・原爆の実験、爆発は予想を上回っている。スチームソンはトールマン大統領に携わっている。そうでなければ日本はロシアの胞胚の中に包括されていた可能性がある。     以上