続龍南雑誌小史
昭和九年度(二百二十七号ー二百二十九号)
委員―松本文雄、北野裕一郎、梅崎春生、柴田四郎、島田家弘、
編集委員は予算が少なく作品を出す顔触れは同じ者ばかりという、雑誌は年に三回の発行になって既に三年になるが相変わらず作品数は少なく全龍南人の雑誌である筈であるが関心を持つ者は少なく作品にしても以前に比べて質は墜ちるし、なかなか優れた作品は出て来ないと嘆いている、そのため編集委員達自身により紙面を埋めている。ここからは後の小説の大家梅崎春生が編集委員になっている。
十二境の第二
かざしのその 好文園 図書館から銃器庫一帯と言うことであるが,これについては五高の歴史を紐解いても「かざしのその」とか言う言葉のものは出てこないし、高森先生の五十年史においてもこの言葉は出てこない。しかし明治三十一年の黒本先生の紹介には千世の林を過ぎて奥に入れば,一棟の文庫ありて、学寮と相向うその間に、この園はあるなり、〈中略〉ようよう花の数そう頃にもなれば、春霞たつたの山の谷出でて、梅の花の笠にぬうてう鶯の、まずこの園に音づれて、しばし翔を休へ。さてのちうちわたす、たけべの里,朝霧のこばたの杜などに遷りゆくもあり。哀れ、鶯は好文木の色を、かざして、古巣に帰る。これ等を見るにも心あるもの、感なきにしもあらじかし、これも亦.学の友の数にこそ、花をかざしのそのの鶯。
百年一昔というように図書館はともかくとして銃器庫という名前は戦後の六十年前の図面においては抹消されている、50年史が刊行された昭和12年頃にはまだまだ構内に樹木が多かったと言うことがわかる。
五高時代の図書館、書庫、武器庫は武夫原との境界、構内の一番西側に武夫原に沿って建てられていた。
昭和九年度(二百二十七号ー二百二十九号)
委員―松本文雄、北野裕一郎、梅崎春生、柴田四郎、島田家弘、
編集委員は予算が少なく作品を出す顔触れは同じ者ばかりという、雑誌は年に三回の発行になって既に三年になるが相変わらず作品数は少なく全龍南人の雑誌である筈であるが関心を持つ者は少なく作品にしても以前に比べて質は墜ちるし、なかなか優れた作品は出て来ないと嘆いている、そのため編集委員達自身により紙面を埋めている。ここからは後の小説の大家梅崎春生が編集委員になっている。
十二境の第二
かざしのその 好文園 図書館から銃器庫一帯と言うことであるが,これについては五高の歴史を紐解いても「かざしのその」とか言う言葉のものは出てこないし、高森先生の五十年史においてもこの言葉は出てこない。しかし明治三十一年の黒本先生の紹介には千世の林を過ぎて奥に入れば,一棟の文庫ありて、学寮と相向うその間に、この園はあるなり、〈中略〉ようよう花の数そう頃にもなれば、春霞たつたの山の谷出でて、梅の花の笠にぬうてう鶯の、まずこの園に音づれて、しばし翔を休へ。さてのちうちわたす、たけべの里,朝霧のこばたの杜などに遷りゆくもあり。哀れ、鶯は好文木の色を、かざして、古巣に帰る。これ等を見るにも心あるもの、感なきにしもあらじかし、これも亦.学の友の数にこそ、花をかざしのそのの鶯。
百年一昔というように図書館はともかくとして銃器庫という名前は戦後の六十年前の図面においては抹消されている、50年史が刊行された昭和12年頃にはまだまだ構内に樹木が多かったと言うことがわかる。
五高時代の図書館、書庫、武器庫は武夫原との境界、構内の一番西側に武夫原に沿って建てられていた。