続龍南雑誌小史
昭和八年度(二百二十四号ー二百二十六号)
委員―中島五太、中村信一、松井武州、海域済、柴田仁、
第二百二十四号では経費の関係で創作、詩、歌、句、の数編を割愛したこと。学生間で龍南に対し不平を言うものが多く腹を立てないで龍南を育ててくれと編集者は叫んでいる。「その後の異人屋敷」の柴田仁、短歌の岩中芳国、中島伍大は龍南誌上で頑張っている。この時期では梅崎春生の詩が見られ、二百二十七号には歴史主義から溌剌たる若さに乗り換える試みがなされている龍南は全龍南人のものであるということが強調されエッセイに後の美術評論家河北倫明の「キリコに関する一考察」は目を引く。
十二境の第一は千世の林であるが、これが現在の本館の東西の松林と言うことであるが一世紀の間においては枯れたり伐採されたりで林は全く存在しない。
五高卒業生の皆さんが現在の大学を訪問した折に武夫原の代わり方に昔は松林があってと言うのでその樹木の減り方を国有財産報告書から眺めてみた。
以下は五高構内に於ける樹木特に松の枯死状況を五高の晩年から眺めてみた
報告年度 期 間 本 数
昭和17年度 S16,4,1~S17,3,31 13
昭和18年度 S17,4,1~S18,3,31 67
昭和19年度 S18,4,1~,S19,3,31 S19,3,31 21
昭和20年度 S19,4,1~,S19,3,31 S20,3,31 18
昭和21年度 S20,4,1~ S21,3,31 79
計 198
国有財産増減報告書による。
※参考S18/3/24
軍需造船供木運動に関する件
※参考S21/10/14
松害虫駆除について通知
熊本大学成立以降はグラウンドの拡張整備が中心で樹木の補植はあっても桜が中心で松林等は昔を偲ぶよすがとなっている。
昭和八年度(二百二十四号ー二百二十六号)
委員―中島五太、中村信一、松井武州、海域済、柴田仁、
第二百二十四号では経費の関係で創作、詩、歌、句、の数編を割愛したこと。学生間で龍南に対し不平を言うものが多く腹を立てないで龍南を育ててくれと編集者は叫んでいる。「その後の異人屋敷」の柴田仁、短歌の岩中芳国、中島伍大は龍南誌上で頑張っている。この時期では梅崎春生の詩が見られ、二百二十七号には歴史主義から溌剌たる若さに乗り換える試みがなされている龍南は全龍南人のものであるということが強調されエッセイに後の美術評論家河北倫明の「キリコに関する一考察」は目を引く。
十二境の第一は千世の林であるが、これが現在の本館の東西の松林と言うことであるが一世紀の間においては枯れたり伐採されたりで林は全く存在しない。
五高卒業生の皆さんが現在の大学を訪問した折に武夫原の代わり方に昔は松林があってと言うのでその樹木の減り方を国有財産報告書から眺めてみた。
以下は五高構内に於ける樹木特に松の枯死状況を五高の晩年から眺めてみた
報告年度 期 間 本 数
昭和17年度 S16,4,1~S17,3,31 13
昭和18年度 S17,4,1~S18,3,31 67
昭和19年度 S18,4,1~,S19,3,31 S19,3,31 21
昭和20年度 S19,4,1~,S19,3,31 S20,3,31 18
昭和21年度 S20,4,1~ S21,3,31 79
計 198
国有財産増減報告書による。
※参考S18/3/24
軍需造船供木運動に関する件
※参考S21/10/14
松害虫駆除について通知
熊本大学成立以降はグラウンドの拡張整備が中心で樹木の補植はあっても桜が中心で松林等は昔を偲ぶよすがとなっている。