行政書士・社会保険労務士 大原事務所

人生も多分半ばを過ぎて始めた士業。ボチボチ、そのくせドタバタ毎日が過ぎていく。

すいかとおなか

2015-06-16 16:10:28 | 日記・エッセイ・コラム

 昨日、この夏初めてすいかを食べた。

 すいか・スイカ・西瓜。さてどのすいかが一番すいからしいか?私はひらがなのすいかが好きだ。まあ、どれだろうと味には関係ないが。

 男ばかりの三人兄弟。でも一番上の兄貴は随分と歳が離れていて、もの心ついたころにはもう独立して家を出ていた。二つ違いの兄と二人兄弟のように育った。

 今のように半分だの四分の一、あげくは八分の一なんて売り方はしていなかった。ラップなんてものもまだ無かったと思う。まるごと一個買ってくる。

 夏の暑い日。まだ冷蔵庫なんて無い。あっても電気ではなく、中に氷を入れて冷やす冷蔵庫。それも普通の家にはまだ無かった。お金持ちの家だけ。私の家には当然無かった。だから大きめの洗い桶のような容器に水をためて、その中で冷やした。時折水を入れかえたり、上から水道の水をチョロチョロと出しっぱなしにしておいたりするとそれなりに冷たくなった。夕方買ってきた西瓜は、そうやって夕食後まで冷やしておく。

 「ごはんはちゃんと食べるんよ」

 私と兄はまだ小学校低学年の頃かと思う。母になんと言われようと二人とも夕飯など殆ど食べない。夕飯でお腹をいっぱいにするとすいかが入らない。眼は流し台の桶の中でチョロチョロと出ている水道の水で行水しているすいかにくぎ付けだ。

 「ごはんもうええわ。母ちゃんすいか」と兄。

 「ぼくももうええ。すいか切って」と私。

 二人ともすいかが大好きだった。

 「父ちゃんにきいてみ」

 父はビールを飲んでいる。私と兄がせがむと、渋々ビールを途中で切り上げて、台所の土間の横の小上がりのような二畳ほどの板の間一面に新聞紙を敷いた。

 母は私と兄に裸になるように命令する。兄と私はパンツ一枚になって板の間に敷いた新聞紙の上に座る。

 その真ん中にまな板が置かれ、父が流しからすいかを持ってきた。すいかを切るのは父の役目。母が大きな包丁を父に渡す。私と兄の眼の前で、父はすいかの上に包丁の刃を置いた。少し、ほんの少し力を入れただけで、熟れきったすいかはパキッと音を立てて自分で割れた。割れた所に刃を差し込んで真っ二つにする。更にそれを二つ。向きを変えて刃を入れて扇形に切って、まな板の上に並べた。

 「食べてええよ」

 私と兄はすいかに飛び付いた。口いっぱいに頬張って押し込むようにかぶりつく。汁が口からこぼれて吹き出したタネと一緒に新聞紙の上に落ちる。途中で身体を伝い、白いパンツにも浸みこむ。そのパンツの下のお腹がみるみる膨らんで、今食べたすいかのようにまん丸になる。その頃には身体の前半分は前髪のあたりから脚まで殆ど果汁とタネにまみれている。だから母は私たちを裸にした。

 「どうやって食べたら髪の毛まで汚れるんかいねえ」と母が呆れて微笑んでいる。

 お腹いっぱいになって殆ど口からあふれそうになっている私たちを見ながら、父と母は残ったすいかに手をつける。塩をふったりする。

 暫くして、私と兄のパンツを脱がせて、土間に置いたたらいにぬるま湯をはり、私たちを入れて行水させた。

 ラップも無く、冷蔵庫も無かったあの時代、残ったすいかをどうしたのか覚えていない。それとも残さなかったのか。



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