暫く前、いちじくが近くのディスカウントストアに出ていた。
私は四国の田舎町で生まれて、高校卒業までそこで育った。
上京して、スーパーでいちじくが売られているのを見て、違和感があった。あれは売る物かと思った。田舎の本家の庭には大きないちじくと枇杷と桜の木があった。いちじくと枇杷は私の家の隣の家にも植えてあった。手入れもなにもしていなかった。本家の庭にあった物は勿論、隣家の物も取って食べても「お腹こわすよ」とは言われても、取ったことをとがめられることはなかった。
枇杷は別にして、自然にまかせて、手入れもしない木になっているいちじくは如何にも見た目が悪い。食べると病気になる風情である。
いちじくの場合、売っている物も見た目は良くない。さすがに表面に傷がついて少し悪くなっているような物は売っていないが、見た目が良くないのは昔田舎で自然になっていたものとほぼ同じ。とてもお金を出して買う気はしなかった。
ところがたまに、どうしても食べたくなって買ってしまうことがあった。そうするといつの頃からか、毎年季節になると一度は買ってくるようになった。田舎にいた頃味わったのと同じ甘いブツブツした感触が懐かしい。いちじくは漢字で書くと「無花果」と書くが、花が無いのではなくて、あの実がすなわち花。ブツブツしたものの一つ一つがすべて花だという。熟れ具合にもよるが、皮を剥いていると実が崩れる。茎の方からざっと洗って、根元だけ残して皮ごと食べてしまう。美味い。
熟柿と同じで、家人は見た目が駄目、気味悪いと言って食べない。
「将来、お前らが年とって死ぬ前に、一度でいいからいちじくを食べたいと言って俺に頼んでも絶対に買って来てやらない」
と言ってやった。
私は四国の田舎町で生まれて、高校卒業までそこで育った。
上京して、スーパーでいちじくが売られているのを見て、違和感があった。あれは売る物かと思った。田舎の本家の庭には大きないちじくと枇杷と桜の木があった。いちじくと枇杷は私の家の隣の家にも植えてあった。手入れもなにもしていなかった。本家の庭にあった物は勿論、隣家の物も取って食べても「お腹こわすよ」とは言われても、取ったことをとがめられることはなかった。
枇杷は別にして、自然にまかせて、手入れもしない木になっているいちじくは如何にも見た目が悪い。食べると病気になる風情である。
いちじくの場合、売っている物も見た目は良くない。さすがに表面に傷がついて少し悪くなっているような物は売っていないが、見た目が良くないのは昔田舎で自然になっていたものとほぼ同じ。とてもお金を出して買う気はしなかった。
ところがたまに、どうしても食べたくなって買ってしまうことがあった。そうするといつの頃からか、毎年季節になると一度は買ってくるようになった。田舎にいた頃味わったのと同じ甘いブツブツした感触が懐かしい。いちじくは漢字で書くと「無花果」と書くが、花が無いのではなくて、あの実がすなわち花。ブツブツしたものの一つ一つがすべて花だという。熟れ具合にもよるが、皮を剥いていると実が崩れる。茎の方からざっと洗って、根元だけ残して皮ごと食べてしまう。美味い。
熟柿と同じで、家人は見た目が駄目、気味悪いと言って食べない。
「将来、お前らが年とって死ぬ前に、一度でいいからいちじくを食べたいと言って俺に頼んでも絶対に買って来てやらない」
と言ってやった。