行政書士・社会保険労務士 大原事務所

人生も多分半ばを過ぎて始めた士業。ボチボチ、そのくせドタバタ毎日が過ぎていく。

冬眠のクマになりたい今日の雨

2016-01-18 14:02:00 | 日記・エッセイ・コラム

  朝、起きて耳を澄ます。パラパラと雨の音がする。雪では無いようだ。カーテンを開けたら中途半端な雪景色。

雪は積もっているが、雨が降っており、かなり溶けている。

 寝たのは日が変わった一時頃。やはりパラパラと雨音がしていた。降り積もったのはその後明け方にかけてか?

 一面真っ白ではないなら、いっそのこと積もるなよ!もっと雨が降って溶かしていくれればいいのに、白いところとそうでないところが混在するのは興醒めだ、などと勝手なことを考えている。

 雨ならそんなに寒くないか?と窓を開けると、雪の上を這ってくる風は結構冷たい。冬眠の熊になりたい心境だが、そうもいかない。でもそこは自由業の強み、どうしても今日という約束はない。今日の外出は止して、家で仕事。


妙な花粉症

2016-01-12 14:38:35 | 日記・エッセイ・コラム

 20年近く前の4月ごろ、ある日突然水のような鼻水が出て止まらなくなった。始終鼻をかんでいないとツツツーッと垂れてくる。ティッシュが手放せない。仕方なく病院に行った。

熱も、咳もないので風邪ではないと思ったが、

「薬出しておきますので、二週間たったらまた来てください」

「風邪ですか?花粉症ですか?」

「検査しないとなんのアレルギーか分かりませんが、症状だけだと立派な花粉症です」

「治りますか?」

「花粉症なら治りません。対症療法しかないですが、良い薬も出てきましたから症状を和らげることはできます。」

 そう言われて、薬を飲んだら症状は和らぐどころか二三日で全く無くなった。念の為一週間は薬を飲んだが、その後は飲まなかった。

 でも、治った。以来長い間全く症状は出なかった。あれは花粉症ではなかったのだろうと思った。周りには何人も花粉症がいたが、誰一人として治った人はいなかった。花粉症だったらなおる訳がないと思うのだが。

 ところが四、五年前の一月中頃、くしゃみと鼻水に加え目のかゆみが出てきた。一番ひどいのはくしゃみ。仕事中だろうが電話中だろうが我慢できなくなってハクション。でも建物の中に暫くいると症状は治まる。どうやら晴れの日、外に出るとひどくなるようだ。そこで外出の時マスクをすると、殆ど治まった。立派な花粉症だと思ったが、季節が違う。今は冬だ。では杉ではない花粉症か?そんな事を考えているうちに二月になったらピタッと症状はなくなった。

はたして今度は花粉症なのか?続きはまた。

 


また薬を飲むのを忘れた

2016-01-07 11:44:44 | 日記・エッセイ・コラム

 昨日、夕飯の時になって、一日薬を飲んでいなかったことに気が付いた。昼の薬を飲まない事は時々ある。いけないとは分かっていても外出先で飲む機会を逸する事はある。でも丸一日飲むのを忘れたというのは二、三回だと思う。もう5年近く飲んでいて、たったの二、三回というのは優秀ではないか?

 それにしても薬というのは分からない。先日も副作用があって医者と相談して一種類減らしたが何でもなかった。でも何も言わなければ一生飲まなくてはならないと言われた薬だ。してみると、もっと飲まなくてもいい薬もあるのではないか?

 三年程前に友人の出版社で出した本に「三種類以上薬を出す医者は信用するな」というような題名の本があった。

 私は今一日7種類の薬を飲んでいる。もっとも持病も一つではないのだか。


今日の反省 字はきれいに書こう

2016-01-06 12:16:46 | 日記・エッセイ・コラム

 開き直るわけでもないが私は悪筆だ。

 人生でたった一度だけ試験で百点をとったことがある。中学一年か二年の時の国語のテスト。そんな事は初めてだったので、何時も息子の出来の悪さに頭を抱え、宿題をやらせながら何度も尻と頭を掌で叩き、掌が痛くなったら定規に持ち替え、日夜仏壇と神棚に手を合わせ、それでも息子の成績は一向に良くならず、殆ど絶望しながら、苦渋に満ちた顔で息子の将来生きて行く道を懸命に模索している母を、たまには微笑みとともに安心させてやろうと飛ぶ様にして家に帰り、

 「母ちゃん、母ちゃん、ほれ」

 と鞄から百点の答案用紙を出して見せた。

 ところが母は、少し老眼の進んだ眼を細め(喜びの形容ではない。老眼で見辛いのでそういう感じになる)眉間にしわを寄せて、暫くじっと答案用紙を見つめていたが

 「本当に、まあ!先生はこんなミミズののたくったような汚い字がよう読めるねえ。ご苦労様じゃ。母ちゃんでも読めん」

 と溜息を吐いた。

 結局この人生最初で最後の百点満点事件は、殆どほめてはもらえず、字の汚さを叱られて終わった。そのくらいの悪筆だ。

 何故、こんなことを思い出したかというと、この所、何度か調べたいことがあって10年近く以前の手帳を見たからだ。30歳を過ぎたころから、仕事の都合もあって手帳を使うようになった。それから手帳を日記代わりに、仕事メモのついでに色々な事を書いてきた。でも今そのメモや日記が読めない。全部ではないが細かくは判読できない物が多い。書いた時は充分読めなくても、それで用が足りたのだと思う。半分以上そのメモの内容が記憶に残っていて、メモは思い出すためのほんのヒントになればよかったのだろう。記憶の助けを借りてメモが読めていたのかもしれない。

 ところが、暫く前の細かい記憶すら殆ど残らなくなった今、10年以上前のメモなど役にたたない。自分の書いたメモなのに理解不能。何度も見かえし、メガネを替え、拡大鏡などを使っても読めない。読めないメモなど意味がない。

 結局、用は足せなかった。

 そこで、もう遅い感はあるが、よわい60歳を過ぎて今日の反省。

 字は読めるように書こう。


お尻の話

2016-01-05 14:22:14 | 日記・エッセイ・コラム

 最初に断っておくが、猥褻な話ではない 

 先日夜居間に入ったら、風呂上りの息子が裸で汗を拭いていた。久しぶりに息子のケツを生で見た。当たり前だがまるで可愛くない。どちらかというと気持ち悪い。

 「てめえ!パンツ位穿け!きたねえケツ見せんじゃねえ!」

 20年程前、まだ幼い息子の尻は綺麗だった。食ってやろうかと思うくらい愛らしかった。

 子供はみんなそうだろうが、なにかに自分にとって大事なことに一生懸命になると他の事を全て後回しにする。息子もそうで、スーパーで何か一つ御菓子買ってあげるよというと、御菓子選びに夢中になってトイレに行くのさえ後回し。御菓子の棚の前で足をクロスさせて必死で便意だか尿意だかを我慢しながら、御菓子選びを続ける。

 「なにやってるの!早くトイレに行きなさい。御菓子はあと」

 と言ってもきかない。尿意は無くならないから漏らしそうになってやっと行くが、便意はそのうち治まってしまう。でも何度もそんな事をしているうちに便秘になった。そうなるとますます出なくなって、最後には涙を流しながらトイレで踏ん張る事になる。

 そして痔になってしまった。女房が医者に連れて行った。

 「軽い切れ痔ですね。薬を出しますから、風呂上りに肛門に少し指の腹をおしこむ感じで軽く塗って下さい。子供はすぐ治りますよ」

 夜、風呂上りの息子に薬を塗る。でもこれがなかなか塗らせない。痛いと思うのか逃げ回って駄目だ。仕方なく私がギュッと抱いて、お尻をひん剥いて女房の前に突きだす。下半身はがっちり固定した。息子は私の腕の中で手と頭をバタバタさせて暴れる。

 「痛くないの。お薬塗るだけ。じっとしてなさい」

 女房が指先で薬を塗った。肛門のまわりも軽く塗り伸ばしていく。

 「ほら、もう終わったよ。いたくないでしょ」

 息子はおとなしくなった。

 「痛くなかったろ、明日もやるから騒ぐなよ」

 「うん、分かった」

 

 さて、次の日、風呂から上がった息子は母親の前で四つん這いになると自分からお尻を突き出した。

 「お母さん、お薬塗って」

 女房はきのうと同じように指先で薬をすり込んだ。

 あっというまに終わって

 「はい、おしまい」

 ところが息子は姿勢をかえない。お尻は突きだしたまま。

 「もういいよ。パンツ穿きなさい」

 と女房。

 それに答えて息子は

 「もっと」

 薬は塗ると少しスーッとして気持ちよかったらしい。

女房の前に突きだされたあのお尻は本当にきれいで可愛かった。モモのようなという形容があるが、みずみずしくて、プリンっとしていて、どんなモモより綺麗だ。本当に食べられそうな程。