先日15年振りに入れ歯を作った話は書いた。ところで入れ歯というのは聞こえが悪いので差し歯といったら間違いなのかネットで調べたが、どうやら入れる歯の位置によって呼び方が違って、奥歯は入れ歯と言うらしい。だとしたら見栄を張る歳でもないので、此処は素直に潔く入れ歯と呼ぼう。
段々慣れて来て、最初は硬いものを噛むと義歯の下の歯茎が痛くて強く噛めなかった。なにせ歯茎のその部分には15年以上も殆ど刺激が加わって無かったのだから仕方ない。でも最近は大丈夫。かなり強く噛んでも痛くない。次にくっついて取れるかどうか、試に飴や餅を食ってみたが殆ど不自由は無い。さすがにガムは無理だろうから試していないが、これは別にかまわない。ガムを噛みたくなったらその時だけ入れ歯を外す。
15年前、「駄目だよ貴方みたいな人は、何をやっても無駄」と言った入れ歯の名医はとんだ迷医だった訳だ。
という訳で食事が美味い。
朝、歯を磨いた後に入れ歯を入れて朝食。夕食後外して入れ歯入れ、というかどうか知らないが、歯科医でくれた小さなケースに入れておく。これを毎日繰り返している。
ところが先日の朝、そのケースの中に入れ歯がない。
「あれ?ない」
全く記憶がない。昨夜いつもと同じように歯を磨いて、ケースに入れた筈、と言っても、もう毎日のことだから殆ど意識はしていない。だから記憶も怪しい。えーい!呆けたか?財布、携帯、今度は入れ歯。次から次と物忘れがひどい。
でも、呆けのせいだけでもないような気もしないわけではない。
子供の頃も、朝、学校の支度、音楽の笛だったり、工作の道具だったり、しょっちゅう何か無いと大騒ぎした。
「だから、何時も決めた所に置いとかんといかん言いよるやろ」
と母に叱られた。
「ちゃんと置いたけん」
「ちゃんと置いたら、そこにあるやろ!置いとらんけん無いんじゃろ」
正論は正しいから嫌いである。
さて話は入れ歯に戻る。
母の正論通りだと、前夜入れ歯ケースに仕舞ったのならそこにあるはず。そこに無いのはそこに仕舞わなかったからだ。
洗面台のまわりを探したが無い。仕方ないので先に歯を磨く。
台所へ戻って朝食の用意。トースターにパンを入れて、コーヒーカップを取った。カランっと音がした。あった。コーヒーカップの底に。
洗面所は寒かったので昨日は台所で歯を磨いた。その時外して磨いてついカップの中へ。後で洗面所の入れ歯ケースへ入れようと思って、TVを見ていて忘れた。
今日の教訓二つ。
一、 使う物はいつも決まった場所に置くこと
一、 親の意見と茄子の花は千に一つも無駄はない
以上