行政書士・社会保険労務士 大原事務所

人生も多分半ばを過ぎて始めた士業。ボチボチ、そのくせドタバタ毎日が過ぎていく。

枝豆

2014-10-30 14:14:02 | 日記・エッセイ・コラム
枝豆を貰った。沢山あった。塩ゆでをと思ったが、たまには違う食べ方をしたいと思ってネットをみた。
今は便利だ、たいていのレシピはネットで検索できる。タダで見ることが出来る。昔出版社に勤めていた私がいうのはなんだが、お金を払って料理本を買う人はもう殆どいないのではないかと思ってしまう。
 情報が無料になってしまう世界が良いのか悪いのか、良く分からないような気もするが・・・・・・。
 兎も角便利だ。
 枝豆で検索してみると塩ゆで以外で多いのが煮豆と豆ごはん。沢山有るので両方挑戦してみることにした。ちなみに私は料理が嫌いではない。野菜を切るの等女房より上手い。新婚の頃、玉葱をみじん切りにする女房の手つきが危なっかしいので
 「へたくそ、やってやるよ」
 と言って女房よりずっと早くみじん切りにしたら、暫く口を利いて貰えなかった。学生時代のバイトと長い自炊独身生活の成果なのだが女房をいたく傷つけてしまったようだ。
 さて、煮豆の話。鞘を剥いてから甘辛く煮ると説明してあるが、実際にやってみると生の状態で鞘を剥くのは厄介だ。上手く剥けない。力も必要。とても無理だという感じ。無料レシピにこれはめずらしくない。説明が省略してあるのか、他の何かが違うのか、書いてある通りにすると上手くできないというのは良くある。タダに文句は言えない。
前に落花生を煮た時と同じ要領でと思い、鞘ごと熱湯で1、2分煮てからやってみたら楽に剥けた。でも、これからが大変。鞘から出した枝豆には黒い薄皮が付いている。煮豆にするにも、豆ごはんにするにもこれが付いていると見栄えが悪い。少し食べてみたが、滓が口に残って不快だ。そこで仕方なく鞘をとるのと一緒にこの薄皮も剥くことにしたのだが、これが時間がかかる。中くらいのザルに1杯、全部剥くのにたっぷり1時間かかってしまった。途中やらなきゃ良かったと思ったが最後まで剥き切った。
 準備を終えた枝豆は大き目の丼に1杯程もあった。ピカピカと緑に光ってきれいである。1時間あまりの労働の成果。
半分を煮豆に、残りの半分の半分(4分の1)を豆ごはんにした。残ったのは冷凍。
これはみんな簡単。
 煮豆は砂糖と醤油を入れて15分ほど煮ればいい。醤油は小さじ1杯とあったが、味をみながら大目に入れた。
 豆ごはんは豆を5分ほど水に塩だけで煮てザルにあげる。それをあったかご飯に混ぜるだけ。それだけだと愛想がないので、煮る時の塩を少なくしてご飯に混ぜる時ごま塩を一緒に混ぜた。
 両方とも美味かった。煮豆は沢山出来たので知人におすそ分け。


ジェットストリーム

2014-10-27 23:21:25 | 日記・エッセイ・コラム
 仕事をする時、全く静かなのも嫌なので音楽を流している。ラジオは仕事に集中出来ない。CDはそれほど数を持っていないので飽きてしまう。放っておいても何時間か色々な音楽が流れているように出来ないかなと考えていたら、良いのがあった。ユーチューブだ。著作権の事は良く分からないが、私が若い頃聞いた音楽が好きなだけ流れてくる。誰の選曲なのかミックスとかを探して流しておくと、長時間邪魔にもならず快い。仕事をしているパソコンで操作できるのも便利だ。
 何か良い音楽はないのかと探している時に古いジェットストリーム(FMラジオ番組)を見つけた。番組はFM東京(今はTOKYO FM というらしい)でいまも放送されている。著作権の関係だろう、古い物ばかりだがそれが私には丁度いい。懐かしい。
 でもこの番組、実を言うと昔はあまり好きではなかった。1970年代、東京に出て来て、汚い下宿で眠れない夜にラジオを点けると、低いキザな声のパーソナリティがパイロットになりきって芝居をしながらイージーリスニングを流す音楽番組という印象。その作られた世界は当時の私の生活とは全く無縁だった。飛行機に乗って世界を旅するなど想像もできなかった。だから殆ど聞かなかった。
 聞くようになったのは、就職してずいぶん経って、何とか少し生活に余裕もできてからである。AM局の深夜放送にはなじめない年齢になっていた。NHKのラジオ深夜便に親しむにはまだ若かった。何か寝ながら聞ける番組はと思って探していたらジェットストリームが聞こえてきた。相変わらずの内容、相変わらずの城達也と言う人の声。落ち着いた低く静かな声に騒がしくない音楽、寝ながら聞くつもりが、ビールを飲みながら、なにか読みながら最後まで聞くことが多かった。
 ただ、それも一時期。仕事も遊びも忙しくなり、そのうち結婚、子供が出来るという生活の変化の中、極たまにラジオを付けてまだやってるんだということに感心して、タイマーをかけて、最後まで聞けないで眠りに落ちた。
 1995年の春、この年は年頭に阪神大震災があり、一年を通して酷い殺人事件や宗教絡みの事件が相次ぐ嫌な年だったが、そんな大きな事件の中で、城達也という人が亡くなった事を何かで読んだ。何となく寂しい思いがした。
 それからは全く忘れていた。そして最近ユーチューブで見つけた訳だ。懐かしかった。私が学生のころの放送もある。あのわざとらしい設定も、当時の自分の生活とは全く違った世界も、ただ懐かしい。
 今、仕事中は音楽に迷うとジェットストリームを流している。ただし、一つ欠点がある。時々流れる城達也という人の声に仕事を中断して聞き入ってしまうことがある事だ。仕事が中断されて厄介である。昔キザだと思った声は低く魅力的にしか聞こえない。
 この人は1994年の年末の番組を最後にジェットストリームのパーソナリティを降りた。その時食道癌で、すでに余命の宣告を受けていた。病気のせいで思うように声が出なくなっていたことなどを最近知った。そして翌年2月下旬天国へ逝った。63歳だった。最後の放送もユーチューブにアップされているが、最後の最後まで最終回であることに全く触れていない。最後に落ち着いた声でそれまでの放送では一度も言わなかったという「さようなら」という言葉を使っている。病気の話も全く触れない。いつもと違うのは新しい番組の案内とその「さようなら」だけで、あとは最後まで、全くいつもと同じような仕事。声を聞く限り全くなんの力みも動揺もない。
 たいしたことないのだが私は心臓に持病がある。暫く前、外来の検査で心臓の血管に新たに狭い所が見つかったと言われた。
 「入院して検査はしてみますが、今度は細い血管が狭くなっているので新たな治療はできません。前に太い血管が細くなった時は金属の網(ステントという)を入れて太くしましたが、細い血管の場合はそういう治療が出来ないんです。バルーンを入れても無駄。すぐまた詰まります。医学の限界です」
 「治療出来ないとどうなるんでしょうか」
 「まあ、今でも生活に気を付けて、薬を飲んで、尚、今の状態になった訳ですから、かなり高い確率で近い将来詰まるでしょうねえ」
 「詰まるとどうなりますか」
 「死にます。詰まった血管の先の心臓の筋肉は死にますから」
 私は60歳。動揺した。心臓の一部が壊死しただけで死んでしまうのか?と聞くのも忘れるくらい呆然としていた。その医者は確かに死ぬと言った。ただ、動揺してまさかと思ってるうちに入院して検査。結果、外来での検査結果は間違いだと言われた。新たに狭くなっている血管は無かった。前に金属の網を入れたところも異常はないという。病状は進行していない。だから、動揺はしても、みっとなく周章狼狽ということは無かった。でも、これで余命をはっきり宣告されたら、しかもそれが二、三か月だとしたら、私はいつもの通り仕事が出来たろうか。みっともなく慌てふためき仕事にならなかったと思う。
 やはり、充実した人生を過ごした人は、死に際も潔いのかもしれない。私は今さら無理な気がするが。

駆け込み乗車はお止め下さい

2014-10-26 01:22:57 | 日記・エッセイ・コラム
 この所、近場はバイクか車で行くので、電車に乗ることが少なくなった。
 昨日、久しぶりに電車に乗った。
 自宅の近く、東京の東の端から渋谷まで行く。2時に渋谷で用があったのだが、少し家を出るのが遅れた。改札を抜けてホームに上がるエスカレーターに乗った時、電車が入って来るのが分かった。走った。エスカレーターが長い。ホームが見えた時、まだ発車の気配はなかった。電車の扉は開いている。充分間に合うと思って走るのを止めた。ところがその途端、ピーッと発車の笛がなった。プシューッとドアの閉まる空気音がする。私はあわてて飛び乗ろうとして一瞬ためらった。次の電車でもいいか、と思った。考え直した。時刻は1時過ぎ、余裕はない。この時間は電車の本数が少ない。一本逃すと暫く待つだろう。乗ってしまおう。ところがその一瞬のためらいの為、僅かに電車に飛び込むのが遅れた。ヤバイ、閉まる、と思ってカバンを投げ込むようにして電車に飛び込んだ。もう一度プシューッと音がしてドアが閉まった。肩から上と脚は入ったが腰が扉に挟まれた。身体は半分以上入っている。今さら乗るのをやめる訳には行かない。少し力を入れれば入るだろうと思って肩を張った。ところがこれが入らない。扉の閉まる力は存外に強く身体を締め付ける。私は少し焦って、思いっきり力を込めて体当たりのようにして両方の扉を押す。加えて腰をねじって腕で扉をこじ開けるようにして身体を車内にすべりこませた。
 電車は空いていた。降りる時便利なように少し前方の車両に開いた座席を見つけて座った。仕事の資料を出して、携帯音楽プレーヤーのイヤホンを耳にいれて、その間三、四分。 さっきから車内放送がしつこく同じことを繰り返している。
 「駆け込み乗車はお止め下さい」
一度や二度ではない、手を変え品を変え様々な言葉を付けて駆け込み乗車の注意を繰り返す。曰く、危ないですから、電車が遅れますから、電車が遅れると他のお客様に迷惑ですから、これを録音した女性の声と、車掌さんの肉声で反復する。
 しつこいなあ、と思って気が付いた。
 「そうか、これって多分俺に注意してるんだ」
 確かに駆け込み乗車はいけない。でも、たった一人の客に向かって何度も何度も同じ車内放送を繰り返すと言うのはどうか?変な気もする。気味わるい。
 電車に駆け込もうとして間に合わず扉に挟まれる。以前はこんな時、ドアをもう一度開けてくれる車掌さんが珍しくなかったような気がする。或いは、乗ろうとした電車の扉が閉まってしまう。チックショーなどと小声で言って、中の客に対して乗る気等無かったと言う風に照れ隠しをする。こういう時、昔はもう一度扉をあけてくれなかったろうか?もう一度扉を開けてくれるのだが、そんな事を期待しないで一度乗らない体勢になった身体は、もう一度乗る体勢にかわるのに時間がかかってしまって、乗ろうとするとまた扉は閉まって二重に罰の悪い思いをする。消え入りたいほどに恥ずかしい。電車内の客の何人かはそれに気づいて笑いをこらえている。
 なんか、もう少しそんな余裕があっても良いような気がするのだが。駆け込み乗車はお止め下さい、それは正論。異論はない。でも正論だけの世の中はつまらない。

ゴキブリとかぶとムシ

2014-10-21 23:26:07 | 日記・エッセイ・コラム
 今の家って建て売りで10年前くらいに買ったのですが、引っ越して来て暫くは全くゴキブリが出ませんでした。
 ところが三年目の夏、夜、風呂から出て、パンツ姿で風呂の前の玄関横の廊下に出たところ、2メートル位離れた白い壁、丁度目の高さの位置に黒い楕円形の虫のようなものが見えるではありませんか。
 「チェッ、とうとう出やがったかこのゴキブリ野郎!」
 とっさに私は、殺虫剤を持って来て、そのゴキブリと思しきものにシュッと吹きかけました。
 ところが、それはピクリともしないのです。普通ゴキブリに殺虫剤を噴射すると、泡食って逃げるではないですか?でもそれは全く動かない。
 私は眼が悪く、玄関は暗かった。玄関の電気を点けて、居間から老眼鏡を持って来て、そのゴキブリと思しきもをじっくり観察しました。
 するとそれは当時小3の息子が大事に育てていた小さな「かぶとムシ」だったのです。比較的温度が一定している玄関で育てるのが良い、と図鑑に書いてあったと言って玄関脇の棚で飼っていたのが、飼育器の蓋の隙間から這い出て壁面を這っていたようです。
 ゲッ!やばい、と思って「かぶとムシ」を手にとると、それは苦しそうに腕だか、脚だかを動かしながらもがいています。
 パニックになっている頭の中で、そうだ洗おう、と思いました。身体に付いた殺虫剤を洗い落としてやれば良い。風呂場のよこの洗面所で、「かぶとムシ」を蛇口の下にもってって水を浴びせました。どうせやるなら思いっきりと思ってジャージャーかけます。そうだ、殺虫剤は油っぽいから洗剤を付けた方が良く落ちるとも考えましたが、待てよ、殺虫剤のない時は台所用洗剤でもゴキブリは死ぬ、ということをどこかで読んだのを思い出して止めました。ゴキブリが死ぬものが「かぶとムシ」に良い訳ない。
 水浴びした「かぶとムシ」は一瞬激しくもがいて元気になったようでしたが、それはほんの束の間で、あとは余計弱った様子で一段と弱々しくもがくようになってしまいました。しかも時々もう駄目だというように全くうごかなくなるのです。私はそれを静かに飼育器のなかのエサの近くに置いてやりました。気休めですが、少しでも餌を食べてくれると元気になるかなと思ったのです。
 そうしておいて、二階の息子の部屋へ入って図鑑をひらきました。何かいい方法はないか調べてみようと考えました。勿論、「かぶとムシ」に殺虫剤をかけた時の対策等載っていません。それどころか、絶望的な文章が目に飛び込んできました。
 「湿気は禁物です。時々木くずを取り換えて飼育器はなるべく乾燥させておきましょう」
 と書いてあるではありませんか。私は湿気は禁物という「かぶとムシ」に水浴びさせてしまったのです。
 私は何食わぬ顔で、息子がTVを見ている居間に入って行きました。息子は私の様子の少し違うのに気が付いて
 「どうかしたの」
 と訊いてきました。
「いや別に・・・・・」
 私の声は少し緊張していました。
 トイレに行くふりをして、もう一度玄関にとって返し、飼育器を覗いてみました。「かぶとムシ」は生きている気配がありません。指先でつついてみました。一回、二回。三回目にやっと少しだけ力なくもがき、結局再び動くことはありませんでした。
 カブト虫さんごめんなさい。
 息子よ父を許せ
 いまだ、この話は息子にしていません。

おせっかいなカーナビ

2014-10-20 22:28:48 | 日記・エッセイ・コラム
 暫く前に車を買い替えた。前の車にはカーナビを付けなかったので、長い間カーナビの付いていない車に乗っていた。今度買い替えた車には付いている。
 久し振りにカーナビを使って驚いた。進化している。でも、その情報量が多すぎる。微入り細にわたる地図情報。しつこいと思うが、これはまだ良い。そのためのカーナビなのだから。おせっかいなのは起動するたびに、何の脈絡もなく流れる必要ない情報だ。これが五月蝿い程だ。
 まず、今日は何の日という奴。
 こいつがすごい。とりあえず起動するたびに「今日は何とか記念日です」と頼みもしないのにあまり必要とも思えない情報を教えてくれる。祝祭日ならわかるが、語呂合わせも含めてそれはホントかなという程毎日何かの日であるようだ。
 八月二日など「パンツの日」だと教示された。パンツにではなく、誰がどういう風に決めてるのだろうという方に興味があったのでネットを手繰ってみた。どこか関西の下着メーカーで勝手に決めたらしい。なんでも女性が好きな男にパンツを贈る日だそうな。
 まあ、私に四の五のいう権利や義務がある訳でなし、勝手にしてくれればいいのだが、こう毎日何かの日だとそれを記念日にしても、誰も覚えて何かしようという気にはならないだろう。パンツの日だからってパンツを贈る女など聞いた事がないもの。
 話はカーナビに戻ってもう少し。「今日は何の日」の次にカーナビ君はたまに不定期でガソリン節約のための注意をのたまう。
 曰く、「急発進はやめましょう」「エアコンを切ると燃費が良くなります」「空ぶかしは燃料の無駄です」等々、まあごもっともと言うことをおせっかいにも何度も何度も教えてくれる。同じことの繰り返しなのだが、半年以上乗っていて、先日初めてのフレーズで注意を受けた。
 「道に迷うと燃料を無駄に消費します」って・・・・・・・・。
 当たり前だろう!それにこれって、カーナビを付けてる奴にわざわざいうことかなあ。ホントおせっかい!まあ別に怒ってる訳でもないのだけど。