行政書士・社会保険労務士 大原事務所

人生も多分半ばを過ぎて始めた士業。ボチボチ、そのくせドタバタ毎日が過ぎていく。

挨拶しない大人たち

2015-06-25 17:32:29 | 日記・エッセイ・コラム

 少し入院した。すぐ退院経過良好で良い調子。その話はまた詳しく書くが、今日は患者同士の挨拶の話。

 子供の頃、街灯もまばらな夜道を母と歩いた。銭湯の帰り。たまにすれ違う人に母は必ず挨拶した。

 「今晩は」

 どちらが先という事はない、小さな声だがお互い自然に声をかけて会釈する。

 「母ちゃん、今の誰」と私。

 「知らん人じゃ」

 「知らんのにこんばんは言うん?」

 「知らん人でも挨拶はするんよ」と母は言った。

 でもそんなこと言ったら昼間、人ごみの中を歩くときは、忙しくて仕方ないだろうと思ったが、何となく納得した。

 サラリーマン時代は営業職。管理職だったので、一応評価はされていたと思うが、私的な付き合いのある知人は今も昔もみんな言う。

 「お前みたいな無愛想な奴が営業マンだったなんて信じられない」

 それは当然。仕事は食う為だけにやってる仕事でも、あわないと思ってる仕事でも、好きな仕事でなくても、懸命にやる。でないと面白くもなんともない。だから仕事上の顔はある。よくしゃべるし、愛想も良くなる。付き合いも良い。但し私生活は別。常識の範囲だが好きなように振る舞う。無口で無愛想な奴となる。

 でもそんな私の私生活でも、挨拶くらいはする。知らない相手でも空間を共にするような場所では会釈位はする。狭い道ですれ違う時には身体を横にして避ける。相手も避ける仕草をすれば、すれ違う時、しつれい、位のことは言う。それが当然だろうと思ってやってきた。

 ところが、この挨拶の習慣が無い人が多いかもしれないという事に暫く前、気が付いた。期間は短いが度々病院に入院するようになってからだ。

 病院の入院病棟という閉鎖された空間。その空間を共有している。勿論来たくて来ている人はいない。だから少なくとも嫌な思いはしないで入院生活をしたいと思う。

 だから、挨拶くらいはする。挨拶と言っても私もおはよう以外は会釈する程度だ。ところが、相手から先に挨拶されることが殆どない。看護師や病院のスタッフは別にして他の患者から先に挨拶されることは全くと言っていい程ない。二つの病院に何回か入院したが、いつも同じ。これはむこうに挨拶する気がないのか、それとも私が早く挨拶しすぎるのであって、待っていれば向こうが先に挨拶するのか、どちらなのか疑問に思っていた。

そこで、何時もの病院とは違うが、今度の入院に際して実験してみることにした。私から先に挨拶しないとどうなるのか。向こうから挨拶してくるのか?それとも挨拶はしてこないのか?

 結果、見事に挨拶はなかった。5泊6日の入院。途中まで本当に辛かった。顔をあわせても挨拶してはいけないのだ。おはようも言えない。会釈も駄目。これは結構苦しい。でもみんなは苦しくないのか全く相手からは挨拶してこない。他の患者同士も同じ。互いに挨拶しあっている様子はない。

 朝同室の人と顔をあわせても無視。眼があってもすぐ視線を外して無視。洗面所でも無視。当然廊下やデイルーム(面談室みたいなもの)でも無視。完璧な無視である。会釈もない。

 三日目の朝、耐えきれなくなって、洗面所で出あった人におはようございます、と言った。おはようございますが返って来た。挨拶されれば返すことはするらしい。みんなそうだった。それからは何時ものように朝はおはようの挨拶、その他の時は会釈をした。フーッとため息が出た。楽になった。


すいかとおなか

2015-06-16 16:10:28 | 日記・エッセイ・コラム

 昨日、この夏初めてすいかを食べた。

 すいか・スイカ・西瓜。さてどのすいかが一番すいからしいか?私はひらがなのすいかが好きだ。まあ、どれだろうと味には関係ないが。

 男ばかりの三人兄弟。でも一番上の兄貴は随分と歳が離れていて、もの心ついたころにはもう独立して家を出ていた。二つ違いの兄と二人兄弟のように育った。

 今のように半分だの四分の一、あげくは八分の一なんて売り方はしていなかった。ラップなんてものもまだ無かったと思う。まるごと一個買ってくる。

 夏の暑い日。まだ冷蔵庫なんて無い。あっても電気ではなく、中に氷を入れて冷やす冷蔵庫。それも普通の家にはまだ無かった。お金持ちの家だけ。私の家には当然無かった。だから大きめの洗い桶のような容器に水をためて、その中で冷やした。時折水を入れかえたり、上から水道の水をチョロチョロと出しっぱなしにしておいたりするとそれなりに冷たくなった。夕方買ってきた西瓜は、そうやって夕食後まで冷やしておく。

 「ごはんはちゃんと食べるんよ」

 私と兄はまだ小学校低学年の頃かと思う。母になんと言われようと二人とも夕飯など殆ど食べない。夕飯でお腹をいっぱいにするとすいかが入らない。眼は流し台の桶の中でチョロチョロと出ている水道の水で行水しているすいかにくぎ付けだ。

 「ごはんもうええわ。母ちゃんすいか」と兄。

 「ぼくももうええ。すいか切って」と私。

 二人ともすいかが大好きだった。

 「父ちゃんにきいてみ」

 父はビールを飲んでいる。私と兄がせがむと、渋々ビールを途中で切り上げて、台所の土間の横の小上がりのような二畳ほどの板の間一面に新聞紙を敷いた。

 母は私と兄に裸になるように命令する。兄と私はパンツ一枚になって板の間に敷いた新聞紙の上に座る。

 その真ん中にまな板が置かれ、父が流しからすいかを持ってきた。すいかを切るのは父の役目。母が大きな包丁を父に渡す。私と兄の眼の前で、父はすいかの上に包丁の刃を置いた。少し、ほんの少し力を入れただけで、熟れきったすいかはパキッと音を立てて自分で割れた。割れた所に刃を差し込んで真っ二つにする。更にそれを二つ。向きを変えて刃を入れて扇形に切って、まな板の上に並べた。

 「食べてええよ」

 私と兄はすいかに飛び付いた。口いっぱいに頬張って押し込むようにかぶりつく。汁が口からこぼれて吹き出したタネと一緒に新聞紙の上に落ちる。途中で身体を伝い、白いパンツにも浸みこむ。そのパンツの下のお腹がみるみる膨らんで、今食べたすいかのようにまん丸になる。その頃には身体の前半分は前髪のあたりから脚まで殆ど果汁とタネにまみれている。だから母は私たちを裸にした。

 「どうやって食べたら髪の毛まで汚れるんかいねえ」と母が呆れて微笑んでいる。

 お腹いっぱいになって殆ど口からあふれそうになっている私たちを見ながら、父と母は残ったすいかに手をつける。塩をふったりする。

 暫くして、私と兄のパンツを脱がせて、土間に置いたたらいにぬるま湯をはり、私たちを入れて行水させた。

 ラップも無く、冷蔵庫も無かったあの時代、残ったすいかをどうしたのか覚えていない。それとも残さなかったのか。


雨の日

2015-06-09 11:14:41 | 日記・エッセイ・コラム

雨の日

朝から雨。

久し振りの雨

取りあえず外出の予定はないので気楽。

 昔から雨は別に嫌いではないが、それは家の中に居ての話。通勤や通学は嫌だった。この時期、半袖で電車にのって、むさい男と素肌の腕が触れ合ったりすると、お互い様だろうが気持ちわるいことこの上ない。

 学生時代、アルバイトで新聞配達をしていた時の雨も嫌だった。雨と雪、それに冬の寒さのせいで根性無しの私はそれを一年で辞めた。後はいかがわしくない夜のバイトと奨学金で大学を卒業した。

 ベッドの中で目をさますと雨音がする。居間に下りて雨戸を開けて、狭い、本当に狭い庭をみる。手のひら程の花壇はみんな観葉植物で、春先、ほんの僅かな期間少しだけうす紫の花が咲く以外はなにも咲かない。他は何も植えていない。石を敷いてある。その石が濡れて色が濃い。

今日は終日家でボチボチ仕事。殆ど終わっている仕事だが、お客さんから返事が来なくて仕上げられずに放ってある仕事が二本。知り合いのお客さんだし、急がないのだが、暫く放ってあると細かい所を忘れてしまう。こういう仕事は気を付けてないと仕上げの時ミスをしがち。今日もう一度復習しておこう。               

そんなことを思っているといつの間にか雨はすっかり止んで、陽こそささないが随分明るくなっている。電気を消しても平気だ。


袋麺のはなし

2015-06-07 22:24:03 | 日記・エッセイ・コラム

病院の対応が頭にきて、この所気楽な話を書いてないので、今日は袋麺の話。

 ここ二、三年のことだろうか、気が付いたら袋麺がやたらに美味くなっていた。最初に気づいたのは「ラ王」。TVか何かで袋麺が美味くなったという特集をやっていて、まさかそんなにうまい訳ないだろうと思いながら食ったら美味かった。そのあたりのラーメン屋さんより余程うまい。医者から塩分を控えるように言われているのだが、我慢できなくてスープを全て飲み干した。

 江戸川にも有名だと言われ、雑誌に紹介されたようなラーメン屋さんは数件あり、四軒は行ったことがあるが、それほどの物かなあ?と言うのが正直な感想だった。うち一軒は煮干しの味が勝ちすぎていて、それが特徴だというのかも知れないが、私には不味かった。煮干しの臭みがスープに残っていてはいけないだろう。やたら店主が威張ってるという店もあった。そういう店主を好む趣味はまったくないが、どれほど美味いのかと試に食べに行った。店主の無愛想な普通のラーメン屋さんだった。個人の好みの問題だが、最近の袋麺の方が美味いかもしれない。

 次に「正麺」シリーズ。これも美味い。ラーメンなら私は醤油が一番好きだ。次に塩。息子は味噌。暫くの間5食パックを常備していた。

 この5食パックという奴。どこのメーカーも時期によって値段が随分違う。新発売の時と、今の時期、そろそろ暑くなって温かい麺は売れなくなるだろうと言う時期は安くなる。特に我が家の近くのディスカウント食品スーパー、希望小売価格らしきものより30%くらい安いのは当然。物によると50%引き位になる。去年も、今年もこの時期2パック買った。

 ところで、ラーメンだけでなく、うどんもそばも入れて、一番美味いのは何だろうと考えてみる。四国出身の江戸落語ファンの私としては、実は一番好きなのはうどん、次は日本そばなのだ。

 特に最近、うどんとそばが飛び切り美味くなったような気がする。私の一位は「どん兵衛の生うどん食感かつおだし」二位は「正麺鴨だしそば」三位が「ラ王醤油味」。いずれも駄目だ駄目だと罪悪感にさいなまれながらスープまで全部飲んでしまう。

 


地震

2015-06-02 10:34:49 | 日記

 先週土曜日の地震には驚いた。よく揺れた。

 午後8時24分。縦揺れなし。ゆさゆさと横にゆれた。

 

 私は乗り物に弱い。バスや船はいまだに苦手だ。子供の頃、父とバスに乗った。ところが乗った途端に気持ち悪くなって次の停留所で降りた。多分数百メートルしか走っていないだろう。そして吐いた。

 父は苦笑い。私の背中をさすりながら

「しょうがないのう、修学旅行行けんかもわからんのう」

酔い止めの薬を沢山持って修学旅行へは行ったが、バスの中では食べない、飲まない、視線を下げない、遠くの山を見ている。これを守った。

 今では酔い止めの薬こそ飲まないが、食べない、飲まない、うつむかないの三原則は守る。でないとバスはおろか乗用車のなかでも気分が悪くなってしまう。本を読むなど問題外。

 話がそれたが、土曜日の地震。リビングのTVの前で個人的に恒例の筋トレをやっていた。腹筋運動の途中、目眩がしたと思った。最近たまにあったからだ。でも違うようだった。蛍光灯のスイッチの紐が大きく揺れる。家全体がなんとなくミシミシいっているようだ。そういえばさっきTVに地震がどうのこうのってテロップが流れたような気がする、と思ってる間もゆっくり大きく左右にゆれる。気分が悪くなった。家がバスになったようだ。頭が痛くなった。少しだけ吐きそう。

 小さな地震の経験はたびたびある。でも、あんな地震は初めてだったような気がする。東日本大震災の時の方が揺れたような記憶があるが、上下の揺れと、もう少し周期の短いガタガタガタというような横揺れだったと思う。ユサユサユサとゆっくり横に揺れる方が身体へのダメージは大きいようだ。

 

 私が上京したのは1972年。その時からずっともうすぐ関東大震災がくると言われ続けている。何年かに一度、マスコミは、特に週刊誌やワイドショーは必ず二年以内にくるとか来年中に来るとか、断定的に喧伝して騒いできた。

ある年の取り引き先の大きな会社の新年会に有名占い師というのがゲストに来ていて、

「今年、関東大震災が必ず来る」

と言っていた。この人、地震が来なかったらどうするのかと思ったが、こういう話の落ちは決まっている。来年の正月彼女はのたまうのだろう

「私が一生懸命祈ったので関東は震災を免れたのです」

本当にそう言ったのか否かは確認していないのでわからないが、関東大震災は来なかった。

 

もっとも、いつ来るがわからない以上、すぐ来るかもしれないと騒ぐ。これは必ずしも間違いではないだろう。でも、あんまり騒がれると今度はそれに慣れてくる。大きな地震のあと、夜寝ているとき揺れたりすると飛び起きたりしたが、それもいつの間にか慣れてしまって、そのうちおさまるだろうと少々揺れが長かろうと大きかろうと、いつの間にか起き上がることもしなくなっていた。

 

 でも、ここ暫らくの地震や火山の様子はただ事ではないことの予兆のような気がする。今の家に引っ越してきたとき、リビングにある倒れやすい家具は固定したのだが、肝心な寝室の家具は固定していない。阪神大震災の時、大阪の知人に聞いたのだが、家具は倒れてくるのではない、飛んでくるんだ、と言っていた。

早く固定しなければと思うが、即日実行する根性がない。何とかしなければ・・・・・・。