今からうん十年前。小田急沿線の瀟洒?なアパートに住んでいた。給与は手取りで10万凸凹。それで5万円の家賃を払っていた。
駅から徒歩10分。但し坂道なので帰りは15分かかった。1Kバストイレ付。当時としては標準の家賃だったと思う。給料に比しては高すぎた。でもどうしてもバストイレ付のアパートに住みたかった。
金曜日が給料日で土曜日が休み(当時はまだ月1回だけ週休二日という会社が多かった)だったりすると、土日遊んで、無くならないうちに家賃を払うから、月曜日には財布の中に一万円と少ししか残ってなくて、後の殆ど一月どうやってくらそうか途方に暮れたものだが、私のまわりのアパート暮らしの同年代のサラリーマンなんてみんなそんなもので、なんとか暮らしていけたのだから今思うと不思議だ。
ところで、そのアパートに住んでいた頃のある夜。勤めから帰ったら、メモ用紙が郵便受けに挟んである。明らかに若い女が書きましたという感じの丸文字で、
“せっかく来たのに、いないから帰ります。会いたかったな・・・・ 〇〇子”
下に電話番号が書いてある。
自慢ではないが、私はもてない。人は一生の内に何度か「もてき」というのがあるそうだが、私にはその記憶がない。当然その〇〇子さんも思いあたる女はいない。ただその電話番号の局番に覚えがある。その頃夜な夜な友人と徘徊していたあたりの飲み屋の電話局番と同じなのだ。すると、場所もそのあたりなのか。
シャワーを浴びて、さんまのかば焼きの缶詰を開けて、そのままでは趣に欠けるので、一応皿に移して、缶ビールを一口飲んだ。テーブルの上に置いたメモ用紙を見る。
それにしても可愛い女文字である。書いた女はどんな女か?このあたりの想像をめぐらすのは私に限らないと思うが、男は本当に馬鹿である。
罠?という言葉が浮かんだ。どんな罠なのか?もしかして酔っ払ってどっかの飲み屋の女に住所を教えたのか?いや、電話番号は教えても、住所は教えないだろう・・・・・第一住所を教えたとして、いきなり訪ねては来ないだろう。それとも、何か良くないことをしでかしたのに覚えてないのか?前後不覚になるまで酔った覚えもないが・・・・。色々思いめぐらせて、えーい面倒だとばかりに、電話してみた。
すると予想に反して男の声で
「はい、〇〇です」とよく聞こえなかったが、会社名のような名前を名乗った。
なんか変。電話の向こうがザワザワと騒がしい。さっそく胡散臭さプンプン。何処かのコールセンターの雰囲気。
私はおそるおそる
「〇〇子さんはいますか?」
その途端、男は実に大きな声で叫んだ。
「おめでとうございます。貴方に〇万円の商品券が当たりました!」
要するに、詐欺である。〇万円の商品券で〇十万円の英会話教材を買えという。残額はローンで払える。今がチャンス、今だけのチャンスとも言う。
こちらに言葉を挟ませない。挙句
「それではまず、商品券をお渡ししたいのですが、いつ取りに来られます?高価なものですので、直接手渡し以外お渡しできません」
ときた。
とにかく全く意味不明。〇〇子さんなどどこにも出てこない。
私は自分の助平心を恥じ、あまりの馬鹿馬鹿しさに怒りもわかず、黙って静かに受話器を置いた。
後で聞いたが、その頃、こういう詐欺紛いの商法が流行っていたそうだ。会社や友人の間で話題にすると、メモ用紙体験者は私一人だったが、電話や、繁華街で声を掛けられたという奴は何人かいた。女がきっかけをつくり、話にのると男が出てくるパターン。まるで美人局。目を泳がせて「俺は知らない」という奴もいたが、そいつは多分引っかかったのだと噂になった。
何故、こんな話を思い出したか?昨今の迷惑メールにもこれに似たのがあるなあと思ったのだ。何とかだまして連絡させようとする。
色仕掛けや欲仕掛け、巧妙に仕事を装ったり、裁判だの訴訟、請求、などと何となく気になる単語を並べて脅して電話を催促したり、添付ファイルを開けさせようとする。
中には架空請求の最終通告書というのを5回も10回も送ってきたのもある。何処が最終じゃ、いい加減本当に最終にしろよ、と突っ込みたくなる。
昔の手書きのメモから、声掛け、メールと方法は変わったが、色々なワルサを考えるものだ。
でも
“せっかく来たのに、いないから帰ります。会いたかったな・・・・ 〇〇子”
このメモの女文字は色っぽかった。迷惑メールの元祖。アナログの極み。手書きだもの。いや、待てよ、今気が付いたのだが、手書きのコピーか印刷だったのかも知れない。そうだ、絶対そうだよ!今まで騙されてたのか!私も結構馬鹿。
そういえば都々逸をひとつ思い出した。
“せっかく来たのに、貴方はいない、それじゃまた来る、借金取り”