行政書士・社会保険労務士 大原事務所

人生も多分半ばを過ぎて始めた士業。ボチボチ、そのくせドタバタ毎日が過ぎていく。

母の手紙

2014-04-25 16:48:03 | 日記・エッセイ・コラム

 18歳の時四国から東京へ出てきた。大学に入る為だ。
 
たまに、母から手紙をもらった。何か用のある時だけ色々書いてくる。老眼が進んでからは書くのが面倒だと言っていた。
 
書くのが面倒なら書いてよこさなければいいと思うのだが、下宿には電話もなかったのでそうもいかない。楷書は余計に面倒だということで、サラサラと草書で書いてくる。
 
読めないよ、といってもきかない。面倒だと言って一向に改まらない。大学まで行っている自分の息子が草書の読み書きもできないのが信じられないようだった。
 
だから母の手紙は半分も理解できなかった。概ねだらしのない息子への小言なのだから分からなくていいと思っていた。ざっと読んですぐゴミ箱に捨てた。
 
私は悪筆である。中学の頃書道の教師に呼ばれた。私の字があまりに汚いので叱られたのだ。その時、色々話していて、母の事を聞かれた。
 
「お前は○○さん(母の旧姓)の息子か?」
 
という。
 
私がそうだ、と答えると、教師は信じられないような顔をして
 
「やっぱりそうか、まさかと思ったんだが・・・・。私は、お前のお母さんに書道を教わったことがある。お母さんは字が上手で評判だったのに・・・・」
 
似たような事を他の教師からも言われたことがある。若い頃書道教室で先生の代理で生徒に教えていた事があるようだ。私は母から字を教わった記憶がない。あまりに汚いので最初からあきらめたのかもしれない。不詳の息子だ。
 中学の時、
国語の試験で一度だけ百点を取ったことがある。初めての事なので、学校から帰るなり母に見せた。母の顔を見ながら褒めてくれるのを待った。ところが母の口から出たのは私ではなく、教師を褒める言葉だった。

 

 「よく、こんな汚い字を先生が読めたねえ。たいしたもんだ。母ちゃんにも読めんがね」
 
母の字をもう一度見てみたい。小言ばかりの手紙をじっくり読んでみたいと思うのだが、一通も残していない。

 

 

 

 

 


胃が痛い話①

2014-04-23 12:09:19 | 健康・病気

一昨日の夜、正確に言うと昨日の午前2時ごろから明け方までの間、非道い目にあった。
 胃が痛くなって目が覚めた、というより目が覚めたら胃が痛かった。我慢できる程度の痛みだったが、だんだん非道くなる。10分に一度くらいは唸る程に痛くなる。我慢の限界を超えた。
 息子は最近会社が忙しくブラック企業ではないが、何時も帰宅は12時近い。リビングに下りていくと、丁度食事が終わって、三ツ矢サイダーなどを飲んでいた。彼は酒が殆ど飲めない。
 「
おい、胃が痛い。我慢できない。病院へ連れて行け」

 救急車を呼ぶほどでもないだろうと思い、江戸川区夜間診療所へ急行。


一人暮らし

2014-04-16 15:08:20 | 日記・エッセイ・コラム

 晴れている。

昨日から私以外それぞれ出かけてしまって、一晩だけの一人暮らし。

洗濯をする。自分の事は自分でやる。

 昨日の夜など、ポトフを作った。美味かった。今はインターネットを覗けばたいていの料理のレシピは手に入る。その通り作ると、材料や調味料など無い物もあるので、そのあたりは適当にある物で間に合わせる。

 一人だから、昨日のポトフが余っていた。朝はそのポトフにフランスパン。もう昼だが、まだたっぷり残っている。沢山作らなければいいのだが、スープの素にあわせてそれなりの量は作る。さすがにまたポトフというのは嫌だ。捨てるのはもったいないので、冷蔵庫に入れて夜に取っておく。息子が帰ってくれば食べるだろう。

 問題は、昼飯だ。と言っても大した問題でもないが、何にしようかと考えて、面倒だからとりあえず食べない事にした。

 腹が減って我慢できなくなればその時に食う。
 自営業の強み。

 


2014-04-04 13:04:50 | 日記・エッセイ・コラム

 今でも売っている丸い大きな飴。カラメルを丸めただけのような、鼈甲色の透き通った丸い飴。表面にザラメがまとわりついている。誰でも知っているシンプルだけどおいしい飴にまつわる話。
 まだ幼稚園へ通う前だった。三つか四つの頃、私の家は和裁店をやっていた。たいした店ではない。自宅の一階を少し改装して店にしていた。母が切り盛りしていて、縫い子さんも三、四人いたと思う。末っ子で、甘えん坊だった私は何時も母にまとわりついていた。母はそんな私を適当にあしらいながら仕事をしていた。
 その日もべたべたとくっついてくる私に手をやきながら着物を縫っていた。
 「ほら、飴あげるけん、ちっとは一人で遊ばんかね」  と言って、私の口に飴を放り込んだ。大きなまるい例の飴だ。多分今と同じ大きさだったと思う。子供にとってはかなり大きい。
 仕方なく、それでも母の近くで、邪魔にされながらも積木で遊んでいた。
 その時、急に息が吸えなくなった。吐くこともできない。びっくりした。でも泣くこともできない。声が出ない。母に飛びついた。喉を引きつらせて金魚の様に口をパクパクさせていたのだろうと思う。
 後は、はっきりは覚えていない。母はすぐに事の次第を理解したようだ。躊躇なく左手で私の足首をつかんで逆さまに持ち上げた。そうしておいて、右の手のひらで思いっきり私の背中を叩いた。
 「吐きなさい!」  と言いながら、二度、三度と力一杯叩く。背中から頭と言わずお腹と言わず全身にバンバンと音が響いた。吐きなさいと言われても無理だ。とにかく息を吸うことも吐くことも出来ない。
 このままだと死んでしまうという認識も無かった。何が起こったのか分からなかった。息が出来なくて苦しいのと、いきなり逆さにされてびっくりしたのと、背中への衝撃が大きかった記憶がある。
 何度目かに叩かれたと同時にブフォと音がして何かが私の口から飛び出した。同時にヒユーッと音を立てて空気が肺の中一杯に入ってきた。呼吸が出来るようになった私は、大声をあげて泣き出した。店の中にフーッと安堵の息が溢れた。
 私の口から飛びだしたそれは、畳の上をポンポンと二、三度跳ねてから少し転がって止まった。表面の砂糖が溶けたばかりのまだ大きい例の飴だった。畳の上に飴と一緒になった私の唾液の跡がナメクジの這い跡のようにひかって残った。
 暫く飴を食べさせてもらえなかった。食べたいと言うと、母が自分の口の中で細かく砕いたものを私の口に入れてくれた。
 飴は好きだ、60歳になった今でも、ドロップやあの飴も時々買ってくる。但し、いまだに口に入れると用心して少し舐めた後、直ぐにガリガリと小さく噛み砕く。その後ゆっくりと少しずつ舐める。
 ちなみに、そんな恐怖体験のない女房は、幼い息子に普通に飴を与えた。私が母にしてもらったように、噛み砕いて与えようとすると  「きたなーい!信じられない!」  と言って非難した。
 ともあれ、息子は何も喉に詰めることなく、去年二十歳になった。


夏を越す灯油

2014-04-02 10:43:37 | 日記・エッセイ・コラム

 エアコンも電気ストーブもあるが、電気代が高いので、暖房は主に石油ファンヒーター。そのファンヒーターの灯油を買うのに、ここ二、三年この時期の買い方に悩む。去年も一昨年も結局ポリ容器に半分、約10リットル位余らせて夏を越させてしまった。物置で夏を越させるのは不用心である。また、ファンヒーターの取扱い説明書には古い灯油は使うなと書いてある。だから、その冬買った灯油はその冬で使い切りたいのだが、それがどうもうまく行かない。

 
気候のせいだ。春が無くなった。一昔前は三寒四温の春が暫く続いて梅雨がきて、初夏になった。今は冬の後、一気に大雨の梅雨と初夏がくる。その初夏もあっという間ですぐ盛夏となる。うかうかしていると家の中にストーブを出したまま半袖の季節が来ている。買い置きの灯油は残ったまま夏を越す。かと言って三月はまだストーブの恋しい日が多し、4月も寒い朝はある。灯油が切れては面倒だ。

 そこで今年も先週、散々悩んだ上で灯油を買い足した。10リットル位残っていたのだが、別に18リットル買って物置にしまった。無くなってから急に買いに行くのが面倒なのと、車にガソリンを入れるついで、41日からの増税も考慮してだ。

 そしてこの陽気。温かい。殆どストーブは使わない。まあ、まだ寒い日はあるだろうが、とても28リットルの灯油は使わないだろう。今年も灯油を抱えて夏を越しそうだ。