18歳の時四国から東京へ出てきた。大学に入る為だ。
たまに、母から手紙をもらった。何か用のある時だけ色々書いてくる。老眼が進んでからは書くのが面倒だと言っていた。
書くのが面倒なら書いてよこさなければいいと思うのだが、下宿には電話もなかったのでそうもいかない。楷書は余計に面倒だということで、サラサラと草書で書いてくる。
読めないよ、といってもきかない。面倒だと言って一向に改まらない。大学まで行っている自分の息子が草書の読み書きもできないのが信じられないようだった。
だから母の手紙は半分も理解できなかった。概ねだらしのない息子への小言なのだから分からなくていいと思っていた。ざっと読んですぐゴミ箱に捨てた。
私は悪筆である。中学の頃書道の教師に呼ばれた。私の字があまりに汚いので叱られたのだ。その時、色々話していて、母の事を聞かれた。
「お前は○○さん(母の旧姓)の息子か?」
という。
私がそうだ、と答えると、教師は信じられないような顔をして
「やっぱりそうか、まさかと思ったんだが・・・・。私は、お前のお母さんに書道を教わったことがある。お母さんは字が上手で評判だったのに・・・・」
似たような事を他の教師からも言われたことがある。若い頃書道教室で先生の代理で生徒に教えていた事があるようだ。私は母から字を教わった記憶がない。あまりに汚いので最初からあきらめたのかもしれない。不詳の息子だ。
中学の時、国語の試験で一度だけ百点を取ったことがある。初めての事なので、学校から帰るなり母に見せた。母の顔を見ながら褒めてくれるのを待った。ところが母の口から出たのは私ではなく、教師を褒める言葉だった。
「よく、こんな汚い字を先生が読めたねえ。たいしたもんだ。母ちゃんにも読めんがね」
母の字をもう一度見てみたい。小言ばかりの手紙をじっくり読んでみたいと思うのだが、一通も残していない。