月末…

2009-09-30 20:59:09 | Weblog
雨、時々曇り。長袖の上に更に薄物を一枚羽織って丁度良い気温でした。

サモアではM8.3の地震があったとのこと。今日はやたらとアタフタしていて、夕刊掲載の情報しか知りませんが、今も余震が続いているに違いありません。日本政府は、救助・援助策を講じているでしょうか。自然災害のうちでも、特に地震による被害は他人事とは考えられません。少しでも被害が少なく済んで欲しいと、切に願います。

昨夜遅く、数ヶ月ぶりに届いた友人のメールには、解雇されたと…。勤務先の経営状態が悪化し、一定年齢以上の社員はリストラの対象にされたのだそうです。今の日本では決して珍しくない話ですが、この友人の場合は二度目。前の会社を辞めた理由もやはり経営悪化で退職勧告を受けたためでした。あの時は退職金割増がありましたが、今回は勤続二年半弱ですから…。年内には新たな職場を、なんて前向きに話していましたが、見通しは厳しいでしょうね。前回は職安通いの最中に鬱病になりかけただけに、心配をしていますが、私に何ができるわけじゃなし。取り敢えず、来月にお茶でも飲みながら愚痴を聞く約束を取り付けました。

明日から神無月。全国津々浦々の神々が出雲へ出張しても、平穏無事な日々でありますように。

『世紀末ウィーンの美術』、など

2009-09-29 19:30:39 | Weblog
今度の日曜日は仲秋の名月らしいのですが、お月見ができるかどうか微妙ですね。昨日は曇りがちでパラリと雨。今日は雨の間に曇りが挟まれ、明日は今日よりもっと雨が降りやすく気温も下がるようです。衣替えを急がなくては!!

先日の日本橋高島屋『クリムト、シーレ、ウィーン世紀末』展がきっかけになりましょうか。『世紀末ウィーンの美術 クリムト、シーレらが活躍した黄金と退廃の帝都』(千足伸行/東京美術ABCアート・ビギナーズ・コレクション もっと知りたいシリーズ)を購入しました(サブタイトルまで含めると、息切れしそうに長い…苦笑)。世紀末ウィーンという都市の地理的・歴史的位置付け、そこに集った人々、芸術(芸術家)、ユダヤ人…。断片的だった知識が相互に絡み合い、薄ぼんやりながらも世紀末ウィーンのイメージが浮かびあがる面白があります。時代の節目に生まれた数々の果実を、以降のこの街はただ食い潰してきただけのように感じますね。

昨夜のクローズアップ現代でも感じたのですが、この頃のNHKは、何らかの政治的意図を露骨に番組へ反映しているみたいな気がします(巧妙に隠蔽しながらの番組制作よりはましなのでしょうか)。
今夜のニュース7…。
政権交代によって「予算案」へ注目が集まっているのは、望ましいことと申せましょう。
一方で、長崎市長殺害犯人への控訴審判決の取り上げ方は…。死刑制度廃止の立場に立つ法相への揺さぶりのつもりまではないでしょうが、ある種の世論形成を誘導しているようには感じますね。裁判員制度が始まっていますから、余計にそう思うのでしょうか。

今日は、日曜日

2009-09-27 21:16:32 | Weblog
彼岸が明け、金木犀の香りが辺りに漂いはじめました。今まで全く気付きませんでしたが、金木犀は蕾の時から香り高いのですね。いや、むしろ花開く前のほうが香りが強いかもしれません。

午後、久方ぶりに買い物へ。今回の大型連休以降、接客と雑用に時間を取られて買い物は娘任せ。彼女は言われた物を買ってくるだけですから、無駄遣いをしない利点はあるものの、調理場に立つ側としては歯痒い日々でありました(物足りない時の「あと一品」にまで頭が廻らんのですよねぇ…苦笑)。
今夜は、「さかな~」と宣う御方のリクエストに応え、秋刀魚の炊込み御飯・浅利酒蒸し・鰹刺身・冷や奴・ほうれん草のお浸し・土佐金時の甘煮…平凡ながらもそれなりに力作よねぇと、自画自賛(誰も誉めてくれませんもの…笑)。青森・七戸の清酒【駒泉ひやおろし】を傍らに満足そうな表情でしたから、こちらも安心いたしました。
しかし、秋刀魚炊き込み御飯は、改良の余地がありそうです。簡単に作れて味は良いのですが…。課題は、少ない手間で小骨をいかに取り除くか。生秋刀魚の時期に、あと2、3回試してみれば何とかなるでしょう(^O^)v

臓器提供意志表示カード

2009-09-26 12:30:42 | Weblog
先週、近所のコンビニのレジカウンターで、「伝わるこころ つながる命」という(社)日本臓器移植ネットワークのリーフレットを見つけました。ひと頃は郵便局や役所のカウンターでカード型のものをよく見かけましたが、ここ何年かは目にしなくなっていたように思います。総選挙前に臓器移植法が改正されましたから資料を作り直したのかと思ったのですが、よく見ると2008年10月作成とのこと。まぁ、大きな改正ポイントは子どもの臓器移植でしたから、臓器提供の意志を持つ成人であれば、以前の資料で十分に通用するでしょう。
かつては臓器提供意志表示カードを所持するだけでしたが、現在はインターネット登録もできるとのことで早速ネット登録。今日、リーフレットその他が郵送され、先ほど本登録を済ませました。平均寿命を考えれば、私の場合は人生の折り返し点をとうに過ぎていますから、身体の機能も一直線の下り坂。臓器とてどこまで有効に機能するか、そもそも移植が可能かどうかすら、保証の限りではありません。でも、それでも必要とする人がいて役に立ちそうなパーツがあるなら…。

夏前から捜していた『露伴随筆集』(岩波文庫)をやっと発見。単に片づけが悪いだけ、と指摘されれば、返す言葉がありませんが(-_-;)ともかくも、ひと時、憂き世を離れられそうです。

失敗(/_;)

2009-09-25 20:19:10 | Weblog
片手鍋をダメにしてしまいました。毎朝の味噌汁、ゆで卵、サツマイモやかぼちゃの甘煮、きんぴらゴボウ、麺ツユetc…この鍋とフライパンがあれば、最低限の食卓の用意が整うほどに使い勝手の良い鍋だったのに。
原因も理由もわかっています。ひとえに、私の不注意…。あれこれと祟りかねないところを、鍋一つの被害で済んだなら良かったと考えるべきかもしれません。
原因が何であれ、愛用の品を失うと傷つきますね。バイオリズム、低空飛行が続いているようです。言動を、とにかく慎重にせねば。

お中日

2009-09-23 17:58:10 | Weblog
この秋のお彼岸は、例年に比べて過ごしやすいような気がします。それでも、朝晩の涼しさと比べると、陽射しが出ると蒸し暑いですね。
今日はお中日。子どもの頃は、この日一日だけがお彼岸だと思っていましたっけ(笑)。春分・秋分の日は丁度真ん中、お彼岸は一週間なのですよね。
春に続いて、秋もまた大型連休。祭日の意味が全く失われてしまい、「敬老の日」も「秋分の日」も一緒くたに「連休」で括ってしまうのはどんなモンかと思います。いや、小言幸兵衛みたいな…苦笑。

それはともかく、秋の長雨が来ないまま(台風は歓迎しませんが)、乾きすぎの様相。野菜の種を蒔いても、土が乾燥しすぎて種の水分をも奪ってしまい芽が出ないと、近所の農家の方がぼやいていました。野菜の種にも蒔き頃がありますから、それを逃しては育つものも育たない…。この辺りでは稲の実りに心配はないものの、秋~初冬向けの野菜は気懸かりなようです。都市部では野菜の高騰が続いているそうですが、この冬は当地でも同様の憂き目を見るやもしれません。政権交代と気象条件は、何の関係もありませんからね(苦笑)。ファーストレディが太陽を召し上がっても、農家の人々が喜ぶ天候にはなりますまい(しごく、当たり前の話ですが)。

家の者が所用で高知に出掛け、お土産に「野根まんじゅう」を買って帰りました。箱も中身も何とも素朴。薄皮饅頭と言うよりは薯よ(エエイ、この携帯はホントに!!)饅頭のほうが近いでしょうか。一口サイズという大きさが有り難いですし、これまた緑茶によく合います。しかし…できることなら、もう少し涼しくなってからのほうが嬉しかったかも(^^;;

今日はいささか低調ですね。

やめられないとまらない~

2009-09-21 20:55:13 | Weblog
スナック菓子の宣伝ではありません…余談ですが、伊根湾の舟屋巡りの遊覧船に乗ると、途中で「カモメへのエサやり」があります。この時に用いられるエサが『やめられないとまらない~』のスナック菓子。二十数年前の話ですが、今も変わらないと思いますよ(笑)。
しかし今回は、旅行でもストレスによるやけ食いでもなくて、本のこと。『シリウスの道』(文春文庫)と『遊戯』(講談社文庫)、どちらも藤原伊織の本です。苦しい時の伊織頼み…のつもりはないのですが、気分転換に丁度良いのですよね。読み始めると、我を忘れて…。
特に、遺作となってしまった『遊戯』。短編連作という構成ですから、一編がそれなりの完成度を持っていますので、通常の未完とは読後の印象は異なります。ですが、この先をどのように展開させたかったのか気にならないと言えば嘘になります。ここで話が終わってしまうなんて!!
併せて収録されている短編『オルゴール』。これは、ある種の男の美意識、になるのかな。もっとも「男の美意識」は、藤原伊織のどの作品にも共通していますか。ついでに申せば、主人公の老成具合も…笑。


う~む、現実逃避には変わりない…苦笑。

彼岸の入り

2009-09-20 07:07:23 | Weblog
五連休の二日目、風の音で目が覚めました。秋の盛りよりも晩秋に近い風のように感じられます。
田の畦道には満開の彼岸花。黄金色に近づきはじめた稲穂と美しい対比を見せています。
しかし、秋晴れなのにここまで涼しい(肌寒い)彼岸の入りは初めて。今年は冬の訪れが早く、寒さ厳しくなるかもしれませんね。

さいごの、カレー

2009-09-19 08:28:13 | Weblog
昔の話を少々…。

舅が亡くなったのは、初めての出産予定日の丁度ひと月前でした。あまりにも突然のことでしたが、ともかくも夫と二人で福岡へ駆けつけ葬儀を済ませ、あとは四十九日(諸々の事情で三十五日に繰上)を待つばかりとなりました。
まだお悔やみの来客は断続的にあるものの、少しずつ日常生活が戻りつつあり、出産準備や室内・台所の整理を始めたある日のこと。冷凍庫の中身を確認していて、小ぶりのホーロー鍋を見つけました。取り出して蓋を開けると、カレーが鍋に八分目ほど入っています。夫は兄弟姉妹がおらず、舅と姑の二人暮らし、料理は舅が担当していました。もともと、亡くなった日の何日か後には親友の結婚式のために夫は帰省する予定でしたから、このカレーは舅が息子のために用意していたのでしょう。甘口のカレールーを用いたと想像される、明るい黄色のオーソドックスなカレー…。その時は、夫にも姑にもカレーのことを告げずに、黙ってまた冷凍庫にしまいました。
しかし、いつまでもそのままにしておけません。私の出産もカウントダウンですから、事情を知らない者が台所仕事を手伝った時に、勝手に処分されては困ります。
そこで夕食時に冷凍庫から鍋を出し、夫と姑に尋ねてみました。姑は「捨てたら」と、即答。この時の姑の心理状態は測りかねますが、とことん衛生的であろうとした人でしたからいつ作ったか不明のカレーは不安だったのかもしれません。しかし夫は姑の答えに猛反発し、その晩、舅が遺したカレーを誰にも分けることなくきれいに平らげたのでした。
当時も今もカレーは彼の好物ですが、あの後暫くの間、私はカレーを作ることができませんでした。夫とはその後、舅のカレーについての話をしたことはありません。
明日から秋のお彼岸です。この彼岸中に、舅の二十回忌を迎えます。

上野~日本橋~京橋

2009-09-18 19:19:35 | Weblog
猛威を振るいながら小笠原諸島接近中の台風14号の影響か、都内は微妙に曇り空でした。
実家から娘がもらっていた展覧会の招待券が宙に浮いてしまいそうになったため、思い立って上京。まずは、都美術館『トリノ・エジプト展』へ。美術館手前の小径両脇に怪しげな風体の中年男性が立ち、「チケットが…」とか「売り切れですよ」なんて呟く声が聞こえます。どうやらダフ屋のようです。展覧会ブーム、極まれりですね。いや~あ、昔々に後楽園球場と代々木の陸上競技場で見て以来、ナマのダフ屋の出現はホンに久しぶりでした(苦笑)。そもそも、展覧会で当日券が売り切れたなんて話は聞いたことがありませんから、旨味のある商売とも思えません。来月からは上野での企画展の大目玉『皇室の名宝』が始まりますが、阿修羅ばりの人混みになるでしょうからカモにされる人が出なけりゃいいが…と余計なお節介ながらも心配になりますね。
それはともかく。
先日の『海のエジプト展』のおかげで多少は古代エジプト文明への地均しができたのか、なかなかに楽しめました。都美術館企画展示室は、前回とはまったく違った雰囲気を醸し出しています。トリノ・エジプト博物館(エジプト以外の国にある博物館の中では最大規模のコレクションを有するそうです)スタッフが有するプロ意識によるものが大きいのでしょうが、会場に入るとそこはもう別世界。パシフィコとはまた違った角度からエジプト文明に触れることができます。
目玉は、アメン神とツタンカーメン王の像ですか。見目麗しく…目元は涼やかで惚れ惚れするような容姿。目の保養、ですね(笑)。
ただ、展示品全体の構成を見ると、今回のテーマは死生観になるかもしれません。ミニチュア断面図からはピラミッドでの埋葬の様子がよくわかりますし、死者の書や石棺に書かれた文字、副葬品などに、死後の再生・復活を願う気持ちが、ヒシヒシと伝わってきます。神々や神の遣いの動物たちのほか、家族像があるとほっとしますね。
それから、パシフィコの展示品と比べるととにかく色鮮やかで、視覚的にも十分に楽しめます。あちらは海中から引き上げられた品々ゆえ、仕方がない面はありますが…。トリノ・エジプト博物館の復元技術は半端ではなく高いということかもしれませんね。
カタログは2300円。ボリュームは今ひとつですが、カラー図版は美しく装丁もしっかりしています。展示品解説は会場掲示と同じ。おさらいするには丁度良いかもしれません。人混みで確認できなかった細部の具合もよくわかりますし。

お次は地下鉄銀座線で日本橋へ。高島屋4F特別食堂で早めのランチタイムの後に、『クリムト、シーレ ウィーン世紀末展』です。8F催事場はイタリア・フェアの様相。ジェラートやイタリアワイン、バルサミコ酢、チーズなどの食品類、果てはバッグやアクセサリーまで、所狭しと並べられています。展覧会々場である日本橋高島屋8Fホールは、片隅に追いやられた観がありますね。差別するつもりはありませんが、何せ百貨店内美術館ですから、招待券でもなければ行かないと思いますよ…などと内心でぼやきながらも、エジプトの出土品の後に絵画を見ると、なんだかホッとしている自分がいます(苦笑)。
展覧会のタイトルは、『クリムトとエゴンシーレ、ウィーン世紀末』ですが、19世紀末から20世紀初頭のウィーン美術の展開、みたいな構成ですね。展示品はすべて、ウィーン・ミュージアム所蔵です。まず、クリムト以前の画家たちの作品。大人しく(挑発的でもなく冒険心もない)ありふれた画風でインパクトに欠けているようにも見えますが、その一方で森の小径や公園での語らいなどの絵を見ていると、この時代のウィーンの人々の暮らしが垣間見え、ほのぼのした気持ちになりますね。中には、劉生の切通しを思わせるような作品もあったりして、これはこれで面白い…笑。
しかし、ですよ。クリムト兄弟の登場から、大きく変わります。特にグスタフ・クリムト。初期の正統派と言いますか古典的で美しい画風が、「いかにもクリムト」のスタイル、金箔に渦巻きやら市松模様やらをあしらった背景と、妖しい眼差しの女性へと移るのです。このヒト、前半生ではかくも美しい作品を描いていたのねぇと、ひたすらにオドロクばかり。
エゴン・シーレにいたっては、どれを見ても精神分析をしたくなりそうです。考えてみれば、フロイト、ユングとも同時代なのですよね。特にフロイトはウィーンで暮らしていたはずですから…。この時代のウィーンは、精神の危うさを刺激するような社会的風潮だったのでしょうか。
ココシュカとシェーンベルクの作品を見て妙に納得したり、ウィーン工房の活動から夢二の黒船屋やウィリアムス・モリスを連想したり、とりとめないままですが予想以上に刺激的な展覧会でした。

本日のトリは、ブリヂストン美術館。丸善に寄りたい気持ちをぐっとこらえて、高島屋から5分程歩きます(苦笑)。
企画展『うみのいろ うみのかたち』は、入口すぐ左の部屋のみで。他は常設展示。ザオ・ウーキー《07.06.85》という作品が、圧倒的でとにかく強烈。
常設のほうでは、藤島武二の《黒扇》でしたね。幾度となく見てきたはずですのに、展示室が変わるとこうも印象が変わるものなのか…。

ブリヂストン美術館のティールームで一息入れてから、帰宅。久しぶりによく歩きました。本当は、銀座まで歩いて鳩居堂とウエストにも寄りたかったのですが、もはや足が動かず。東京駅まで歩くのがやっとでした┓( ̄∇ ̄;)┏