日刊イオ

月刊イオがおくる日刊編集後記

8月号特別企画は「同胞パティシエ・パティシエール」

2016-06-27 10:00:00 | (麗)のブログ
(S)さんも先日ブログに書いていましたが、8月号特別企画は全国の同胞パティシエを取材します!
担当記者が撮ってきてくれたお店の写真や、華やかなケーキ、焼き菓子などを見ると、思わず「ケーキ食べたいな~!」という衝動に駆られます。

私自身、甘いものが特に好きということでもない(どちらかというと、お酒に合うつまみ系に目を奪われがち)のですが、たま~に食べたいと思い、コンビニでプリンやカットケーキなどを買ってきては、至福のひとときを過ごしています。
他にケーキを買う時といえば、会社の若いメンバーが誕生日を迎えた際、みんなでお祝いする用に買ってくるくらいで、「洋菓子」は普段の生活であまり関わりがないです。
それでも、キラキラと輝くスイーツを見ると、私の中の眠れる乙女心が発動し、ウキウキしてしまう。
それほど、スイーツは人を魅了させるのだなと思います。

今回の企画では、5~6人の同胞パティシエ・パティシエールに登場していただきます。
私の地元の同級生も取材に協力してくれています!
イオも毎月取ってくれているそうで、本人はまさか自分が誌面に出るとは、とビックリしていると思いますが、快く取材に協力してくれたことに本当に感謝しています。
かのじょとは小学生からの仲なのですが、立派にパティシエールとして働いている姿を記事と写真で見られるのがとても楽しみです。

8月号の「パティシエ・パティシエール」企画、特集もあわせて是非ご期待ください!!(麗)
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「不当な支配」は見当違い

2016-06-24 10:00:00 | (理)のブログ


 今週の月曜日、愛知無償化裁判の第18回口頭弁論が行われました。約160人が名古屋地裁前に集まり、変わらない関心の高さをアピール。私がこの取材に訪れるのは10回目になりましたが、来るたびに新しい支援者が増えているのはすごいことだと思います。

 法廷では書面のやり取りと今後の進行についての話し合いが行われました。今回は陳述などはなく、10分ほどで閉廷。参加者たちは報告集会へ向かいます。

 報告集会ではまず、内河惠一弁護団長があいさつしました。「この度は日本教育法学会の会長である成嶋隆さんという重鎮の方に意見書を書いていただき、それを提出した。意見書をもとにこちらの主張をまとめたら、弁護団としての主張は一通り終わる。一つの区切りだ。今後は証人尋問と裁判官の朝鮮学校への訪問準備を進めていく予定」。弁護団の主張が順調に進んでいることを伝えました。

 続いて裵明玉弁護士が、成嶋隆さんの意見書の内容についてわかりやすく報告。はじめに導入として、「この裁判では非常に新しい論点が登場した」と解説を始めました。

 「国は、『朝鮮民主主義人民共和国ないし総聯が、朝鮮学校の教育に対して不当な支配をしているため、国のお金が公正に使われるかどうかわからない。だから就学支援金は出せない』ということを言ってきた。こういった中で、『民族団体あるいはその祖国と民族学校の関係性をどう捉えるか』、という新しい主題がクローズアップされました。裁判官も法の専門家ではあるが、教育法のジャンルについて熟知しているわけではなく、国の主張がおかしいかどうか、すぐには判断しにくい」。―これに対して専門家の意見を出そうというのが弁護団の目標だったそうです。

 意見書は30ページにもわたります。以下が、集会で説明された概要です。

・在日朝鮮人の民族教育の権利について
→在日朝鮮人の歴史的特殊性から見て、日本国民の場合と同等のレベルで保障されるべき。民族教育の権利については国際人権条約などの裏づけもあり、今すぐにでも保障されなければならない。

・「朝鮮民主主義人民共和国と総聯が朝鮮学校を支配している」という国の論法のおかしさについて

→「不当な支配」禁止法理というのが教育基本法には書かれている。どうしてこのような条文があるかというと、戦前に日本が軍国主義へ向かった時、教育の自由が失われ、国民を軍国主義的な愛国者として戦争に動員させるために教育が使われたという過去があるから。このように公権力が教育の現場を不当に支配するということが二度とあってはならないという思いが込められている。
 これまでに「不当な支配」の条文は、学校教員たちへの「日の丸・君が代」の強制や養護学校での性教育に対する議員の介入など、日本の公権力が教育に介入した場合にのみ使われてきた。日本は在日朝鮮人をはじめとする民族学校への権利保障をしてこなかったため、民族団体自らで学校を運営してきた。そこに「不当な支配」という論点を持ってくること自体が非常におかしい。
 また国が証拠として提出している「産経新聞」についても、このような偏見に満ちた事実の裏付けもないようなものを国が根拠にしていること自体が甚だおかしい。

 このように、教育法のスペシャリストが国の不当性をばっさりと指摘しています。聞けば聞くほど、国がどれほど見当違いなことを言っているかというのが、とてもよくわかりました。むしろ、自分たちの主張を通すためによくこんなものまで引っ張り出してきたな…と呆れてしまいました。過去の教訓として作られたはずの条文を、このように図々しく利用して恥ずかしくないのでしょうか。この意見書の内容、そして弁護団の主張が、しっかりと裁判官に伝わってほしいです。

 報告集会ではほかに、朝鮮学校での生活をまとめた映像が流されました。朝高生たちの明るい姿に、参加者たちは顔をほころばせていました。また高級部2年生たちがマイクアピールをしたあと合唱を披露し、諦めずに前進していこうとの決意を改めて支援者たちに伝えました。(理)
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イオ創刊当時の話しを聞いて

2016-06-23 10:00:00 | (愛)のブログ
6月17日に発売された月刊イオ2016年7月号でイオは創刊20年を迎えた。
先日、イオ創刊当時の編集長とデザイナーの方に創刊当時の話しを伺う機会に恵まれた。

どういう雑誌を目指したのか、創刊当時のセオリーはなんだったのか、創刊号の表紙にまつわる話など
初めて聞く話ばかりで、どんどんのめりこみながら聞いていた。

イオのロゴを作成したデザイナーの方には、どう意識して、いまのロゴの形を作ったのかを事細かに聞けて、
とても新鮮だった。
昔はフリーハンドで描いたイラストもイオにはたくさん載っていた。
いまでも見ると驚きな企画は、1997年6月号に掲載された「特別企画 万景峰92号探訪記」というもの。

客船万景峰92号内部をイラストとして起こしたものがどどーんと見開きで紹介されている。。
実際に取材に行き、その場で描いたという。
(まるで宮崎駿監督が描いたよう!)

ポパイという雑誌も創刊されて40年を迎えたようで、創刊号がそのまま付録としてついていた。
ポパイのイラストもフリーハンドで描かれたそうな。
昔の雑誌はフリーハンドで描かれたイラストがたくさん載っていた。
フリーハンドのイラストが少しでるだけでも味があるように見える。


色々話しを聞きながら、自身のデザイナーとしての未熟さを痛感させられたようでもあった。
自分の知らない話を聞くのは本当に勉強になる。
だからこそ、人に積極的に出会える機会を見逃してはいけないとも思う。
たくさんの裏話を聞きながら、自分も現状に甘んじず、がんばらねば!と一層思うようになった。(愛)


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「舞台裏」を知ることは楽しい

2016-06-22 10:00:00 | (S)のブログ
 数日前、パティシエをしている同胞を取材した。“パティシエ”という響きからしてなんだか格好いいし、働いている姿を想像しても、とてもおしゃれで華やかなイメージがある。
 しかし、実際はかなりの重労働だ。体力のいるハードな職だとは聞いたことがあったが、現場の生の声を聞くと想像以上のものだった。

 長時間の立ち仕事で、腰への負担も大きい。酷い手あれにも悩まされるし、火傷をすることも一度や二度ではない。
 そして何より、忙しい。ケーキのシーズンといえばクリスマス。店頭には数々の可愛いケーキが並び、見ているだけで癒されてしまうが、その裏側では、パティシエさんたちが睡魔と闘いながら死に物狂いで働いているのだ。睡魔に襲われ、気が付けばケーキに手をぶち込んでしまっていた…なんてことは「あるある」だそうだ。
 街中からクリスマスモードが消えても、パティシエの世界では嵐が収まらない。お正月、バレンタインデー、ホワイトデーと、忙しさが続く。いろいろな意味で体力勝負だ。

 こんな熾烈な世界を知ってしまった以上、今後ケーキを食べる時は、この「裏側」を思い浮かべずにはいられないだろう…。取材を終えて、ひしひしと感じた。

 今回のパティシエに限らず、取材を通してさまざまな職業の人の話を聞く機会がある。その職業は自分の身近なものを作り上げていることも少なくない。自分の日常の一つひとつに対して、少しずつ「舞台裏」を知っていく過程のように感じられる。世界が少し変わって見えると、取材が本当に楽しい。
 たとえ取材がきっかけでなくても、物事に想像力を働かせながら過ごしていかなくてはとも思うようになった。(S)
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朝鮮籍者に求められる誓約書―3ヵ月で終了に

2016-06-21 10:00:00 | (瑛)のブログ


 日本政府が朝鮮への制裁処置を発表した2月10日以降、海外に行く「朝鮮籍」者の大人たちに書かせている誓約書のことは、このブログでも何度か話題にしてきました。

 何を誓約させるのかと言うと、出国ゲートを通過する時に入管職員に「北朝鮮に行きますか?」と聞かれ、「行かない」とか「他の国に行く」と答えた人には「北朝鮮には行きません」と文書に署名させ、誓わせるのです。まるで踏み絵ですね。

 この間、個人的にもこの誓約書に対してどう対応すればいいのか、という質問を受けてきました。仕事や旅行で海外に渡航する自由は外国人にも当然ありますが、出国ゲートでこんなことをされたら、どうなるか―。

 誓約書を拒否すると、飛行機に乗られなくなる―。

 再入国許可を取り消されるのではないか―。

 このような不安は当然襲ってきます。日本政府はこの不安を逆手に取り、朝鮮籍同胞をターゲットに「制裁」を課してきました。

 しかし、この間、在日本朝鮮人人権協会をはじめ、同胞たちの抗議により、5月末で誓約書を書かせるという不当な対応は終わりを告げました。当然のことです。しかし、これをなかったことにはできない。

 3ヵ月間、行われた入管による人権侵害を7月号の「親子のための月刊イオNEWS」の誌面で紹介しました。

 金東鶴・在日本朝鮮人人権協会副会長による親子向けの解説記事です。

 全文掲載するので、参考にしてください。拡散大歓迎です!(瑛)

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Q:空港や入管事務所で書かされる「誓約書」って?
 ヨンシル:空港を出るときや、入管事務所に再入国許可書を取りに行くときに「北朝鮮には渡航しません」という「誓約書」を書かされると聞いたんやけど、ほんまなん?

 アッパ:日本政府がいわゆる「対北制裁措置」を発表した今年の2月10日以降、「朝鮮籍」の大人たちが空港などの出国ゲートを通過するとき、「北朝鮮に行きますか」と入管職員が訊いてきて、「行かない」とか、「他の国に行く」と答えた人には、「北朝鮮には渡航しません」と書いてあるものにわざわざ署名をさせてんねん。ヨンシルはまだ高校生やから対象にはならんようやけど(法務省は18歳以下は対象にしないと言っている)。

 ヨンシル:なんやえらい感じ悪いなあ。ほな、ウリナラ(朝鮮民主主義人民共和国)に行くと答えた人はどうなんのん?

 アッパ:あんたは核技術者か? ミサイル技術者か?ということを尋ねる「質問票」いうのが出されて、「はい」か「いいえ」と書いて、署名することになってる。原子力分野、ミサイル分野に関し、「技術者、研究者として通算して2年以上業務に従事したことがありますか」と聞かれるんや。

 ヨンシル:なんや、逆にそれだけかいな。ちょっと拍子抜けやなあ。ウリナラに行くときに求められる「質問票」より、ウリナラに行かないときに「渡航しません」と誓わされる方がなんか抵抗あるなあ。

 アッパ:そうや、何で自分の祖国に行く権利を放棄するみたいな誓いをせなあかんねん。おまけに2月頃に使われていた「誓約書」の様式には、「北朝鮮に渡航したことが確認された場合には再度上陸が認められないことを承知した上で出国します」とまで書いとった。

 ヨンシル:そんなんいっぺんでも書いたら、今後一回でも行くと帰れなくなるみたい。

 アッパ:ほやからアッパも法務省や入管事務所に文句ごっつう言うたんや。朝鮮に行ったらアカンことになってるわけでもない人にそこまで誓わせるのはおかしいやろって。しかも期限も付けんと「渡航しません」はないやろって。
 ほな、おもろいで。法務省も3月に入った頃から「再度上陸が認められないことを承知した上で出国します」って書き方はやめて、「核・ミサイル技術者が北朝鮮に渡航したことが確認された場合には、再入国許可の取消しなどの処分を行う場合があります」というふうに変えてきよった。
 さらに4月に入ってからは、「おかしい」と主張する新聞記事も出だして、国会でも議員からおかしいやろって話が出てきたんや。
 そこで4月中旬からは、法務省は「今回の出国後、日本へ再入国するまでの間」という期間限定の文言も入れるように空港とかの現場に指示しだしたんや。

Q:なんで、「北朝鮮に渡航しません」と誓わなくてはならないの?

 ヨンシル:だいぶとマシにはなってきたんやなぁ。でも祖国に渡航しませんと誓わされることには変わらへんのやろ。

 アッパ:そうや、ええつっこみや。少なくともこんな「誓約書」はなくさなアカン。
 期限つけた言うてもな、入管事務所でマルチ(数次)の再入国を取る時、今は6年の許可期間があるんやけど、その期間内はずっと「北朝鮮には渡航しません」と誓えというんや。 6年もの間には、祖国に行きたくなる時や、行かなアカン時が出てきてもおかしないやろ。空港かて、今回の渡航時においてという期間限定になったいうても、極端な話、渡航先で朝鮮におる親族が危篤やっちゅう連絡が来て駆けつけたいときなんかもありうるやろ。

 在日同胞を再入国の「許可」の対象にすること自体、おかしいんや。日本が加入している国連・自由権規約委員会でも、だいぶと前から、日本で生まれ育った在日朝鮮人がその永住国である日本に帰るのは権利として認めなアカン、そやから「許可」する、せえへんやのうて、ちゃんと保障しろと日本に言うてんのや(1998年勧告)。

 ヨンシル:ほんま、考えれば考えるほど腹立つな。でも空港で書かんいうて出国手続きが進まなくなって飛行機乗り遅れたら大変やしな。

 アッパ:実際、アッパの周りでも署名拒否して出国した人は結構おるし、それで出国も、日本への再入国も、問題なしにできてるで。出国時、拒否したら少し時間がかかることはよくあるみたいやけどな。「上に対応を相談する」みたいなことでな。

 アッパは、この「誓約書」だけは絶対署名せえへん。入管事務所での再入国許可申請時も、出国ゲートでも、自分の祖国に行く可能性は常にあるし、いつ何時もその権利を自ら放棄することはせえへん、と言い張る。
 みんなが、各自できる範囲で抵抗の意思を示し、アホな「制裁」措置自体を、はよやめさせなアカン。

 ※本稿は、5月23日に書かれた。法務省は、5月末頃に「誓約書を求めないでいい」という主旨の指示を出し、3ヵ月以上に渡る不当な対応は終了することになった。
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禁煙を始めた

2016-06-20 10:00:00 | (相)のブログ
 4月中旬から心機一転、禁煙を始めた。
 タバコは20歳のころから吸ってきたので、人生の半分にもおよぶ習慣になる。
 これまで20年間、禁煙を決意したことは一度もなかった。今回、諸事情あって禁煙を決意したのだが、これほどきついものだとは思わなかった。
 禁煙にあたって、自分の意志でやめることは不可能だと悟り、医学の力を借りることにした。自宅近くの病院へ行き、禁煙外来にかかった。
 はじめは1週間ほど禁煙できたが、酒席の場に参加した際に耐えられなくなり、禁煙の誓いを破った。その後、数日間、禁煙期間が続いたが、地方出張の際にどうしても吸いたくなり、2度目の禁煙破り。東京に戻ってきてから数日はタバコを絶ったが、締切間際の忙しさの中、三度禁煙の誓いを破ってしまった。
 「やはり自分には禁煙は無理だ!」と投げやりな気持ちになったが、「他人にできて自分にできないわけはない」と再び気持ちを奮い立たせて再度チャレンジ。そこから3週間ほど禁煙が続いている。
 禁煙で一番きついのが禁断症状、離脱症状だ。タバコが吸いたい、落ち着かない、気分が落ち込む、イライラ、不安を感じる、集中できない、など。禁煙補助薬を使うことでニコチン切れの症状は軽くなるが、完全になくなるわけではない。このつらさは禁煙の経験者にしかわからないことだろう。
 喫煙のきっかけとなる環境を改善しようと、タバコやライターなどの喫煙具を処分し、タバコの煙に近寄らない、喫煙者に近づかないことを心がけた。喫煙の代わりに他の行動を実行しようと、喫煙所に足を向けるかわりに散歩や体操などで体を動かす、飴やガムをかんで口のさびしさをまぎらわせている。禁断症状は禁煙初期は強く現れるが、次第に治まっていく。今では「タバコを吸いたい!」と思う気持ちはだいぶ減ったが、完全になくなったわけではない。禁煙して何がよかったのかと問われれば、正直、あまり感じない。出費が減った、健康にいい、家族からタバコの臭いのことで文句を言われることがなくなった、くらいだろうか。これでも充分大きなメリットだが。
 ニコチン依存症(nicotine addiction)は立派な病気だ、私は病気の治療中なのだ、という思いを持って今後も禁煙を続けていきたい。いつかタバコのことが頭の中から完全に消えるまで。(相)
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月刊イオ7月号が完成しました

2016-06-17 10:00:00 | (K)のブログ


 月刊イオ7月号が出来上がりました。
 月刊イオは今年7月で、創刊20周年を迎えます。ということで、7月号では1996年生まれの20歳の同胞青年をクローズアップしました。特集タイトルは「二十歳の挑戦」。
 表紙にも二十歳の同胞男女に登場していただきました。

 特集でも、スポーツや芸術、料理、教育、研究など、各分野で活躍する二十歳の同胞の皆さんを何人も紹介しています。また、対談では、同胞弁護士と朝鮮大学校で法律を学ぶ学生に登場してもらい、権利擁護の闘いで何が必要なのか、同胞弁護士の役割などについて話し合ってもらいました。

 特集を編集するに当たり、過去20年のイオを見返してみると、この20年間が、日本社会の右傾化と在日朝鮮人に対する弾圧の20年間であったことが、改めてわかりました。日本独自の朝鮮に対する「制裁措置」が強化されヒト、モノ、カネがまったく遮断されています。大学入学資格問題や高校無償化問題での朝鮮学校はずし、総聯各機関に対する不当な強制捜査など、在日朝鮮人に対する弾圧が繰り返されてきました。
 現在、二十歳の同胞たちは、非常に苦しい20年を生きてきたと言えるでしょう。月刊イオの誌面でも、不当な弾圧について繰り返し伝えてきた20年でした。このような状況はいつまで続くのでしょうか。ともあれ、20年間、月刊イオをご愛読いただいた皆さん、ありがとうございます。

 特集以外では、朝鮮で36年ぶりに行われた朝鮮労働党の第7回大会について、朝鮮大学校の創立60周年記念大祝祭、成立したヘイトスピーチ対策法について、などなど多彩な内容を掲載しています。
 月刊イオ7月号をご愛読ください。(k)
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第39回 作文コンクール「コッソンイ」ポスター完成!

2016-06-16 10:00:00 | (麗)のブログ
毎年、朝鮮新報が募集している作文コンクール「コッソンイ」のポスターが、今年も完成しました!
今年のタイトルは「僕は時々、詩人になる」です!

大人の帽子と眼鏡を拝借し、羽根ペンを持ち「詩人」になりきって、詩を思い浮かべている男の子です!
今までのコッソンイのポスターではほとんどが女の子でしたが、今年は男の子が主人公です^^
持っている本には「僕の詩集」と書かれています。
男の子の隣にある詩は、昨年の第38回のコッソンイの「初級部6年 詩部門」で見事1位に選ばれた、千葉朝鮮初中級学校のパク・ユンホさんの詩(一部)を引用させていただきました!
今回のポスターでは、実際に本人が書いた字をそのまま使用しています。
ポスターに抜粋された詩の一部を紹介。

내 마음 두근두근

이 감각 틀림없다

바다가 나를 당긴다

내가 바다를 끌어당긴다

릴을 돌리고 또 돌린다

引用された詩のタイトルは「釣り」。
海で釣りをする男の子のドキドキ・ワクワク感、リールが引っ張っぱれた時の「釣れた!」という確信、喜びを見事に表現しています。
「釣り」や「海」から、背景も夏の海をイメージしてさわやかに!
特に、「바다가 나를 당긴다(海が僕を引く)/내가 바다를 끌어당긴다(僕が海を引き寄せる)」というフレーズが秀逸だと思いました。
かれはこのポスターを見たとき、どんなリアクションだったのかな~と気になっています^^

このポスターを見て、ほんの少しでも子どもたちの創作意欲の一助となれば…。そんな実行委員一同の想いも込められています。
今年も全国の朝鮮学校から個性豊かな作品が誕生することを願って…!(麗)
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アッパ、還暦おめでとう!

2016-06-15 10:00:30 | (理)のブログ


 アボジ(父)の還暦祝いで、弟と一緒に似顔絵をプレゼントした。

 描いて下さったのは京都にアトリエを持つ作家さん。昨年末だったか今年の初めだったか忘れたが、東京の石神井公園駅近くで開かれていた個展にふらりと立ち寄ったのがきっかけで偶然知った。

 画材はクレパスだろうか。温かい雰囲気で、その人その人の笑顔の温度がそのまま描きうつされたような画風に一目で惹かれ、「これはアボジの還暦のプレゼントにしよう」と決めたのだ。

 残念ながらその時は最終日の閉展直前だったため、作家さんは在廊していなかった。調べてみたところ今年の4月に再び東京で個展と似顔絵のオーダー会があるということで即予約し、家族みんなの写真を持参して無事お願いすることができた。

 サイズは両手で抱えるほど。アボジだけでなく、家族みんな喜んでくれた。作家さんは朝鮮語が分からないのに、私が書いて手渡しておいた文字を見ながら一人ひとりの名前を丁寧に書いて下さった。


 今週の頭からお休みをもらって地元に帰ってきている。これを機に、アボジの60年についてゆっくり話を聞いてみるのもいいかもしれない。(理)
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ある文章を読んで、子育てについて考えた

2016-06-14 10:00:00 | (愛)のブログ
先日、SNSのタイムラインに流れてきたある文章を紹介するブログ記事が目にとまった。
ある文章とは、「黒子のバスケ」脅迫事件を起こした被告の最終意見陳述書。

ここには引用しないが、ともかく考えさせられた。
ひとりの人間として、そしてひとりの子どもの親として。

(ネットで<【黒バス脅迫事件】実刑判決が下った渡邊被告のロジカルでドラマチックな『最終意見陳述』があまりにも切ない>と探すと読めます。)

最終意見陳述書には、精神科医からもらった本を読んで考えを改め、自分がなぜそういう犯罪を犯すようになったのか、冷静に客観的に分析している。

最初の意見陳述書ではあまりに幼い言葉たちが並んでいたが、ある精神科医の本を読むことで自身の置かれていた状況を把握した被告。
最終意見陳述書では、自身の経験に触れ、「根源的な安心」がどれほど生きていくうえで重要なものであるかを語っている。
罪を犯した被告を弁護する訳でもなんでもないが、生まれた時代(一昔前は「発達障がい、ADHD」という言葉もなく、勉強についていけない子どもたちは努力が足りない等と安易に切り捨てられてきた事も多かったと思う) 、育まれた環境で人はこんなにも変わってしまうものなんだなと妙に納得してしまった。

そして、両親が幼少期の子どもに与える影響は何と大きいことか。
多感な心を健全に育てていくには、親自身もたくさんのことをわかって、育てていかなくていけない。
子どもにとって何が一番大事なのか。そういう意味で、あの文章は子育てのためのヒントもちりばめれていたように思う。

日本にはたくさんの物があふれていて、たくさんの選択肢があり、たくさんの情報も氾濫していて色々と惑わされることも多いが、一番大事なものを見失わず子どもを育てていきたいと切に思った。(愛)

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「二十歳」の同胞たちを取材して

2016-06-13 10:00:00 | (S)のブログ
 今年7月、月刊イオが創刊20周年を迎える。
 という事情で、7月号では「二十歳」の在日同胞青年たちを取り上げた。

 正確には1996年生まれを対象にした。今年20歳になった・なる人たちだ。
 二十歳といえば、歩んでいる道はさまざま。多くは大学生や専門学校生。高校卒業と同時に社会に出た人や、2年制の大学・専門学校を卒業し今年4月から働き出した人たちもいる。

 私自身はこの間、6人の二十歳の同胞を取材したが、やはり「進路」という言葉をたくさん聞いた。
 まず大きな選択を迫られるのが、高級部を卒業するときだろう。「進路」に迷いながらも、ぼーっとはしていられないし、受験や何らかの面接などの準備を進めなくてはいけない。徐々に進路が決まっていく周囲にプレッシャーを感じる人もいるはず。家族、友だち、教員と話し合うことで考えがまとまることもあるが、その逆もある。
 そんな時期を葛藤と共に乗り越えたからだろうか、話を聞いた二十歳の人たちは皆、堂々と自身の考えを話してくれた。
 
 一方で、やっと新しい生活をスタートさせたかと思うと、すでに次の「問題」が立ちはだかる。「次の進路はどうする?」「本当にこれでいいのか?」「こういう道もあるかも…」。「二十歳」はそんな時期だと感じた。高校卒業後に進学した人は、いざ「社会」が目の前にあるからこそ、高校のときとはまた違う覚悟がいるかもしれない。

 年齢は私の3つ、4つ下になる。取材をする過程で、同世代として共感できたり、新鮮さを感じたり。また、数年前に自分が何に悩んでいたかも思い返してみた。

 結局は、進学や就職後も「進路選択」の場面は何回も来る。新しい経験をすると、その経験をする前の自分とは少し違う自分がいるかもしれないし、進路を考える「材料」も以前とは違うかもしれない。二十歳のときの考えや決断が、数年後のかれ・かのじょらにとっても同じだとは限らない。「やっぱりこの道しかない!」と思うか、新しい考えが生まれるか、それはその時にまた分かることだと思う。

 何かを「決める」ことは難しい。私もその時々に自分の考えや気持ちと向き合っていかなくてはいけない。迷った時、思い切って踏み出せる「勇気」を持っていたいと思う。(S)
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日本初の反差別禁止法ーヘイトスピーチ対策法が施行

2016-06-10 09:00:00 | (瑛)のブログ


 5月24日、衆議院本会議で「ヘイトスピーチ(以下、HS)対策法案」が可決、6月3日に施行された。

日本政府が国連・人種差別撤廃条約を批准したのは1995年。同法は、2009年から頻発するHSに限ったもので、外国人差別の根絶に向けた出発点に立ったといえる。

◇日本初の反人種差別法、求められる実効性

 HS法案の正式名称は、「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律」という。

 HSによって、「外国人出身者とその子孫が多大な苦痛を強いられ…地域社会に深刻な亀裂を生じさせている」とし、差別的言動解消が「喫緊の課題である」(第1条)とした。禁止規程や罰則のない理念法だが、日本で初めてとなる反人種差別法で、HSをなくす「国の責務」を明らかにしたことがもっとも重要な点だ。

 7条からなる同法は、外国人に対する差別的言動が、「あってはならない」としているものの、人種差別撤廃条約に基づき「違法」とは断定しなかった。

国や地方自治体が「差別解消に向けた施策を推進する責務がある」と定めたが、あくまで努力義務。条約が国だけではなく地方自治体を含む公共機関に対し、差別撤廃を求めている点からしても、不十分だ。

 また、基本的施策の内容が、すでに実施している相談、教育、啓発に限定され、基本指針策定、調査、結果報告義務、財政措置がないことなど、実効性には弱いが、国は反差別の立場に立ち、「HSは違法」ということは明確になった。

 日本政府は、人種差別撤廃条約を批准した時点で、外国人差別をなくすための法整備をしなければならなかったが、これを放置し続け、国連の場でも、①新法を作るほどの人種差別もHSも認識していない、②現行法で対処できている、③啓発で対処するのが適切―といってきた。2014年までこの立場だった。

 「ゴキブリ朝鮮人 出ていけ」「殺せ 朝鮮人」などHSの本質は人種差別だ。日本が批准した人種差別撤廃条約は、国が差別撤廃に法的責任を持ち、差別撤廃政策を構築し、法制度化することを責務と課している。HS法は、住居、就職など、在日コリアンやマイノリティへの差別的な取り扱いには踏み込まず、差別的表現のみが対象。朝鮮高校の無償化差別や、「朝鮮籍」者への人権侵害など、差別システムの解消に向けて、HS法を生かしていくことが求められている。

◇問題多い適法居住要件

 同法の一番の問題点は、「適法に居住するもの」と対象を限定していることだ。オーバーステイの外国人や難民申請者、アイヌや沖縄出身の人たちも対象外。法案成立に尽力してきた有田芳生参議院議員は、「在特会のヘイトスピーチを振り返ると、非正規滞在していたフィリピン出身のカルデロンさん、池袋では中国人が狙われた。アイヌや沖縄の人たちへの暴言もある。これではHSの解決にはならない」と語る。

 与党が提出した同法の欠陥を補うため、野党議員はぎりぎりまで動いた。それが法案提出時にはなかった附則と附帯決議だ。

 附則には、「不当な差別的言動に係る取組については、…法律の施行後…差別的言動の実態等を勘案し、必要に応じ、検討が加えられるものとする」とある。「等」の一文字は「本邦外出身者」以外への「不当な差別的言動」も対象とされることを示している。

 また、附帯決議には、「本邦出身者に対する不当な差別的言動以外のものであれば許されるという理解は誤り」「人種差別撤廃条約の精神に鑑み、適切に対処する」と明言された。 附則とは、政府に対する国会の要求で、法的拘束力があり、法律の解釈基準と言える。今後、ヘイトデモを許可する自治体や警察への具体的な指針になっていく。


差別主義者たちのヘイトデモ(6月5日、川崎市の中原平和公園)

◇川崎では警察がヘイトデモ許可

 法案は成立されたものの、各地では引き続きヘイトデモが実行された。5月29日には名古屋と福岡。法律施行後の6月5日には川崎で13回目のヘイトデモが予告されていたが、市民たちが市や警察に働きかけを続けた結果、5月31日、川崎市はヘイトデモ主催団体の公園使用申請を不許可とし、6月2日、横浜地裁川崎支部は社会福祉法人青丘社を起点に半径500メートル以内にヘイトデモの接近を禁じる仮処分命令(同行為を行なわせてはならない)を決定した。

これを受けて、デモ主催者は場所を変更し、川崎市中原平和公園でのデモを予定。中原警察署にデモ申請を提出し、神奈川県警はこれを許可した。立法府が法律を作り、行政府の公園使用不許可、司法の判断が出そろうなか、警視庁は6月3日、法の施行に合わせて各県警本部あてに「ヘイト解消法施行について」という文書を送付。「ヘイトスピーチと言われる言動やこれに伴う活動について違法行為を認知した際には厳正に対処する等により、不当な差別的言動の解消に向けた取組みに寄与されたい」と指示した。

当日は、数百人の市民が阻止に動き、デモを中止させたが、警察はなぜデモを許可したのか。疑問は残る。


川崎・桜本から国政に向けて差別をなくそう、共に幸せに、と訴えてきた崔江以子さん


シットインする人々は差別に抵抗するシンボルとなった


ヘイトデモを中止させるため、現場にいた有田芳生参議院議員は、この日が歴史的な日だったと語る。

 …驚いたのは神奈川県警の対応でした。ヘイトデモをとめようとシットインがはじまっても排除しなかったのです。これまでとはうってかわった画期的な対応でした。そして警察官はデモが10メートルほどで中止になってからも移動しつつマイクを使おうとした差別主義者に「違法デモだよ、これ」と警告を二度発しました。

 公園に戻り、川崎市民ネットワークの集会へ。在日1世の趙さんも3世の崔さんも泣いています。抵抗者とヘイトスピーチ解消法が結びついた気高い成果。法務省も川崎駅への「ヘイトスピーチ、許さない。」の電光掲示やポスター掲示などだけでなく、電光掲示の街宣車まで用意したことも眼を見張る対応でした。しかしこれからも闘いは続きます。全国でヘイトスピーチ根絶のための条例作りなど、地道な取り組みを進めましょう。この日は日本史に刻まれた歴史的な一日だったのです。「2016・6・5」を忘れない。(同議員のFBから)



警察は、差別主義者たちに向かって警備を務めていた


 在特会が結成されたのが2007年1月20日。この時の会員は約500人だった。それが11年4月には約1万人に膨れ上がる。

 2009年4月に非正規滞在のカルデロンさんの追放を求めるデモが起き、その年の12月4日、京都朝鮮第1初級学校は襲撃された。

 ヘイト法成立まで10年かかったと振り返りながら思う。この間に撒き散らされたヘイトデモによって、心身を傷つけられた人たちの回復は誰がしてくれるのだろう。このことも言い続けていかねば。

 ヘイト法成立を、無償化差別や朝鮮籍者への人権侵害にどのように生かしていくかは、待ったなしの課題だ。

 師岡康子弁護士は、「HS法だけでは差別は根絶できないので、人種差別撤廃基本法の成立につなげたい。そのためには、立法事実として、外国籍者やマイノリティへの差別実態を明らかにする必要がある。法務省は来年3月まで外国籍者への実態調査をするとしているが、実態をきちんと反映させるため、民間レベルでも実態を明らかにする努力を呼びかけたい」と語る。(瑛)
 ※写真提供=朝鮮新報
  
 


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"Impossible is nothing"

2016-06-09 10:00:00 | (相)のブログ
ボクシングの元ヘビー級世界王者のモハメド・アリが3日、74歳で亡くなった。30年以上にわたるパーキンソン病とのたたかいの末にその生涯を閉じた。私はボクサーとしてのアリをリアルタイムでは知らないが、ボクシングというスポーツの枠を超えて、世界に影響を与えた偉大な存在だったと思う。本当に残念でならない。

 アリは生前、数多くの名言を残しており、死去後、さまざまなメディアが彼の言葉を取り上げていた。数ある言葉の中でも昔から好きなのは、以下のもの。

 Impossible is just a big word thrown around by small men who find it easier to live in the world they've been given than to explore the power they have to change it. Impossible is not a fact. It's an opinion. Impossible is not a declaration. It's a dare. Impossible is potential. Impossible is temporary. Impossible is nothing.

 おおまかに訳せばこうなるだろうか。
 「不可能とはスケールの小さい人間が使うおおげさな言葉にすぎない、不可能とは事実ではなく一つの意見だ、不可能とは可能性だ、不可能とは一時的なものだ、不可能など何でもない」

 ちなみに。あまり知られてはいないが、アリは今から21年前の1995年、平壌を訪れている。4月28、29日の両日に行われた「平和のための平壌国際体育・文化祝典」にゲストとして招待されたのだ。下の画像は、アリの訪朝を報じた当時の「朝鮮新報」の紙面の一部を切り抜いたもの。笑顔が印象深い。(相)




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「しつけ」か「虐待」か

2016-06-08 10:00:00 | (K)のブログ
 北海道で男児が父親から山中に置き去りにされ行方不明になっていた事件は、6月3日に無事に発見され決着をみた。無事で本当に良かったと思う。
 この事件で、クローズアップされたのは、子どものしつけの問題だ。父親が子どもを置き去りにしたのは、「しつけ」なのか「虐待」なのかということで論争が起こっているという。今回の父親の行動が「しつけ」なのか「虐待」なのか、報道で得るだけの知識で判断するのは難しい。しかし、今回の出来事を見ていて、自分自身の子育てを振り返り、非常に心苦しい思い出が胸に宿った。

 私にも息子がいるが、幼い頃に、「しつけ」として、手を挙げたことが何度かある。絶対的な権力を持った者が抵抗できない幼い子に手を挙げる。その時は、「叱っていた」というよりは、「怒りを暴力としてぶつけていた」のだと、今振り返るとわかる。息子にとってみれば、恐怖でしかなかったと思うし、そのことが息子の精神世界に負の影響を与えたことは確かだろう。
 いろいろと反省し、息子が小学校高学年の時に、手を挙げることは2度としまいと、決意した。息子も大きくなって、今では私よりも腕力も強くなり、いま手を挙げても、逆襲されるだけだが、手を挙げるまいと決意したことは良かったと思う。もっと早く気づいていればよかったのにと、胸が痛くなる。

 私自身は、子どもの頃に体罰を受けた。竹でできた物差しでがんがん叩かれた。それで、親を恨んだことはまったくない。だけど、私がこのようなひねくれた人間になった一つの要因なのかもしれない。今の考え方は、私は体罰をやりませんということだが、体罰が許されるのかどうか…。公式的な答は「体罰はダメ」ということなのだが、そんなに単純ではないのだろう。
 今回の置き去り事件は、事が大きくなって、やりすぎだったということになるのだろう。(k)
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6年暮らしてみて

2016-06-07 10:00:00 | (麗)のブログ
先月、家賃の更新案内がポストに届いていた。今の家に住んで6年が経とうとしている。
会社が入っていた出版会館が白山にあったため、家も三田線沿いを探して今もその沿線に住んでいるが、もうそんなに経つのか…と複数枚ある書類をぼーっと眺める。

いま住んでいる所は東京でも有名な商店街が近くにあり、私の生活の支えになっている。
地元・大阪の生野区のような下町っぽさが特に好きで、住み心地がいい街でもある。
たまに顔見知り程度の人とすれ違ったり、在日の方もちらほら住んでいる模様。

6年暮らしてみて、商店街の店舗も変わっていくのを見てきた。
中には数ヵ月足らずで潰れてたり、同じ場所にラーメン屋が出来てはまた違うラーメン屋が出来ていたり、ケーキ屋が理容室になっていたりと、何かと移り変わりが激しい。
ほんの数日前まで何もなかった所に新しい店が出来ていることがしょっちゅうで、その度に、店に入るわけでもないのに無駄にチェックしている。

そんなある日、店内でも飲食可能なピザ屋が新しく出来ているのを発見した。
のぞいてみると店員は一人。中年男性だった。恐らく、店主だろう。
その店を横切るたびに、(脱サラしてずっとやりたかったピザ屋をオープンさせたのかな…大変だな)なんて勝手に妄想したり、繁盛しているかを気にしたりと、謎の親心的な気持ちで眺めていたりもした。
その後、ピザ屋はバーガー屋に変わってしまっていた。

6年も暮らしていると、色々と変わるもんだなぁ…と、街の風景を見てそんなことを考えていた。(麗)
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