日刊イオ

月刊イオがおくる日刊編集後記

第16回「南北コリアと日本のともだち展」

2017-02-21 10:00:00 | (瑛)のブログ



第16回目となる「南北コリアと日本のともだち展」(主催:同実行委員会、後援:文化庁、日本ユネスコ協会連盟、東京都教育委員会)が2月17~19日、東京都内の会場で行われた。

14年もの間、叔父や叔母、いとこたちが暮らす朝鮮民主主義人民共和国には行っていない。そんな私にとって、このプロジェクトは、朝鮮半島の息吹を感じることができる貴重なイベントだ。

たくさんの凧で彩られた会場では、小学生たちが思い思いに凧に絵や字を描いていた。

一番見たかった朝鮮半島の子どもの絵のコーナへ。







日本に暮らすコリアンの子どもの絵や中国に暮らすコリアンの子どもの絵も展示されていた。





今年のテーマは《私の一日を紹介します》。放課後に友だちと過ごす様子や、子どもたちの趣味が描かれていて、ホッとする。







平壌の子どもが作った凧も展示されていた。作り手の子どもたちと目線が合うので、もし再会することがあったら、親近感が沸くと思う。



今は行き来できない朝鮮と日本の子どもたちが、「文通」で心を通わせている様子も。

日朝の大学生たちが平壌で交流し、難しい政治課題を議論しつつ、埋められない「溝」を感じた新聞報道も展示されていた。

その記事を見ながら、社会制度も歴史も違う2つの国。ましてや両国の間には70年以上も国交がないことを再認識する。

そして、この不正常ななかでも、出会い語り合うー。この素晴らしさを伝えているのが南北コリアのプロジェクトだと、継続の力に感動した。




19日には、イオの1月号で朝鮮の凧作りを教えてくれた、韓東輝さん(元美術教師)のギャラリートーク「おじいさんの凧」も行われた。

釜山に暮らしていた頃、オモニのいない隙を狙ってミシン糸や小麦粉を探してきては、凧や凧糸作りを楽しんだ話、瓶を割った細かいガラスに糊、小麦粉に混ぜて凧糸に通し、凧ゲンカを楽しんだこと。。。貧しさの中でも満喫した少年時代の話は好評だった。

朝鮮半島と日本はこんなにも近いのに。。。近いことすら忘れてしまうほどの日常生活だが、自由に往き来できる「いつか」を思わせてくれたひとときだった。

展示の実現に尽力された関係者の皆さまに感謝します。(瑛)

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大阪無償化裁判が結審、判決言い渡しは7月28日

2017-02-20 10:00:00 | (相)のブログ
 大阪朝鮮高級学校(以下、大阪朝高)を高校無償化制度の対象としないのは違法だとして、大阪朝鮮学園が国を相手に無償化申請に対する不作為の違法確認と無償化の義務づけを求めた訴訟(以下、大阪無償化裁判)の第16回口頭弁論が2月15日、大阪地方裁判所で開かれた。
 2013年1月の提訴から約4年の歳月を経て、この日、大阪無償化裁判は結審を迎えた。原告側から2月10日付で、被告側からも2月15日付でそれぞれ最終準備書面が提出された。
 原告側弁護団は最終弁論の場で、これまで行ってきた主張をまとめた最終準備書面の要旨を陳述した。
 まず、李承現弁護士が本件事案の概要について述べた。
 李弁護士は、高校無償化制度は各種学校である外国人学校にも就学支援金を支給するという画期的な制度だったと指摘。この裁判が、朝鮮高校に通う生徒たちだけが支給を受けられないという異常な差別状態を解消し、無償化法の目的である教育の機会均等をなしとげるためのものであり、朝高の生徒たちが普通教育に加えて民族教育を受ける権利を充足するための、子どもたちの未来を切り開くものであるとのべた。また、被告側による規定ハの削除は、拉致問題など日本と朝鮮との間に存在する政治、外交上の理由によってなされたと指摘。これは「無償化法の趣旨を蹂躙する明白な違法であり、無効である」とのべた。
 続いて金英哲弁護士が、「規程13条に適合すると認めるに至らなかった」という不指定処分の理由の違法性について明らかにした。
 被告は教育基本法第16条の「不当な支配」を理由に朝鮮高級学校は学校の運営を適正に行うことができない疑いがあるとしているが、金弁護士は日本教育法学会の成嶋隆会長の見解を引用しながら、規程13条は一種の訓示規定と解するほかなく、かりに法令に基づくことを指定の要件と解するとしてもその法令の範囲は限定され、学校の一般的な財務会計事務にかかる法令であると解すべきだと指摘した。そのうえで、文科大臣が「不当な支配」などの会計事務とは直接関係ないものを法令に含めて解釈し不指定処分を下すことは法の委任の範囲を逸脱する違法行為であるとのべた。続けて、文部科学大臣が指定、不指定を判断するにあたっては憲法、国際人権条約、高校無償化法などによりその裁量は著しく限定され、本件不指定処分が文科大臣の裁量の逸脱であることは明らかであると指摘。産経新聞などの真偽未確認の記事や教育目的でない公安調査庁の情報等は「認めるにいたらない」とする根拠にはならないとのべた。これらに加え、本件不指定処分には民族教育の権利の侵害、憲法14条違反、国際人権法違反、行政手続法違反などの違憲、違法が多々あり、いずれの観点からも取り消されるべきだと主張した。
 最後に丹羽雅雄弁護団長が、この裁判において充分に理解されるべき本質的事項について、以下のように陳述した。
 ①朝鮮学校とそこで学ぶ子どもたちは日本国家による朝鮮半島全域の植民地支配という歴史的経緯を有する存在である。②本裁判は朝鮮学校で学ぶ子どもたちの教育への権利に関する裁判である。民族的少数者の子どもたちは国際人権法によって母国語による普通教育と民族教育への権利を保障されており、外国人学校や民族学校は民族的少数者の子どもたちの教育への権利を充足させるための施設である。③高校無償化法は、各種学校扱いされてきた外国人学校にも就学支援金を支給する初の法律で、受給主体は生徒たちである。④第2次安倍政権は朝鮮学校で学ぶ生徒たちを無償化制度から排除する意図を持って本件不指定処分を行った。⑤本件不指定処分により、朝鮮学校で学ぶ子どもたちの等しく教育を受ける権利が侵害され、差別的言動やヘイトクライムの誘因ともなっている。⑥本件訴訟は憲法訴訟であるとともに国際人権訴訟でもある。朝鮮学校の生徒のみを無償化制度の対象から排除したことは、日本国家による制度的人種主義ともいえる事案である。
 丹羽弁護団長は、裁判官に向けて「歴史の法廷にも耐えうる公正な判断を求める」と訴え、陳述を締めくくった。

 これをもって弁論は終結した。裁判長が、判決の言い渡しは7月28日午前11時より行うとのべて閉廷した。
 高校無償化制度からの朝鮮高校の排除という差別に果たして大阪地裁はどのような判断を下すのか。結果は5ヵ月後だ。(相)
 
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月刊イオ、3月号が完成しました

2017-02-17 10:00:00 | (K)のブログ
 月刊イオ3月号が完成しました。
 特集は「私の卒業物語」。3月と言えば卒業の季節です。特集では学校からの卒業だけでなく、人生の様々な場面を卒業する人々を紹介しています。16年間、親元を離れて寄宿舎で生活して朝鮮大学校を卒業した人、朝鮮学校のオモニ会から卒業した人、焼肉店経営の第一線から退いた人、地域の分会から卒業した人、どぶろく作りの仕事から退いた人、プロレスラーを引退した人など、いろんな人たちの「卒業」を紹介しています。人生の節目にたった人たちの人間ドラマをお楽しみください。

 特別企画は「朝鮮半島情勢と在日コリアン」。朝鮮半島と離れて生活する在日コリアンですが、しかし、常に朝鮮半島情勢に生活を左右されてきました。分断状況は在日コリアンにも真の解放をもたらさず、常に矛盾を押し付けています。だからこそ、在日コリアンは、朝鮮半島の北と南の平和、そして統一を望み、行動を共にしてきました。いま朝鮮半島の南では、大統領退陣を求める大きな動きが起こっています。統一のために活動してきた3人の人たちに、今の朝鮮半島を眺めて思いを語ってもらいました。

 特集、特別企画以外の記事は、朝鮮学園側の訴えを退ける不当判決が下された大阪補助金裁判について、埼玉朝鮮初中級学校のアボジ会が毎年行っているユニークな「1日給食」について、受給資格期間が25年から10年に改正された年金問題について、報告しています。
 3月号も豊富な内容でお送りしています。ご愛読ください。(k)
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お寿司初心者

2017-02-15 10:00:00 | (麗)のブログ
去年の冬、初の「一人回転寿司」を経験した。
近所の商店街に買い出しに行っていて、ふと目に入ったのが回転寿司屋だった。

基本的に生ものがあまり得意ではないので、寿司も特にこれといって好きな食べ物の部類には入っておらず、
特にこれといった興味も関心もなかったが、最近なぜか美味しいなと感じるようになり、
テレビで回転寿司のCMが流れると、食べたい!と思えるようになったきた。

私が入った回転寿司屋はタッチパネルで寿司を注文すると、新幹線のようなものがシュゴーッとすごい勢いで流れてくる。
すごい。
これも目で見て楽しむ工夫のひとつだなと思う。

「人生損してる」
寿司がそんなに好きじゃないと発言した時に言われた一言だが、今思えばそれもちょっとはわかってきた。
味覚って変わるものなのかなと思いながらも、食べるネタはそんなに多くはなく、まだ少し勇気がいるものもある。
「何故これを食べようと思ったのか」と思うようなネタも中にはあるので、まだまだ自分は「寿司初心者」だなとも思う。

最近、中でも雲丹が美味しいなと思えてきたので、いつか高級な寿司屋に連れて行ってもらった際には、ちゃっかり注文してみようと企んでいる。(麗)
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4月号は「俳句・短歌」!

2017-02-14 10:00:00 | (理)のブログ
 先週3月号の締切が終わり、さっそく4月号の工程に取りかかっています。今回の特別企画は「現代・在日朝鮮人歌集(仮)」と題し、在日朝鮮人に関する俳句や短歌を紹介します。

 同胞たちがつくる俳句や短歌は、新聞の寄稿欄や日本のコンクールなどでたびたび取り上げられ評価されています。俳句や短歌という日本の文化に自分たちのアイデンティティをのせることで、キラリと光を放つ作品になるのでしょう。また、日本の方々が日・朝の友好を願ってつくった作品も、温かく味わい深いものが多いです。ということで、さっそく作品探しを始めています。

 昨年末、地元に帰った際には、一足先に関連取材もしてきました。札幌市在住の俳人・佐藤天啓さんです。佐藤さんは、日本語と朝鮮語の「ミックス短歌/俳句」なるものを考案した人物なのです。ミックス短歌/俳句とは? 例えばこんな一首。

凍る身を/溶かしてくれる/따뜻한 국(温かいスープ)

 その名の通り、日本語と朝鮮語を使いながらつくる俳句や短歌のことです。うまくつくれると、日本語だけだと伝わりきらないニュアンスがほんのり浮き立ってきます。

 佐藤さんは、北海道朝鮮初中高級学校で行われている「朝・日交換授業」で、2013年からこのミックス短歌/俳句を使った「歌会」をしています。
 歌会とは日本古来の遊びで、事前に知らされたお題に沿って参加者らが歌をつくり、名前を伏せて発表する場。そしてそれぞれが気に入った作品を選び、どこがよかったのかコメントしあいます。匿名にすることで「誰の作品か」など気にすることなく、のびのびと意見しあえる。時には経験年数の少ない人がベテランより票を集めることがあり、そういう部分も面白いと話していました。

 ミックス短歌/俳句の取り組みをするにあたって、佐藤さんは独学で朝鮮語も学び、15年と16年の交換授業では朝鮮語で歌会の進行をしたとか。実際、私が取材に伺った時も簡単な朝鮮語を交えてお話しして下さいました。

 佐藤さんは他にも、北海道初中高の生徒たちとつくったミックス短歌/俳句ほか、詩、エッセイ、特別寄稿文などを収めた文集『ウナス』を発行しています。京都府在住の詩人が、京都朝鮮中高級学校の生徒と詩集を作っていることに触発されて始めたそうです。これまで第3号まで発行しており、来月には90ページからなる第4号を発行予定。話の流れで、私も寄稿させて頂くことになりました。
 


 そして佐藤さんよりお知らせが。朝鮮学校出身で、編集・発行の応援のために1500円以上ご寄付を頂いた方には、最新号の『ウナス』を1冊差し上げますとのこと。先着20人です。口座など詳細については以下の連絡先へお願いします。(理)

 文集『ウナス』発行委員会 佐藤天啓(Email:tennkei2004@yahoo.co.jp

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猫と触れ合う時間

2017-02-13 10:00:00 | (愛)のブログ
先日、猫と触れ合える「ねこぶくろ」という場所に行ってきた。

いままで猫は5匹飼ってきた(実家で)。
4匹は天寿を全うし、いまは1匹が残っているだけだ。
東京の家では猫を飼うことができないので、実家に帰ってその1匹の猫と触れ合えるのがひとつの楽しみでもある。

自分の子どもは猫を飼いたいというが不可能なので、せめて触れ合える場所を、ということで連れていった。
ところが、あまりの猫の可愛さに子どもよりも大興奮で写真を撮りまくってしまった。
ちょうど入場した時間がネコちゃんたちのご飯タイムでもあり、手から直接ご飯をあげることもできた。

色んな種類の猫たちがいて、それも面白かった。






一番可愛らしかったのが、ロシアンブルーのジャスミンちゃん。
ロシアンブルーは飼い主にとても懐くらしく、店員さんの肩の上にずっと乗っていた。
(その後<そろそろ重いからどいてね>、と降ろされていたが…)


会社が今の場所に移転してからは野良猫もよくみかけるのだが、
野性の猫は触らないと決めているので久々の触れ合える時間にかなり癒された。

子どもも猫と触れ合えることができて楽しかった様子。
なでなですることができた猫の写真付き缶バッチのお土産ももらい、満足して帰った。

私個人的には実家で飼っていた猫たちはもう家族の一員だったので、色んな感情を教えてもらった。
いつかもし猫を飼えるような条件が整ったら、子どもに生命の大切や愛しさ、責任等を教えるためにも猫を飼ってもいいな、と思っている。(愛)
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日本人のオモニの話を聞いて

2017-02-10 10:00:00 | (S)のブログ
 先日、イオの読者を訪ねる取材で、朝鮮学校に子どもを通わせる日本人のオモニ(母親)にお会いした。

 そこで、どうして朝鮮学校に入れたか、また実際にどんな経験や不安、出会いがあったかなど、いろいろとお話を聞かせてもらった。
 
 朝鮮学校で学んだ経験がないのはもちろん、在日のコミュニティに知り合いはいない。さらに、そのオモニを悩ませるのは自分と夫がウリマル(朝鮮語)をできないことだった。
 夫も日本の学校を卒業したためウリマルは学んでおらず、家で子どもの宿題を手伝ってあげられないという。他の子どもたちとの家庭環境の差を一番心配されていた。また、今後中級部・高級部と新しい環境になったときの不安も尽きない…。
 
 そんな中で、宿題プリントの裏には必ず日本語訳をつけてくれるなど、細かいところまで一つひとつサポートしてくれる学校の先生には感謝しかないという。気兼ねなく明るく接してくれる他のオモニたちの存在も大きい。

 子どもが通う学校は私の母校でもあったため、当時と今では学校がどのように違うかなど話は尽きず、雑談を含めいつの間にか3時間以上が経過していた。

 朝鮮学校にも日本人や外国人の保護者がいることはよく聞いてはいたが、直接会って話を聞く機会がこれまでなく、私にとっては気付かされることが多い取材だった。
 同じ学校に通わせていても持っている背景などはそれぞれにある。もちろん朝鮮学校出身同士だから共感できることもあるが、「あたりまえ」にとらわれずいろいろな視点を想像できるかどうかが大切になってくると思う。
 これからも「ウリハッキョ」が、人と人をつなぎ、温かく包み込んでくれる場所であってほしい。

 同じ地域の方なので、今後会う機会にまたお話を聞かせてもらいたい。(S)
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投書について

2017-02-09 10:00:00 | (瑛)のブログ

 先日、都内に朝鮮学校に通う初級部6年の児童の投書が朝日新聞に載った。

 社会的に少数者で税金を納めながらも、その市民権が保障されていない私たちの声が、百万部台の部数を発行する大手新聞に載ることは意義があるし、なにより、自分の立ち位置を社会に発信できる12歳の子どもが誇らしかった。

 しかし、拭いがたい違和感は何だろう。

 記者になった23年前、大手の新聞社には、朝鮮学校の子どもが鉄道のホームから落とされたり、暴言を浴びせられたことについて、「なぜ」「ひどい」という声を発信する記者がたくさんいた。

 子どもの側に立つ記者、弱いものを追いやる社会を問題にした記者が、今よりはたくさん存在していたと当時の新聞スクラップを繰りながら思う。

 その風向きが変わったのは、2002年9月だった。「朝鮮学校=日本人拉致に手を貸した」という事実無根の言いがかりをつけられ、書いても、撮っても、朝鮮学校の記事がデスクを通らないという話を友人、知人の日本人記者からよく聞いた。

 大手こそ、マイノリティや社会的に弱い立場に置かれている声を載せるべきだと思うし、大手が載せないからこそ、イオのような媒体が必要だと思っている。20年間の変化の原因は闘う記者が減ったということだろうか。

 気骨のあるフリーのジャーナリストに会うと、まだまだ、と自省することも思い。

 各地には、冒頭の女の子のように、「思い」を形にできる人がたくさんいて、その筆に元気をいただく。

 今日は、友人の一人、三重県在住の金琴純さんの投書を紹介したい。(瑛)



2016年6月12日付け「朝日新聞」掲載


2014年12月11日付け「中日新聞」掲載


2013年10月8日付け「朝日新聞」掲載
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大阪朝鮮学園補助金裁判の判決を受けて研究者有志の声明発表

2017-02-08 10:00:00 | (相)のブログ
 さる1月26日、大阪朝鮮学園が大阪府と大阪市を相手取って補助金不交付処分の取消し等などを求めた裁判において、大阪地裁が原告の訴えを全て却下、棄却する判決を言い渡した(私の前回のエントリでは判決の内容も含めて当日の動きについて書いた)。
 この判決に抗議する研究者有志の声明が2月1日付けで発表された。声明全文は、
https://sites.google.com/view/ksubsidy/に掲載されている。
 昨年3月に文部科学大臣の名前で出されたいわゆる「3・29通知」受けて、5月に「朝鮮学校への地方公共団体の補助金に対する政府の不当な介入に抗議する研究者有志の声明」を発表したのに続くアクションだ。前回は声明を882人の賛同者名簿とともに文部科学省に提出した(最終的に929人が賛同)が、今回も声明への賛同を募っている(1次集約締切は2月13日)。
 声明にもあるように、今回の大阪地裁判決が昨年の「3・29通知」を受けて朝鮮学校への補助金支給継続について動揺している地方公共団体に波及することが憂慮される。このようなアクションを迅速に起こしてくれる学者、研究者たちがいることに勇気づけられる。
 以下に声明の全文を貼りつける。


 大阪朝鮮学園・補助金裁判不当判決に抗議する研究者有志の声明

 2017年1月26日、学校法人大阪朝鮮学園が大阪府と大阪市を相手取り、補助金不交付処分の取消しなどを求めた裁判において、大阪地方裁判所第7民事部は大阪朝鮮学園の請求を全て却下、棄却する判決を言い渡しました。わたしたち研究者有志は、これを子どもの学習権や民族教育の意義を一顧だにしない不当判決と捉え、強く抗議します。
 大阪朝鮮学園に対する補助金交付は、大阪府からは1974年度以来40年近くにわたって、また大阪市からも1990年度以来20年以上も継続された事業でした。ところが2010年3月、当時の橋下徹大阪府知事は突如、大阪朝鮮学園に対し、学習指導要領に準じた教育活動を行うこと、特定の政治団体と一線を画すこと、特定の政治指導者の肖像画を教室から外すこと、などのいわゆる「四要件」を補助金交付の条件として一方的に提示しました。さらに2011年の秋には、教室だけでなく職員室からも肖像画を外すよう大阪府の要求がエスカレートしていきます。そして2012年3月、大阪府が交付要綱を「四要件」に即して改悪したのち、毎年恒例の平壌での迎春公演に朝鮮学校の児童・生徒が参加している旨を『産経新聞』が報道すると、大阪府はこれが「四要件」に抵触するとして補助金全額の不交付を決定しました。続いて大阪市も大阪府の決定に追随し不交付を決めました。大阪市が交付の根拠となる要綱を改定したのは不交付決定後のことでした。
 大阪府が日朝関係の悪化を背景に定めた「四要件」が、朝鮮学校を標的とする政治的意図をもっていたことは明らかです。「学習指導要領に準じた教育」を求めることも、教室や職員室における掲示物の適否を云々することも、行政による裁量の範囲を逸脱した干渉です。しかし判決文はこの「四要件」を含む要綱も「地方公共団体内部の事務手続」を定めたものであるから問題はなく、朝鮮学校を狙い撃ちにしたとは言えないと大阪府を擁護しました。さらに補助金不交付による児童・生徒の学習環境悪化、保護者の経済的負担増大などの悪影響については、補助金が学校法人への助成という枠組みを前提としている以上やむを得ない、とさえ述べています。判決文に司法の独立性を担保するような判断はまったく見られず、形式的な議論に終始することによって行政の不当な措置を追認し、正当化するだけのものとなっています。
 わたしたちは今回の不当判決が、大阪府・市だけにとどまらず、他の地方公共団体にも負の影響を与えるのではないかと強く憂慮しています。大阪府前知事の「四要件」提示を発端とする大阪での動きは、文部科学省の「高校無償化」制度からの朝鮮学校排除とあいまって、他の地方公共団体による補助金の打ち切りや減額を誘発しました。2016年3月には、文部科学省が朝鮮学校への補助金を交付してきた28都道府県の知事あてに、制度の再チェックを求める通知を発したため、各地方公共団体は対応を余儀なくされました。こうした日本政府・地方公共団体による朝鮮学校に対する狙い撃ち的な差別政策が、事実上、朝鮮学校は排除してもよいのだという排外主義的な思想を「上から」流布、扇動する機能を果たし、民族教育に対する風評被害をもたらしてきたのです。かかる状況を振り返るとき、わたしたちは、「人権の砦」であるはずの司法がこれに「お墨付き」を与えたことを、きわめて深刻な事態として捉えざるを得ません。すなわち、今回の不当判決によって無残な形で否定されたのは、大阪朝鮮学園の訴えだけではありません。日本社会の良識であり、民主主義であり、人権意識であり、植民地主義を克服しようとする歴史認識なのです。
 教育の機会均等実現や民族教育の保障は、憲法をはじめとする国内法規や国際人権法に定められ、政府・地方自治体として実行しなければならない責務でもあります。実際に2014年9月には、国連の人種差別撤廃委員会が日本政府に対して、朝鮮学校への「高校無償化」制度の適用とともに、地方自治体の補助金の再開・維持を要請するよう勧告しています。しかし今回の不当判決は、憲法や国際人権法などが「補助金の交付を受ける権利を基礎付けるもの」ではないとして、このような勧告に明らかに逆行する判断を示しました。
以上の点から、わたしたちは今回の大阪地裁判決を決して認めることができません。また、朝鮮学校への補助金制度を維持している各地方公共団体には、大阪地裁の不当判決を補助金交付見直しの口実としないよう、そして既に補助金を停止している地方公共団体にはこの判決を自己正当化のために悪用しないよう求めます。わたしたちは地方公共団体が、歴史的経緯と国際基準に照らして民族教育の権利を保障し、朝鮮学校への補助金交付を維持、発展させることを求めます。あわせて政府・地方公共団体の文教政策において、朝鮮学校に対するレイシズム(人種・民族差別)をただちに中断するよう求めます。

(相)
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女性差別のゴルフ倶楽部

2017-02-07 09:46:01 | (K)のブログ
 2020年東京オリンピックのゴルフ競技の会場に予定されているゴルフ倶楽部が正会員を男性だけに限定して女性会員をシャットアウトしていることが問題になっている。ゴルフにまったく興味がないしやることもないので知らなかったが、その倶楽部だけでなく、他の倶楽部でも女性会員を認めないところが少なくないようで、また、会員を日本国籍だけに限ると「国籍条項」を設けて在日朝鮮人などを排除している倶楽部もあるという。

 オリンピック憲章を持ち出すまでもなく、こんな差別がまかり通っていることに驚かされる。そんな倶楽部の男性会員は、倶楽部の差別体質をどのように考えているのだろうか。認識しながら普通にゴルフを楽しんでいるのなら、差別に加担していることになる。

 電車の女性専用車両について、「逆差別だ」と文句を言う人がいる。電車の中で赤ちゃんが泣いただけで「うるさい」と怒る人がいる。その思考のメカニズムがわからない。理解できないこちらの感覚がおかしいのだろうか。いま日本社会では、「常識」「良識」と言われるものがどんどん崩壊していっていると感じている。

 女性差別も外国人差別も、世代を経ても様々な差別がなくならない。ゴルフ倶楽部の男性会員の意識にも言えるのだと思うが、差別をする側、優位に立っている側は、その構造を壊したくない。優位な側にいる人間が社会を牛耳り続ける限り、差別はなくならないのではないか。日本では国を挙げて朝鮮人を弾圧し差別する。人々の格差は広がり様々な差別が増大する。この社会はどこへ向かっていくのだろうか。

 いろんな問題が次々ともちあがる東京オリンピックだが、個人的には、やめてしまったらと思っている。(k)
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笑うこと

2017-02-06 10:00:00 | (麗)のブログ
最近、昔よく聴いていたとある芸人のラジオを初期の放送から聴き直している。
その芸人がラジオのパーソナリティを務めてもうかれこれ8年は経つ。

2009~2011年頃までの放送を聴きながら「この頃自分はこんな事してたな」とか
「こんなこと考えて全力で尖ってたな」とか、過去の自分を振り返り懐かしんでいる。
また、その時の放送で名前が上がったりネタにされている芸能人が今はもう他界されていると、ちょっぴりしんみりする。

軽快に場を盛り上げる芸人のトークを聴いていると、人を笑わせるということは、改めてすごい事だなと思う。
2時間ぶっ通しで喋って人を笑わせろと言われても、そう簡単に出来る事ではないし、
そこにはこちらが到底知りえないであろう苦労や努力、
計算し尽くされたものがたくさん詰まっているんだろうなと考えると、尚更すごいなと思う。
更には彼らが厳しいお笑いの世界で無名の時代から世間に知れ渡るまでの軌跡を想うと、
まるで傍で見てきてたかのように感慨深くなって胸が熱くなってしまう。
好きな芸能人はその人の人生や人となりをついつい調べたくなる。
芸能界という華々しくも特殊な職業で活躍している人たちの「人間的な部分」を知ることで、
より一層、その人に愛着が持てるようになり、応援したい!という気持ちになる。

ところで、普段あまり表情筋を使っていないせいか、お笑い番組でワッ!と一通り笑ったあとは、顔の筋肉がものすごく痛くなる。
笑うことってなかなか体力を使う。
笑った後は気持ちがとても晴れやかになる。

疲れた時や落ち込んだ時は、芸人さんのネタを見て元気を貰っている。(麗)
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今月から新しい学びをはじめます

2017-02-03 10:00:00 | (理)のブログ
 このブログやイオの誌面でも何度か紹介した「川崎市ふれあい館」で、なんだか興味深い取り組みが始まるようなのでお知らせします。



 デジタル・ストリーテリング(DST)とは? チラシにも書いていますが、同学習会で登壇予定の小澤真人さんが代表を務める「DST研究所」のHPで、より具体的に書かれていたので引用します。

 ―DSTは、デジタル(ICT技術)とストーリー・テリング(物語を創って語るスキル)を融合させる新しいコミュニケーション技法です。 対話の場(ワークショップ)を通して、一人ひとりが自分の物語を作って語り、写真やビデオ、イラストなどを使って、短編ビデオ作品を完成させます。 映像制作と上映会を行なうことで個人の主体性と人々の絆を生み出し、参加型・問題解決型の市民社会を作ります。

 研究所のHP(http://www.learning-v.jp/dst/about.html)で、さまざまな人が実際につくった作品を見ることができます。

 今回、川崎市ふれあい館では、在日コリアン高齢者の生活史を発信するツールとして、また少数者の生活課題を発信するツールとして、このDSTの手法を取り入れられないかと企画に至ったそうです。

 2月23日(木)の第1回目は、DST入門編。作品のつくり方を学ぶことができます。回を重ねて少しずつ、在日コリアン高齢者などと一緒に語りの保存活動につなげていくのでしょう。

 私もぜひ1回目の学習会に参加してみようと思います。ものごとの始まりの段階から携われる機会はそう多いことではないので、どのようなことが聞けるか、今後どのようなことができるのか、今から楽しみです。(理)
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流行りのドラマを見ながら思うこと

2017-02-02 10:00:00 | (愛)のブログ
私の趣味は何だろう?と思った時に、子どもの頃から欠かさずしてきたことがある。
それは「テレビドラマ」を見ること。
昔からドラマの時間帯と曜日はすぐに頭の中に入り、
(今日はこのドラマが放映するから●曜日だ!)と今でも曜日を確認するときに用いるほど。


住んでいる場所が田舎だったこともあり、友人の家も車でしか行けない距離のため、夜はとにかくテレビを見て過ごしていた。
テレビドラマはやはりドラマがあるので、もう夢中でみていた。
月9に関しては 「101回目のプロポーズ」の頃から朝鮮大学校に入学するまでは欠かさず見ていた(大学ではテレビ禁止だったので)。


大人になってからも気になるドラマの再放送などがあると録画をしてまでも見ていた。
新しいクールが始まるととにかく1話を録画して、継続して見るかどうかも決める。

去年のドラマで面白かったのが、漫画編集部の裏側を描いた「重版出来」と社会現象にもなった「逃げるが恥だが役に立つ」。
どちらも同じ脚本家さんの作品だ。
そんな風にたくさんドラマをみていると気付いたのが、私なりのドラマ理論。

ドラマが面白いかどうか、成功するかは大部分脚本によるということ。
●人の心の機微や細部など、リアルであるかどうか
(どんなに有名な俳優やベテラン俳優を持ってきても、脚本に無理があると瞬間興ざめしてしまう)

●主人公だけじゃなく、他のサブキャラもキャラがしっかりしていて、サブキャラのドラマも展開するかどうか
(色んな人物がでることによって、様々な人が自己投影しやすい)

●次回に惹きつける訴求力があるかどうか
(連続ドラマなので連続してみないと)

●あと、1番重要なのが、脚本の中の「伝えたいテーマがはっきりしているか」
だと思う。

そんなことをふと思うと、なんだか編集の仕事に似ているな、と思った。
伝えたいテーマ(主題)がはっきりしている記事はまっすぐ読者の心にも届きやすい。
私たち編成側も、こうしたい!という編集者の意向があるとそれに沿ってレイアウトもしやすいのだ。

その意向がなくても、記事の中から読者に何を伝えたいか、を自分なりに汲み取って編成しようと思っている。
結構忙しいと忘れがちになるが、その軸だけはぶれないように仕事していきたいと思っている。(愛)
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もうすぐ“卒業”シーズン

2017-02-01 10:00:00 | (S)のブログ
最近、卒業を目前に控えた大学の後輩や、大学院を卒業する同級生に会う機会があり、「卒業」について話したり考えることが増えました。

未来への希望であふれる卒業シーズンですが、複雑な気持ちにもなります。
国の差別によって傷つけられ、悔しさを抱えながら卒業していく朝鮮学校の子どもたちを思うと、胸が締め付けられるようです。

個人的に「卒業」で思い出すのは、大学を卒業する数日前、寮を出る準備が一通り落ち着いてきた頃に友人たちと作って食べたラーメン。ここで友人たちとあれこれ話して過ごすことももうないんだと思った瞬間、一気に寂しさが押し寄せてきたことを覚えています。
また、私は卒業後もそのまま東京に住むことになっていたので、周りの友人たちがそれぞれの地域に「去ってしまう」ような感覚がどこかにあり、それが寂しくてたまりませんでした。
実は今も、仲のいい後輩たちが卒業後に遠くに行ってしまうという寂しさに襲われています…(笑)

イオ3月号の特集テーマは「卒業」。その関係で、先日はもうすぐ卒業する朝大生の1人を取材しました。
初級部から16年間、親元を離れて朝鮮学校の寮で暮らした学生です。
初級部の頃、「家から通える学校に行かせてほしい」と泣きながらオモニに電話をした話や、寮で面倒を見た年の離れた後輩のことなど、たくさん話を聞きました。
印象的なのは、経済的に厳しい中、さらに寮にまで入れて朝鮮学校に送ってくれた両親への思い…。両親の選択が「間違っていなかった」ということを、卒業後の自身の姿を通して伝えたいと、まっすぐな目で話してくれました。
自分にない経験や思いを聞きながら学ぶことが多く、なんだか気が引き締められた気がしました。

卒業のときというのは、達成感や後悔、希望や不安、お世話になった人たちへの感謝の気持ちなど、いろいろなことを感じる時期だと思います。またそこには、周囲の人を含め、一人ひとりの思いやドラマがあると感じます。
特集では学校を卒業する人だけでなくたくさんの「卒業」が描かれます。
人生の先輩たちの話にも出会える貴重な機会になりそうで、とても楽しみです。(S)

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春節@横浜山手中華学校

2017-01-31 10:00:00 | (瑛)のブログ



 1月28日は旧正月でした。中国では春節。新暦の正月より盛大に祝います。

 現在、月刊イオ2月号から始まった新連載「日本の中の外国人学校」の2回目で紹介する横浜山手中華学校の取材に取りかかっていますが、同校の子どもたちが、横浜中華街の春節で獅子舞を披露するというので、取材に行ってきました。

「関帝廟あたりにいますよ」と学校の先生から教えてもらったので、待機していると、100メートルほど離れた場所で爆竹の音が鳴り響き、煙が上がっていました。

 人ごみの中を潜り抜けていくと、見えました、獅子舞の姿が!



 聞くと中華街にある600のお店を5体の獅子舞で回るそうです。

 獅子舞が店の中に入ると店員やお客さんの顔が一気に華やいで笑顔になります。



 獅子舞は、店内をかけめぐり、2階まで登っていきます。そして、最後は店の入口上についた封筒をパクリ! 

 封筒には、中華街への寄付が入っているそうです。



 獅子舞は男の子2人で動かしているのですが、肩車などアクロバット的な動きもあって迫力でした。

 横浜華僑総会や学校卒業生による校友会の皆さんが生徒たちをサポートしています。

 獅子舞を体感したのは初めてでしたが、とにかく傍で見ているだけで、気分が盛り上がりました。

 それにしても、600件のお店を回る獅子舞部隊、すごいです。今回、横浜山手中華学校を取材するのは11年ぶり、2回目ですが、地域のコミュニティーに守られ、若い力がコミュニティーを盛り上げていく光景に胸が熱くなりました。

 日本政府や自治体の保護を受けないので、同胞が守ることが当然だと思われるかも知れませんが、やはり、ここには「学校こそがコミュニティの中心」だという、異国暮らしの中で培われたしっかりとした考えがあるのだと思いました。



 「赤」に彩られた中華街を後にした頃は、日は落ちていましたが、幸せな気持ちに包まれていました。

 1月号に掲載された「日本の中の外国人学校2017」の初回、東京・阿佐ヶ谷のネパール学校も、読んでいただけるとうれしいです。

 前回の連載から11年が経っていますが、日本の中の外国人学校は、日本社会にしっかりとその存在を根付かせつつも、その姿を進化させていると感じています。(瑛)
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