文月の終わりに

2011-07-31 17:36:19 | Weblog
未明の地震に起こされ、後一時間ほどを浅い睡眠…夢を見ては目覚めて、の繰り返しで、頭が少々ぼんやりしています。
豪雨に続いての未明のこの揺れ、被災地の方々はさぞ恐ろしい思いだったでありましょう…。

それにいたしましても、今日は実に過ごしやすい。
窓を開けると、心地好い風が入ってきます。
体温を上回る気温になり、まとまった雨の後で急激に涼しくなる…この夏は、梅雨の最中からこんな感じでしたっけ。
来週は立秋なのですから、落ち着いてくれると良いのですが…期待するだけ無駄でしょうね(笑)。


文月も今日まで。
立場も住環境も変わり、諸々の不安を抱える中でも、体調は群馬にいた時より良好のようです(苦笑)。
あそこでの日々がいかに我が身を苛んできたのか、いや、自分で苛むような方向に持っていってしまったのかもしれませんが…どちらにしても、この変化で肩の荷が少しは軽くなったのでしょうか。

午後、区立図書館へ。
徒歩の時は、自動車よりもむしろ自転車に気を付けなくてはいけません。
路地からいきなり飛び出してくるし、信号は無視するし、夕暮れ時でも無灯火ですし…。
自転車同士、あるいは自転車と歩行者の交通事故が増えているのも、納得ですね。
群馬では高齢者のフラフラ運転や中高生の横並び走行・走行中の携帯操作が気になりましたが、こちらでは50~60代女性の無茶ぶりが目につきます。
決して関わり合いにはなりたくないものです。

さて、本日借りたのは…
*容赦なき戦争 太平洋戦争における人種差別(ジョン・W・ダワー/平凡社ライブラリー)
*晴子情歌 上・下(高村薫/新潮社)
*わたしはだれ? 櫻となって踊りけり(岸田今日子・吉行和子・冨士真奈美/集英社)

ジョン・W・ダワーは、前回帰り際に見つけた本。
『敗北を抱きしめて』の前時代が対象。

わたしは~は、三婆もとい三大女優(笑)による句会を肴にした鼎談と随筆集。
句会は『女子会』のハシリのようなものですし、随筆は女の子同士の交換日記みたいで、どこか懐かしいような…笑。

晴子~は、『新リア王』、『太陽を曳く馬』へと続く三部作の第一作。

今の読書ペースから判断すると、二週間で読める量なんてこんなもんでしょう。

何というお天気なのか

2011-07-30 18:51:56 | Weblog
昨夜はNHKスペシャルの冒頭でダウン…9時就寝なんて小学生並みですね。
そのせいか、まだ夜明け前に雨音で目が覚めてしまいました(おかげで、今頃睡魔が…笑)。
こちらで夜を過ごすようになって、これだけの本格的な雨は初めてではないかしら。
天気図は梅雨さながらでしたし、福島・新潟は記録的な豪雨。
さすがに雨のピークは過ぎたと思われますが、それにしても何というお天気なのか…。
今夜は関東地方でも激しい雨のおそれ、とのこと。
各地での被害が少なからんことを祈るばかりです。

しかし…今年の米の収穫量はどうなってしまうのかしら。
東北は震災と原発事故の影響が出るのは明らかですし、その上、新潟までが豪雨では…。
唯一自給率100%の米までも、十数年前のように輸入米頼りになるのでしょうか。


早朝、雨が上がったので30分ほど散歩。
分譲住宅やマンションの間に、昭和30~40年代に建てられたと思われる外装がトタンやモルタルのアパートが点在する様にホッとしますね。
地名は「 丁目」ですが、掲示板の自治会名には旧町名が残っており余所者にも何やら頼もしい…笑。
来月には盆踊りがあるようです。

あとの時間は、ひたすら荷物整理。
来客予定はありませんが、まともに暮らせる形を整えなくては、効率が悪くていけません。
群馬から昨日追加で送った荷物が届きましたしね。ここでやらないと、次に転居するまで手を付けないままの箱が出てきそうでオソロシイ(苦笑)。

ああ、草臥れた

2011-07-29 16:29:08 | Weblog
曇り時々晴れ、時折俄か雨がパラパラと…。

帰途は高崎線。
常の如く疲労困憊したため、グリーン車を利用したのですがグリーン料金が950円。
同一区間の自由席特急券が900円ですから、何か腑に落ちないように感じるのですが…。

上り方面で平日の夕方ということもあり、車内は比較的空いています。
そのせいか、後方にいるサラリーマン集団(声から推測するに3、4人かしら)の声が、実に耳障り。
これなら子どもの団体の騒がしさのほうが、よっぽどマシです。
こちらがナーバスな気分になっているせいもありますが、彼らは週末のプチ出張を終えての解放感か、傍若無人に傾いていますね。
仕事の電話だってデッキですべきところを車内で平然としているのですから(会話が丸聞こえですよ!!)、他の態度も推して知るべしでしょう。
壁に耳あり…列車内なんてどこに競合相手がいるかわからないのですから、会話に気を付けるのは当たり前ですし、それ以前に人としてのマナーがなっていないですよねぇ。

なんて、ここでグチグチ言う私も、サイテーの奴です(ーー;)

夕方からようやく雨になりました

2011-07-28 18:32:11 | Weblog
これで夜は涼しくなりそうです。
台風9号が発生したそうですが、このムシムシした空気とハッキリしない空模様は無関係でしょう。
湿気充満で30度をやや下回る気温と、体温を上回る気温で乾燥しているのとでは、どちらがましか…究極の選択とまでは申しませんが、悩むところです(苦笑)。

昨夜は『御宿かわせみ 花世の立春』読了。
お江戸が舞台の『かわせみ』は奥行きがある大人の話でしたが、明治に移ってからはひどく薄っぺらになってしまったようです。
明治編も今回で三冊目ですが、どうも…。
旧編の捕物帖世界から探偵小説へと軸を動かしたかったのかもしれないなぁと思うのですが、作者自身今一つ視点が定まっていないように感じられます。
年齢(来年80歳!!)からいっても、ぼちぼち限界かもしれませんね。
実際、最終話「抱卵の子」の終わり方は、かわせみの女将るいの心情描写で、あたかもシリーズ全編の終わりを告げているかのようでした。
現在、オール讀物で連載が再開されているかどうか知りませんが、ここで終わっても少しもおかしくないなぁと思いましたね。
何だかんだで二十数年に亘り読み続けてきた者としては、せめて東吾ぐらいは再登場させてほしいと無い物ねだりをしたくなりますが…苦笑。


今日は、留守番と猫の世話とで群馬へ。
新幹線ではなく、上野から特急草津号を利用です。
高崎までは新幹線より20分程かかりますが、自由席特急料金900円は有難い(笑)。
新幹線特急料金2200円との差額で、弁当と飲み物を調達できますからね(^_^)v
十日ぶりのこの家は、覚悟していたとは申せ、すっかり他人の栖になっていました。
これから夕食ですが、どこに何があるのか、塩胡椒・鍋釜を探すことから始めなければならず、神経を遣います。
まぁ、一人での留守番ですから気楽なものですが(苦笑)。

御近所探険〓

2011-07-27 14:05:52 | Weblog
いやぁ、蒸しますね(^^;;
にわか雨か雷雨の可能性があるとの予報でしたが、陽が射してますよ(苦笑)。


本日は、御近所探険…笑。
目的地は、最寄りの区立図書館です。
地図を見ると、住まいからは概算で1.2㌔の距離ですから、御近所かどうかは微妙かも(笑)。
児童館や住区センターなどが一体となった建物のワンフロアにある図書館までは、往復で5300歩ほどになりました。
行きは良かったのですが、館内で本を探している時に踵の違和感に気付き、確認すると靴擦れ(ーー;)
新品ではなく履き慣れた靴なのに今更どうして…と思いましたが、できちゃったものは仕方ありません。
かなりゆっくり目のペースで、30分近くかけて帰宅しました。


区立図書館で借りた本
*新・御宿かわせみ 花世の立春(平岩弓枝/文藝春秋)
*終わりからの旅(辻井喬/朝日新聞社)

次回は、ジョン・ダワー『容赦なき戦争』を借りる予定。

東博・『孫文と梅屋庄吉』展

2011-07-27 00:04:03 | Weblog
風は涼しく気温も極端に高くはなかったのですが、湿度が高い…。


午後から上野へ。
お目当ては東博『孫文と梅屋庄吉-100年前の中国と日本』展です。
本館特別5室で観覧料金は800円。
会期は7/26~9/4(途中、展示替えあり)。
梅屋庄吉…長崎出身の実業家、香港で孫文と知り合い、彼の革命運動に資金援助した他、宋慶齢との結婚の仲立ちをするなど、深く親交を結んだ…。
梅屋庄吉の「自分が孫文の革命に関わったことは自分と孫文の盟約にて成せるなり。これを一切口外してはならず」という遺言を遺族が守ってきたこともあり、日本ではあまり知られていなかったのでしょうか。
今回は、梅屋庄吉の曾孫小坂文乃所有の写真や資料を軸に、東博や長崎大学付属図書館等が所蔵する関連写真を展示しています。
たかだか一室だけの展覧会ながら、個人的には実に興味深く面白い企画でした。
梅屋庄吉と孫文(と革命の同士たち)の関わりや彼らの書などもさることながら、写真の数々がたいそう興味深い。
今みたいにあれこれ加工修正できる時代の写真ではありません。
明治期の、写真技術が日本に伝わってまだ数十年の頃のものですから、見ているだけで本当にわくわくしてきます。

冒頭は、北京城の地図と写真。
『ラストエンペラー』の映像を思い出しながら見ているうちに、自然に20世紀初頭の中国に気持ちがワープしていきます。
1901年の東京帝国大学の北京城調査に同行した写真師小川一眞が撮影したものだそうです。
清朝滅亡後には多くの城門や城壁が取り壊されたそうですから、今となっては貴重な資料と申せましょう。

次は、孫文と梅屋庄吉です。
当時の実業家は桁違いの経済力を持っていたのか(それでもなかなかできることではありません)、億どころか兆の金を融通したそうですから、それだけでこちらの想像を軽く超えていますよね。
辛亥革命ばかりではなく、頭山満らとともにインド独立運動も支援していたようですから、本当にスケールの大きい人だったのでしょう。

その次は、幕末~明治の日本の写真。
長崎・東京・横浜・神戸の風景で、1873年のウィーン万博に出品されたもののようです。
当時のウィーンの人々は、これらの写真を見てどのように思ったのかしら。

続いては、近代中国の姿です。
撮影した亜東印画協会というところがどのような組織かわかりませんが、1930年前後の中国各都市(広東・香港・南京・上海・北京)の写真と、殊にコメントが面白いのですよ。
残念ながら図録にはこのコメントまで収録されていませんでした(今日的視点では物議をかもす可能性が大でしょう)が、撮影当時の時代の空気をストレートに反映した文章は今の(一部の、と規定しましょう)日本人が中国や韓国・北朝鮮の人々に対して抱く感情と相通じるものがあるように感じられました。
写真は写真で資料的価値が高いと思います。
それ以上に私自身の共振性が高いかな。
これは最後のコーナー、万国写真帖とも関係するのですが、19世紀のロンドン・パリ・ブリュッセル・ニューヨークの写真よりも、亜東印画協会の写真のほうが心惹かれるのですね。

ラストは万国写真帖。
まだ映画がなかった時代、平面でしかない写真をいかに立体的に見せるか…ってことですね。
今風に申すなら、3Dってモンですか。
個人的には、地形図を広げて立体視していた地理学科の連中を思い出したのですが…。
それはともかく、欧米各都市の他、ウィーン万博用に作成された日本の名所などが展示されています。
ここまでくると、さすがに集中力が落ちてきまして、ほとんど素通り。

図録は1800円。
絵画展のカタログと違い写真が主体ですから、解説が物足りない以外は不満ありません。

ショップでは、長崎カステラなどのポピュラーな物産の他、かんころ餅やあごだしスープが販売されていたのに仰天(とは、大袈裟かしら…笑)。
「あご」は飛び魚のことで、煮干しのように加工したものから出汁をとります。
雑煮はあごだしで、なんてことを姑が話していたものでしたが、インスタントスープとは申せ東博でおめにかかるとは思ってもみませんでした(笑)。
でも、購入したのは、かんころ餅…笑。
五島出身の方から、お母様の手作りのかんころ餅をいただいたことがありまして、素朴な味わいにしびれたものですから。
考えてみれば、今はインターネット通販で国内どころか世界中の品物が購入できる時代です。
かんころ餅にしてもあごだしスープにしても、その気になれば入手することは容易ですが、それでは何だか味気無いような気がしますね。

堂々巡りするばかり

2011-07-25 23:43:38 | Weblog
昨日より、夏日復活。
酷暑まではならぬものの、幸か不幸か陽当たり(特に西日が)良好な部屋ですから…苦笑。
田舎暮らしの相棒は自転車でしたが、こちらでは住まいに駐輪場がないこともあり頼りになるのは我が両足のみ。
近所のスーパーまでの往復で5000歩位になりましょうか。
駅の周囲には商店街もありますが、スーパーのほうが近い為、ついそちらを利用してしまいますね。
まぁ、追々近所の探検もいたしましょう(笑)。



明け方に福島県沖を震源とする地震で起こされ、夜は夜で千葉県沖が震源の地震…。
どちらもこの辺り(23区北東部)は震度2ですが、アパートの2Fは揺れが伝わりやすいのか、かなりはっきりと揺れを感じました。
群馬から都内へ移り、揺れの体感と実際の数値とを微調整しています。


それにいたしましても、中国も日本もぐちゃぐちゃですね。
中国での列車衝突事故…修学旅行で中国に行った高知県の高校生が、列車事故に巻き込まれたのは何年前だったかしら。
あの時も死傷者がありながら、原因究明はきちんとなされなかったはず。
今回は事故車両を破壊して埋めるなんてことをして、今日にはもう運転再開だそうですから、やはりうやむやのうちに終わりそうで、これまた中国らしいと思ってしまう…偏見でしょうか。

うやむやと言えば、福島原発事故の対応。
目下は牛肉が話題の中心ですが、牛肉だけで済む問題ではありませんよね。
対応が後手後手にまわるうちに(そもそも対応する気があるのかどうかすら怪しい)、もぐら叩きのもぐらよろしくあちこちで問題が噴出しています。
コトが広範囲かつ長期にわたることが明らかなだけに、東電や政府の責任(賠償)負担の範囲を少しでも狭く軽くしようと意図しているのでは、と勘繰りたくなってきます。
10年、20年、もっと先で私たち一人一人にどのような影響があるのか、更には日本が国家として成り立っていけるのか…。
国家百年の計どころか、十年いや一年の計すら示されない現状。
それでも生命ある限り行き続けねばならんのですから、ボソボソとできることをやっていくしかないのですよね。

『空海と密教美術』展

2011-07-22 08:25:51 | Weblog
と言うわけで、東博平成館レポート(笑)。

ホントは20日、群馬からの帰途に寄るつもりでいた東博。
あの日は疲労困憊して、我が借間に辿り着くのがやっとでして…トシはとりたくないものです。

開催二日目、チケット売場・会場の平成館入口ともにスンナリ通れましたが、先日のブリヂストン美術館と比べると入場者がひっきりなしです。
六十代以上の方々がほとんどで、あとは夏休みの子ども連れもちらほら(動物園や科博のほうが子ども向きかも)。
イヤホンガイドは北大路欣也…今ではソフバンCMの「お父さん」の声ですが、かつて映画で空海/弘法大師の役を演じていましたね。
会場内ではテレビ朝日の撮影クルーとブッキングしましたが、目だった混乱もなくやり過ごしていました。


ここ十年ほど、空海・真言宗関係の展覧会はそこそこ見てきましたから、新鮮味がないと言ってしまえばそれまででして(ーー;)
今回は経本・仏具・仏画よりも仏像・曼荼羅といった大物が主体のため、展示数はそう多くありませんし(それでも、展示品すべてが国宝か重文ですからスゴすぎる…笑)、目玉のはずの立体曼荼羅も、東寺講堂では21体で構成されているのですが、この展覧会では8体のみ。
会場面積に限りがありますし、その中での努力の跡は認めますが(『阿修羅』展以来のノウハウの集結ですね)、それでも個人的には満足とは言い難いような…。
ただし、東寺にせよ醍醐寺や仁和寺にせよ、寺院ではここまで間近には見られませんので、その意味ではとても有難い…笑。


聾コ指帰上巻(8/23より下巻に展示替)が全て広げられていたのは、嬉しかったですね。
弘法大師の書では風信帖を何度か見ていますが、比べると聾コ指帰の字体は力が入っているというか、やや硬いかしら。
年代もありますし、風信帖が私信であるのに対して、聾コ指帰は彼の宣言文みたいなものですから、当たり前と言えば当たり前ですけど。
書と言えば、御請来目録(8/21まで展示)は最澄筆だそうで、弘法大師と伝教大師の筆跡を見比べるのも一興かもしれません。

私としては阿弥陀来迎図を見たかったのですが、あれは本来天台美術ですから、今回のテーマからは外れるのですよね。
後期展示の血曼荼羅を見に、もう一度足を運ぶとしましょうか。


空海と密教美術展
東京国立博物館にて9/25迄
図録2500円は、必須アイテムと思います。
ペラの出品目録だけでは、後々何が何やらわからない可能性が大ですから(笑)。
5ページにわたっての用語解説もありがたいですしね。
近頃の図録はビギナーにわかりやすいので、ホント助かります。
図録とオリジナルバッグとのセットで2800円なんてのもありましたが、このバッグはお世辞にも趣味が良いとは思えませんね(苦笑)。

本日の徒然/ 上野~赤坂

2011-07-21 17:41:35 | Weblog

台風一過…になるのでしょうか。
午前中はいくらか残っていた雨も上がり、やや強めの北風が台風の名残を思わせます。
昨日・今日は身体に優しい気温でしたが、それだけに酷暑復活がオソロシイ(ーー;)


写真は、不忍池の蓮。
これから暫くの間、蓮華を楽しめるようです。
この携帯のカメラは使い方が未だにわからず、肝心の花がどうも見えにくい(ーー;)
池之端1丁目交差点付近の入口から不忍池に向かうと、蓮の向こうに弁天様の緑色の屋根が垣間見える、なかなか良いアングルのようです(笑)。
お時間がございましたら、是非に(笑)。


さて、本日は東博で『空海と密教美術』展を見て、桃林堂で生水ようかんと葛桜、スイカを購入し、赤坂にある古馴染みの珈琲店へ。
珈琲店は、元同居人殿から依頼されてのことです。
鼻の粘膜が壊滅的状態になって2年半、嗅覚が以前の2、3割しか役に立たない身の上では珈琲を楽しむことができませんからね。
人生の楽しみの25%は失われたのかも…とは大袈裟ですか(苦笑)。

さてさて、11時半頃に東博に到着し、早目の昼食。
今回は東洋館横のホテルオークラ経営のレストラン・ゆりの木にしたのですが…。
お値段900円也の五目あんかけやきそば、皿は温めてあったのに肝心の料理がちっとも熱くなくてぬるいってのはどうなっているのでしょうかねぇ。
正午前で座席も幾分余裕があり、そう忙しいとは思えないのですが。
せめて麺にかけた餡だけでも熱々にしてほしいと思うのは、私のワガママかしら。
まぁ、千円以下の料理に手を掛けられないと言うのなら仕方ありませんけどね。
どのみちここは、二度と利用しないつもりですから。
都美術館が工事中で、ここのレストラン(リーズナブルで昔から贔屓でした)を利用できないのがイタイ。
この界隈、上野のお山を下りないと、財布に優しい店がないのですよねぇ┓( ̄∇ ̄;)┏

平成館1Fで臨時営業中の鶴屋吉信のあんみつの誘惑を振り切って(笑)、桃林堂へ。
お目当ては、もちろん生水ようかんです。
品の良い甘さとサラサラした口溶けが、いつもながらたまりません(笑)。
お土産用にスイカと葛桜を詰めてもらい、上野桜木から都立上野高校~ホテル鴎外荘~不忍通りを歩き、不忍池へ寄り道した後に、湯島駅から千代田線で赤坂へ。
赤坂自体は1年ぶり位かしら。
上野からですと銀座線で赤坂見附駅下車のパターンが多いですから、千代田線赤坂駅下車は何年振りになるやら。
街や人の雰囲気が、随分変わりましたね。
みすじ通りにある料亭の前で10人程のグループがたむろしていましたが、「赤坂ミニツアー」みたいな企画でもあったのかしら。
良し悪しはともかく、「高級料亭の街・赤坂」も今や昔の話ですものね。
珈琲店で、昔馴染みの店員さんとお喋りをして、豆を頼んで、帰宅。
携帯電話の歩数計では12407歩。
結構歩いたつもりでしたが、思ったほどではありませんでした。
少し、悔しいかも(笑)。

台風6号ノロノロ移動中

2011-07-19 22:25:32 | Weblog
午前中はさほどの降りではありませんでしたが、お昼頃から本降りに。
西日本各地は大変なようです。
被害ができるだけ少なく済むように祈るばかりです。


本日は、区民事務所で転入の手続きを済ませてから、群馬へ。
雨天時にはあまり動きたくないのが本音ですが、「元同居人」殿が今日でないと都合が悪いとかで、半ば強引に…。
まぁ、秘かに予想した通りの展開で、えっちらおっちら高速道路を利用してサポートに来るご婦人がおられ、荷物をまとめる際に取りこぼしていた私物は一切合財捨てられていました(苦笑)。
そこまで徹底されるほどまでに、彼女に対して悪いことをした記憶はないのですが…他者の気持ちなんぞ忖度していられないのでしょう┓( ̄∇ ̄;)┏
私とて、今やどうこう申す立場にはなく、ある意味では気楽なものですね。


本日、魁皇引退。
ご苦労様でした<(_ _)>