Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。体力作り、俳句、山行、美術館・博物館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。

焼ビーフン

2017年04月23日 16時29分40秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は休養日&休肝日。飲み過ぎた翌日が休肝日ということにしているが、これではあまり効果は無いかもしれない。すくなくとも一週間に2日の休肝日が必要とのご意見も聞かれるが、まぁあまり気にしないでいる。
 本日は「雪村展」の図録の解説といくつかの本を読み、参考までに岩波文庫の「列子」を本箱の奥から探し出して20年ぶりくらいに開いてみた。昔は好きだったが、荘子と比べて少々作為が鼻につくところがある。まだ読みが浅いのかもしれない。
 昼間久しぶりに焼ビーフンを作ってくれた。中華料理店で供される焼ビーフンはもやしが多い。これは悪くはないのだが、ビーフンよりももやしが多く、この場合は水っぽさが口に合わない。私の好みではない。もやしが合うのはタンメンや野菜ラーメンなどの熱い汁ものだと思っている。
 また炒め油が多すぎるのも好みではない。少なめの豚肉とネギとニラないしピーマンと混ぜて炒め、ふっくらと盛ったビーフンに黒胡椒をタップリとかけ、さらにコーレーグースーで唐辛子の辛味を加えたのが私の好みの焼ビーフンである。

 先ほどは買い物に付き合った。久しぶりに歩いて15分ほどの生協まで。妻の目的はその横にある和菓子店であったようだが、そうはいっても生協での買い物で結構重くなった袋を持たされた。

 帰り道、少し近道をしようとしてかえって100mほど余計に歩いた。「断定的にいうから信じたのに‥。信じたのが間違いだった」と云われたので、「それは40年前におれを選択したことからはじまっていることだ」と煙にまいて言い逃れをした。

コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

「雪村」展(東京藝大美術館)から -3-

2017年04月23日 12時13分54秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 私はこのどこか人を食ったような作品「列子御楓図」(アルカンシェール美術財団蔵)が好きである。
 解説では「列子」の中の「風がわが身に乗っているのか、わが身が風に乗っているのかも全く意識しない境地に達し得た」とある、と記されている。
 岩波文庫版の「列子」の「黄帝第二」に確かに「竟不知風乗我邪、我乗風乎」(ついに風我に乗るか、我風に乗るかを知らず)とある。ついでにその前の段落には黄帝がその理想の国のこととして「乗空如履實、寝虚若處牀」(空中に乗ずること實(大地)を履(ふ)むがごとく、虚(空)に寝ぬること床(牀)におるごとし」)とあった。
 掛け軸のように腰を落として、下部から見上げると空中の列子の上に向かうベクトルはさらに強調される。大地を象徴する岩と草木は最初に眼につくものとしては実に素っ気ない。それが空を飛ぶ列子を強調していると好意的にみるか、工夫がない、と否定的に見るかはわかれるところかもしれない。

 中国では仙人はひとつの理想像であったと思われる。私は列子の言葉は、無為自然の理想の民のことを下地にして、列子の境地を語っていると理解している。そうすると仙人が、社会と切り離されて「技術」として空中浮揚を体得したとすると、理想郷ではない仙人の自己実現のための「技能・技術」と思える。理想郷の民の自然な振舞いではなく、「作為」に基づく仙人像である。この作品もあくまでの「不自然」で、これ見よがしの振舞いに映る。「無為」の状態ではない。
 雪村自身もこのような「作為」にひょっとしたら疑問を持っていたのかもしれないと、私は理解したい。



 後期展示のため見ることは出来なかったが、解説ではこの作品は三幅対「琴高仙人・群仙図」との関連を指摘している。
 私の感覚では、「琴高仙人・群仙図」(京都国立博物館蔵)は描かれている人物たち(仙人)には動きがなく、視線もバラバラである。中央で鯉に乗っている仙人を見ている人物と思われる童子を含む人物は5人しかいない。「列子御楓図」の元となった左幅の手前の人物もどこを見ているか判然としないし、動きもない。中央の鯉に乗って表れた仙人などには興味を示していない。どこか「俺のほうがもっとすごいんだぞ」という対抗心すら見えるのではないか。
 人物が似ているので、描かれた時代は近いのかもしれないが、画家の思念・思想は大きく変化しているように思われる。あるいは、中国の「仙人」のもつイメージへの違和感を持っていたのか、という解釈で、両者を統一的に把握できるかもしれない。「琴高仙人・群仙図」のほうが重要文化財ということで、評価は高いようだ。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

ようやく帰宅

2017年04月22日 20時00分50秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 朝8時に家を出てから総会の会場についたのが9時前。総会終了後の懇親会と二次会がおわり帰宅したのが、19時。現役を退いてから旅行のときを除いて11時間も外で過ごしたのは数えるほどしかない。
 とても疲れた。明後日24日(月)は再び会場となった組合の会館に出向いて、会計の清算、出席者の整理、来賓へのお礼‥後処理が残っている。作業量としてはそれほどでもないが、これが終わらないと、落ち着かない。
 また本日の模様を記事とした退職者会ニュースの原稿を仕上げておきたい。
 さらに月曜日の夜は、沖縄国際大学教授の前泊博盛氏の講演会もある。演題は「トランプ政権と日米地位協定」。これはニュースの記事にはしないが、すっきりした頭で聞きたい講演である。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

「自選 大岡信詩集」から -3-

2017年04月22日 15時50分46秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 「光のとりで」(1997年)の「光と闇」。

 光と闇

光は無限の空間から降ってくる
たいていの人はさう思つてゐる

ほんとは光は
何億光年彼方に散らばる

鉱物が割れて発生したのだ
厖大な鉱物に閉ぢこめられ
重量そのものにまで圧縮された闇こそ
光の故郷である。

私といふ一瞬たりとも固定できない固体は
光と闇にたえず挟まれながら
しだいに押しつぶされ
厖大な鉱物の一片と化して
宇宙に還ることを希求してゐる
希薄そのものの物体である

せめて私は
暗闇そのものになりたいと思ふ
闇の底からわづかに洩れてゐるので
内部の闇から泡立つてゐることがわかる
そのやうな闇に私はなりたい
せめて
二十億光年ののちに。


 「重量そのものにまで圧縮された闇こそ/光の故郷である」「私といふ一瞬たりとも固定できない固体」などという断定はとても心地よい。
 そして「せめて私は/暗闇そのものになりいと思ふ」というその暗闇は「闇の底から光がわづかに洩れてゐる」ような闇であるという。
 この詩を読んだとき咄嗟に、宮沢賢治の「春と修羅」の序を思い浮かべた。「わたしといふ現象は/仮定された有機交流電燈の/ひとつの青い照明です/‥/風景やみんなといつしょに/せはしくせはしく明滅しながら/‥」という冒頭の一節。
 ここで取り上げた「光と闇」も、宮沢賢治の「あかり」のイメージにも、闇が対のように意識されている。自覚的に「光」と「闇」が取り上げられている。
 まだまだ理解しきれない部分ばかりであるが、この「光」と「闇」をキーワードにして、大岡信の詩と付き合ってみたいと感じた。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

句集「吹越」(加藤楸邨)から -4-

2017年04月22日 07時30分21秒 | 俳句関連
「吹越」から
(1975年作者69歳)
「人地獄」
★妻が負ふ淋しき顔の風邪の神
★満月下顔が小さくなりゐたる
★たくあんの波利と音して梅ひらく

 私は最後の句、「たくあんの‥」が何故か心に響いた。昔はなんの感慨も湧かなかったが、たくわんをポリポリ、ハリハリと小気味よい音を楽しみながら食べる爽快感、実にちょっとした爽快感であるが、これがとても愛しく感じることがある。はっきりいって60代半ばを過ぎないと分からない感慨のようである。
 その音と梅がひらく、というものの取り合わせが嬉しい。この爽快感が梅に伝わったのかという感慨、梅のひらくころの空気感も感じる。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

「自選 大岡信詩集」から -2-

2017年04月21日 22時57分25秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 「光のとりで」(1997年)の「音楽がぼくに囁いた」と「光と闇」という詩が目についた。本日は「音楽がぼくに囁いた」を綴ってみる。

 音楽がぼくに囁いた

私は静かな涙だから
鼓動するざわめきのきみを載せて
非現実の遠い岸まで
ゆりかごのやうに運んでゆく

私は深い闇だから
きみといふ瞬く光を囲ひこみ
きみといふ発行体を守つてやらう
きみのまはりがせめて仄かに明るむやうに

そして私は 音楽にすぎないから
人間にすぎないきみと共に遊ぶ
だからと言つて 私と所有できると思ふな
私は音楽だから
音楽をさへ超えて拡がる

私はいつでもまたどこでも
きみの腕の外側に溢れてしまふ
それが私の 音楽である宿命だから-
かの「沈黙」さへ 私があるから存在するのだ。


1997年というと大岡信は66歳。このようなみずみずしい相聞の詩と思われる作品を含む詩集を刊行する若さにちょっと驚きと羨望を感じた。
 第2連の「私は闇だから/きみといふ瞬く光を囲ひこみ/きみといふ発行体を守つてやらう/君のはわりがせめて仄かに明るむやうに」を読んだとき、声に出して読んで見たくもなった。しかし私はこれが自分の娘に向かってであっても、それは人に聞こえないように、どこかに隠れて声に出すと思われる。
 相聞の歌は、共同体の中でおおらかに発する時代から、対関係・家族の中でひそかにかわす時代である。
 私がわからないのは「沈黙」という括弧でくくった理由。この「沈黙」は何を意味しているのか、分からない。単に沈黙という言葉の意味ならいろいろ想像できるが、括弧付の「沈黙」がわからない。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

つくられた危機

2017年04月21日 20時11分50秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 北朝鮮の軍事冒険主義には誰もが眉を顰める。血筋による王朝継続と若い「指導者」ならぬ御曹司とそれを担ぐ政権にはうんざりである。しかしもっとうんざりするのは日本の政権である。今回の緊張について、米軍の軍事圧力に同調して合同の訓練などを当たり前のように推進する政権に私はどうしようもない嫌悪感を抱く。米軍と同調して「圧力」をかけるという、北朝鮮の政権と同じ土俵に立っては緊張関係は改善されることはない。日本の米軍基地が、日本そのものが攻撃目標となるだけである。軍事圧力しか念頭にないアメリカの現政権の危うさに便乗しては、東アジアの緊張緩和はあり得ないのではないか。結局アメリカもあの軍事路線を拡大する中国の北朝鮮への影響力行使に頼むばかりである。
 経済の基盤が脆弱で、幾度も食糧危機を招いてきた北朝鮮は必ずどこかでSOSを発しているはずである。これに乗じて、何らかのイニシャティブを発揮してこそ日本の存在価値が、国際社会で発揮できるのではないか。
 日本の政権は中国敵視政策の結果、今回も中国の北朝鮮への影響力行使について情報はアメリカ政府経由でしかない。中国との独自の外交チャンネルを喪失しているとしか思えない。これだけ敵視を繰り返し、靖国問題、侵略戦争問題、南京事件、領土問題をはじめとした過去の清算がなされないままである。そして北朝鮮との緊張関係の打開策を独自には展開できていない。危機を煽る政治は、三流以下の政治である。戦前の日本の幼稚な外交と何ら変わることはない。危機は自国の政権の無能の反映の側面もある。
 北朝鮮も、中国も、米国も緊張を緩和する方向を持っているとは思えない。信頼に値する政権ではない。危ういこと限りない。だからこそ日本がそれらの危うい政権と同調してはならないのではないか。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

明日に備えて‥

2017年04月21日 18時45分22秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 午前中は編集作業。午後からは連絡待ちと所用のため外出。携帯電話への着信を気にしながら横浜駅周辺で所用を済ませ、買い物の後は、調べもののために書店で立ち読み。ようやく帰宅。夜からは再び編集作業。

 明日はようやく退職者会の総会である。朝から夕方まで、極めて慌ただしい。参集者の顔ぶれは現役時代につきあいのあったかたや先輩ばかりである。総会などの会合のやりかたなどは、現役時代の延長なので特に難しいことや、新しいことは無い。新しい世界に踏み込んだわけではないし、人のつながりや会議の持ち方なども基本は変わらない。変わったのは、現役ではなく第一線を離れた「退職者」「労働組合員のОB」であること。
 気をつけていることは、現役世代に偉そうに処世訓を垂れないことと、あくまでも現役世代の活動を少しだけ支えることと、「敬老会」であり、互いの生存確認と親睦・交流をはかることに徹すること、これを忘れないことであろう。
 ある意味気楽と言えるかもしれないが、そうはいっても1300人ほどの会員を擁する組織を40人に満たない幹事で運営するエネルギーと人の動きはそんなに楽ではない。何しろ年6回の通信と個人的な連絡網が頼りの、ほとんど無償の善意と信頼で成り立つ組織である。少額とはいえそれでも会費を払ってくれる会員の信頼を裏切るわけにはいかない。幹事と会員との信頼関係を維持するには、厳しい緊張がなければ組織は解体する。
 総会や新年会やメーデーなどは100人規模で人が集まるので、役員は慣れているとはいえ、毎年疲労困憊になる。それでも懐かしい人に会える楽しみは、それをおおきく上回るものがある。

 40年以上引き受けた人間関係、それも厳しい組織再編成を体験した人間関係は、やはり退職したからといって捨てることは出来ない。お互いの生きかたの行末を最後まで確認し合いたいものである。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

句集「吹越」(加藤楸邨)から -3-

2017年04月21日 10時24分42秒 | 俳句関連
「吹越」から
(1974年作者68歳)
「樹下石上」
★葉の裏にひぐれの暗さかたつむり
★でで虫の前は匍ふべき面ばかり
★うすはかげろふ産みゆくその身切に曲げ
「陶の朱」
 流火草堂主人、古美術の数々を取棄てたるうへ、いままたおのが著作をも取棄つるよしを聞けば
★凄まじや君が負ひたる秋の暮

 1972年に続き、この年もアフガニスタンなど西域を訪れている。いったん帰国した時の句を並べてみた。
 乾燥した西域の自然を体感してきた作者の、帰国後の湿気を含んだ気候の受け止めが現われているのであろう。「樹下石上」の句は、一見初心者風の句が並ぶ。私もこのような句を作っていたころを思い出す。気候・風土の大きな違いの体感のあとの俳句そのものの原点回帰への一瞬でもあろうか。
 そして季感は、象徴的なイメージをもたらされ、句調が転回する。これは作者ならではの原点へと再度転回する。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

句集「吹越」(加藤楸邨)から -2-

2017年04月20日 23時08分03秒 | 俳句関連
「吹越」から
(1972年作者67歳)
「透明な水」
★淡雪のきえてしまへば東京都
「過去の黄」
★菜を過ぎて過去の黄どつと溢れたり
(1973年作者68歳)
「冬の鏡」
★誰か柚子を持ちてゐるらしデモの中
「手毬唄」
★菜の花に疲れてをればみな昔
★おぼろ夜のかたまりとしてものおもふ

 「手毬唄」の句は二句とも「思う」ことが、心のどこかでしこりや塊となって、いつもそこのところに至っては考えが先に行かない、そんなもどかしさの核になっているような状態を詠んでいるようだ。心の奥にあるこのしこりや塊は「疲れ」の核になることもあり、そして反復の挙句にらせん構造のように上昇することもなく、沈殿していく。60年も70年も付き合い続けている嫌な時間が春の憂鬱である。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

「穀雨」と「春深し」

2017年04月20日 21時27分43秒 | 俳句関連
 4月20日から5月4日までが「穀雨」。百穀をうるおす春雨の季節をさす。5月5日はもう立夏でもある。

★音絶えて独りが怖き穀雨の夜      長島八千代
★まつすぐに草立ちあがる穀雨かな    岬 雪夫
★春深し口より糸を吐く夢も       川原枇杷男
★まぶた重き仏を見たり深き春      細見綾子

 穀雨のイメージとしては明るい雨、柔らかい雨であり、生命力の旺盛さを準備する力が浮かぶが、人の思いはそれだけと正反対のものもある。二十四節気などの季語はそのことばのもつイメージ力が強すぎて、新たなイメージは作りにくい。歳時記などでも節気の季語にはどちらかというと言い古されてしまったイメージの句が並ぶ。「穀雨」も「深き春」もその例にもれず、といったところ。
 第一句の「音絶えて」は「独りが怖き」としたが、果たして成功しているだろうか。本日は私の気持ちにぴったりの句は歳時記からは見つけられなかった。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

句集「吹越」(加藤楸邨)から

2017年04月20日 18時39分13秒 | 俳句関連
作業が終わって先ほど帰宅。休養しながら「加藤楸邨句集」(岩波文庫)をめくっている。

「吹越」から
(1971年作者66歳)
「悪の相」
★薔薇はなれ一二歩にして悪の相
★闇の中牡丹の散りし闇のある
「男体」
★かまきりの畳みきれざる翅吹かる
★鈴虫の食はれ残りが髭振れる
「北越雪譜」行
★晩稲刈りし低き重心にて町ゆく
★死にきれぬ念々を目にいぼむしり

 今の私と同じ年齢となった加藤楸邨の句である。「死」が色濃く反映している。一方で荒ぶるような生、人知れず抑えて人には見せてこなかった自己の生の一断面をどこかでひきずってもいる。
 生と死の狭間の葛藤を読み取ってしまう。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

本日の作業はもう少し欲張って‥

2017年04月19日 22時01分41秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨日と本日で、A3版の裏表の新聞のほぼ半分ほどを作成した。明後日までには7割方は作り上げておきたいものである。何とかなりそう、というか、何とかしないわけにはいかない。
 本日もまた高い気温が続いた。横浜の最高気温は16時直前の25.5℃。また風も強く昼間は10メートルを越えていた。17時には瞬間最大風速が18メートルを超えていた。関内のあたりに所用があり、夕方歩いたが、ビル風で帽子が飛ばされそうになり、また足もとにビニール傘が転がってくるなどの怖い場面もあった。
 明日は朝から退職者会の総会に向けた議案書の印刷・製本作業、ならびに懇親会の準備作業である。帰宅後はつかれてニュース作成は難しい。本日、もう少し気張って作業を続けておきたい。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

「雪村」展(東京藝大美術館)から -2-

2017年04月19日 20時45分10秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 「雪村」展の図録らは辻惟雄氏の「雪村の奇想」という一文が掲載されている。そこで辻氏は「私に強い感銘を与えたのは、彼(福井利吉郎氏)が雪村を“水-瀧-雪-自然の威力”の画家と見るくだりである。‥私が何かを付け加えることが許されるならば、“風”と“波”を入れたい。その上でさらに加えたいのは、雪村が、鳥羽僧正のような伝説的存在を例外として、日本絵画史上最初に誕生した「奇想の画家」ということになる」と記している。
 今展覧会の副題でもある「奇想の誕生」はここからのものかもしれないが、いかにも「奇想の系譜」「奇想の図譜」の著作をあらわした氏らしい表現である。
 さて昨日「欠伸布袋・琥珀梅図」にふれたが、書き忘れていたことがある。左右の紅白梅図」の緻密な描き方と対照的な「欠伸布袋」の大胆で奔走な描き方の対比が私にはとても新鮮で魅力的に思われた。雪村という画家の二面性を表していると思った。このひとりの人物の描いた作品とは思えない極端な対比がこの作品の眼目であると思う。
 後期展示なので図録でしか見ていないが、辻氏は「瀟湘八景図」の秋冬の隻が残存する作品について「86歳の老人の筆とは信じがたいほど、大つかみな図様の細部に情感が籠っている。オーヴァーハングどころか、重力を無視して中空にせり出し、そこに伽藍が載っている。雪を冒してそこへたどり着こうとする人や馬、芥子粒のようなその姿は、‥北国の冬を熟知した者だけが描くことのできる光景である。‥「夏冬山水図双幅の冬景が、遥か以前に描かれながら、‥寒さを実感させる描写となっている」としている。

   

 ここで図録でしか見ていない「瀟湘八景図」の秋冬の作品(個人蔵)と、「夏冬山水図双幅」(京都国立博物館蔵)を並べてみると、筆致が実に対照的である。
 後者は実に細かく、念入りに描かれている。一方前者は大胆で早い筆致で描かれといる。このような大胆な筆致と緻密で念入りな作品の対比がここでもうかがわれる。
 この2面性が雪村という画家の魅力のひとつなのかと思うようになった。むろん若冲なども緻密な彩色画と奔走な水墨画という面を見せているが、水墨画風の作品でこのような対極のあがき方というのが雪村らしいところなのかもしれない。
 まったく蛇足ながら、辻氏のこの文章を読むと、辻氏は1972年ころ東北大学の助教授として学部に赴任してきたらしい。私が在学中のころである。私は当時の東北大にはまったくいい思い出はないが、少なくとも辻氏と仙台の地ですれ違っていたことは確かだ。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

カラスが人に攻撃的になるとき

2017年04月19日 10時21分21秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 暖かい陽気で、外はとても明るい。先週からときどきウグイスの声が聞こえている。今年は鳴きはじめが遅いようだ。いつもは桜が咲き始める前に初音を聞いたように思う。人の記憶とというか私の季節の記憶、日々の記憶というのは常に曖昧である。このブログに記載してあったとしても、それを読み返したり、記憶していたりすることはない。

 本日は、午前中は会報の編集作業、午後からは出かけて退職者会の総会後の懇親会のための買い物。午後から夜にかけてまた編集作業。

 昨日は後輩からカラスの巣の処理について教えてもらった。抱卵中や緋を育てている間は巣を撤去するには届け出が必要であること、それは昔は県の業務であったが、今は横浜市の場合は市への届け出となっていること、巣を低いところに作ってしまったときを除いて人を攻撃するのは抱卵中・雛を育てている間はそれに専念しているのでその時期よりも巣立ちの間際、雛が巣から落ちた場合に近寄らせないように人を攻撃するとのこと、その時期は6月頃になるとのこと等々を教えてもらった。

 むろん人が巣をのぞき込んだり、あまりに接近したら威嚇・攻撃される。また気が立っているから営巣中はむやみに刺激しない方がいいに決まっている。カラスも子育ては真剣である。カラスと聞いただけで恐怖心や毛嫌いをするだけでなく、カラスを見れば石を投げつけたり、威嚇する人間もいる。概して大人のそのような振る舞いを子どもが真似て、カラスに威嚇される。ますます大人がカラスを毛嫌いして排除しようとする。お互いに憎悪の螺旋階段を昇り詰めてしまう。解決はとても難しい。

コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加