聖書通読日記 2

2001年ペンテコステに受洗、プロテスタントのキリスト者

ローマの信徒への手紙 1章 ローマ訪問の願い その2

2009年08月18日 | 新約聖書日記
つづき


新約聖書注解Ⅱ 日本基督教団出版局 を、まとめて。
『手紙の本文の書き出し部分は当時のヘレニズム世界のそれと同じ「感謝」で始められている。
その内容は、神に対する感謝で始まり、その理由を述べ、祈りのたびに相手の名を挙げて執り成しをしていることを述べるものである。
パウロはこの部分を形式的な挨拶に終わらせず、具体的な関心事を簡潔に熱情を込めて語っている。
したがって、この部分の調子は手紙全体の調子を決定しているといっても良い。
例えば、ガラテヤ書は「感謝」を強い非難の調子を帯びた「驚き」に置き換えることによって全体の調子を決定している。
また、フィリピ書の喜びの調子はこの部分で既に決定的に打ち出されている。
このことは本書にも当てはまる。執筆の動機と事情、内容がここに既に出てくる。

「まず初めに、・・・・わたしの神に感謝」がささげられる。
「わたしの神」は旧約の表現であるが「イエス・キリストを通して」という付加語は決定的に新しい神との関係を示唆している。パウロの神に対する関係は常にキリストを仲介者としてなされる。
しかしこの仲介者によって神との関係は隔てられるのではなく、最も近くに引き寄せられ、「わたしの神」となるのである。
われわれが神に祈ることを可能にする根拠もここにある。

「感謝」の内容はローマのキリスト教徒の信仰が全世界に喧伝されていることである。
これは一見修辞的な発言であるかのような印象を受ける。
しかしパウロにとってローマは、すべての道が通じる帝国の首都であるとともに、全世界の中心地として、地の果てまで福音が宣べ伝えられていくその出発点なのである。
その中心地に福音が根付き、喧伝されているということは、地の果てへと向かう宣教が既に開始されていることにほかならない。
パウロが異邦人伝道の使徒として、この宣教活動に携わることを熱望するとき、この事実に感謝せざるを得ないのである。
感謝に続いて祈願が来る。
パウロの最大の関心事はローマへ行き、そこから地の果てまで伝道することである。
彼はこのローマ行きの願いを単刀直入に、強い熱情を持って語る。
祈りの際に常に名前を挙げて神に祈っていること、客観情勢は必ずしも良好とはいえないけれども決して諦めずに「何とかしていつかは」、しかし「神の御心によって」実現するようにと祈り求めていると語る。
この強い願い求めに続いて、11~13節には、彼の一方的な熱意が、相手を無視した身勝手な印象を与えはしまいかと憚っているかのように、あるいは彼のローマ行きが何か先方に対して不都合なことを招来する不安があるかのように、弁護的な響きのする理由が付け加えられている。
ローマ行きの願いの理由は、まず、「霊の賜物を分け与え」、彼らの力になりたいことである。
ローマの教会は彼が建てたものではない。
そのような教会に後から乗り込んで自分の影響下に引き入れようなどとは考えてないこと、少しでも「力になりたい」という謙虚な思いからのものであることを明らかにする。
さらに、この彼の願いが、一方的に与えようということではなく、相互に「励まし合う」ことだと述べられる。

14節には「全人類」がギリシャ的二分法によって、「ギリシア人にも未開の人にも」、「知恵のある人にもない人にも」と語られる。
「未開の人」の原語は、擬声語バルバロス、ちんぷんかんぷんの言葉をしゃべる人という意味で、ギリシア人が自分達以外の民族を自分達の尺度で無教養なものと見なしたことに由来する。
パウロも時代の子としてそうした偏見を共有していたわけである。
したがってこの平行句は同意反復である。
彼の使徒としての自己理解はすべての人々に福音を宣教することである。
その一環としてローマ行きの必然性が最後に繰り返される。
これが本書簡の執筆動機であり、その訪問に先立って自分の福音理解を開陳することがその目的であり、内容なのである。』



お祈りしますm(_ _)m
恵み深い天の父なる神さま
主イエス・キリストの御仲介によって神に近づくことが許されたことを感謝します。
そして神を、「わたしの神」、そして「父」と呼ぶことができるようにされたことに感謝します。
父であるわたしの神に、祈りをささげることを許されたことに感謝します。
主イエス・キリストの御名によってお祈りします。
アーメン


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