『福運集団の社長奮闘記』

私が感動した事・驚いた事・日々感じた事をたくさん綴っていきます!

木の効用

2009-06-06 19:38:59 | Weblog
『木』は、『気』を集める!!


 こんにちわ。今日はいいお天気になりました。今日は、西佐古で、先日来、工事中の古民家が、完成いたしましたので、明日の7日の日曜日まで、見学会を行っています。  どのように変ったか是非見に来てくださいね~。一部を紹介しま~す。 


(完成ほやほやの、西佐古の再生見学会です。玄関正面ですが、西側のサンデッキがまだついていません。)



(東側の外観です。今日は朝早くから、以前工事途中で見に来たお客さんが来て、早速検討して頂いています。その後すぐに、もう一人の方も検討して近近に、返事があります。大好評です!)



 ご存知の方もいるかと思いますが、崩れかけたような古民家で、解体工事をして新築の建物を建てようと、計画をしていたところですが、古い梁の古木の存在感溢れる魅力に取りつかれて、再生工事に踏み切った物件です。



(寝室ロフト付です。古い古木の梁が、人が住まうほど輝きだします。木は生きているのです。そして私達を優しく包み込んでくれます。安心感と癒しを与えてくれるのです。そんなパワーが古木にはあります!) 




 古民家の素晴らしさは、何といっても『癒し』でしょうか。新築の新しい木事態にも、癒し効果は有るのですが、古木にはかないません。木は、切り倒されてから200年から、300年かけて強度が、2~3割強く、硬くなりますが、きっと癒し効果もパワーアップして行くのだと思います。木の魅力の不思議の一つです。


(和室です。この吹き抜けの梁の存在感は、新築の家では出しえません。この家独自の持ち味です。魅力です!)



 先日、FM高知のラジオ番組「福運社長の奮闘記」に、出演して頂いた、高知大学人文学部、田村教授のお話の中で、こんな話をされていました。それは、「古来の中国から、木造建築の文化は、日本に伝わってきたのです。ですから、中国やアジアの国々は、木への熱い思いと言うか、愛着は深いものがあると思います。それから、チタンや白檀とか,香りの強い木を使って特別な家具や仏像を作っていました。それは、木は気持ちの気に通じ、気を集める力をもともと持っているのが、木であったわけで、アジアの方たちは、木への熱い思いは必ずあると思います。」と語られていました。


(こうした古民家は、住まう方によって、また大きく姿を変えます。その人に合った古木と、住まう人のハーモニーで、新たな空間と雰囲気を醸し出すのです。本当に、古民家は、人の心をときめかせます!!)



 ここで、田村先生が言われている「木は気持の気に通じ、気を集める力を持っている!」この言葉に有るように、木の魅力は、古来より良い気を集めるようです。
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海外進出の夢

2009-06-05 20:11:32 | Weblog
世界の中の日本!市場は世界へ!


(100年に一度という、経済不況に出会い、返って、本来の人間が生き残る道を模索し始めた感がいたします。今一度原点に立ち返ると、そこからは、新しい何かが見え、新しい何かの夜明けとなって、何かが起こるのは、過去の歴史が証明しています。今こそ、チャンス!!)



 こんにちわ。蒸し暑い毎日になりました。今日は、また朝から、朝日新聞社の取材があり、お昼過ぎまでかかりました。


(「生輝蔵」も、まだまだ改良して、パワーアップして、必ず日本の木造住宅を世界に知ってもらう先駆け隊の、使命を果たしてもらいたいと思っています。県内産の木材の需要も高まり、大工さんの仕事も増やして、伝統の技を持っている方々が、世界から、引っ張りだこになるような、時代に、早くしたいと思っています。)




 木造耐震ユニット「生輝蔵」の取材をと云うことでしたが、話している内に、古民家ときめき再生の方が面白いとの事で、古民家ときめき再生で、記事を載せて頂けるようです。


(古民家ときめき再生を行なった、香北町のカフェ&ギャラリーじゅじゅも一年過ぎると、このように住まう人の感性で、その美しさを益々深めて表します。住む人で、古民家は、その姿を、大きく変えていきます。底知れぬ魅力を古民家は、持っているのです。)




 話の中で、今やはり香南市が、人口も増加し人も元気があるし、伸びていく街だと、記者の感覚だけからでも、解ると言っていましたが、やはりほとんどの方が、香南市は今後、ユニークに大発展をして行く街だとの見解を持ってくれているようです。


(香南市の自然は、魅力ある風景や忘れかけていた田舎が数多くあります。それで居て交通の便はいいし、海のもの山のもの、美味しいものが豊富にあります。何と言っても元気で、前向きで、明るい人が多い町です。この写真も、観光協会の局長さんの写真ですが、香南市の魅力をそのまま写しています。幾ら見続けても、飽きない写真の風景です。)




 記者の方も、うれしい事に、今後もっともっと、香南市を取り上げて記事を書いていきたいと言ってくれていました。ユニークな方の多い香南市をもっともっと取り上げてもらいたいと思います。


(香南市の、現存して使われている港のなかで、日本で一番古い石積みの港です。この夜景も、往時の雰囲気をそのままかもし出す、自慢の風景です。ロマンチックで、哀愁感漂う、なんともいえない雰囲気を漂わせます。)




 ところで今日はそのあと、高知県の土木部港湾振興課の方に来て頂いて、INAP韓国経済ミッションの参加者募集の話を聞きました。この情報は、香南市商工会の川村氏より頂いたものですが、丁度欲しい情報でしたので、さっそく連絡を取って来て頂いた次第です。


(INAP友好提携港国際ネットワークで、あいさつをする、尾崎県知事です。観光立県を掲げて、県政の浮揚を悲願に、県民のための必死の行動を起こしています。この思いをそのまま我が心に刻み、官僚の方々や役所の方々は、行動を開始して貰いたいと心より期待しています。今県政に、地殻変動が起きているのです!!)




今年の九月、知事を筆頭にして、韓国に県内企業の販路開拓のために、国際ネットワークの六つの港(スリランカ、中国、フィリピン{スーピック}、フィリピン{セブ}、インドネシア) と日本の高知港との交流促進を促す目的で、交流参加希望の企業と一緒に、韓国への経済商談ツアーが組まれ、開催されようとしているのです。私にとっては、願っても無い、海外進出の足がかりになるチャンスです。


(INAPの会員港です。日本を含め七つの港が、友好のネットワークを組んでいるのです。夢が高まります!!しかし、政治も、現実も夢で終わってはいけません。夢を実現し結果が問われるのが、政治なのです。現実社会も全て、結果主義です!!)




 早速申込書を送り、出展希望の「生輝蔵」の資料を県の担当者の方に持って帰ってもらい、検討をしていただくようにしました。県の積極的な対応に感謝しています。そして何よりも、最新の情報を教えてくれた、香南市商工会の川村氏のスピードある対応と行動には、本当に感謝しています。ありがとうございました。


(INAPの展示の模様です。7つの港の人々や今回は韓国の企業家の方々が見学に来ての交流会に、なるようです。)
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お金は、命に変るもの

2009-06-04 19:03:08 | Weblog
命がけの、家造り!!



(苦労をし、悩んだ末に、出来上がるお家ほど、味わいのある良いお家が出来上がります。生きた材料には、そうした前進と成長への思いが、深く染み込んでいくのではないでしょうか。それは、環境までも取り込んで、素晴らしい空間を作り上げ見る人に迫ってきます。)




 こんにちわ。梅雨に入ったのでしょうか?なんとなくうっとうしい毎日が続きますね。  でも、気持ちは益々爽やかに、明るく元気で、健康管理にはくれぐれも気をつけて、共に前進して行きましょうね!



 先日、お客様から、不具合の指摘を受けました。現場を確認して調べたところ、大変な施工のぬかりが、解ったのです。即改善の指示を出し、平行して、原因の調査を行ないました。結果、原因は、職人の資質の問題でした。それは、とりもなおさず、会社の問題であり、最終的には、もちろん社長の責任です。



 大変なショックでした。私が一番大事にしてきた「信頼」の2字を足元から揺るがす重大な出来事だったのです。




 私は、常々社員達に言っている事は、「お金は、命に変るもの」と、教えています。当社は、お客様から数千万のお金を預かり、「信頼」をして頂いて、仕事をさせて頂いているのです。お客様からすると、「命預けます!」よね~。凄いことです!!




 お客様の立場からすると、「幸せな生活をしたい、自分の人生を、家族の人生を輝かせて、生きて行きたい!!」そのために、汗水流して、苦労して、時間をかけ、ほしいものや、食べたいものも我慢をして、命を削って、お金を貯めていくのです。


(自身の命の要求が、お金を介して、素材や空間に変っていきます。使い方一つで、いろんなものに変わり、同じものでも、どこに使うかで180度変った空間が出来上がります。)





 そのお金は、まさに、お客様の命の代償として得たお金、すなわち命に変るものなのです。お客様は命を懸けて、自身とご家族の夢を、実現しようとされているのです。これはすなわち、お客様の一世一代の大事業であるのと同時に、お客様の命がけの期待と信頼を戴いている重大な責任もあるのです。


(「命」それは、この世の中での一番の宝物です。何物にも代えることは出来ません。此れに勝る宝物は無いのです。しかし、この最高の命の次に大事な宝物、すなわち「命」に代わるものが、お金として使われ、戴いて、お客様の夢を実現して行くのです。)





 先ずこのことを、「信頼」を戴いている私ども業者が、十分に理解し、それに十二分に答えていこうとする処から、家造りは始まるのです。




 一軒の家造りを始めるには、そこに100人前後いや、それ以上の多くの人間が関わるようになります。みんな真剣に、お家造りに取り組んでいく訳です、誰一人として、ふざけや、あぞび感覚の人は居ません。真剣です!





 しかしそれでも、行き違いミスや、失敗を犯してしまうのです。大切なのは、そのミスや失敗を、隠さずにすぐに、トップに報告をして、できるだけ早く対処をすることです。そして、その失敗やミスの原因を究明して、その対処をして二度と、同じミスは繰り返さない事です。そして、お客様に感謝や感動を与えていけるような物造りと、心創りに徹し切って行きたいと思っています。



(人生に彩を添え、喜びと、楽しみを与えていく舞妓の技も、お客様に奉仕し喜びを与えていこうとする心が、その技を輝かせ、人間を輝かせ、お客様に幸せや喜びや感動を与えていくのでしょう。)




 昨日、不具合を直し終え、早速今朝、指摘を受けたお客さんから、私の携帯に電話が掛かってきました。とっさに、「あっ、お叱りの電話だ」と、瞬間思いました。




 電話に出て早速お詫びの言葉を述べると、お客様から「いやいや、今回は、本当に迅速な対応をして戴いて、本当に丁寧にしっかりといい仕事をして頂きました。本当にありがとうございました。お陰で、見違えるように綺麗になって、一言お礼を言いたくて電話をしました。こんな素晴らしい大工さんを連れていれば、まだまだ発展していくと思います。大工さんと、〇〇さんには、本当に感謝し、仕事振りには、感動しています。本当にありがとうございました。」という。言葉が返ってきたのです・・・・。


 胸がつまり、声が震えて、まともに言葉が交わせませんでした。こんなに胸が熱くなり、うれしかった事はありませんでした。



 「お金は、命に変るもの」・お客様は、命がけでお家作りに関わっている!それを裏付けるような、今回の出来事でした。
 

 今回、「住い造り」の基本、「心創り」の原点を、改めて学ばせて頂きました。
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私の龍馬観 第四話

2009-06-02 20:53:02 | Weblog
盟友 龍馬と慎太郎秘話



(「生輝蔵」のユニットハウスです。これからこの商品を、世界に売り出していきます。)



 こんばんわ。今日は、産業振興センターで、「生輝蔵」と、関西出店での模様を報告させて頂き、「生輝蔵」と、古民家ときめき再生が、大注目されていることを話してきました。詳しい内容は、また後日報告させてもらいますね~。



 今回は、坂本龍馬と中岡慎太郎、明治維新の大きな原動力と評価され、有名なこの2人の最初の出会いはどんなものであったのか?非常に興味をそそられる部分だと思います。


 「一期一会」と、最近はよく言われていますが、この二人の関係から、その言葉の心が、読み取れるのではないかと思うのです。


(坂本龍馬の人間的な魅力は、不況と激動の時代にあって、周辺に夢と希望と生きていく喜びを与え続けました。今まさに、龍馬的発想の、楽観主義、理想主義、人間主義、平和主義を持ち合わした人が、要求される時代です。時代回天の大きなキーワードは、この一点の「人」に掛かってくるのです。)



うまが合わなかった!? 龍馬と慎太郎



 さて、龍馬と慎太郎の出会いは、安政5年、龍馬24歳の正月でした。江戸の土佐藩邸で、武市派の祝宴の席上でした。武市半平太の隣に坂本龍馬の席があり、そこから少し離れた所に、中岡新太郎が居たのです。そこで見事な剣舞を演じていた若者に、龍馬の目が止まり、「あの男は、誰じゃ?」との龍馬の問いかけに、武市は、「大庄屋の子息で、中岡慎太郎という気概に満ちた国家有為な青年」だと紹介し、「中岡君こっちへ来ないか」と誘うと、中岡は、「どうしてですか」と聞き返すのです。


(慎太郎も、龍馬の「和して同ぜぬ」の一貫した生き方に、ほれ込んで、自身の悔い無き生き方を見出したのでしょう。私の持論に「けんかの薦め」が在りますが、これも、喧嘩してでも言いたいこと(本音)を言って、お互いの良さを知り合う、それでこそ強力な力が生まれる。考え方は、近いものがあります。)



 武市は、「君を呼ぶのにいちいち理由が要るのか。」との問いかけに、中岡は、「はい、私は理由もなく動きたくはありません。」とこたえる。武市もいささか怒り気味になり「君に坂本君を紹介したいのだ」と説明すると、・・・。中岡慎太郎は何と言ったと思いますか~。



 中岡は、「御無用に願います。(紹介をしてもらう必要はありません。)」と、拒否してしまうのです。     当然、武市半平太は、「なぜだ」と追求します。すると、中岡は、「私は、剣術使いには興味はありません」と穀然とこたえるのです。





 本当に、いごっそうのへめくれもんです。当然、武市は、思わず大刀を、引き寄せて言った。「先輩を侮辱するとその分ではおかぬぞ。それに私も剣術使いだ」と、すると、中岡は、「先生は違います。剣を天下の事に生かそうとなさっています。だから私は、先生を敬慕し師事しているのです。しかし、先生のお隣の方は、単なる剣客で、今日天下の情勢はどう動いているのか、何の目的のために一命を、擲つべきなのか、そういう国家の大事を考え、憂えている様子は、全く感じられません。凡士と共に天を戴く心算はありません」と答えたのである。



 この二人の性格が如実に出ています。豪放磊落な、底知れずの龍馬と精錬実直な慎太郎。どちらも剣の達人なのです。土佐のいごっそう同士の出会いは、こんな形が多いかもしれません。



(武市半平太、瑞山先生、墨竜先生とも言われていました。37歳という若さで、三文字切りという切腹を行なってこの世を去りました。龍馬はそうした武士の無駄死にを大いに嫌っていました。命は、取り戻しの利かぬものとして、大切にする活かし剣の使い手でした。)


 
 当然、盟友を侮辱された武市は、黙って見過ごすわけにはいきません。大刀を鷲掴みにして、「中岡君表へ出ろ!」と、龍馬の親友、岡田以蔵も止めに入ったが、すかさず龍馬が、「いやぁ参った、参った、中岡君、君の言う事はいちいち尤もじゃ」と素直に頭を下げて、そして「おまんは偉い、肝の上に天下を載せちょる。わしもおまんの心掛けに学ばにゃあならんが、何分にも子供の時から愚鈍じゃ。ボチボチ君の後を追いたいと思うちょるから、少々待ってつかぁされ」と添えたのです。


 さすが度量の深い龍馬です。どんな相手でも、味方にしてしまう龍馬の人間としての魅力と、人懐っこい言葉と行動を取っていた事が、こうした考え方から想像が出来ますよね~。 独特な、価値判断の基準を持っていたのです。(つづく)
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