盟友 龍馬と慎太郎秘話
(「生輝蔵」のユニットハウスです。これからこの商品を、世界に売り出していきます。)
こんばんわ。今日は、産業振興センターで、「生輝蔵」と、関西出店での模様を報告させて頂き、「生輝蔵」と、古民家ときめき再生が、大注目されていることを話してきました。詳しい内容は、また後日報告させてもらいますね~。
今回は、坂本龍馬と中岡慎太郎、明治維新の大きな原動力と評価され、有名なこの2人の最初の出会いはどんなものであったのか?非常に興味をそそられる部分だと思います。
「一期一会」と、最近はよく言われていますが、この二人の関係から、その言葉の心が、読み取れるのではないかと思うのです。
(坂本龍馬の人間的な魅力は、不況と激動の時代にあって、周辺に夢と希望と生きていく喜びを与え続けました。今まさに、龍馬的発想の、楽観主義、理想主義、人間主義、平和主義を持ち合わした人が、要求される時代です。時代回天の大きなキーワードは、この一点の「人」に掛かってくるのです。)
うまが合わなかった!? 龍馬と慎太郎
さて、龍馬と慎太郎の出会いは、安政5年、龍馬24歳の正月でした。江戸の土佐藩邸で、武市派の祝宴の席上でした。武市半平太の隣に坂本龍馬の席があり、そこから少し離れた所に、中岡新太郎が居たのです。そこで見事な剣舞を演じていた若者に、龍馬の目が止まり、「あの男は、誰じゃ?」との龍馬の問いかけに、武市は、「大庄屋の子息で、中岡慎太郎という気概に満ちた国家有為な青年」だと紹介し、「中岡君こっちへ来ないか」と誘うと、中岡は、「どうしてですか」と聞き返すのです。
(慎太郎も、龍馬の「和して同ぜぬ」の一貫した生き方に、ほれ込んで、自身の悔い無き生き方を見出したのでしょう。私の持論に「けんかの薦め」が在りますが、これも、喧嘩してでも言いたいこと(本音)を言って、お互いの良さを知り合う、それでこそ強力な力が生まれる。考え方は、近いものがあります。)
武市は、「君を呼ぶのにいちいち理由が要るのか。」との問いかけに、中岡は、「はい、私は理由もなく動きたくはありません。」とこたえる。武市もいささか怒り気味になり「君に坂本君を紹介したいのだ」と説明すると、・・・。中岡慎太郎は何と言ったと思いますか~。
中岡は、「御無用に願います。(紹介をしてもらう必要はありません。)」と、拒否してしまうのです。 当然、武市半平太は、「なぜだ」と追求します。すると、中岡は、「私は、剣術使いには興味はありません」と穀然とこたえるのです。
本当に、いごっそうのへめくれもんです。当然、武市は、思わず大刀を、引き寄せて言った。「先輩を侮辱するとその分ではおかぬぞ。それに私も剣術使いだ」と、すると、中岡は、「先生は違います。剣を天下の事に生かそうとなさっています。だから私は、先生を敬慕し師事しているのです。しかし、先生のお隣の方は、単なる剣客で、今日天下の情勢はどう動いているのか、何の目的のために一命を、擲つべきなのか、そういう国家の大事を考え、憂えている様子は、全く感じられません。凡士と共に天を戴く心算はありません」と答えたのである。
この二人の性格が如実に出ています。豪放磊落な、底知れずの龍馬と精錬実直な慎太郎。どちらも剣の達人なのです。土佐のいごっそう同士の出会いは、こんな形が多いかもしれません。
(武市半平太、瑞山先生、墨竜先生とも言われていました。37歳という若さで、三文字切りという切腹を行なってこの世を去りました。龍馬はそうした武士の無駄死にを大いに嫌っていました。命は、取り戻しの利かぬものとして、大切にする活かし剣の使い手でした。)
当然、盟友を侮辱された武市は、黙って見過ごすわけにはいきません。大刀を鷲掴みにして、「中岡君表へ出ろ!」と、龍馬の親友、岡田以蔵も止めに入ったが、すかさず龍馬が、「いやぁ参った、参った、中岡君、君の言う事はいちいち尤もじゃ」と素直に頭を下げて、そして「おまんは偉い、肝の上に天下を載せちょる。わしもおまんの心掛けに学ばにゃあならんが、何分にも子供の時から愚鈍じゃ。ボチボチ君の後を追いたいと思うちょるから、少々待ってつかぁされ」と添えたのです。
さすが度量の深い龍馬です。どんな相手でも、味方にしてしまう龍馬の人間としての魅力と、人懐っこい言葉と行動を取っていた事が、こうした考え方から想像が出来ますよね~。 独特な、価値判断の基準を持っていたのです。(つづく)
(「生輝蔵」のユニットハウスです。これからこの商品を、世界に売り出していきます。)
こんばんわ。今日は、産業振興センターで、「生輝蔵」と、関西出店での模様を報告させて頂き、「生輝蔵」と、古民家ときめき再生が、大注目されていることを話してきました。詳しい内容は、また後日報告させてもらいますね~。
今回は、坂本龍馬と中岡慎太郎、明治維新の大きな原動力と評価され、有名なこの2人の最初の出会いはどんなものであったのか?非常に興味をそそられる部分だと思います。
「一期一会」と、最近はよく言われていますが、この二人の関係から、その言葉の心が、読み取れるのではないかと思うのです。
(坂本龍馬の人間的な魅力は、不況と激動の時代にあって、周辺に夢と希望と生きていく喜びを与え続けました。今まさに、龍馬的発想の、楽観主義、理想主義、人間主義、平和主義を持ち合わした人が、要求される時代です。時代回天の大きなキーワードは、この一点の「人」に掛かってくるのです。)
うまが合わなかった!? 龍馬と慎太郎
さて、龍馬と慎太郎の出会いは、安政5年、龍馬24歳の正月でした。江戸の土佐藩邸で、武市派の祝宴の席上でした。武市半平太の隣に坂本龍馬の席があり、そこから少し離れた所に、中岡新太郎が居たのです。そこで見事な剣舞を演じていた若者に、龍馬の目が止まり、「あの男は、誰じゃ?」との龍馬の問いかけに、武市は、「大庄屋の子息で、中岡慎太郎という気概に満ちた国家有為な青年」だと紹介し、「中岡君こっちへ来ないか」と誘うと、中岡は、「どうしてですか」と聞き返すのです。
(慎太郎も、龍馬の「和して同ぜぬ」の一貫した生き方に、ほれ込んで、自身の悔い無き生き方を見出したのでしょう。私の持論に「けんかの薦め」が在りますが、これも、喧嘩してでも言いたいこと(本音)を言って、お互いの良さを知り合う、それでこそ強力な力が生まれる。考え方は、近いものがあります。)
武市は、「君を呼ぶのにいちいち理由が要るのか。」との問いかけに、中岡は、「はい、私は理由もなく動きたくはありません。」とこたえる。武市もいささか怒り気味になり「君に坂本君を紹介したいのだ」と説明すると、・・・。中岡慎太郎は何と言ったと思いますか~。
中岡は、「御無用に願います。(紹介をしてもらう必要はありません。)」と、拒否してしまうのです。 当然、武市半平太は、「なぜだ」と追求します。すると、中岡は、「私は、剣術使いには興味はありません」と穀然とこたえるのです。
本当に、いごっそうのへめくれもんです。当然、武市は、思わず大刀を、引き寄せて言った。「先輩を侮辱するとその分ではおかぬぞ。それに私も剣術使いだ」と、すると、中岡は、「先生は違います。剣を天下の事に生かそうとなさっています。だから私は、先生を敬慕し師事しているのです。しかし、先生のお隣の方は、単なる剣客で、今日天下の情勢はどう動いているのか、何の目的のために一命を、擲つべきなのか、そういう国家の大事を考え、憂えている様子は、全く感じられません。凡士と共に天を戴く心算はありません」と答えたのである。
この二人の性格が如実に出ています。豪放磊落な、底知れずの龍馬と精錬実直な慎太郎。どちらも剣の達人なのです。土佐のいごっそう同士の出会いは、こんな形が多いかもしれません。
(武市半平太、瑞山先生、墨竜先生とも言われていました。37歳という若さで、三文字切りという切腹を行なってこの世を去りました。龍馬はそうした武士の無駄死にを大いに嫌っていました。命は、取り戻しの利かぬものとして、大切にする活かし剣の使い手でした。)
当然、盟友を侮辱された武市は、黙って見過ごすわけにはいきません。大刀を鷲掴みにして、「中岡君表へ出ろ!」と、龍馬の親友、岡田以蔵も止めに入ったが、すかさず龍馬が、「いやぁ参った、参った、中岡君、君の言う事はいちいち尤もじゃ」と素直に頭を下げて、そして「おまんは偉い、肝の上に天下を載せちょる。わしもおまんの心掛けに学ばにゃあならんが、何分にも子供の時から愚鈍じゃ。ボチボチ君の後を追いたいと思うちょるから、少々待ってつかぁされ」と添えたのです。
さすが度量の深い龍馬です。どんな相手でも、味方にしてしまう龍馬の人間としての魅力と、人懐っこい言葉と行動を取っていた事が、こうした考え方から想像が出来ますよね~。 独特な、価値判断の基準を持っていたのです。(つづく)
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